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雑誌「明日への選択」11月号
続、憲法改正反対論大論破

(私のコメント)
テレビや新聞の憲法改正反対の主張は全てデタラメだ。

今の憲法は、作成当時アメリカのマルキスト
日本のマルキストと相談して基本をつくったものだから、
マルクス主義革命にかなり近づいた形に作られている。

そして、その憲法を絶対的に信奉してきたのが戦後サヨクだ。
マルクス主義は20世紀の壮大な実験を経て大虐殺を繰り返し、消え去った。

しかし、それを金科玉条と崇めたサヨクマスゴミたちは今更間違いでした、とはいえない。
そんなことをすれば戦後の自分たちがやってきたことは全部無意味になる。
皆をだまくらかしてきたことがわかってしまう。
今後も何とか家畜のような読者たちに麻酔薬を与え続けなければならない。
そこで無理でもウソでもなんでもいいから理屈をこねているのだ。

また、その理屈を見ると、サヨクの特徴がここによく出ている。
彼らは物事をオールオアナッシング、絶対賛成か絶対反対か、という解釈しか出来ないのだ。
つまり全体主義だ。

http://yukokulog.blog129.fc2.com/
「私的憂国の書」から引用

「この「絶対的支持」と「絶対反対」という全体主義は、
サヨクの歴史の中で恐らく一貫している政治姿勢だと思われる。
そしてそれは、多くの反日勢力に共通する姿勢でもある。」
社会党が没落したのは、…そもそも「何でも反対」、「自衛隊は要らない」、
憲法は一文字も変えるな」などという絶対論に固執したためだろう。」
「…だが朝日にとって、慰安婦は絶対的に事実であり、日本は絶対に悪なのであって、
彼等に「その時代における相対化」など出来るはずもない。
それをやったら、長年の嘘がバレる。」

以上のブログの言葉通り、サヨク憲法観はそれを絶対かつ全部守ろうとするから、
却って苦しい議論になってしまい、簡単にボロが出るのだ。

ましてや現行憲法マルクス主義の教義で作られて居るために、
なおさら「絶対」死守から動けない。
そこ行くと、保守だったら物事を考えるのに「中庸」とか「柔軟」とか、
無数の選択肢を吟味する立場を持っている。

何か問題があるときは、通常はある部分は良い、
ある部分は良くないからこういう風に修正しよう、と言うような風に考える。
しかし、サヨク憲法に対してそのような融通の効く考えは出来ないのだ。
こうして左翼マスゴミは化石のように思考停止し、憲法制定当時のまま固まっている。

余談だが、脱原発サヨク的な全体主義だ。
脱原発原発推進との間には無数の選択肢があるのだが、
それを考える余地なく無視して、極端な一方向に走ろうとする。
ポピュリズム(大衆煽動)的にはそのほうがアッピールしやすいのだろうが。

以下最近の憲法改正反対論の徹底批判を要約します。

(私のコメント終)

(要約引用開始)

4.基本的人権は国家より優先するか。

(続き)

4-3明治憲法下の国民の権利は「法律の範囲内」という制限規定があった。
これに対し、「いくらでも骨抜きに出来る権利保障にすぎなかった。」という批判がある。
しかし、現行憲法でも自由に対し、法律によって制限されているから、
制限規定が人権をいくらでも骨抜きに出来るという事では無い。

先に触れたように国連国際人権規約も法律で制限することを認めている。
これが国際スタンダードだ。
逆に法律の制限を設けることによって、行政の都合でそれが行われるのでなく、
議会の議決を経た法律でなければ制限が出来ないのだから、
逆に自由を保護している、とも言えるのだ。

なお、人権に対する法律の保留はフランス人権宣言でも明文化されているから、
人権宣言を礼賛して明治憲法を非難するのは矛盾することなのだ。

明治憲法は先に書いた人権に関する2つの考え方、すなわち、
天賦人権説=自然権という国家より優位にそれを置く考え方と、
祖先から子孫へと受け継がれる共同体の中の権利とする考え方のうち、
後者の考え方に基づいている。

