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ブログ「依存症の独り言」 
(見出し)
徒然(つれずれ)に左翼思想について語る

(引用開始)
(前略)

実際、ネットで調べても、60年安保に比べると全共闘運動(及び70年安保)に関する本は少ないですね。
 理由は、前者にはまだ希望がありましたが、後者には絶望しかなかったからだと思います。
 樺美智子さんの死は伝説になりましたが、連合赤軍のリンチ殺人は悪夢でしかなく、
革共同両派の内ゲバは左翼思想の冷酷無慙な本質を余すところなく暴露しました。

(写真あり)
上記は60年安保の象徴的画像です。
 左翼に対する支持が大衆的広がりを有している実態が如実に示されています。

それに比べ、下の画像はどうか?
 1971年6月17日の沖縄返還協定調印阻止闘争です。
 まさに武力闘争。
 斯く言う私も、この中にいました。
(写真あり)
実は、この時、明治公園で機動隊に対し鉄パイプ爆弾が初めて投擲されました。
 この爆弾で37名の機動隊員が重軽傷を負いました。
 この鉄パイプ爆弾事件が、翌年の連合赤軍による集団リンチ殺人と浅間山荘での銃撃戦へと
つながっていくのです。
 要は、この時点で暴力の質が変わった、つまり殺人も厭わない、
という風潮に極左過激派が支配されていくのです。

 

私が不思議なのは、当時の極左暴力運動を反省していない輩が今もたくさんいる、という現実です。
 連中は、社民党民主党の一部に巣食っており、メディアでは朝日新聞中日新聞(=東京新聞)、
北海道新聞などに蔓延っています。
 彼らは、異口同音に「暴力を否定」しますが、彼らの根底にある思想そのものが
本質的に暴力的で排他的なのであり、その言辞は美辞麗句にすぎません。

リベラルとか進歩的知識人を自認する連中は、自らの危険性を隠ぺいしています。
 口では反戦や平和を唱えておりますが、それは体制を転覆するための方便にすぎません。
 そのことはドイツ革命やロシア革命の現実を見れば如実に解ります。

彼らが、結果的に強権支配に走るのは、その思想的本質にあります。
 レーニンの組織論は、ごく少数の選ばれた前衛=職業革命家と、
大多数の暗愚な大衆によって成り立っています。
 ここにおいて、革命家のあるべき姿を体現した前衛は絶対的存在であり、
他方の暗愚な大衆は洗脳の対象でしかありません。
 この構図は、強弱の差はあっても、社民主義者やリベラルにも共通するもので、
彼らの言う「市民」は、常にプロパガンダによって扇動される存在でしかないのです。

左翼というのは、誕生した時から冷酷で無慈悲なのです。
 フランス大革命のロベスピエールロシア革命スターリン
中国革命の毛沢東カンボジア革命のポルポト...
 彼らは皆、人類の理想を掲げて大虐殺と恐怖政治を実行しました。
 あのイラクサダム・フセインは、共産党をまねてバース党を再編し、
同じように恐怖政治を実行したのだから笑えます。
 リベラルの敵=サダム・フセインは、実は共産主義者のエピゴーネン(Epigonen)だったのです。


私たちが若いころは情報が限られていました。
 スターリンの暴虐も文化大革命の残酷も、正確には伝えられていませんでした。
 他方で日本社会には依然として貧困が存在し、差別も今と比較すれば格段に激しかった。
 ベトナム戦争は超大国による極小国イジメでしたし、フランスやドイツ、
米国などの反体制学生運動に対する連帯意識もありました。

4畳半、風呂なし、共同便所の安アパートに住み、車はもちろんテレビもなく、
やることと言えば麻雀か喫茶店でだべるか小難しい本を読んで屁理屈をこねるくらいしかない。
 こういう当時の学生を取り巻く生活環境も大いに影響したと思いますね。
 とにかく無知でした。
 マルクス主義だって宇野弘蔵氏や廣松渉氏などの学者を介して理解しただけで、
極めて表象的だったと思います。

私は40代になって、初めて文化大革命の実際を知りました。
 スターリンの暴虐ぶりは以前から知っていたものの、そのころ知り得た事実は、
私の想像をはるかに超えていました。
 そしてポルポトによる残酷です。
 私は、連合赤軍の集団リンチ殺人も革共同両派(中核・革マル)及び
革労協による殺人合戦(内ゲバ殺人)も、その時初めて納得がいきました。
 左翼の本質は選民思想と暴力であると...


