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パチンコ屋倒産応援ブログ

(見出し)

テレビ新聞に依存する野党

(引用開始)

***(前略)
以前から何度も書いているとおり、
民主党などの野党の情報源はテレビや新聞です。
地元を自分で歩いて声を国会に届けるなんてことはほとんどがしてません。
あくまでも支持母体のご機嫌を伺っているだけです。

なのでマスゴミが「公共事業は無駄だ」と相変わらず言っているので
そのとおり「公共事業をカット」するようにすれば人気が得られる
という程度だと認識しておくと良いでしょう。

民主党の政治行動は極めて幼稚なところから発されると
そう考えておくと民主党の動きを予想しやすくなります。

で、今回「これから予算の組み替え内容を考える」
というなめた状態で「予算組み替え動議を提出したい」としています。

「こういう風にした方がよいからこう組み替えさせたい」
のではなく
「組み替えさせたいから中身を考えたい」
と時点で手段と目的がひっくり返っています。

***(中略)

国会で先日、海江田万里が質問に立ちましたが、
毎日や朝日の記事をつなぎ合わせたかのような内容で
特に掘り下げたり独自の調査などもなく、
ただただ朝日などの主張をなぞっているのを聞かされたため
あの質問を見ていた人はつまらないと感じたのではないでしょうか?

河野洋平は街頭演説する時は
数日分の朝日新聞を並べ、そこの社説などから拝借し、
それを演説内容として使っていたそうです。

朝日新聞の受け売りさえ言っていれば
ウケていた時代があったのです。
ブログ主もかつてそれを感じていました。

ブログ主が大人になり、自分で考えるようになり、
朝日の社説に洗脳されていた自分を思い出しては鬱になっています。
特にブログ主の場合は新左翼だった父親によって物心つく時からずっと
反日的な妄想を正義として刷り込まれていましたから、
一歩間違えばいまだ大学に巣くっていたり、
(1年通う→1年休学を繰り返して40代とかで居座ってる自称学生もいますね)
反原発だの反ヘイトスピーチだの言って
太鼓を叩いているキチガイ仲間になっていたかもしれません。

ブログ主は幸いなことに母子家庭になり、
学生時代に母が何度か大病で入院したこともあり、
大学へ通うには自力で働かなくてはなりませんでした。
よって現実から逃げて妄想に浸る余裕などありませんでした。

それゆえに幼いときに反日左翼思想に染め上げられた自分がいかに頭が悪いか
いやというほど実感することができました。

ある意味でブログ主は左端から物を見ていたわけで
彼らの思考がなぜ斜め上に走れるかをなんとなく理解できます。
彼らの考え方の根底には「甘え」があります。

人間誰しも「依存する」方が楽です。
責任を誰かに押しつけてしまうとこれほど楽な事はありません。
誰かに指示を出して貰っている方が本当に楽なんです。

それを理解しているのなら良いのですが、
「依存している」事を理解せずに
自分の境遇に対して自分以外に犯人を見つけようとする人がいます。

かつては情報をテレビ、新聞、ラジオが牛耳っていました。

ご存知の通り日本では記者クラブ制度で情報元を独占してきました。
また、同じ企業がラジオ、新聞、テレビ会社を持つという寡占状態によって
情報が一方的にコントロールされてきました。
GHQ情報統制しやすいのでこの形を容認し、
それがいまだに残っているわけです。

日本のマスコミの今の体制こそ脱すべき「戦後レジーム」であり
マスコミが散々批判する「既得権」です。

そうした歪んだ情報空間で育ってきた人達は
その歪んだ情報空間が一方的に提示した価値観に依存することで
自分で考えない非常に楽な生き方をしてきたと思います。

「誰かが言っている価値観」に依存するのは非常に楽な事です。
学生運動のときは反日マスコミや反日政党が煽りに煽って
ひたすら火に油を注ぎ続けました。
ブームだったわけです。

散々やらかした学生運動をやっていた世代は「金の卵」などと言われ
何不自由なく就職し、その前の世代が作ったバブルを謳歌しました。

そうした「ブーム」に乗っかった人達のうち
自身のそれまでの行動を反省しないために正当化する人もいました。
それを助長してきたのが朝日の論説だったと思います。
時代が時代だけに反省する必要もあまり無かったでしょう。

とにかくそういう人達にとって耳障りは良いでしょう。
「俺たちは間違ってなかったんだ」
そう思わせて楽をさせてくれるのですから。

朝日新聞などに価値観を依存していた人達は
「自分を見つめ直す」という作業をせずにいた
と言っていいのではないかと思います。

ブログ主は自分を見つめ直した結果、
あまりの現実とのギャップに鬱になりました。

今はある意味「反特亜」「反・反日」がそれなりにブームであろうと思います。
ただ、今までマスコミが作ってきた「反日ブーム」と何が違うかと言えば
「事実」に基づいているか否かという非常に大きな違いがあると思います。

