メルマガブログ転送書評強い日本21402-5-347-2/6

読んだ本の紹介
辻貴之著「強い日本を取り戻す」
二回目です。

(前回まで)

戦後の常識では、戦前の日本は天皇を戴く国粋主義軍国主義で悲惨な戦争を行い、
敗戦の責任は日本の旧来からの伝統文化にある、ということになっている。
そこで戦後は日本を全て悪として捨て去り、、天皇人間宣言を行い、
明治憲法と真逆の平和憲法を戴き、
民主的な国に生まれ変わったという歴史の流れになっている。

しかし、よく戦前を調べると国粋主義軍国主義実態は、
共産主義コミュニズムマルキシズムと変わりがなかったのだ。
悲惨な戦争に日本を追い込んだのは、国粋主義者軍国主義者の顔をした、
共産主義者やマルクス主義者のせいだったのだ。
国民の目をごまかすために天皇を推戴したから彼らが「右翼」のように見えただけだ。

しかし敗戦革命を指導した彼らマルキスト達は、
戦争責任を天皇を中心とする国家体制に押し付け、
自分達は生き残り、戦後の日本の支配層となった。

天皇を中心とする国家体制は「右翼」と称され、
戦争に導いた最悪のものとして貶められ退けられた。
明治憲法は非常に良い憲法なのだが、戦争を起こす古くて悪いものだと捨てられた。
戦後のマルキストは戦前の日本と断絶することによって彼らの夢見る革命を起こそうとした。

しかし日本は東西冷戦によってアメリカの自由主義国家群に組み込まれたため、
彼らの思うような革命は起きなかった。
現在は戦前からの革命の夢が冷めないサヨクの人間たちがマスゴミなどの宣伝機関に居て、
日本を滅亡させて革命を起こそうと未だに画策している状態だ。

現在の日本人は日本滅亡に導いたのは左翼思想であったことを再認識すべきだ。
戦後の日本人はそれを勘違いして日本の歴史文化伝統を悪いものだと捨て去ったのだ。
そして戦後主導権を握った左翼リベラルは戦前の日本と断絶させようと宣伝し、
彼らの理想とする社会主義の国を日本に作ろうとしている。
その最終的形態が民主党政権で国民はそれがいかにひどいものかを知った。
日本はサヨクのプロパガンダから抜け出し、
戦前の日本とつながる精神を取り戻し、
もう一度日本の歴史文化伝統を見直すべき時にきているのだ。
そして右翼でも左翼でもない、日本独自の保守思想によって国を再生していくべきなのだ。

(今回はここから、前回に続く)

戦時下の日本は右翼体制だった、というのが現在の常識になっている。
ナチスドイツや日本をファシズムとして全て「右翼」と決めつけ、
マルクス主義を中心とする左翼思想とは関係ない、としてきた。
これはマルクス主義を守る上で最も都合の良い考え方だった。

当時の状況をもう少し眺めてみよう。
戦前の右翼革新派と共産党は「資本主義打倒」で一致していた。
そういう風にサヨクと右翼が一致するところは沢山ある。
だから、戦前は右翼だったが戦後はサヨクとして活動した人は一杯いる。
では、当時の人が右翼でありながら、左傾化したのはなぜっだったのか。
どうしてそうなったかと言うとやはり国際情勢がそうさせたのだ。

前回にも書いたが世界の経済の中で、資本主義が独占や拝金主義的に歪んだ形で発展し、
社会保障などが未発達で、弱肉強食となってしまい貧富の差が広がり、
それが貿易や国際金融資本などのために世界中で影響し合った。

また第一次大戦後、欧米諸国はその経験を踏まえて軍備を著しく機械化した。
日本はそれに乗り遅れてしまった。
またその機械化は石油を必要としたが残念ながら日本にはそれがなかった。

そういう世界情勢を見て日本人は負けていられない、という焦りが生じた。
当時の日本人は愛国心に溢れていたから軍人などを中心にして
強い国家を作らなければならないと考えた。

その頃スターリンソビエト・ロシアは5ヵ年計画で急激に力をつけた。
それは多分に宣伝によるものが多かったが、大量の戦車生産などを見て、
驚くべき発展に見えた。
陸軍には恐露病などという言葉もあったくらいだ。

ソビエトロシアや社会主義ナチスドイツの発展を見てそれを真似しよう、
と考えるのは当然のことだった。
社会主義にかぶれた当時のエリートを革新官僚とか革新軍人とかいった。

彼らのスローガンを見ると
「強欲資本家や政党政治家の金権亡者、権力亡者を批判し、
彼らの犠牲となって困窮する東北の農民や 労働者を救済する。
そのために議会制の停止と計画経済を行う。」

これはソ連などの社会主義国家とほとんど変わりがない。
ただ、天皇を中心に国粋主義的に行なおうとしたのが少し違うだけだ。
軍人の中にはスターリン天皇になぞらえた人も居たくらいだ。

ここから少し本から離れて論じます。
ここで、彼ら昭和維新を標榜した革新官僚や軍人たちを擁護するとすれば、
先に言ったような世界情勢に強く背中を押され、やむにやまれず行ったのだから、
その純粋な国家を思う気持ちだけは買ってやるべきだ、ということになる。
三島由紀夫などの考えもそれに近い。
当時の一般の国民も世界情勢や経済情勢をよく知っていたから彼らに賛同したのだ。

