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読んだ本の紹介

辻貴之著「強い日本を取り戻す」

八回目最終回です。

 

(前回まで)

 

戦前の日本のことを「天皇を戴く国粋主義」「右翼ファシズム」というが、

それは外見だけで、実質は共産主義(コミュニズムマルキシズムだった。

日本を敗戦という滅亡に導いたのは天皇を隠れ蓑にした左翼思想であったことを

再認識すべきだ。

日本人はそれを勘違いして、負けた原因は日本の歴史、文化、伝統にあると考え、

それらを悪いものだと捨て去ってしまった。

本当はそれらが正しく、マルクス主義や共産主義の思想が悪かったのだ。

 

キーワード的に列挙すれば、

急進主義、全体主義統制経済、暴力肯定、

階級闘争史観、革命至上主義、設計主義、観念的、非人間的、画一主義的、

自尊心自己愛的、排他的正義派、等だ。

 

戦後の日本は戦前の偽装マルキスト達が戦争責任を「国粋主義ファシズム」に押し付け、

偽装をかなぐり捨て、社会主義国家を目指し、一貫して日本の支配層となっている。

彼らはアメリカの洗脳工作に協力し、マスコミを通じ日本の自虐反日史観を宣伝した。

過去の日本を貶め、根絶やしにすれば理想社会が生まれると妄想したのだ。

 

前回、戦前が洗脳された社会なのか、戦後が洗脳された社会なのか、どちらなのか、

ということを話した。

戦後のサヨクマズゴミなどは戦前が洗脳された社会だと言う。

だが、戦前はその価値観を日本の歴史や文化伝統に置いている。

それが洗脳されたものと言ってるのだから、歴史文化自体が洗脳だ、と言うわけだ。

という事は、歴史はずっと続いているものだから、

戦前のみならず古代から続く歴史が全て洗脳だと言うことになる。

 

こんなバカな話は無いのだが、

これはマルクス主義の歴史観に沿ったものとしてみれば正しい。

正しいと言うよりもマルクス主義的思考が如何におかしな物か分かるだろう。

 

それではサヨクが言う洗脳されていない正しい史観である戦後とは何だろうか。

それは西洋文明の支配する社会の事なのだ。

つまり西洋文明が正しく日本の過去はダメだ、

ということが戦後サヨクの言い分なのだ。

 

この一種の西欧崇拝型思想は、もう少し長い歴史のスパンで見てみると、

日本だけの現象では無いことがわかる。

500年以上昔から世界は西欧文化を否応なく取り入れてきた。

ヨーロッパは貧困と餓死で戦争ばかりして、それで磨いた武力で世界を侵略し、

植民地化し現地人を奴隷化してきたのだが、

ソレにともなって西欧文明を世界に押し付けたのだ。

文化というものは武力を伴わないと浸透しないものだ。

宗教を含む文化と武力が合体して世界が西洋文明を受け入れさせられてきたのだ。

 

日本も例外なく西欧の武力による侵略奴隷化を畏れ、開国した。

開国して武力の背景があるので已む無く積極的に文化を取り入れた。

この流れが今も世界中で続いている。

マルクス主義も戦後のアメリカニズムもこの流れの中にある。

 

少し余談になるが、現在の日本のグローバリズムも同じだ。

グローバリズムとは要するにアメリカの真似をするということにすぎないのだが、

日本人はそれを世界市民と勘違いしている。

 

このグローバリスムの正体を更に良く見ると、アメリカの一部の金融資本に過ぎない。

そして、それをアメリカ全体のように考えるのも間違いだ。

アメリカはグローバル資本によって国家が破壊されようとしている。

例えば米国の小売業はウォルマートなど大手4社が5割以上を占めている。

この寡占状態により製造業は小売り大企業の要求する値段でしか製造できない。

ウォルマートの店の棚に置かせてもらえないと売れないから倒産する。

 

寡占化によってウォルマートは製造業を支配してしまう。

製造業は米国内で製造すると人件費がかかって要求された値段で納入できないので、

シナやメキシコに工場を移す。

こうして就業機会が失われ、失業者が増加し、安い賃金で不安定な職場で働く労働者が増え、

貧富の差が大きくなる。

 

このようにグローバル資本は自己さえ儲かればいい、という新自由主義の論理で、

アメリカ社会を破滅に追い込んでいる。

 

本来ならば国家として職業や賃金というものは保護しなければいけないものだ。

グローバル資本は賃金というものを会社のコストだと考える。

だがこの考えは間違いで、賃金というものは購買力として見なければいけない。

これはヘンリー・フォードが自社の労働者の給料を上げた時に言った言葉だ。

 

国家として見れば、購買力なのだから、

会社としては終身雇用で固定的に費用枠を持つべきのもだ。

昨年11月にローマ法王は「グローバル資本と戦え」という声明を出した。

これは世界歴史の1つの転換点になっていくだろう。

世界の歴史を見ると大体500年位でパラダイムシフトが起きる。

アメリカは軍事力の衰退に伴いその文化を他国に押し付けることができなくなるだろう。

文化の押し付けは軍事力がないと出来ないのだ。

このように見るとこれからの数十年は500年に1回の変化の時代ということが言える。

 

日本も過去何度も変化の時代があったが、その都度昔に戻ろうとしている。

おそらく今度の変換も昔に戻ろうとする力が働くのではないか、と推測している。

大東亜戦争尊皇攘夷の暴発として見れば、明治維新と同じ祖先帰りだ。

明治維新は勿論そうだし、

当時の会沢正志斎や吉田松陰も外国の動きを見据えた日本文化を基礎においた。

江戸時代の山崎闇斎山鹿素行本居宣長などもその時々の時点から過去を模範とした。

こういうことがこれからの日本人にも起きて来るのではないか。

 

