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ブログ「ねずさんのひとりごと」

 

 

 

(見出し)

 

 

 

ウクライナの歴史

 

 

 

(私のコメント)

 

 

 

ウクライナの歴史は非常に悲惨な歴史だ。

 

豊かな穀倉地帯だったのだが共産主義によって国民は地獄以上の苦しみを味わった。

 

ちょうど前回「強い日本を取り戻す」という本の紹介をしたが、

 

その中で戦前の軍部や官僚のエリートたちが隠れマルクス主義者だったといった。

 

彼らが夢見た共産主義ユートピアの結果がウクライナの悲惨な歴史なのだ。

 

 

 

日本人は大東亜戦争300万人の犠牲者を出したが、

 

それはウクライナと全く同じ共産主義虐殺だったかもしれない。

 

戦前エリートが信奉したマルクス主義はどんなものだったか、おさらいしてみよう。

 

 

 

キーワード的に列挙してみると次の通りになる。

 

急進主義、全体主義統制経済、暴力肯定、

 

階級闘争史観、革命至上主義、設計主義、観念的、非人間的、画一主義的、

 

自尊心自己愛的、排他的正義派、等だ。

 

 

 

これらの結果はウクライナの餓死による大虐殺となり、

 

スターリン1937年の大粛清、毛沢東大躍進政策文化大革命

 

ポルポトの自国民大虐殺につながっている。

 

 

 

このように大虐殺が続いたのは、学者やマスコミの責任だ。

 

正しい報道や正しい情勢分析を行なおうとせず、

 

共産党のプロパガンダを鵜呑みにして宣伝にひと役買った。

 

学者やマスコミは観念的な机上のユートピアが大好きで

 

彼らの頭の中の幻想に共産主義はうってつけだ。

 

だから共産主義の悪口は一切やらない。

 

その結果が大虐殺につながっている。

 

 

 

国民は情報元が新聞しかないので信じるしかなかったのだ。

 

今も新聞テレビは嘘やごまかしを平気で垂れ流しているが、

 

彼らこそ虐殺の共犯者なのだ。

 

ただし今も情報源は新聞テレビに頼るしかないから、

 

彼らが我々を虐殺しに来る悪い奴らと言う前提で対応しなければいけない。

 

彼らの持ってくる情報はよく吟味して、

 

23つの情報源を照らし合わせ判断する必要がある。

 

また、信頼のおけるジャーナリストを選択して集めておく必要がある。

 

こういうことが出来るのはインターネットの時代だからで、

 

有難いご時世だ。

 

こちらも判断力を養うために勉強しなければならない。

 

くれぐれも腹話術の人形のように、

 

新聞に書いてあることを右から左に言うようなことをしてはいけない。

 

 

 

(私のコメント終)

 

 

 

(要約引用開始)

 

 

 

ウクライナはヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれる豊穣な国家です。

 

ほとんどの国民は敬虔なロシア正教の信徒です。

 

 

 

・大正8年(1919ウクライナ社会主義ソビエト共和国が誕生した。

 

その後ソビエト連邦に編入された。

 

 

 

・当時のソビエト連邦の最大の外貨獲得手段がウクライナで産出される小麦でした。

 

だが、帝政ロシアの時代と共産主義ソビエトの輸出の仕方はまるで違っていた。

 

農民の都合や天候など一切関係なく、これだけの量を輸出に回すから国内で徴発せよと

 

決めればその通り徴発されることになった。

 

 

 

・当然ウクライナの住民たちの生活は苦しいものとなり、

 

知識人、指導者はさかんに政府批判を行った。

 

ソ連政府はこれらの批判者を次々と反革命、人民の敵として逮捕投獄した。

 

 

 

・当時ソ連は海外で活発な工作活動を行っていたから外貨が絶対に必要だった。

 

そこで政治的にクレムリンの机上で輸出から逆算して小麦の徴発を決めた。

 

 

 

