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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140109-00010001-agora-pol
アゴラ 1月9日(木)11時8分配信

(見出し)

「理解を求める」「広報外交」という、安倍政権の「根性論外交」の無意味さ - 站谷 幸一


(私のコメント)
一般に人と付き合う時は「共通の基盤」「共通の価値観」がないとうまくいかない。
サッカーが好きだとか芝居が好きだとかそういう趣味や道楽でもいい。
天気の話だけで見知らぬ人と談笑することは充分可能だ。
だが、芝居が好きな人と政治の話をしてもうまくいかない。
人と付き合う時はなるべく共通部分で付き合うようにした方が良い。

異なる部分については理解し許してあげる広い心が求められる。
少しでも違う部分があったら排除すると世間が狭くなる。

脱原発」論者はある基盤の思想の上に立っている。
九条教のように日本罪悪感自虐的な平和主義と同じ基盤から出発している。
だからそういう自虐平和論的思考の人と原発の議論をしても始まらない。
彼らは戦後の視野狭窄的な日本罪悪論「日本だけが悪い奴」という思想の上に立っている。
そしてそういうことを言う自分は偉い、と考えている。

きわめて情緒的なのだがそれを理性的だと勘違いしている。
だからこういう人間と例え、コスト計算のような論理的な議論しても
基盤が違うから結局不毛の議論になる。

日本罪悪論は最終的には民族の集団自殺を容認しないとつじつまが合わないものだ。
例えば憲法第9条の平和主義は他国が攻めてきたら黙って殺されましょう、と言うものだ。
そうでなければ最終的なつじつまが合わない。
脱原発は経済的に集団自殺しましょうという考えと言っていい。

我々の世代は洗脳教育と敗戦のトラウマでそれを容認してきた。
しかしこれからの若い人はそれに疑問を持っている。
それは当然のことで、誰に教えられたわけでもない。
自分の命を守るのは本能だからだ。

身を守るとか、自分の持ち物を誰かに取られないようにするのは人間の本能だ。
生命財産を守るというのは人として当然だ。
だから若い人たちは今の先生が自分の首を絞めろ、と言っても冷笑するだけだ。
なにしろ、本能からの要求だから理屈抜きだ。
我々戦後世代が自分は悪いやつです、と土下座して奴隷か自殺するのを見て若い人は呆れている。

こういう自虐エリートと議論するときは基盤が全く違うので議論が難しい。
ただ基盤となる価値観が違っていることを踏まえて感情的にならずに議論することが必要だ。
このブログ記事はそういう基本的な価値観の違いがあるときにどう説得するか、
ということを検討している。
敵か味方かに分けるのでなく、相手の価値観に合わせて我慢強く説得しなければならない。
最後の注でこの記事の批判を書いたが、作者はまさにサヨク自虐の人だからそこは引き算だ。
でも、価値観という考え方は大変面白いので取り上げました。

(私のコメント終)

(要約引用開始)

1.理解を求めるという目的の無意味さ

沖縄の基地問題沖縄県庁の役人と交渉した際、何でもかんでも反対するので、
「じゃあ一体どんな内容ならまんぞくするんですか。」と聞いたら、
「それは皆さんで考えて下さい。」と言われた。

これは本質的に言えば、責任回避なのだ。
もし具体的な回答するとそれに対して責任を負はなければならない。
基地で起きるいろいろなことに共同責任で対処しなければならない。
これが嫌なのだ。
靖国神社参拝も米国が理解したとすれば、米国も共同で責任を持つことになる。
米国は外交的にそれは不可能だ。
故に理解を求めると言う目的は実現は不可能なことなのだ。

(注;昔、生活保護を受けている女が
「私たちがどうしたら気持ちよく生活できるか、みんなで考えてください。」
と話しているのを聞いたことがある。
これは上記の話の通り完全な責任転嫁なのだ。
自立自助という考えを放棄し、自己の義務や責任を他人に置い被せているのだ。
これはサヨクの「世の中が悪い、私は悪くない。」という考えと対になっている。)


2.広報外交という手段の無茶苦茶さ

広報外交というのは相手の価値観に沿わなければ、金をかけても意味がない。
イスラム諸国に対しキリスト教の良さを広報しても反発を招くのと同じだ。
イギリスがフォークランド紛争の時にアルゼンチンに対して、
あそこは我々の領土だ、と新聞広告を出しても無意味だろう。
歴史的に見ると戦前の蒋介石政権は、クリスチャンで英語が堪能と言う米国人の価値観に合った人間、
すなわち蒋介石夫人である宋美齢を使って成功した。

一方、日本は自分の価値観に基づく主張しかできなかった。

(注;蒋介石はアメリカから援助を引き出すのが目的だったから、
手段は問はなかった。
日本は「義を尊ぶ」から正しいことを言っていれば、きっとわかってくれる、と思っていた。
今もそういう考えで動くとしたら危険だ。
プラグマ的な視点はいつも保持した方がいい。)