(今回はここから)

 

上記「強い日本を取り戻す」と言う本の、第六章から。

 

第六章は今後の日本が基本とすべき考え方として保守主義を論じている。

 

保守と左翼リベラルの大きな相違点に人間観がある。

左翼リベラルはフランス革命啓蒙思想から出発しているから、

人間の理性を極端に信奉する。

人間性を肯定的に捉え、賢明な存在と考えている。

保守は理性や人間性を懐疑的に見る。

 

左翼リベラルは理性の結果としての社会の発展を積極的に認めようとする進歩主義だが、

保守は社会体制を変革するにしても漸進主義的に行おうとする。

保守は「人間は過ちを犯しやすい不完全な存在」と言う人間観を持っている。

 

これはアメリカの有名な脳科学者であるダマシオという人が語っていることと一致する。

彼は「私たちの思考は感情を母体にして形成される」と言っている。

感情を母体にして思考が生まれ、

知性が関与するようになるのは思考形成プロセスの最終段階にすぎない、という。

これは自分個人の体験に照らしても納得がいく話だ。

 

感情の中でもとりわけ重要なのが愛情と憎悪で、

心の中にそのどちらかが優位を占めるのか、が次の思考形成に問題となってくる。

ロベスピエールなどの啓蒙思想思考の大部分は憎しみの感情が最初にあって、

それを最終段階で理性的に考えたように装うだけなのだ。

 

民主党政権の各首相は心の底に憎悪があるので、

知性が優秀であればあるほど人間社会を不幸に導く考えを、

さも正しいものであるかのように合理化し、日本を悪い方向に導いた。

鳩山などはアタマの良さが破滅する方向に機能してしまう典型例だ。

 

また保守の考える「人間は過ちを犯す」という考え方は別のことでも証明できる。

精神科医の岡田尊氏は「人間は過ちを犯す、という真理はあらゆるところで当てはまる。」

と言っている。

そして過ちを犯すのは自己愛という性質が深く絡んでいる、という。

 

同じく精神科医の和田秀樹氏は

「問題解決の際に、自分の考えが偏っていないか、自分の能力や知識、認知の状態などを、

立ち止まってチェックする人」が利口な人であり、それをしない人がバカだと言っている。

 

哲学者の適菜収氏も次の通り言う。

「馬鹿と言うのは頭の中にワンクッションがない人たちです。」

このワンクッションは人間の脳の前頭連合野と言うところに関係している。

ここは人間らしさの源泉と言われる部分だ。

ワンクッションがない人たちは急進的で感情的、攻撃的な考えになりがちだ。

 

共産主義を生み出したマルクスやレーニンを研究した学者は、

マルクスの人生は憎悪、嫉妬、蔑視といった醜い情念に支配されていた、という。

またレーニンも残虐性と狂信性にまつわる異常性格だったそうだ。

二〇世紀は、彼らの憎悪の感情から一億人以上の共産主義による虐殺が生まれたのだ。

 

自らの賢明な理性を信ずる前に自己の愚かさを自覚すること、これが保守の真髄だ。

イギリスの哲学者ヒュームはこれらを踏まえて次の通り言っている。

「人間はすべての行動において、私利以外の目的を全く持たないと推定されねばなりません。

この私利によって人間を支配せねばならず、私利を通じて人間を導き、

公益に寄与するようにさせるべきです。」

 

当時フランス革命の影響で理性が社会を作るという考え方に賛同せず、

感情こそが社会形成の絆となることを見ぬいていた。

 

保守主義の生みの親と言われるエドマンドパークは次のように言う。

「革新の精神は一般的には利己的性格や視野の狭窄の結果です。」

戦前の日本は特に革新思想で溢れかえっていた。

自己中心的で視野が狭く独善的な考えをするものが多かった。

そして戦後もそういう人たちが左翼リベラルとして活躍したのだ。

 

保守主義の思想は非常に受動的で自ら積極的に思想体系を打ち出すものでは無い。

新しい思想が登場した際に異議をとなえるのがせいぜいだ。

前出の評論家福田恆存は次のように言っている。

 

「私は保守的であるが自分を保守主義者とは考えない。

最初に保守主義というものがあって、

それに対抗するものとして革新主義が生じたように思われがちだが

それは間違っている。

 

まず初めに社会の現状に不満の人が生まれ、

その人たちが不満を説明するためにイデオロギーを必要とし改革主義の発生を見る。

保守は改革主義の火の手が上がって初めて保守を自覚する。

従って保守主義イデオロギーとして最初から遅れをとっている。

あくまで保守主義は受動的なものだ。」

 

新しい改革を疑って、人間が愚かになるのも防ごうとする、これが保守主義の核心で、

愚かになるのを防げれば人類全体は賢明な方向に向かう、と考える。

そして、「人間個人は愚かだが人類は賢明だ」と保守主義者は考える。

歴史集合体としての人類は優れた存在だと考えるから、

保守は自国の歴史、伝統、文化を大切にする。

長い年月を経て多くの人々の手で継承されてきたものは、

最高のチェック機能を持つ歴史の試練に耐えたのだから最大限に信頼でき、

かつ尊重すべきものであるはずだ。

 

我々の社会を秩序ある自由と美しき隣人に満ちたものにしようとするのが、

保守主義を信奉する日本人の使命だ。

保守主義者は自国の国柄を重視するから他国の歴史文化伝統も大切にしようとする。

国際社会の中ではそれぞれの国が自らの国柄を尊重すればよいと考える。

グローバリズムとは程遠いのだ。

 

これで「強い日本を取り戻す」と言う本の紹介は終わります。

 

(要約引用終了)