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三橋貴明ブログ「新世紀のビッグブラザーへ」

 

(見出し)
「ポイント・オブ・ノーリターン」
(引用開始)

(前略)
何を言いたいかと言えば、時代はまるで停止しているかのごとく見えますが、実際には動いているという話。
現在の日本で、【国益】【日本国民】という言葉を咎めた日には、逆にバカにされることになるでしょう。
(五年前くらいは、本当に【国益】を使うのが憚られる空気だったのです。思い出して下さい)
 

 別に、
 「グレートリセット!」
  とか、革命をやりたいわけではないので、以前も書きましたが「泥の海をかき分けて進む」しかないのです。
無論、現在の日本は左翼(大飯原発訴訟の原告者たち等)や
新古典派的な構造改革主義者(代表はもちろんパソナ取締役会長の竹中平蔵氏)の挟まれて、
双方から「悪しき改革」を迫られている状況ですが、それでも正しいことをやるしかないのです。
理由は、やるしかないためです。
 

 自慢じゃないですが、わたくしはサラリーマン時代、売れもしないIT製品の営業やマーケティングの仕事で
地獄を見続けました(要は、売れない)。
シスコ・システムズにでも転職すれば、
「売れる営業」を経験することになったでしょうが、なぜかわたくしが務めた会社は、
常に「王者シスコ」のコンペ(競合相手)でした。それゆえに、少々のことではへこたれませんですよ。
 

 某ベストセラー漫画ではありませんが、
 「何言っているんだ。俺たちはずっと負け続けてきたじゃないか」
  てなもんでございます。ほとんど勝ったことがなく、勝ったと思っては裏切られ、
失望し、うつむきたくなるかも知れません。 
 

 それでもやるのです。価値ある日本を将来に残したいならば。
 

一つだけ「有利」な点があるとしたら、わたくし達は「彼ら」よりも年下という点です。
「彼ら」はわたくし達よりも先にこの世を去ります。すなわち、時間はわたくしたちの味方です。
時間という「最強の味方」がついている以上、へこたれる暇はないのでございますよ
(もっとも、わたくしの鈍感力は日本ベスト10に入れるレベルだと確信はしておりますが)。
 

 昨日のエントリー「欧州議会選挙」が象徴ではございますが、現代とは「グローバリズム」と
ナショナリズム」がせめぎ合いを続けている「世界」なのです。
しかも、ナショナリズム的な国家(例えばロシア)ですら、
別に無条件に日本の味方になってくれるわけではありません。
 

 そもそも、ナショナリズム国民意識)とは、「国家」「国民」を意識せざるを得ない環境という話なので、
 「日本国以外は全て敵国か、もしくは仮想敵国」
  という状況にならざるを得ないのです。もちろん、「自国以外は全て敵国か、
もしくは仮想敵国」というのは、別に日本に限った話ではなく、あらゆる世界の国々がそうなるという話です。
 

 混沌とする世界の中、我が国が「味方にするべき国々」、
あるいは「味方になってくれる国々」は明白になりつつあります。
ロシアというよりは、台湾からインドにかけた東南アジア、南アジアの国々です。
 

 理由は、別に、
 「彼の国々は親日だから」
  といった、ナイーブ(幼稚)な話ではなく、台湾、フィリピン、ベトナム、タイ、
マレーシア、インドネシアミャンマーバングラディッシュ、インドという国々が、
我が国と「共通する国益が多い」ためでございます。
日本にとって、中東からインド洋、マラッカ海峡南シナ海バシー海峡から太平洋に抜けるルートは、
まさに「決定的なシーレーン」です。このルートを抑えられると、
原油の中東依存度が90%近い我が国の経済は「停止」します。
 

 すなわち、昨日の「激論コロシアム」でも散々にやり合いましたが、
台湾の問題は「我が国の安全保障」と直結するのです。
台湾の行く末は、日本国にとって決して他人事ではありません。
 

 とは言え、過去の日本国民は上記のことを考えることすらなく、
お花畑的「平和な世界」で生き続けてきました。
結果的に、思考の型式も「お花畑」に凝固されてしまっているように見えます。
 

