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読んだ本の紹介
辻貴之著「強い日本を取り戻す」
三回目です。


(前回まで)

司馬遼太郎は昭和になって日本は急激に悪くなった、と首をひねるが、
何のことはないのだ。

当時の指導的地位にいた人は天皇を利用した共産主義シンパだったのだ。
共産主義者は前にも書いたとおり、全体主義統制経済、暴力肯定だ。
この立場の人はイデオロギー優先で世の中を動かそうとし、
現実的、実務的な行動を疎かにし、世の中の動きに柔軟に対応出来なくなる。
そして暴力的な行動を起こし、支那事変や226事件、真珠湾攻撃など暴走を起こした。

当時の人達は皆マルキシズムに大なり小なりかぶれてしまったのだ。
これは日本だけの現象ではなく、コミュニズム共産主義)は世界中でにもてはやされ、
20世紀100年かけてに各国で実験された。
そして大虐殺を繰り返したりして最悪の結果に終わった。
日本もその世界的失敗の例外でなかっただけだ。

東条英機も戦後は右翼の頭目とされるが、実態マルクス主義的思想を持った人間だった。
財閥の軍事会社の社長が、もう少し利潤がないと会社が立ち行かない、
と訴えたら激怒したという話がある。
会社の利潤というのは未来への投資とか潤滑油のようなものだから、
会社にとって必須のものだ。
会社にとって適正な利潤は当然のもので、決して悪いものではない。

しかし、彼らは資本主義を拝金的、金権的悪と捉えて排斥していた。
マルクス主義の階級闘争史観で資本主義を打倒すれば良い世の中になる、
と思っていたのだろう。
彼らは左翼思想特有の「何々がなくなれば幸せになれる」
と言う考え方をしていた。
資本主義を打倒しても次に来る世の中が理想的な世の中だと言う保証は全くない。
却って混乱を招き、無秩序な世界となって皆の苦しむような社会になるだろう。

だが、こういう儲けることは悪だ、という思想は
東條英機だけでなく当時の日本では一般に支持されていたのだ。
資本主義は自由な人間の欲望を利用してより豊かな社会を作ろうとするものだ。
当然国家の規制は、各自の欲望の暴走を抑えるために作らなければいけない。
この規制は統制経済ではない。
各自の自由を公平に社会に適合するように最大限に発揮できるようにするものだ。
つまり統制経済自由経済の中間に正解があるのだ。
このことは論語にも書かれていて「中庸」という言葉を使っている。
数千年の昔から全体主義にも自由主義にも偏らない、中庸が良いと言われてきたのだ。

極端に走って金の卵を産むニワトリを殺すような事をしてはいけないのだ。

戦前の日本は天皇を戴く国粋主義的な外見で右翼等と言われるが、
内容は共産主義コミュニズムマルキシズムと変わりがなかった。
しかし敗戦革命を指導した彼らマルキスト達は戦争責任を右翼に押し付け、
自分達は生き残り、戦後の日本の支配層となった。

日本滅亡に導いたのは天皇を隠れ蓑にした、左翼思想であったことを再認識すべきだ。
戦後の日本人はそれを勘違いして日本の歴史文化伝統を悪いものだと捨て去ったのだ。
そして戦後主導権を握った左翼リベラルは、
彼らの理想とする社会主義の国を日本に作ろうとした。

なお、右翼か左翼か、という違いは人間の性格が関係している。
特に破壊願望が強く、攻撃的なエリートはサヨクになりやすい。
戦前昭和維新をやろうとした革新軍人、革新官僚
戦後のサヨクや過激派はその点で同じだった。
日本はもう一度日本の歴史文化伝統を見直すべき時にきているのだ。

(今回はここから、前回に続く)

上記「強い日本を取り戻す」と言う本の、第二章に進もう。

第二章は現在の日本国憲法マルクス主義者や共産主義シンパによって作られた、
ということを書いている。

昭和天皇の側近中の側近は木戸幸一宮内大臣だったが、
この人は京都大学河上肇と言うマルクス主義経済学者に教わった左翼色の強い人間だった。
近衛文麿も同じ大学、同じ先生に教わったマルクス主義シンパだった。
近衛文麿は首相になるたびに日本を滅亡の方向に決断をしていった最悪の人間だ。
こういう人たちに取り囲まれて昭和天皇だけがそういう思想と無縁だった。
周りの人間は共産主義的思想の人間ばかりでさぞや心細かっただろう。