つまり、国家にそれを保証させたほうがより強力であると考え、
天賦人権説を排除したのだ。
これは明治憲法作成者がいかに叡智に溢れ、優秀だったかを示すものだ。
そして、明治憲法を非難するサヨク憲法学者はその逆だ、ということだ。

4-4人権を保証する法と制度が重要だ。

架空の観念によって過去を全否定したフランス革命は、
人権宣言では非常に立派な権利を謳ったが、それは画餅にすぎなかった。
結局、自然権が観念論であると同時に、
権利を具体化していくための法と制度が間違っていたからだ。
いかに立派な権利も、権利を宣言しただけでは何の意味がないのだ。

一方アメリカ独立宣言は自然権の思想が前面に出ていたが合衆国憲法は自由の確立に成功した、
と言われている。

それはなぜかというとアメリカは独立とともに自然権の思想を捨て去ったからだ。
(注;独立宣言以降造物主から与えられた自然権などという言葉は使われていない。)
そして、三権分立二院制など自由を保障するための法と制度の確立に、
卓抜な工夫を行ったからだ、とされる。
合衆国憲法の起草者は権利を文章で述べて宣言することより、
国民の権利を侵害しないような政治形態を構築する方が重要だと考えていた。

基本的人権自然権と捉えるより、
基本的人権の根拠は政治共同体の決定に求めるべきである、という。
自民党改正草案への批判は「文書で宣言されれば権利は万全だ」と言っているに等しい。
これがサヨク特有の一面的で短絡的な批判だ。

4-5国家悪玉論からの脱却

天賦人権説=自然権に立脚する人権は革命イデオロギーとしての性質上、
個人と国家の対立構図が前提とされている。
サヨク憲法学者基本的人権を「権力者に対して抵抗するための道具」と位置づける。
国家は暴君のように個人の権利を踏みにじるものだという考えが前提になってる。

つまり国家悪玉論だ。
しかし国民の権利を最終的に守るのは政治共同体としての国家である。
戦後の日本では人権を声高に唱える人が人権保障の砦である国家をおとしめ、
その基盤を弱めてきた。

こうした倒錯した考えを止め、国家の存立を維持するためにも
革命イデオロギーである天賦人権説=自然権の思想から脱し、
我が国の歴史、文化、伝統に根ざした人権を検討すべきだ。

(注;国家悪玉論はマルクス主義の階級闘争史観から来ている。
サヨク憲法学者は今は全く帰り見られないマルクス主義から抜け出せないのだ。
これは戦後の日本がそれらの思想に深く汚染されていることを示している。

その原因は主に3つある。

第一は、大東亜戦争の惨敗という歴史によって日本国家というものが信じられなくなったこと。

第二は戦勝国アメリカが秘密裏に巧妙に行った
「ウォー ギルトインフォメーション プログラム」
(日本を悪玉と宣伝する計画)が沢山の日本人の協力によって行われたこと。
協力した日本人は戦前に沢山いたマルクス主義者たちだ。
彼らは右翼や国粋主義者に偽装して政界、官界、学界、軍部にウヨウヨいた。

第三は戦後の社会的混乱に乗じたスターリンソビエトコミンテルンによる
反日宣伝と革命煽動の宣伝工作だ。

戦後の日本はこの3つの思想勢力によって侵略汚染され、
国家悪玉論、日本ダメ論、日本語悪玉論、
自己卑下や自己嫌悪という自国評価を心の底に根付かせた。

また左翼憲法学者、特に東大法学部はアメリカ支配機構であるGHQの走狗となって
アメリカ製憲法を信奉し権威付け、宣伝した。
日教組をはじめとする教育界もこの3つの勢力が強く影響した分野だ。
この辺を書くと戦後史を書くことになってしまって切りがなくなるから止めます。

左翼マスゴミはこの3つの宣伝を強力に推し進める武器だった。
マスゴミ憲法学者改憲反対論者は、上記3つによって生まれた戦後体制
既得権益者になっており、改憲はその既得権益が終焉する危機なのだ。
その意味でも何が何でも反対、という立場を取らせているのだ。)

(要約引用終了)