メルマガブログ転送インド1401-28-340-1/29

ZAKZAK夕刊フジ
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140128/frn1401280736000-n1.htm
(見出し)
賞賛される日本】中韓と異なるインドの歴史観と「インパール戦争」の評価 (1/2ページ)
井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。

2014.01.28

(引用開始)

★(1)

 首都デリーの中心部には、
大東亜戦争においてインド国民軍を指揮して日本軍とともにインパール作戦を戦ったインド独立の英雄、
スバス・チャンドラ・ボースの銅像が建つ。
ボースは、かつての英国植民地支配の象徴であったレッド・フォート
(赤い砦=ムガル帝国時代の城塞、英国軍が大本営として接収した)の方角を指差している。

 さて、インパール作戦は戦後、日本陸軍の愚策の1つとして批判にさらされてきた。
だが、この作戦の本質は、日本軍約7万8000人とインド国民軍約2万人の日印連合軍による
“対英インド独立戦争”である。この作戦があればこそ、戦後、インドは独立できたのである。

 事実、インドはインパール作戦を「インパール戦争」と呼び、「対英独立戦争」と位置づけている。
日本軍はインド独立を支援した解放軍である。
インドは「日本が侵略戦争をした」という歴史観は持っていない。

 インド解放のために英国軍と戦った日本軍将兵に対し、
インド国民軍大尉で、全インドINA事務局長、
S・S・ヤダバ大尉は1998年1月20日、こう記した。

 《われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するためにともに戦った戦友としてインパール
コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対して、もっとも深甚なる敬意を表します。
インド国民は大義のために生命をささげた勇敢な日本将兵に対する恩義を、
末代にいたるまで決して忘れません。
われわれはこの勇士たちの霊を慰め、ご冥福をお祈り申し上げます》(靖国神社

★(2)
大東亜戦争後の45年11月、英国はインパール作戦に参加した3人のインド国民軍の将校を、
レッド・フォートで裁判に掛け、反逆罪として極刑に処そうとした。
この事実が伝わるや、インド民衆が一斉に蜂起して大暴動に発展した。
結果、もはや事態収拾が不可能と判断した英国はついにインドに統治権を返還した。
47年8月15日、インドは独立を勝ち取ったのである。

 インド最高裁弁護士のP・N・レキ氏は次のような言葉を残している。

 《太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、
夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない》

 インドで英雄としてたたえられている日本人のことも紹介しておこう。
その名は誰あろう東條英機元首相である。

 2006年3月19日、カルカッタのチャンドラ・ボース記念館で
東條英機に感謝をする夕べ」が催された。
そこには、チャンドラ・ボースの甥嫁であるクリシュナ・ボース館長に招待された、
東條元首相の孫娘、東條由布子氏の姿があった。

 そして、われわれ日本人が絶対に忘れてはならないのが、
大東亜戦争後、日本にすべての戦争責任をなすりつけた極東軍事裁判で、
裁判の不当性を訴えて日本人被告全員を「無罪」と
主張したインド代表のラダビノート・パール判事である。

 いかに韓国や中国が、史実をねじ曲げた“歴史認識”を振り回して、
日本に罵詈雑言を浴びせても、インドはこれに真っ向から異を唱え、日本を擁護してくれている。

 アジアは中国・韓国だけではない!

 アジアには親日国家・インドがいる!