私は最近、第一次大戦大東亜戦争について再学習しています。
 学べば学ぶほど、なぜこれほどまでに我が日本が貶められなければならないのか納得がいきません。
 しかも、そのお先棒を「知識人」と呼ばれる連中が担いでいる。
その代表格が朝日新聞です。

彼らは、おそらく目覚めることはないでしょう。
 若かりし日に洗脳されたオツムは、自己防衛本能も働いて、ますます偏向していっている。
 安倍首相及び安倍内閣に対する報道姿勢を見ていると痛感します。

日本の害虫、朝日新聞を一刻も早く駆除しなければならない、と思うこのごろです。
 


(引用終了)


(私のコメント)

これを書いている人は私に較べて10年位若い人だが、思想的遍歴では同じ道をたどっている。
私は60年台安保闘争の時大学一年で上の写真に写っている国会を取り巻く群衆の中に居たのだ。
下の写真は暴力闘争だから60年代と全然様相が違う。
学生が先鋭化して大衆が引いてしまっていることがよく分かる。
左翼思想は必然的に暴力闘争に向かい、人を殺さずには置かない本質を持っているのだ。
なぜなら彼らの考える理想社会は、一番頭の良い人が全部仕切り、
残りの人は脳みそのないロボット人形のようになる社会だからだ。
人はそんな人形になれないから当然反抗する。
そうすると、仕切る側は見せしめに殺すか刑務所に入れるしかなくなる。
だが、そんな大衆工作の前に誰が一番頭がいいかエリートの中で争いが始まるのが普通だ。
それが権力闘争だし、内ゲバなのだ。
東大出の人がマルクス主義者なのは彼らエリートは当然仕切る方の指導者側で権力闘争資格者だからだ。
彼らは非常に利己的な動機でマルキストなのだ。
エリートにとって支配者として特権的地位を保証するのがマルクス主義なのだ。
これが左翼思想の本質なのだがそれでは皆がついてこない。
そこでルソーの「一般意思」とか「国民主権」とか言ってごまかす。
それらで大衆の意思と指導者の意思が同じように見せかけて権威づけるのだ。
スターリンは気に入らない奴を大量に殺したが、皆「人民の敵」と言うレッテルを貼った。
自分は人民の代表を自称してその権威付けをもって人殺しを正当化したのだ。
今の日本国憲法の「国民主権と言うのは当時のコミンテルンが将来の日本の共産主義革命のために
GHQに働きかけて入れさせたものだ。
左翼思想の本質は暴力と独裁なのだ。
そうしてそういう社会を出現させるには安定した秩序のある社会ではダメなのだ。
そこでなるべく社会秩序を破壊し不安定化させ、各人の反目を増大させることが彼らの目標になる。
サヨクが良く弱者の味方だとか女性の解放とか言うがそれは利用しているだけで、目的は違う。
脱原発も日本の経済を疲弊させ、貧乏にして暴力と独裁が通用するような戦国時代のような社会にしたいのだ。
また、利用できるなら外国の勢力を導入するのも厭わない。
大東亜戦争の始まりも当時のマルキスト(多くの場合国家主義者に偽装していた)の敗戦革命思想が、
大いに影響していたのだ。
こういうわけで共産主義ソビエトなどの崩壊で悪いことがわかってもまだ生き残って居るのだ。
上記のブログはそう言うサヨクの本質に気づき、本当の歴史を勉強しようとしている点で私に似ている。


(私のコメント終)

小塚正己mkozuka@ybb.ne.jp