 が、所詮は「思考の型式」の問題ですので、「言論」により状況を変えることはできます。
別に、テレビに出る機会がある人々だけではなく、一般の方が声を出すことで状況は変えられます。
逆に、一般の日本国民が自らの意志を表明しない限り、状況は変わらないでしょう。
 

 もっとも、先にも書いた通り「状況」は変わってきています。だからこそ、
この動きを加速するために「日本国民一人一人が動き出す時が来た」と確信しているのです。
  日本国にとって後戻りができない分岐路、いわゆる「ポイント・オブ・ノーリターン」は
確実に迫りつつあります。
 
 とはいえ、歴史とは人間が紡ぐものである以上、真の意味で「ポイント・オブ・ノーリターン」というものは、
本来は存在しえないのです。わたくしたちが諦めたとき、
「ポイント・オブ・ノーリターン」は正真正銘の「ポイント・オブ・ノーリターン」になるのでございますよ。

 


(引用終了)

(私のコメント)

>ポイント・オブ・ノーリターン、わたくしたちが諦めたとき、…

長谷川三千子先生の「神敗れ給わず」に外国の神様は戦いに負けると殺されるか、捨てられる、とある。
シナ人が信仰する道教の神様は願い事が叶なわかったときゴミ箱に捨てられるそうだ。
大東亜戦争では神風は吹かず、逆に原爆を2発も落とされて負けてしまった。
神州不滅とか言って、いくら信仰しても御利益がなかったわけだ。
外国の神様だったら二度と信仰の対象にならず捨てられてしまう運命なのに神社は残った。
キリスト教などの宗教は戦争に負けても生き残って来たが、それはお前の信仰が足りなかったから負けたんだ、
という言い訳を考えついたためだそうだ。
日本の神様はそもそも信者に強い信仰なんかを強制しないからその理由は使えない。
「アナタワーカミヲーシーンジマスカー」なんて言わないのですよ。
折口信夫なんかは勝手に入れ込んでしまっただけなのだ。
なお、イスラムはどうかというと、負けても全てアラーの神様が決めることだ、と逃げてしまう。

ではなぜ戦後の日本で神道が生き残ったのか。
伊勢神宮出雲大社靖国神社も参拝する人はウヨウヨいる。
大東亜戦争で裏切ったのだから参拝しても御利益は無いことは証明済だ。
それなのになぜ参拝するのか。
その理由は日本の神様は負ける弱い神様だからで、それを皆が知っているからだ。
ラフカディオハーンの小説に、氏神様が生まれてくる子供が死にそうで、
一生懸命親に拝まれるのだけど力がなくて助けてあげられない。
そこで松江藩で1番の力持ちと言われる武士に助けを求めた。
武士は子供の命を必死に支えたのだが、どんどん重くなって潰れそうになる。
その時武士は思わず仏さまの名前をとなえた。
そうしたら仏さまもやってきて神様と仏さまと武士の力でその子供は無事に生まれた。
日本の神様はそういう弱い神様だ、と言うことを皆が知っているから戦争に負けても逆に生き残ってきたのだ。
人の助けがないとうまくいかないし、人と共に笑い、悲しみ、力づけるだけの弱い神様だ。
神風を吹かせたのは、めったにない上出来の部類だったのだ。
そういう神様でも日本という災害の多い国には絶対に必要な神様だ。
災害は祈ってもやって来る。
多神教だから、それを「荒ぶる神様」として静まってくれるようにお祈りする。
つまり、強い神様に負けてしまうこともある事を前提に信仰がある。
日本の国土や気候、漁業稲作などと密接につながり、生まれてきた神様だ。

「泥の海をかきわけて、理由はやるしか無いから、俺たちはずっとと負け続けてきた、
それでも価値ある日本を残したい。」
これって日本国民が古代からずーっと負ける神様とともにやってきた事では無いのか。
負け続けるけど決して負けない不思議な神様、日本を決して諦めることのない神様。
そして、日本国民は負ける神様を許し慈しんできた。
許すことは愛することだ、とはキリスト様の言葉だが。
神社に参拝する草の根の国民が居る限り、
国民の一人ひとりの力で「価値ある日本」は次必ず世代に受け継がれると信じていいんじゃないか。

なお、「神敗れ給わず」は上記の話とは別で、
天皇陛下と国民の関係を書いていて推理小説を読んでいるようで面白かったです。


(私のコメント終)