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「新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ

(見出し)
トリクルダウン理論は神話だ」

(引用開始)

(前略)

さて、アメリカのノーベル経済学者ジョセフ・スティグリッツ教授が、
現代ビジネスで「グローバリゼーション」「TPP」「自由貿易」について猛烈に批判しています。


 その前に、本日の基礎知識。
 

※底辺への競争:国家が外国企業の誘致や産業育成のため、
減税、労働基準・環境基準の緩和などを競うことで、
労働環境や自然環境、社会福祉などが最低水準へと向かうこと。
自由貿易やグローバリゼーションの問題点とされる。(現代ビジネス)
 

トリクルダウン経済学:「トリクルダウン(trickle down)=したたり落ちる」の意。
大企業や富裕層の支援政策を行うことが経済活動を活性化させることになり、
富が低所得層に向かって徐々に流れ落ち、ひいては国民全体の利益となる」とする仮説。
主に新自由主義政策などの中で主張される。(同)
 
『ジョセフ・スティグリッツ「グローバリゼーションの悪い面について」
 

現在、進行中の貿易協定案は、多くのアメリカ人をグローバリゼーションの悪い面に追いこむ恐れがある。
 
***(中略)

議論が噴出したのも無理はない。リークに基づけば、また過去の貿易協定が決着した歴史を鑑みれば、
TPPの全体像を推測することはたやすく、その結果はかんばしくないからだ。
米国と世界のエリートというごく少数の富裕層に、
それ以外のすべての人々を犠牲にして利益を与えるという現実のリスクがあるのだ。
このような計画が進行中であるという事実そのものが、
経済政策が格差にいかに深い影響をおよぼしているかという証左だと言える。
 
 ***(中略)

さらに悪いことに、TPPのような協定は、より大きな問題、すなわちグローバリゼーションという、
われわれのひどいミスマネジメントのひとつの側面でしかないのだ。
  まず歴史を振り返ってみよう。一般に、今日の貿易交渉は、
第二次大戦後に数十年間にわたって行われたものとは著しく異なる。
当時の交渉の焦点は関税の引き下げだった。関税があらゆる面で引き下げられて貿易が拡大し、
各国それぞれの強い分野での発展によって結果的に生活水準は向上した。雇用は部分的には失われたが、
新しい雇用も創造された。
  ところが今日では、貿易協定の目的が異なる。世界中の関税はすでに低く、
焦点は「非関税障壁」へと移った。なかでも、協定を推進する企業の利益にとって重要なのが規制である。
巨大な多国籍企業は、各国で食い違う規制がビジネスを割高にしているとクレームをつける。
しかし規制の多くは、たとえそれらが不完全なものであったとしても、存在するだけの理由がある。
すなわち、労働者や消費者、経済や環境を保護するためなのだ。
  それだけではない。それらの規制は、各国の政府が市民からの民主的な要求に応えて導入したものなのだ。
貿易協定の新たな推進者たちは遠回しに、自分たちは単に規制の調和を追い求めているのだと主張する。
そう言えばその主張は、効率を促進する無害な計画という意味となり、クリーンに響く。
もちろん、いたる所で規制を高い基準に合わせ強化することで規制の調和をはかることはできる。
しかし企業が調和を提唱するとき、実際にそれが示すところは、底辺への競争である。(後略)』
 
 ***(中略)

また、スティグリッツ教授は「自由貿易」についても懐疑的です。自由貿易と言えば、
昨今の経済学者の「基本中の基本的ドグマ」であり、「自由貿易が善であること」について、
疑いを持つことは「許されない」空気があるそうです。
 
 とはいえ、自由貿易が「Win Win」になるためには、スティグリッツ教授が書いている通り、
様々な「前提」があります。

『労働者は職種の間で途切れることなく移動できると想定している。
ここでは完全雇用が当然と考えられており、グローバリゼーションによって解職された労働者は、
すぐに生産性が低い業種から生産性が高い業種に移れるとされている。(記事より引用)』


 自由貿易は「完全雇用」が前提になっており、生産性が低い業種に努めている人が外国との競争に負け、
失業しても、「瞬時」に他の職を得られることになっているのです。

 とはいえ、全ての職業では「ノウハウ」等の蓄積が重要になります。
ある産業で様々なノウハウを身に着けた人が職を失ったとき、それまでの「蓄積」は消滅してしまいます。
他の職に就いたとして、即戦力になるなどということは現実にはあり得ません。


