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山善メールマガジン 平成26年1月18日

(見出し)

日本人にとってゼロ戦は、栄光と悲劇の物語として、こ
の先も何代も何代も語り継がれる「永遠の0」であろう。
 ゼロ戦をテーマにした2つの映画・宮崎駿アニメ「風立
ちぬ」と百田尚樹原作「永遠の0」を見た。

●2つを見比べての映画評(雑感)
   百田尚樹原作「永遠の0」100点
   宮崎駿アニメ「風立ちぬ」  30点


(引用開始)

 ●ゼロ戦とは

 零戦は日本人がつくり出した最も優秀で、世界的にもひ
ろく知られた戦闘機である。また、その容姿が美しいこと
でも今も多くの日本人に愛されている。

 零戦大東亜戦争初期、2200kmに達する長大な航続距
離、20mm機関砲2門の重武装、優れた格闘性能を生かして
米英の戦闘機に圧勝し、太平洋戦線の占領地域拡大に寄与
した。このためゼロ戦は米英パイロットから「ゼロファイ
ター」の名で恐れられた。

 昭和15年(皇紀2600年)に海軍艦上戦闘機として
採用されたから、2600年の00にちなんで零式艦上戦
闘機と呼ばれたが、通称のゼロ戦で親しまれている。

 ●特攻に批判的だった天才的パイロットの死

 百田尚樹のベストセラー小説「永遠の0」を読み、映画
を見た。
 主人公の宮部久蔵は天才的な技量をもつパイロットであ
ったが、内地の妻や娘のため絶対に死なないという信念を
もっていたため、数十機が入り乱れる空中戦(乱戦)では、
列機と共に高空で流れ弾をさけていたため、被弾したこと
が一度もなく、そのため、逃げているのではないか、海軍
一の臆病者ではないかとの風評があった。

 小説は、孫にあたる佐伯堅太郎が祖父・宮部久蔵がいか
なる人物であったかを旧海軍関係者を訪ね、調べていく経
過を描いてゆき、読者に、真珠湾攻撃ゼロ戦の初陣、ミ
ッドウエイの敗戦からラバウル、特攻へと、ゼロ戦の栄光
と悲劇を物語っていく。

 読んでいくうち、読者は宮部久蔵の人格の高さと家族の
もとに生きて帰ろうという愛の思いに共感していく。
 彼は列機の部下を空戦で死なないように守ってきたし、
部下に「お前が死んだら悲しむ家族はいないのか。絶対に
死ぬな。命を大切にせよ」と諭す。

 特攻にも批判的であった。宮部は特攻志願兵の訓練を行
うが、彼らの飛行技術にわざと落第点をつけ、できるだけ
出撃させないようにすらした。

 そのような宮部が終戦直前、特攻に志願し、鹿屋飛行場
から特攻に出撃、米空母タイコンデロガに突入して散華す
る。享年26才であった。
 以下、このときの突入状況を描いた、この小説のエピロ
ーグ部分を抜粋紹介する。

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 ●空母タイコンデロガに突入

 ゼロが4000ヤードまで近づいた時、40ミリ機銃が
一斉に火を噴いた。たった1機の飛行機に何千発もの機銃
弾が撃ち込まれるのだ。機銃ごとに色違いになった無数の
曳痕弾がゼロに向かって飛んでいく。

 ついにゼロが火を噴くのが見えた。やったぞ、と俺は叫
んだ。黒煙を吐いたゼロはいきなり急上昇した。機銃員た
ちは慌ててその後を追ったが、鋭い動きについて行けなか
った。
 ゼロは燃えながら上昇し、機体を捻って背面になった。
そして空母上空に達すると、背面のまま、逆落としに落ち
て来た。俺たちはなす術もなく、悪魔が上空から降りて来
るのを見ていた。あんな急降下は一度も見たことがない。
いや、燃える飛行機にあんな動きができるのか。

 ゼロはまさに直角に落ちてきた。命中の瞬間、俺は目を
つむった。
 ゼロは飛行甲板の真ん中にぶつかった。ものすごい音が
したが、爆弾は炸裂しなかった。不発だったんだ。ゼロは
甲板の真ん中で燃えていた。周りには飛び散ったゼロの破
片が散乱していた。後になって何人かの水兵に聞いたが、
ゼロは甲板にぶつかる直前、翼が吹き飛んだという。

 俺たちは全員、声も出ないほど震えていた。
 甲板にはゼロのパイロットのちぎれた上半身があった。
それは悪魔ではなかった。俺たちと同じ人間だった。誰か
が大声で叫びながら、その死体に拳銃を撃った。

 甲板の火はまもなく消し止められた。そこに艦長が降り
てきた。
 艦長は半分にちぎれた遺体をじっと見ていたが、その遺
体に向かって言った。
 「我が軍の優秀な追撃戦闘機と対空砲火をくぐり抜け、
よくぞここまでやってきた」
 その思いは俺たちも同じだった。このゼロは俺たちの猛
烈な対空砲火を見事に突破した。