それでは現在の我々から見て、彼らはどうすればよかったのか。
それは前回に話した清沢洌自由主義に対する考え方が参考になる。
彼の自由主義は人間の本能に根ざしたものでイデオロギーではない。
つまり自分の命を取られたり、持ち物を奪われたりするのは嫌だ、というのと同じで、
傲慢で偉そうに指図するエリートが気に入らなかったのだ。

人間には基本の本性というものがある。
これを大切にしていかないと世の中はうまくいかないのだ。
そしてそのことをよく知っている政治家が当時居たのだ。
それが高橋是清だ。
彼は井上準之助が行った金解禁による強烈なデフレを国債発行により収束させた。
それは人間の本性というものをうまく利用したのだ。
革新官僚や軍人が批判する金権亡者、権力亡者というのは、悪い欲望だが、
一面人間の活動力の源泉になっていて、
そういう欲望は社会をダイナミックに動かしているのだ。

それを押さえつけて自分たちの思うように動かそうとするのは間違ってるのだ。
そういう欲望を善用して、より良い豊かな幸福な生活ができるように国民を誘導することが大切だ。
イギリスの経済学者アダム・スミスも同じことを言っている。

そういう観点から政策を立案し行動したのが高橋是清だ。
高橋は当時の左翼的官僚軍人と一歩も引かずに論戦し、論破した。
彼はそういった意味で軍人に嫌われたので226事件で暗殺されてしまった。
彼が生きていれば日本はかなり違った方向に行っていただろう。

井上準之助日本銀行創設以来の秀才とうたわれた人だったが、
世の中は教科書どおりいかず失敗した。
勉強秀才と言うのはいつも国を滅ぼす。

革新官僚や革新軍人は彼と同じエリート中のエリートの秀才の集まりだ。
彼らは自分の能力を過大評価して自分たちが仕切れば何でも上手くゆく、と思っていた。
そして日本の国を滅亡と追いやってしまった。

また本に戻ります。

昭和6年というのは日本が戦争に向かう出発点のような年で、
後々影響のある大きな事件が起きた年だった。
なんといってもその中で1番大きいのは満州事変だった。

この満州事変を主導したのが石原莞爾と言う軍人だった。
彼は陸軍きっての秀才で早くからその才能によって一目置かれていた実力者だった。
彼はレーニンを最大限に賞賛していたから明らかにマルキストだった。
そして満州満州事変満州帝国をつくり、
革新官僚である岸信介などと共にソ連並みの計画経済を行って国を発展させた。
そして日本に戻ってきて日本にもそれを当てはめようとした。
しかしあまりに強い左翼色の為、警戒され日本では挫折してしまった。

彼は戦後まで生きていて、東京裁判にも出廷して
満州事変を起こしたのは俺だ、俺を逮捕しろ。」などといった。
彼は平和憲法の第9条を見て非常に礼賛していたから、
根っからの左翼思想の持ち主と言えるだろう。

戦後の著書を読んでも原始時代を理想とするような農本主義
9条のような武力否定を日本が進む道として書いている。
これは戦前の彼の考えである全体主義統制経済
暴力肯定と真逆だが、日本を破壊する、という意味では
どちらも同じだ。
かれは日本をぶっ壊して自分の思うとおりにしたかっただけなのだろう。
なお、彼は法華経の信者だったようだ。
法華経創価学会の元になっているから、共通するものがある。
いずれにせよサヨクというものがどういうものか分かるような話だ。
国民の幸せより、破壊衝動が優先しているのだ。

当時の日本の状況はどんなだったかを示す好例がある。
海軍の軍人だった石川真吾という人がいる。
この人は海軍の中枢にいて、「日本を戦争に持っていったのオレだよ」と語っている人間だ。
この人の著書に次のようなことが書かれている。
「私は昭和14年ころ共産党関係調査当局から「ソ連の戦略は
戦争、敗戦、革命という順に進める方式であり、
当面支那事変を拡大させて日本を敗戦に導くことが当面の努力目標だ。」と聞かされていた。」

これは近衛内閣が行った「蒋介石政権を相手にせず」という声明から、
泥沼の支那事変突っ込んでいった、現実の歴史の状況と平仄が合う。
そして近衛を始めとする仮面サヨクは、
支那事変を拡大させて戦時状態を長引かせ、物資が不足するのを待って、
自由経済から統制経済へ移行させようと企んでいた。

この統制経済のエキスパートが石原莞爾の部下で宮崎正義という人だ。
この人は当時ソビエト研究の第一人者で日本を統制経済に改革しようと努力していた人だ。

彼は日米戦争開戦の昭和16年12月8日日米開戦の日に偶然会った人に
「痛快だね、これで東京は灰になるよ」といった。
ソ連の計画通り、日本の敗戦とその後に続く革命を見越し、
彼らの理想とする共産主義社会を夢見ていたのだろう。
このように日本はソ連の思惑のまま動いていた、とも言えるのだ。

これは彼らがソ連のスパイというわけではなくても、
ソ連に非常にシンパシーを持った人がたくさんいたということだ。
日本が悲劇の敗戦に至る道は沢山の左翼的な人間によって道がつけられたのだ。
そして彼らは日本が敗戦した後は右翼のベールをかなぐり捨て、はっきりとサヨクで行動し始めた。
敗戦の責任を日本の歴史伝統文化に押し付け、
それらを日教組マスゴミに宣伝させ、排除することによって左翼革命を進めた。

現在の新聞テレビなどに居る連中は戦前からのマルキスト達を師匠とした弟子たちだ。

彼らは敗戦を日本の右翼や保守に押し付け、
それらを悪として排除することによって左翼思想の普及を図っている。

今日はここまでにします。