3.韓国のロビー活動の正否に見る広報外交で大事なこと

最近の韓国の行動は参考になる。
韓国が米国内で行う広報外交は1. 慰安婦問題 2.日本海の名称を東海に 3.核燃料再処理
の3つだ。
このうち1の慰安婦問題はかなり成功している。 2の名称変更はあまり浸透していない。
3の核問題はかなりの努力にもかかわらず全くダメだ。
なぜこうなったのか。
それは慰安婦問題が人権問題や前の戦争が正義の戦いだった、
というような米国の価値観に合っていたからだ。
次に東海問題は米国人の価値観からすればどうでもいいものだ。
だから両論併記が1部で出てきてしまう。
最後の核問題はアメリカの安全保障全体にも影響が出る重要事項だ。
そんなものはいくら広報活動もやっても意味がないのだ。
つまりロビー活動の結果は、背景にある価値観が成否を決めたのだ。

(注;韓国は自己利益だけでアメリカの利益になるようなことは一切やっていない。
今は慰安婦なども成功しているように見えるが、これから反発が大きくなるだろう。
成功するとは思えない。
同じアメリカ人なのに民族間の問題を持ち込むなら、そもそもアメリカという国が成り立たない。
慰安婦活動は米に対する破壊工作でもあるのだ。
それにアメリカ人が気がついた時、非常な反発が起きるだろう。)

4.広報外交をやれ、という前に

安倍首相を支持する人間は、広報外交を唱えるが、上記の通り相手の価値観に沿っていなければ、
意味がない。
それは自らの正当性とその基盤にある価値観を確信しているからなのだが、
それが相手に通じるか考えるべきだ。
新渡戸稲造の「武士道」は米国や西欧でベストセラーになったが、
あれは日本の武士道がヨーロッパの騎士道と比べ合わせながら説明しているからだ。
では靖国で同じように米国の価値観に沿って広報外交ができるかといえば不可能だろう。

5.結論
第二次世界大戦は正義が悪を駆逐したというストーリーを肯定しつつ極右と思われている安倍首相が
靖国神社参拝をも肯定するというのは無理だ。

(要約引用終了)

(注;これを書いた人は非常に分析力に長けた(たけた) 人で、面白い意見を言う。
しかし、戦後教育をしっかり受けていて無意識だろうけど反日の価値観を持っている。
上記の話も要するにアメリカの価値観にあわせろ、と言いたいわけだ。

だが、アメリカの価値観なんて非常に多様だ。
アメリカは戦後靖国神社を焼き払おうとしたが、カトリックの神父などの意見を聞いてやめた。
その後天皇が参拝することも容認してきた。

靖国神社はアメリカが問題にしたものでは無い。
日本の左翼、特に朝日新聞が中国政府を使ってそれを攻撃し、
自民党の中曽根が天皇靖国神社参拝を中止させた。

今日のような政治問題化にさせてしまったのは自民党なのだ。
文句を言っているのは日本の左翼とシナだけなのだ。
そいつらのいうことを聞いた自民党サヨク政党だと言ってもいいのだ。

アメリカは戦後靖国神社参拝を容認していたから、
上記のような大戦正義論だけでなく、別の価値観も持っているといっていいのだ。
アメリカは民主党と共和党のどちらが政権を取るかで全然別の顔を見せる。

アメリカはこの人の言うような単純なものではない。
別のブログで見たが、アメリカ人の靖国に対する考え方はこんなものだろう。

「たとえ東條英樹が悪い奴だとしてももう死んでしまっている。
東條英樹の家族が墓参りをしようと神社に参拝しようと、もうどうでもいいのだ。
なぜなら、戦いは勝ったのだ。いつまでも戦っている必要は無いのだ。」

日米はサンフランシスコ講和条約で仲直りしていることを筆者は考慮に入れてない。
筆者は、アメリカでなく、自分が大戦聖戦論というものに凝り固まっていて、
その目でアメリカを見ているのだろう。
サンフランシスコ講和条約で日米は価値観を共有したのだ。
だからそれを基盤にすれば靖国参拝も充分説得可能だし、仲良くも出来る。

この人の言う結論は日本や日本人の価値観は全く考慮に入れていない。
最も大切なのは日本人の価値観であって、戦前はそれを大切にしたから戦争になったのだ。
価値観を喪失するということは自己の否定だから自分で自分の首を絞めるようなものだ。
筆者は日本の価値観を否定し、なおかつ自殺するのもいやだからアメリカの価値観にすがっている。
それが戦後レジームの価値観だ。

現実に問題なのはシナのロビー活動だ。
シナはサンフランシスコ講和条約を無視してポツダム宣言を価値観の基盤に置くよう宣伝している。
上記の大戦正戦論はポツダム宣言そのものだ。
つまり、この筆者はシナの宣伝に沿った議論をしているのだ。

ここで、日本も自分の価値観は横において歴史を反省してみる必要はある。
戦前もそうだったがシナのロビー活動に打ち勝てるだけの味方を米国内に持つことが必要だ。
味方をしてくれる米国人のアドバイスを聞けばいろいろ教えてくれるだろう。
もっと実務的に対応を考え、価値観は背景に置いておくべきではないだろうか。

ところで、話は変わるが友人とおしゃべりする時、相手の価値観がどこにあるか見ておいた方がいいだろう。
逆にいわゆる「ウマが合う人」は価値観が同じだったりするわけだ。
上記の記事はそういった基盤となる価値観のことを書いているので大変面白いと思い取り上げました。)

 

(引用終了)