 艦長は皆に向かって、大きな声でこう言った。
 「我々はこの男に敬意を表すべきだと考える。よって、
明朝、水葬に付したい」
 周囲の男達に動揺が走った。俺も驚いたし、とんでもな
いことだと思った。もしこの男の爆弾が不発でなかったら、
我々の何人かは死んでいたかもしれないのだ。

 しかし艦長は我々を睨みつけた。それは「この決定には
口を挟ませないぞ」という目だった。
 我々は飛び散った遺体を集めた。その時、誰かが日本兵
の胸ポケットから1枚の写真を取り出した。
 「赤ん坊だ」

 その声に、皆が写真を覗き込んだ。俺も見た。着物を着
た女が赤ん坊を抱いている写真だった。
 「くそっ。俺にもガキがいるんだ!」
 ルー・アンバーソン曹長が吐き捨てるようにいった。そ
れから写真を丁寧に遺体の胸ポケットに返した。そして部
下の水兵たちに言った。
 「一緒に葬ってやれ」

 遺体は白い布でくるまれ、艦橋下の待機所に安置された。
俺は遺体をくるむ時、パイロットの開いていた目を閉じて
やった。怖かった顔が優しい顔になったのを覚えている。

 ゼロの残骸は海に投棄された。コクピットに残っていた
遺体の半分は取り出すことができず、そのまま投棄された。
ゼロが抱いていた爆弾も信管が抜かれ、同じように投棄さ
れた。

 翌朝、手空きの総員が甲板に集まった。
 今では、あの時の艦長の態度は立派だったと思っている。
艦長の息子は真珠湾で戦死したと知ったのは戦後だ。それ
を聞いて、尚のこと、あの時の艦長は立派だったと思った。

 1夜空けると、我々のほとんどが、この名も知らぬ日本
人に敬意を抱いていた。
 特にパイロットたちは、彼に対して畏怖の念さえ持って
いたようだ。彼らが言うには、ゼロのパイロットはレーダ
ーに捕捉されないように何百キロも海面すれすれを飛んで
きたのだろうということだった。

 それには超人的なテクニックと集中力、そして勇気が必
要だということだ。
 「奴は本物のエースだ」
 とカール・レヴィンソン中尉が言った。レヴィンソン中
尉は「タイコンデロガ」のエースパイロットだった。多く
のパイロットが頷いた。
 「日本にサムライがいたとすれば──奴がそうだ」
 俺もそうだと思った。しかしこのパイロットがサムライ
なら俺たちもナイトでありたい。

 手空きの総員が甲板に整列する中、艦長以下、士官の挙
手の礼に送られて、白布にくるまれたパイロットの遺体は
甲板から海中に滑り落とされた。
 鎖の錘をつけられた遺体は、ゆっくりと海の底に沈んで
いった。(引用終わり)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 PS 

 ●戦艦ミズーリに突入した特攻機 

 むろん、このエピローグはフィクションであって、事実
ではない。作者が架空の人物の、この物語の主人公・宮部
久蔵の最期を敬意をこめて弔ったものであろう。

 しかし、神風特攻で同じような事実がある。航空母艦
「タイコンデロガ」も沖縄戦で特攻攻撃を受けているが、
このエピローグは、戦艦ミズーリに突入した零戦の、以下
の実話をもとに描かれている。

 昭和20年4月11日、沖縄戦で石野二飛曹は戦艦ミズ
ーリ号に突入した。
 機体はミズーリ号の船体に突き刺さった映像から、零戦
52型であることが判明している。爆弾は不発だったらし
い。甲板に残された石野二飛曹の遺体は、ミズーリ艦長の
異例の配慮で、翌日水葬に付されている。この小説のエピ
ローグは事実にもとづいて書かれているのである。

 ●永遠の0

 日本人にとってゼロ戦は、栄光と悲劇の物語として、こ
の先も何代も何代も語り継がれる「永遠の0」であろう。

 神風特攻が戦術的に正しいかといえば、間違っているに
決まっている。戦争をありていに言えば、自分は死なず、
敵を殺すことであると言ってよいからである。

 ゼロ戦の歴史は栄光と悲劇の歴史である。
 開戦当時の無敵の戦闘機はやがて爆弾を抱えて敵艦めが
けて体当たりする悲劇の戦闘機となった。

 小説の主人公・宮部久蔵は特攻を否定しながら、最後は
特攻隊へ志願し、敵空母に体当たりする。このことで、作
者の百田尚樹は一切の思想をまじえず、日本人とは何かを
描いたのだと思う。

 アメリカ軍の物量に圧倒され、飛行機、艦船と優秀な乗
組員を失っても、祖国日本を守るために、最愛の家族を守
るために自分の命を犠牲にしても、という思いが特攻を生
んだのだ。
 自分の身を犠牲にしても忠義を全うしようとした忠臣蔵
赤穂義士のような精神が特攻を生んだのだと思う。それ
は日本の歴史が育んだDNAと言えるかも知れない。