木戸幸一は戦争末期昭和20年の初め、ソ連に和平の仲介をさせようと工作を始めた。
彼はソ連共産主義に対し多大な好意を寄せていた。
彼だけでなく陸軍首脳ののなかにも「スターリン西郷隆盛のような人だ。」
などと馬鹿げたことを言ってソ連にシンパシーを抱く人間もいたから、
これが当時の普通の考えだったのだろう。

しかし既にその時ソ連はアメリカに対し対日参戦を約束していた。
彼らがいかに現実を直視してなかったか、よくわかる。
イデオロギーに溺れて現実が見えず、殺そうとする奴に助けてもらおうとした。
そういうおめでたい連中が日本を指導していたのだ。
共産主義にかぶれた者たちの愚かさがよくわかるエピソードだ。

司馬遼太郎は昭和になって日本人はダメになったというが、
みんな共産主義に幻想を抱いた夢遊病者のようなものばかりだったので失敗したのだ。
だが戦後はそれを右翼とかファシズムとか言ってそれに責任を押し付け、
マルクス主義が失敗したことをごまかした。

木戸幸一の親戚でもあり、非常に親しい友人の都留重人という人がいる。
ハーバード大学マルキシズムを学んで戦後一橋大学学長を務めた人だ。
都留はGHQの一員であったノーマンという人と同じ大学で親しくしていたので、
その縁でGHQの占領政策に関与した。
このノーマンという人は新憲法策定に関わった人物の一人だ。
彼は日本生まれのカナダ人だから、日本で共産主義を学んだと言ってもいい。
如何に戦前の日本が共産主義的だったかよく分かる。
彼はソ連のスパイであるという疑惑が強く、戦後の赤狩りの時、追求されて自殺した。

彼と都留重人は、色々と工作して近衛文麿を自殺に追い込んだ。
なぜなら近衛文麿マッカーサーから信頼されて新しい憲法を作れ、
と示唆されていたからだ。
彼らは社会主義的日本を作るために、それに沿った新しい憲法を作ろうとしていたから、
そういう動きは邪魔だったのだ。
つまり新憲法は戦前からのマルキストの人脈の延長線上にあるということだ。
突然降って湧いたように出来たものではないのだ。

もう1人憲法に関わった日本人に鈴木安蔵という人がいるが、
この人は戦後マルクス主義者として人権などの問題を取り上げて活躍したひとだ。
この人は終戦直後日本国憲法ができる前に新しい憲法草案を発表していた。
それは社会主義的な内容のものだった。
これがGHQの目に留まり、今の日本国憲法に反映している。
しかし、この鈴木安蔵と言う人は戦前は戦争推進や大政翼賛を説いて回っていたのだ。
「臣道実践、大政翼賛の新体制運動」を大いに賞賛煽動していた。
国粋的な右翼的言辞を弄していたが、彼の実質的な内容はマルクス主義だった。
だから戦後は簡単にマルキストになることができたのだ。

彼だけでなく、戦後慌てて勉強してマルキストになった者はいないのだ。
日本が敗戦した直後に、すぐに新しいサヨク憲法が用意できたのは、
戦前右翼的なベールの下にサヨクマルキストの実質を持っていたからだ。
ベールを取りさえすれば簡単に共産主義者に早変わり出来たのだ。
鈴木安蔵の文章は戦前の国粋的なものも、戦後のマルクス主義的なものもどちらも、
観念的で空疎な言葉の羅列だ。
彼の思想というものは身過ぎ世過ぎの道具にしか過ぎないのだろう。
この類の学者は偉そうに知識を振り回すが、精神は腐っているのだ。

筆者の言いたい事は、これら戦前の偽装サヨクが戦後GHQのアメリカ左翼と結託して、
日本国憲法を作った、ということだ。
今の日本国憲法マルキシズムを基礎として、マルキストが作ったものなのだ。

(以下次回に続く)