メルマガブログ転送憲法改正3

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明日へ選択10月号から
「憲法改正反対論論破」

(私のコメント;新聞テレビの憲法論議は、あまりにいい加減な話が多いので、
それらの嘘やデタラメを正すため、上記のをまとめてみました。
これでマスゴミやそこで論陣を張るサヨク憲法学者がいかに悪い奴らか分かるでしょう。
彼らの主張は要するに、
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と考えたらいいでしょう。
幽霊のような実体の無いもので恐怖を煽るのです。
彼らの脅しに乗らず、実態はなにか、よく見極めることが大切です。

なお、括弧内は私のコメントです。
今回は第三回目で前回は11/16、12/12付けになります。)

(要約引用開始)

***憲法第9条平和憲法について***

(この条文がサヨク陣営との最大の攻防地点、いわゆる天王山になっている。
戦後の歴史はこの条文が作った、と言っても過言でないだろう。
例えば、昨日のニュースで警視庁がストーカーに対する対策を強化する、と言っていたが、
この背景には九条平和思想の矛盾した影響が見られる。

ストーカー対策は三鷹の女子高生刺殺事件に対応するものだが、
この事件は警察の対応が悪いので起きたものではない。
警察の責任というよりも、被害者である女の子がまず責任を負うべきものだ。
だが、彼女は自由というものが責任を伴うものだ、と言うことを教えられていない。
また、安全というものが他人任せに出来ないものだ、ということも教えられていない。
そういうことを教えなかった親や先生が一番責任を負うべきなのだ。

彼らは、安全を警察任せにしながら警察に協力しようともしない、感謝もしないのだ。
逆に彼女の背後に居る自由至上主義者「リベラル勢力」は、
警察を国家権力、暴力装置と見て対立的に考えている。
こういう見方は憲法第九条の平和主義者にも同じような図式に成っている。
反米でありながら国家の安全保障はアメリカに頼っているし、
地震が起きたら違憲だという自衛隊に助けてもらおうとする。

しかし、これが現在の国民の一般的な常識となっている。
戦後のこうした愚民化サヨク洗脳教育も分析してみるとこの第九条に行き着く。
マスゴミに登場する平和主義者は新興宗教の九条宗徒と見たほうがいい。
ソビエト共産党は「宗教は麻薬だ」といったが、
彼らの平和論は麻薬で痛みを麻痺させるようなものだ。
痛みの元となる傷口はどんどん広がって、失血死が待っている。

彼らがよく言う言葉に
「九条を変える事は戦争のできる国にすると言うことだ」というのがある。
これなんかも幽霊で脅かして自分たちの主張に従わしめようとする典型的な手段だ。
戦争なんていうものは、誰が何と言おうと起きるものだ。
それは歴史が証明している。
戦争ができるかどうかということと戦争が起きるかどうかと言う事は関係がない。


こういった世の中現実を、彼らは否定も反論もできないから、
やけくそになって、そうなったらおとなしく殺されましょう、などという。
この理屈で言えば、三鷹の女の子は戦う力がないから殺されても当然という事なのだ。
彼らはこのように自分の主義主張のために他人に対して非常に冷酷だ。

また、戦争志向の国と非難するが他国に戦争を仕掛けられた時にどうするのか。
戦争さえなければ殺されても奴隷になってもいいのか、という点も彼らは仕方がないと諦めるらしい。
敵が来たら殺されたり奴隷になってもいい、というのは自己の尊厳の放棄だ。
彼らは別のところで個人の尊厳ほど大切なものはない、と主張している。
主張が相互に矛盾しているのだ。

もう一つ言えば、おとなしく殺されると言う事は自己否定で、つまりニヒリズムだ。
ニヒリズムと言う麻薬で思考を停止させ、痛みを麻痺させ、ごまかそうと言う話だ。
実は、戦後社会は九条がもたらしたニヒリズムで成り立っているのだ。
戦後の反日洗脳教育の成れの果て、とも言えるだろう。

もう一つ先日のニュースを例にとると、
尖閣諸島に近い宮古島市自衛隊がミサイルを配備しようとしたら反対された。
その理由は宮古島市議会が無防備都市宣言を行ったから、という。
島に武器がなければ敵が攻めてきても許してもらえる、という事だ。

無抵抗だったら殺されもせず奴隷にもならず仲良くできるなんて子供だって嘘だと分かる話だ。
ネットでは宮古島市の態度を嘲笑していろいろ書かれていたが、
それを紹介するまでもなく泥棒に財布を見せたら逃げてゆくなんて信じられるか。
全く滑稽な話だろう。
シナが宮古島にやってきたら、さっさと軍隊を配備するだろうし、それを嫌だと言えるのか。

そもそも無防備無抵抗なのだから自衛隊の武器搬入も拒否できないはずだ。
自衛隊の武器搬入には何らかの実力を使って反対するのだったら無防備都市では無い。
これも憲法第9条と現実が全く噛み合わないということで起こる滑稽な現象だ。