 戦後、平和な世の中で特攻を批判するのはたやすい。ま
た、批判する自分は平和主義者でレベルが高い人間だとい
う錯覚も楽しめる。

 だが、先の大戦がなぜおきたのかを世界史の観点で見る
と、ちがった風景が見えてくる。あの戦争はおこるべくし
て起こった日本人の運命の戦争だったことがわかる。
 戦後アジア諸国は欧米の植民地からすべて脱した。
 これが大東亜戦争の歴史結果である。

 左翼思想の宮崎駿はこういう風景が見えないので、ゼロ
戦の設計者を私的恋愛ドラマの主人公にすりかえ、平和主
義者に仕立てた。だが、なんという偽善、なんという薄っ
ぺらなストーリーだろう。

 本当の愛を語ったのは、そして平和を訴えたのは、宮崎
駿の「風立ちぬ」ではなく、百田尚樹の「永遠の0」だっ
た。私は、「風立ちぬ」を見て一粒の涙も流さなかったが、
「永遠の0」は小説を読んでも映画を見ても涙が流れてし
かたがなかった。

 左翼思想の持ち主にあの戦争を語る資格はない。
 左翼は常に己の人間性の低さを棚に上げ、己を神の立場
に置いて、人々に説教を垂れる偽善者であるからだ。


(引用終了)

 

(私のコメント)
脱原発と言う思想には、理想や大義のためには犠牲を伴っても構わない、
という考えが背景にある。
これは九条平和教で軍隊を放棄すれば平和だ、と言う思想でも同じことが言える。
つまり、極端に言えば大義のためには死んでもいい、という思想だ。
そういう点で脱原発は昔からの日本人の考え方にかなり共通しているところがある。

これは特攻隊の思想にも当てはまる。
特攻隊の人々はそれが非合理である事はよく知っていた。
でも正しいことというのは、合理非合理と関係がない、ということも知っていた。
具体的事実して目の前の負けそうになっている祖国を救うために立ち上がっただけだ。
自分の愛する日本の国土や天皇をはじめとする伝統文化、そして家族友人、
それらを襲う危機に対して現時点で取りうる対策は特攻しかなかった。

たとえそれが非合理でもあっても関係ないのだ。
今現在の平和な社会に住む我々は、合理非合理、
効率非効率などの価値基準によって判断するが、それを彼らにあてはめる事はできない。

脱原発も9条平和教も非合理だが、それを信じる人が多いのは、
日本人の考え方に無意識の特攻隊精神があるからかもしれない。
ただし、これはあくまで仮説であってもう少し内容は複雑かもしれない。
しかし日本人には古代からのDNAによる独特の精神風土が形成されていて、
特攻も脱原発も9条平和教もその範囲内に含まれているように思える。

日本人の精神風土がどういうものか探っていくのは大変面白い研究テーマだ。
鈴木孝夫先生の本にある通り、日本人とヨーロッパやシナの大陸人との比較は
日本人の特徴がよくわかるから面白い。

いずれにしろ特攻隊の人々はそういう時代の巡り合わせに遭遇してしまい、
平和な時代の人に比べて割を食ったのは確かだ。
古代からの日本人の中でかなり厳しい時に生きたのかもしれない。

しかし自分たちの運命を受け入れ、その中で最善の選択として特攻を行った。
それはサヨク個人主義的な考えかたから言えば非合理だった。

でも逆説的に言えば、最も恵まれた時代に、
最も恵まれた死に方が出来た大変幸運な人たちだったとも言えるのだ。
なにしろ、自分の愛するもののために一命を投げ出す、というのは
集団の中に生きる人間にとっては、実は最高の死に方だだからだ。

普通の人間は自分の一生をかけて非常に緩慢に他人のために一命を投げ出すのだが
彼らは高価な飛行機を使って派手に一瞬でそれをやったのだ。
こういう考え方は左翼の人たちの一番キライな考え方だ。

左翼と右翼の思想の違いはいろいろあるが、
1つの見方として個人か集団か、どちらを優先するか、というのがある。
集団の下に個人の自由があるのか、個人の自由の下に集団があるのか、ということだ。

個人の自由の下に集団は存在できないか、せいぜい血縁関係になってしまう。
それは大陸的なもので、典型的なのがシナの儒教の思想だ。
このように考えてくると個人優先というサヨクの思想は、大陸的なものであることがわかる。

サヨクはヨーロッパなどの地球の一地方でしかない大陸の思想を
何か進歩した素晴らしいものと勘違いして信奉しているに過ぎない。
表面的に真似しているだけだから、彼らの十八番の思想である9条平和教や脱原発が、
日本的な発想になってしまうのだろう。

サヨクはヨーローッパの思想を金科玉条とするが、
本質は極めて日本人的なものを含むのかもしれない。
これも1種の仮説だからいろいろ研究して間違っていたら修正していきたい。


(私のコメント終)