メルマガブログ転送憲法改正4

雑誌「明日へ選択」10月号から
「憲法改正反対論論破」

(私のコメント;新聞テレビの憲法論議は、あまりにいい加減な話が多いので、
それらの嘘やデタラメを正すため、上記のをまとめてみました。
これでマスゴミやそこで論陣を張るサヨク憲法学者がいかにバカバカしいか分かるでしょう。
彼らの手段は幽霊のような実体の無いもので恐怖を煽るのです。
彼らの脅しに乗らず、恐怖の実態はなにか、よく見極めることが大切です。

なお、括弧内は私のコメントです。
今回は第四回目で前回は11/16、12/12、12/16付けになります。)

(要約引用開始)

***憲法第9条平和憲法について***


マスゴミの主張その.2
「憲法第9条があったから日本の平和は守られてきた。
9条を変える事は日本を戦争のできる国にする危険な行為だ。」
「平和は外交など非軍事的手段で維持すべきであり軍事力によって平和は維持できない。」

上記の回答;
そもそも九条があったから平和が守られてきた、とか9条を改正すれば戦争が起こる、
などという考えは、荒唐無稽な空想か詭弁以外の何物でもない。
現実の軍事面からすれば日米安保条約が日本の安全を確保してきたのだ。
九条とは関係がない。

憲法第9条は「戦争放棄」と「戦力の不保持」から成り立っているが、
世界中の大多数の憲法は戦争放棄を何らかの形で謳っている。
だからそういう規定があるから平和だというなら世界はとうの昔に平和になっているはずだ。

(このような理想主義から来る現実との不整合は世の中によく出現する。
例えば死刑廃止論とか少年法に見られる人間性善説などもこの考え方に近い。
サヨクは理想を先に考えるから、このように現実から遊離した議論になる。)


また左翼学者の言う九条を変えれば日本は戦争をする国になると言う主張は、
彼らが自衛隊は軍隊だ、憲法違反だ、と言う主張と矛盾している。
9条を改正して軍隊を持てば戦争が起きる、というなら、
すでに自衛隊と言う軍隊を持っているのだから戦争が起きているはずだ。

(彼らの主張はその場その場の都合の良い理屈だから、このように整合性が取れなくなるのだ。)

平和は外交など非軍事的な手段で維持すべき、というのも現実から遊離した話だ。
北朝鮮などの軍事独裁政権が支配する国に対しては力による解決を背景としない外交は全く無力だ。
戦後の歴史を見ても軍事力で動いていることは確かだ。

(平和的な話し合いがうまくいくのは、ごく一部の場合にすぎない。
それは歴史や現実を見れば小学生だって分かることだ。
歴史を見ればもっとはっきり非軍事的な手段なんて殆ど役立たない事がわかる。
戦国時代だけ見ても明らかだ。
一般にサヨクの考えは理想を語るだけで、歴史や現実を全く見ないのだ。)

マスゴミや左翼学者の言う平和とは単に「武力が行使されない状態」と言うことのようだ。
だから領土が侵略されても最初から白旗を掲げれば平和だ、ということになる。
彼らは「武力行使しなければ平和」という一面だけからしか憲法を論じないし、
軍隊を持たないと言う意味でのみ平和憲法を主張する。

(それでは果たして武力が行使されない状態が平和なのだろうか。
他国の侵略によって武力を行使せず奴隷になったら果たして平和だろうか。
奴隷だから基本的人権は尊重されないし、私有財産も認められない。
もちろん自由な経済活動も行われず、過酷な労働だけが強制される。
国民が豊かで幸せに暮らす事は全く考えられない。
これでも平和だろうか。
逆に軍隊を使わないからと言って、石油や食料をを全面的に封鎖して
他国を攻撃侵略しても平和なのか。)

ここで彼らが一番欠けているのは国家というものを全く考えていないことだ。
人権や福祉、自由な経済活動、私有財産などは国家が担保するもので、
それらは国家なくしては成り立たない。
従って、平和とは国民が豊かで自由に幸せに暮らすことだと定義するなら、
国家の存在は不可欠だ。

外国に干渉されたり、奴隷のような状態で人権や国民主権が正常に機能するはずがない。
人権を守ろうとするならまず国家を守らなければならない。
その意味で国家の主権を守ることこそどんな国であっても憲法の最大のテーマである。
主権をいかに守るか、外国から主権を侵害された場合いかに排除するか、
そういう論点から憲法を論議することこそ世界の常識なのだ。

世界各国は憲法に平和条項を持つ一方、ほとんどすべての国が軍隊を保有している。
また多くの国が何らかの形で国防の義務を憲法に明記している。
それは軍が国家の主権を守る存在だと世界中の国が位置づけていることに他ならない。
軍隊とは国家と言う共同体を防衛する組織であるというのが世界の常識だ。
武力を行使しないから平和だというのはごく一面的な考え方で、
平和にとって一番大切な国家主権というものを見失っている憲法論議なのだ。
上記の反対論は世界の常識から外れ、現実からも遊離した空想的なもので、
何より悪いのは国家なき平和論だ、ということになる。
このような反対論が通れば日本という国は間違いなく滅亡する。

(武力行使しなければ平和、というのは背景に日本に対する自虐史観がある。
第二次世界大戦は日本が一方的に侵略を仕掛けたから起きたもので、
日本さえ戦争しなければ世界はもともと平和なのだ、という戦勝国押し付け史観だ。
これが憲法前文や東京裁判史観にも適用され、日本人に害をなしている。

又、戦争が出来る国、という文句は日本人が第二次世界大戦の悲惨な経験をまだ忘れていないから、
その恐怖心を煽り、感情的不安を元に判断させようとするものだ。)

(蛇足ながら、憲法とはどんなものか一例をあげよう。
成文憲法と呼ばれる近代憲法は米国の合衆国憲法が世界最初です。
1787年制定で日本では天明7年、天明の飢饉が発生した頃のことです。
前文に憲法制定の趣旨が語られている。
憲法制定の目的は「米国民の自由の恵みを確保し続けるためのもので、
より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保証し、
共同の防衛に備え、一般の福祉を増進する。」

皆が希求する平和というものがどういうものかがよく分かる。
サヨクが言う武力が行使されない平和なんて全く考える余地もない。)


(引用終了)
(続く)
小塚正己mkozuka@ybb.ne.jp