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英仏で、反EU政党が第一党に躍進。歴史の潮流が「個人主義から新国家主義へ」と変わったのか?
2014年05月29日
http://blog.livedoor.jp/gold_7777/
じじ放談
(引用開始)
(前略)

まとめ                                                              
 
 本稿で使用した「新国家主義」は、
英FT紙から引用された記事「東アジアにおける4人の国家主義者(安倍・プーチン習近平・モディ)」を
参照したものである。
もとよりFT紙の記者は左翼の個人主義者(共産主義者)であろうから、
国家主義」を肯定的にはとらえていない。ヒットラームッソリーニをイメージしている感じ。
 
                                             
 国家主義は「国家を最高の価値あるもの、人間社会の最高の組織とみなし、
個人よりも国家に絶対の優位を認める考え方」というものや、
「経済的及び社会的な目標達成のための国家権力を支持する政治運動や傾向をさす」とするものなど
多様な解釈がなされている。近代西欧思想は「国家と個人」を二律背反関係にあるとみなした。
国家主義個人主義を対立するものと規定した。 
 
                                                      
 しかし、東洋思想では「国家と個人」は「包摂し包摂されるもの」「全体と部分」と解する。
1滴の水は大自然の一部であり、大自然は一滴の水に宿ると考える。
本来、国家と個人は対立概念ではない。国家主義個人主義は二律背反するものではない。
近代西欧思想(二元論)が対立物を創造した。
カール・マルクスが資本家と労働者を対立するもの(弁証法)と規定し、階級闘争の不回避性を唱えたように。  
 
                       
 近代西欧思想が産んだ共産主義グローバリズムは「国家は悪をなす」
「個人は神聖にして侵すべからず」と無条件に信じる原理主義思想だ。
頑迷固陋の排外民族主義者とみなされてきた欧州の極右政党が
「国民の命と暮らしを守るための経済政策を重視する国民政党」に脱皮した現実をいかに考えるべきか。
「新国家主義」とみなすべきではなかろうか?という問題意識をもって本稿を書いてみた。 
 
                                             
  「民族主義者」が新たな装いをもって登場し、国民の支持を集めているのは英仏だけではなく、
ロシア、インド、日本と急増傾向にある。個人主義の行き過ぎから個人を守る国家主義
グローバル経済の暴力から国民生活を守る民族主義の精神が脚光を浴びる時代になった。 
 
「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である」という説も、
一定の妥当性をもっているのかもしれぬ。

 

(引用終了)

小塚正己mkozuka@ybb.ne.jp

 

(私のコメント)
世界の各民族、各国家は当然の事だけれど、
それぞれの地域の気候風土や歴史的経緯などで物の考え方が異なっている。

ところが16世紀以降の西欧による植民地支配によって、
西欧の文明(思想など文化も含む)が普遍的で1番進んだ良い考え方だと誤解された。
本当は各地域でそれぞれがその地域に合った文明を発達させてきた。
本当は、それぞれの文明には優劣があるが文化的にはそれほど変わらない。
ここで言う文明と文化の定義は、
一口に言えば、文化というのは生活様式、文明というのは生活を支える技術的な側面だ。
この言葉を使うときは大雑把に言って文化はソフトウエア、文明はハードウエアと考えたらいいでしょう。
パソコンの中に漫画や小説があれば文化、パソコン自体は文明というわけです。
ただし文明もAppleのようにデザインが良ければ文化が入り込んでくる。
西欧の文明にも啓蒙思想など文化的な側面も入ってくるからややこしくなる。
筆者によって文化と文明と言う言葉の意味はかなり重なっており、自由に便利な言葉として使われる。
上記のブログのテーマで言えば、文明的に国家を考えれば単なる道具であって、
普遍性があるからグローバリズムとなり、文化的に言えば、国家に価値観(誇りなど)が生まれるから、
ナショナリズムになる。
本題に戻れば、各民族はそれぞれ自分たちの仲間が幸せに暮らせるよう工夫してきた。
そういう意味では優劣はあまりないのだが、工夫した結果、つまり文明的には優劣が生まれたのは確かだ。
例えばシナの明王朝を倒して清帝国を作った満州人は
満州の荒野で、非常に寒いため地面に穴を掘って地下生活をしていた位の未開の野蛮人だった。
それが地球の地軸の変化で満州が多少温暖な地域にかわり、狩猟民族となって人口が増加した。
そうしてもっと住みやすい土地に移動しようとして明王朝を倒したのだ。
このように基本的な文化は各民族そんなに違わないのだが、
技術的な文明が何かのきっかけで発達すると大きく飛躍することになる。
そこでもう一度日本の文化について考えてみよう。
この日本の文化を日本の国柄、国体などと呼ぶ。
日本の国柄の基本は、日本の天皇が国民を「大御宝(おおみたから)」として大切にし、
国民は天皇を尊崇して守ろうとする、というものだ。
これが国家というものの考え方の基盤になっている。
なぜそういう考え方が基板になったかというと日本の国土が非常に厳しくて、
そうでないと生きて行けなかったからだ。
日本は国土が比較的新しい地層でできあがっているので災害が非常に多い。

火山が多く急峻な山脈が海に迫り、川は急流だ。
こういう風土に台風などの厳しい気候がある。
台風だけでなく四季があって冬は豪雪、夏は日照が襲う。
このような気候風土のなかで稲作によって人口を維持増加させてきたが、
その為には上記のようなリーダーとメンバー相互信頼で立ち向かわないと生活できない。

一方ヨーロッパは狩猟民族、牧畜民族、国土が平野で外敵に攻められやすい。
古代から各民族は攻めぎあって、買ったり負けたりしてきたからからそういう風土で文化が培われた。
大体どこの国も征服王朝だから国家は国民に対する収奪機関だった。
マグナ・カルタなんかもそこから生まれた。
征服王朝でなくても他国と戦うために国家を編成しなければならないからどうしても収奪的になる。
但し、戦争に勝てば分前は一杯来るからその意味では強い国家は歓迎される。
このような国家観で日本とは全く違ったものだ。
今後は各地域の気候風土に根ざした文化が見直されるようになるのだろう。

(私のコメント終)