あらためて、どういう情報にしても
最後にそれを食べて消化するのは私達一人一人であること
それをどこかで意識しておけるように努めていく事が重要だと思います。

国民一人一人がそうやって行く事ができれば
テレビ政党と呼ぶべき民主党のような野党は減っていき
まともな事を言う野党が増えてくるのではないかと思います。

(後略)

 


(引用終了)

(私のコメント)
実は新聞テレビの言うことを、そのまま自分の言葉として語る事は非常に便利だ。
例えば仲間が数人集まって何かおしゃべりする時、共通の基盤というものが必要だ。
その基盤は皆の見ているテレビや新聞がその役割を果たす。
皆が集まる時は仲間内で仲良くすることが目的で、喧嘩みたいに議論することを目的でない。
テレビや新聞は皆が見ているから、そこで言うことをそのまま話せば無難だ。
たとえ何か突っ込まれてもテレビで言っていたと言い訳できる。
つまり社交的にはテレビ新聞の論調は便利なものだ。

「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」と論語にあるとおりだ。
そこでマスゴミの言うことを、そのまま右から左に言う人間が出来上がる。
つまり腹話術の人形みたいな空っぽな人間だ。
彼らは自分の考えでしゃべっているのではないから議論ができない。
反対されたら怒るしか無い。朝鮮人を見れば分かる。
ただし、これは非難して言う訳では無い。
情報がそれしかないのだから仕方がないのだ。

昔はこれらの情報が親兄弟や地域住民、寺子屋の先生などから入ってきた。
それをそのまま自分のものにした。
特に宗教的な教えが基盤になっている。

これが印刷が普及するにつれて変わってきた。
例えば聖書が印刷されるようになったのは歴史的に大きな変化だ。
みんなが読めるようになったのは、それだけ情報伝達の手段が広がったということだ。
それまでは大きな教会に1冊しかなくて、それを読めるのはごく限られていた。
この変化によって、プロテスタントが生まれた。

このように情報の伝達手段の大衆化は社会を大きく変えた。
第一次世界大戦は色々な原因が語られているが、その一つに新聞の普及がある。
新聞の普及により情報が早く大きく流れるようになり、国民世論と言うものが起こり、
それと生真面目で仕事熱心な軍隊が共鳴しあって起きた、という説もある。
可哀想に戦争の一番の被害者は王様で、そういった熱狂的な歴史の流れに飲み込まれ消えていった。

彼らは戦争の責任をかぶせられたが、実際の犯人は一方的な情報に踊らされた人々だったとも言える。
日本の戦前から戦後にかけての流れもマスゴミに踊らされた面が大きい。
特に戦後は洗脳教育の道具として意図的にマスゴミが使われた。
戦前からの左翼マルキストとアメリカのウォーギルトインフォメーションプログラム、
マスゴミを支配した。
我々の年代を含めて日本の中高年齢層はこの2つの洗脳教育で育っている。
ところが、近頃その洗脳教育が少しずつ緩んできている。
その緩みはなぜ起きたかというと、上記のブログ主の言う通り、
自分を見つめ直す、現実とのギャップが見過ごせない、
などと言うことが起きたからだ。
腹話術の人形が、実は俺は脳みそを持った人間だ、ということに気がついたのだ。
気がつかせたのは「現実、事実」と言う大きな壁だ。

そしてまた、インターネットの普及と言う社会変化が大きい。
印刷の普及と匹敵するような変化だ。

インターネットは複数の考え方が提示される。
その複数の考え方は全くフラットだ。
権威とか肩書は関係なく内容だけが勝負だ。
情報の発信者が過去にどんな発言をしていたか簡単に検索できる。
どんなに良いことを言ってもウソかホントか直ぐバレる。

逆に新聞テレビは洗脳教育や左翼イデオロギーのために情報の方向が単一だ。
朝日新聞とか東大の先生とか権威がつきまとう。
キレイ事が多く無謬性を守ろうとするから、事実や現実と遊離しがちだ。

さて、話を戻すが、
1つの情報に対して解釈が2つあるとすればどちらが正しいか考えなければいけない。
腹話術の人形は2つのうちのどちらかをしゃべれ、と言われてもできない。
どちらを選択するかは人間でないとできない。
そこでついに人形であることをやめる人が増えてきたのだ。
これはネット普及のお陰だ。

東京都知事選で田母神さんが61万票とったが、ここに投票した人は
洗脳教育に逆らった人たちだ。
まさに我々は時代が転換する接点に立っているようだ。
逆に風当たりも強くなるだろうが、この流れは止まらないだろう。

(私のコメント終)