話が長くなってしまった。論文を引用して勉強するのが目的だから本題に戻ろう。)

マスゴミの主張その1.
「憲法第九条の戦争放棄条項は世界に誇るべきものだ。世界遺産に登録しよう。」
「憲法第9条は一字一句も変えてはならない。平和を希求する国が戦争志向の国になる。」

上記の回答;
憲法第9条は第一項と第二項に分かれている。
第一項はご存知の通り「戦争放棄」条項で、
国際紛争を解決する手段として戦争しないと決めている。
また第二項は「戦力の不保持」を決めている。

この2つの項目について世界各国の憲法と比較してみると、
非常に特異な憲法規定だということが分かってくる。

(左翼学者は理論を日本国内に限定して視野狭窄のような状態に国民を導こうとしている。
これは彼らのやってることがプロパガンダにすぎないことを示している。
プロパガンダの手法としてはなるべく視野狭窄のほうが催眠にかけやすいからだ。)

まず第一項の戦争放棄だが、これは別に日本独特のものでなく世界中にたくさんある。
世界に誇るべきものでも何でもない。
例えば戦前のパリ不戦条約や今日の国連憲章には同じ規定がある。
また各国の憲法を見てもイタリア、アゼルバイジャン、等に同様の規定がある。

世界にある188の憲法典の内、何らかの平和条項を憲法に置いているケースは158もある、という。
つまり、平和を希求するのは何も憲法第9条の専売特許ではなくむしろ「世界の常識」と言って良い。

一方第二項の戦力の不保持は、世界各国とも何らかの平和条項を規定しながら、
殆どすべてと言って良い程の国が戦力を保持している。
つまり世界中の憲法の常識では、平和条項を掲げ、かつ軍を保持しているのだ。
日本だけが世界の憲法から見たら非常識な規定になっている。

自民党の憲法改正草案は第一項をそのまま残し、第二項を改正して自衛隊を国防軍とする案である。
世界の常識に合わせた憲法を作ろうとしているに過ぎない。
平和憲法を守れ、と言う改正反対論者は第一項第二項とも変えてはならない、という。
変えると、戦争が出来る国となって平和国家で無くなる、と主張する。
しかし、そうだとすれば世界中の国はみな戦争志向の国ということになってしまう。

(左翼の連中の話は日本だけ特別、という理屈が多い。
脱原発なども日本だけが特別待遇なのだ。
世界中で原子力発電所を増設して安い電力を作ろうとしてるのに、
日本だけは高いコストの電力を使え、と言うのだ。
なぜなら日本が唯一原爆が落ちた国だから、等と日本を特別視する。
彼らの本質は日本人差別、日本人蔑視なのだ。)

それではなぜ世界的に見て非常識な2つの項目が同居するような憲法になったのか。
第二項の戦力の不保持は占領軍最高司令官だったマッカーサーが憲法草案の作成を命じた時、
マッカーサーノートというメモを渡している。
その中に戦力の不保持が入っていてそれがそのまま取り入れられた。
マッカーサーは別に平和憲法を思考したわけではなく、
日本の非武装化は占領軍の戦略目標だったからだ。

(憲法草案が1週間でできたのは昭和21年2月のことだから、
8月15日の敗戦から6ヶ月しか経って居ない頃のことだ。)
戦力不保持はアメリカの占領政策として行われたものをその後平和憲法とすり替えて、
実質的な占領状態を続けようとするトリックなのだ。

(左翼学者の言う平和憲法を守れ、
日本の非武装化というのは永遠にアメリカの属国化ということである。
彼らは一般に反米を唱えるが実質的にはアメリカの占領を助けている。
これは矛盾したように見えるが、見方を変えれば矛盾したものでもない。
つまり彼らの根底には西洋文明の崇拝と反日侮日があるのだ。
反米より反日のほうが優先されるので、
アメリカに占領されていたほうがまだましだ、と思っている。
脱線するが、サヨクが反日最優先なので韓国とコラボレートして今は殆ど同じみたいに成っている。)

世界の常識から言うと戦争放棄と戦力の不保持という2つの項目は相反する矛盾したものなのだ。

戦争を放棄しても平和を保つためには軍隊が必要だ、というのが常識なのだ。

そこで憲法第9条を解釈するにあたって自衛のための武力行使や戦力の保持は禁じていない、
という解釈から、どのような形の武力行使も戦力の保持も一切認めていない、
と言う全く正反対の主張がなされている。

それに応じて自衛隊の立場も違憲から合憲まで揺れ動いている。
こういう憲法上の矛盾や解釈の混乱をそのまま放置しておくのは非常に弊害が大きい。


ましてやその矛盾点が国家の存率を左右する安全保障の問題だから早く結論を出さないと、
国家の存立が危うくなる。

(サヨクは国を滅亡させ革命が起こすのが基本的な目的なので、
今のままごたごたした方がいいと思っているのかも知れない。)

(続く)