・人口4万人ほどのある村では要求されたノルマが達成できなかったところ、

 

住民全員見せしめのために検挙され男は強制労働、

 

女は不毛の地を開拓するよう強制的に軍隊と共に送りこまれた。

 

いずれも年齢、体力、栄養状態一切関わりなく休みのない重労働を強いられ全員死亡した。

 

 

 

ウクライナの民衆の達成不可能な生産ノルマは農民の労働意欲を削ぎ、

 

小麦は減産し始めた。

 

それでもノルマ分の挑発は実施されました。

 

また農作物の換金、落穂ひろいなどは人民の財産を収奪した、と言う理由で投獄された。

 

農民は逃げられないように国内パスポート制を敷かれ、

 

空から監視されたり監視員が見張りについたりした。

 

飢えた子供たちに肉親を告発すれば食物を与えるという制度を作り逃亡を防いだ。

 

 

 

・その結果農民は犬猫鳥、ドングリや草などを食べて餓えをしのいだ。

 

最後には死んだ馬や人間の死体を掘り起こして食べるようになり、

 

伝染病で死ぬ結果となった。

 

村々には行き倒れた農民たちの死体があふれ、

 

都市部から派遣された共産党員も逃げ出すくらいだった。

 

 

 

・この頃ソビエト連邦5カ年計画の大成功を世界中に宣伝していた。

 

共産主義革命により最大の経済効果が発揮され人民は皆幸福に暮らしていると宣伝した。

 

確かに都市部のインフラなどは次々に整備され立派な建築物が立ち並んでいたことは確かだ。

 

これらはウクライナの農民から絞れるだけ絞り取った結果のものでしかなかった。

 

 

 

・宣伝と実体の乖離、これこそサヨクの恐ろしさです。

 

当時ソ連に招かれた西欧の有名な知識人や作家、新聞記者は

 

模範的な運営がなされている作られた農村を見せられ、

 

それを「素晴らしいソ連の成果」として世界中に宣伝した。

 

現在のシナ共産党もこの例にならって宣伝活動を行っている。

 

 

 

・それでもウクライナの惨状は世界に漏れ伝わったが、

 

ソ連は「飢餓は存在しない」と一切否定し、なかったこととして押し通した。

 

今のシナ共産党と同じだ。

 

そして、共産党プロパガンダを礼賛する日本のマスゴミは、

 

大虐殺を隠した当時のソビエト共産党宣伝部と同じで虐殺の共犯者だ。

 

 

 

・結局昭和7年(1932)にかけてウクライナでは700万人の餓死者が出ました。

 

その年前後の2年間で1,000万人の国民と家畜たちが死んでいきました。

 

さらに第二次世界大戦で民族の4分の一にあたる700万人の兵士が死亡しました。

 

大戦後もソ連共産党の政策によって400万人から1,000万人程度殺されたと言われています。

 

 

 

(現在の日本も共産主義者や共産主義者を裏返しにした新自由主義者などが、

 

エリート支配層を形成している。

 

彼らは考えている理想社会というのは、結果としてウクライナのような悲惨な結果を招くのだ。

 

 

 

別の話になるが、ソビエト共産党は農民を弾圧、虐殺するとき、人民の敵とレッテルを貼った。

 

この人民の敵、というのは共産党が人民の代表だ、というレジテマシーから来ている。

 

(英語 legitimacy 正統性、妥当性)

 

憲法1条にある「国民主権」とはマッカーサー司令部が憲法を作った時、

 

ソ連からの圧力で入れられたものだ。

 

 

 

なぜそれを入れたのかというとソ連は日本に革命が起きた時は、

 

革命政府が国民主権の代表者として天皇を処刑したり出来るようにしたかったからだ。

 

ウクライナ大虐殺の名目である「人民の敵」を、

 

日本でも正当化させようとしたのが国民主権憲法挿入なのだ。

 

国民主権というのは聞こえはいいが、大虐殺の道具として存在する。)

 

 

 

(要約引用終了)