(引用終了)


ブログ「月夜のぴよこと空耳ウサギさん達」
http://twinklestars.air-nifty.com/sorausa/2014/01/post-d884.html

(見出し)
安倍総理が主賓として招かれたインド共和国記念日パレード
最初番組始まるまで結構CM長いですw。式典始まるのが20分ぐらい(別の場所)、
パレード会場にシン到着するのが40分ぐらい、安倍奥さんがベンツで乗りつけるのが50分ぐらい、
安倍さんが登場するのが1時間ぐらいで、その後パレード本番です…

最後まで見るべき  これすげーからw

大砲ぶっぱなすは、戦車・ミサイル・戦闘機来るわ、騎馬隊くるわ、
地方なのかカーストなのかわからないけど、山車沢山くるわ、
民族衣装の人達が列なして踊るわ…w

ってことなので じっくりご覧下さい。

(引用終了)

(私のコメント)
上記のブログにはインドの軍事パレードのyoutubeがはめ込まれている。
かなり長いので飛ばし飛ばし見たが、とても面白い。
色とりどりの綺麗な軍服を着た兵隊さんたちが元気よく行進する。
見物人も何かうれしそうに誇らしげに見ている。
やはり国家というものは軍隊が裏打ちしており、軍隊なくして国家はない。
あの軍事パレードを見ればインド人は自分がインド国民の1人だ、
ということを心中にしっかり思うだろう。

そして自分たちが植民地に隷属した奴隷のような人間でなく、
独立した自分たちの国家を持っている、ということを誇らしく思うはずだ。
そして自分たちを植民地の奴隷の境遇から救出してくれた日本という国を
感謝して思い浮かべるだろう。

インドの子供たちはそれを学校で教えられている。
シナ朝鮮は日本ほど悪い国は無い、日本人を殺せと子供の時から教えられている。
日本はどちらの国と友好を結ぶべきか、明らかだろう。

インパール作戦大東亜戦争末期の昭和19年3月に行われた戦いだ。
世界戦史史上最悪の無謀な作戦の代名詞としてしばしば引用される作戦だった。
もうすでに大東亜戦争は敗色濃厚の様相だったから,
何をやってもうまくいかなかったのだろう。

ビルマからインド北東部に進出する作戦だったが、
物資の補給や輸送が困難を極め敗退して撤退するときは、日本軍の兵士の死体で街道が埋まり、
白骨街道と呼ばれるほど悲惨な結果となった。
帝国陸軍の将兵は、勇敢に困難に立ち向かいよく戦った。
これはインパールだけでなく沖縄作戦でも同じなのだが、
将兵はよく戦っている。
結局戦争の最高指導部がその資質に欠けていた、ということだろう。
昭和天皇もかなりイライラした記録が残っている。

しかし日本はこの作戦を行うことによってインド独立を助け、
その意味では成功した作戦と言えるだろう。
植民地解放という点では日本陸軍はよく頑張ったのだ。
大東亜戦争の敗北責任は海軍であって、海軍が日本を滅ぼしたのだ。
しかし戦前戦後を通じた海軍の責任逃れのプロパガンダで海軍善玉、陸軍悪玉となった。

歴史というのは個々の戦術や作戦と戦略やもっと大きな歴史の流れまで視点の大きさで違う。
作戦が悪くても大きな戦略から見ると良かった、なんてこともある。

話は少し飛ぶが、コンピュータの世界では階層構造でシステムやネットワークを構築する。
そして各階層をレイヤーと呼ぶ。
その時レイヤーを飛び越えて考えたり、比較したりしても意味が無い。
これは歴史を見るときも同じでインパール作戦は作戦としては良くなかったが、
世界史的なレイヤーから見ると成功と言えるのだろう。
時折評論家などが歴史を語るとき、インパール作戦がいかにひどい悲惨な作戦だったか、
を非難して戦争すべてが悪い、という風に結論づける。
しかしそれは、レイヤーを飛び越えた話なので意味がないのだ。
個々の作戦の良し悪しを論じるのと、戦争全体の良し悪しを論じるのとでは、
別のレイヤーに属することなので分けて論じないといけない。

話はまた変わるが、安倍さんは支那と結託するアメリカを見限り、
インドやロシアに接近している。
噂では北朝鮮とも秘密交渉を行っているらしい。
オバマのアメリカは適当にあしらって相手にしない方がいいのだ。
その点なかなか良い外交をやっているように思われる。


(私のコメント終)