スティグリッツ教授が触れていない観点としては、「安全保障」の問題を挙げておきたいと思います。
日本が更なる貿易・サービス輸出入の自由化を進め、
安全保障に関わる分野で供給能力が落ちていくと(落ちていますが)、
国民の生命や安全が危険に晒されることになります。
 

 自由貿易では、安全保障の強化は実現できないわけです。何しろ、安全保障確立とは、
 「政府の規制(管理)を強化しなければ、実現しない」
  わけでございます。
 
***(中略)

 スティグリッツ教授は最後に、
 「トリクルダウン経済学は神話だ」
  と、看破していますが、現在の安倍政権法人税減税や「GNI(国民総所得)」の目標、
労働規制の緩和など、まさにトリクルダウン経済学路線をひた走っています。
安倍政権は、前回(第一次安倍政権)の時も政策課題に上った、残業時間を賃金に反映させない、
いわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入も検討しています。
 

 現在の日本の場合、政府がトリクルダウン路線、自由貿易路線、規制緩和路線を追求すると、
 「日本国民の実質賃金が低下する(しています)」
 「安全保障が弱体化する」
  という、少なくとも二つの大きな問題が発生することになってしまいます。
 

 TPPはもちろんのこと、スティグリッツ教授が指摘する「アメリカの問題」は、
そのまま「日本の問題」であるわけです。
 

 グローバリゼーションの下で「底辺への競争」が発生し、国民が貧困化し、国内の所得格差が拡大する。
特に、内需を標的市場とする中小企業などが業績が上がらず、倒産、廃業していく。
 

 これを「自己責任です」の一言で片づけられてしまうのは、
「一体、政治とは何なんだ」という疑問を抱かざるを得ません。
 

 本日のモーニングCROSSでも、「無条件の法人税減税」の話題を取り上げさせてもらいましたが、
日本をがリクルダウン的ではなく、
「日本国民の所得拡大と内需拡大」による経済成長路線を取り戻すことができるように、
今後も様々な媒体で情報発信をしていくつもりでございます。
結局のところ、政治とは「国民のレベルを写す鏡」なのだと思うのです。


(引用終了)

(私のコメント)

富裕層を優遇すれば貧乏人が助かる、なんて常識でもあるわけがないじゃないか。
貧富の差が激しいほど良いということになるが、
富を独占したシナ王朝やヨーロッパ貴族の時代に庶民は幸せだったのだろうか。
幸せならマルクス主義が出てくるわけがない。

ところでマルクス主義経済学者は今どきどうしているのだろう。
トリクルダウン経済学を批判した話を聞いたことがない。
新自由主義マルクス主義経済学者は何と言っているのだろう。
大学のほとんどの経済学講義はマルクス経済学で占められ、
図書館はマルクスの本で溢れんばかりだったのに今は音沙汰もない。
マルクスから新自由主義を見ると、本当に経済学というのは詐欺的な新興宗教みたいなものだ。
河上肇とか向坂逸郎とか一体何だったのだろう。
マルクスさんの言うには富裕層と貧乏人は階級対立があって富裕層は打倒されるはずだ?、
貧乏人が貧乏なのは富裕層が収奪しているからだ?、ということじゃなかったか。

経済学はついこの間までこの理屈で一億人ばかり虐殺した。
今度はトリクルダウンとかグローバルとか真逆の話で2億人やっつけるつもりか。
経済学とは虐殺学と見つけたり。

所で、安倍はまたもやプロジェクトなんたらに「第二の開国」という論文を発表したそうだ。
第一の開国明治維新は「尊皇攘夷」がコンセプトでその手段として開国した。
開国して海外の文明を取り入れないと尊皇攘夷、つまり国の独立が保てないと判断したからだ。
ところが安倍の開国はそれがない。
私の推察するに彼はトリクルダウン的に外人が来たら日本が潤うと考えているのではないか。
そんな馬鹿な話は無いので、富裕層と同じように外人は甘くない。
徹底的に日本を収奪し富を奪い尊皇攘夷を叩き潰していくだろう。
トリクルダウンで貧乏人が救われないのと同じように、
外人が来ても日本人は救われない。
マルクス主義者の近衛文麿が日本を滅ぼしたように、
新自由主義者安倍晋三は経済学の大虐殺に花をそえるのだろうか。

 

 


(私のコメント終)