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新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/


(見出し)
「続 狂った羅針盤

(引用開始)

(前略)

 経済に話を向けると、ユーロの6月のインフレ率が予想を下回り、5月同様に0.5%でした。

 ***(中略)
 ECBや欧州委員会の首脳たちは、
 「デフレではない! ディスインフレだ!」
  などと強弁するのでしょうが、国別にみると、例えばギリシャのインフレ率はマイナス1.5%です。
(すでに一年以上、マイナスの状況が続いています)ポルトガルtもマイナス0.2%(五か月連続ゼロ%割れ)。
 

 しかも、以前、予想した通り、ドイツの国債金利(十年物)が順調に低下を続けていまして、
ついに1.15%まで下がりました。間もなく、ドイツは十年物国債金利
1%を下回った三カ国目になると思われます。(一番目が日本で、二番目がスイス)
 

 要するに、ECBがマイナス金利を導入してすら、銀行から十分なお金が貸し出され、
モノやサービスの購入に回っていないという話です。
マイナス金利でECBの当座預金にお金を預けにくくなった欧州の銀行は、
代わりに国債ドイツ国債など)を買っているだけなのです。
 

 ECBの首脳たちは、今頃、
 「なぜ、マイナス金利にしてすら、モノやサービスの購入に金が向かわないんだ!」
  と、極東の島国と同じ苦悩を抱えているのではないかと予想していますが、答えは簡単で、
需要が不足しているためです。ここでいう需要とは「所得」と同様の意味をも持ちます。
 

 低インフレ(もしくはデフレ)は消費者にとっては天国ですが、生産者にとっては地獄です。
物価が上がらない結果、生産者の所得は増えにくくなります。所得が増えない生産者は、
消費者の立場に回った際に、お金を使わず、需要不足となります。結果、インフレ率は上昇しません。
インフレ率とは、モノやサービスの価格の変動を意味しているのです。
 

 信じがたいことに、現在の欧州では「あの」イタリアの十年物国債金利が、
2.79%と3%を割り込んでいるのです。(一年前は4.6%くらいでした)欧州は過去の日本の道を、
そのままたどっているのです。
 

 あるいは、今更ではございますが、現代の世界は1930年代前半にそっくりです。
特に、欧州は「経済学」(当時は古典派経済学)の処方箋に沿った結果、
失業率を改善することができなくなっているという点で、まさに1930年代をなぞっています。
 
もっとも、日本にしても、「ヘンテコ」な経済学により情報が混乱させられ、
正しい政策を打てなくなっているという点は同じですが。


 ***(中略)
日銀の発表する需給ギャップがプラス0.6%に転じた(インフレギャップ状態になった)のは、
駆け込み消費の影響もありますが、それ以前に、本ブログで何度も取り上げてきた
「平均概念の潜在GDP」を使っているためです。
最大概念の潜在GDPを使えば、日本は普通にデフレギャップ状態でしょう。
 

 二つの潜在GDPの問題については、青木先生のコラムに詳しいです。是非、お読みください。
 ***(中略)

長いコラムではありませんので、ぜひとも全文お読みくださいませ。
 

 いずれにせよ、デフレギャップを計算する際の潜在GDPが「二種類ある」などということは、
一般の日本国民はもちろん、政治家や新聞記者ですら知らないでしょう。
結果的に、「知っている人々」の情報操作に騙され、正しい政策を打てなくなっていくわけです。
 

 平均概念の潜在GDPを用いてデフレギャップを計算し、
 「すでにデフレギャップは解消した」
  と、日銀総裁などが断言すれば、政治家たちは「ああ、もはやデフレではないのだ」と
間違った認識を持ち、正しいデフレ対策は打たれなくなります。結果、国民が貧困化する。
 

 宍戸先生が頻繁に取り上げる「マクロ経済モデル」の問題も同様ですが、
狂った羅針盤を使い、正しい道を進める人はいません。
さらに言えば、正しい羅針盤を使うのに加え、「羅針盤を素直に読む」ことも必要です。
 

 羅針盤が明らかに「間違いです」と告げているにも関わらず、
 「想定の範囲内だ。問題ない」
  などと、政治家にやられてしまうと、国民は不幸になります(貧困化します)。
 

 政治家が狂った羅針盤を信じ、あるいは正しい羅針盤のメッセージを素直に読み取らないのであれば、
国民が情報武装するしかありません。
物凄く、面倒な話ではございますが、そうするしかないのです。
そして、その面倒くささに耐えることこそが、「主権者」の責務の一つであると思うわけでございます。

(引用終了)

 

(私のコメント)

>現代の世界は1930年代前半にそっくりです。…

歴史は全て現代史だ、と誰かが言ってますね。
保守だったら先人の苦労を活かすべきでしょう。
1930年昭和5年は金解禁、昭和恐慌が始まった年ですね。
その前の29年昭和4年は米株暴落世界恐慌なのにグローバリズムで恐慌を輸入してしまった。
その上、潰れるような中小企業は潰れたほうが良い、と自由主義競争イデオロギーを強行した。
会社がバタバタつぶれ、農民が困っても想定内だ、て言うんだから今とよく似ている。
この緊縮財政デフレ政策を収拾したのが高橋是清だったのはご承知の通り。
しかし、この後226事件が昭和11年、昭和13年国家総動員法、日米条約破棄と戦争に向かった。
この歴史の流れから色々教訓を汲み取ることは各人各様沢山あるでしょう。
歴史を見る目だって加藤や半藤は全く駄目だから教訓以前に排除しないといけないし。
また、国際的なあがらえない流れとか国体明徴とか複雑な要素もあるから、
教訓と言ってもそんなに単純ではない。
だが、私はイデオロギー羅針盤の見方を狂わしているのではないか、と言う点を指摘したい。
単純に当時のイデオロギー的な流れを見れば、
資本主義的自由主義とそれに対するテロ側の思想(国民は支持した)、
次に是清の財政政策、そして近衛に代表される共産主義(エリート層は支持)。
皆同じ羅針盤を見ているのだが、それぞれのイデオロギーで全く違う政策に行き着く。
そして、改革とか維新とかいう言葉が飛び交い、極端なことを言う奴がもてはやされる。
そしてどんどん国民は不幸になってゆく。

では、今どうすればいいか。
それを書くと三橋さんの受け売りになるから止めますが、一言で言うならやはりまず是清さんでしょう。
そして「国民の幸せ」を基準にイデオロギーにとらわれず実務的実証的に考えたらどうかと思いますがね。
あ、これも三橋さんのうけうりかな。

 

(私のコメント終)