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新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/
(見出し)
財政均衡主義が日本を壊す」

(引用開始)

(前略)
さて、上記の【アベノミクス】でも取り上げましたが、
最近、財務省式「財政均衡主義」に基づく緊縮財政路線が顕著になってきました。
政府支出は削減。消費税は増税。さらに構造改革というわけで、国民を「しばき倒す」政策が推進されています。
 

 緊縮財政+構造改革ということは、要するに橋本政権、
小泉政権の「デフレ化政策」の焼き直しというわけでございます。
 

 我が国では、公共事業、医療、介護など、「そもそも儲からない」ため、
政府が「経世済民」の精神に基づいて提供されなければならないサービスが、
橋本政権以降、容赦なく予算が削られていきました。
(ここでいう「予算が削られる」は、「需要に見合った予算が組まれない」をも含みます)
 

 公共事業公共投資の予算削減が何をもたらしたか。土建大国であったはずの日本国が、
土建小国化しました。
土木・建設分野の供給能力低下により、国民の「防災」という安全保障が、
すでに脅かされている状況にあります。


 ***(中略)
介護サービス費を、
 「国があらかじめ示す上限額以下に抑える」
 「毎年の費用全体の伸び率に、各市町村の75歳以上人口増加率以下という枠をはめる」
  要するに、介護費を抑制する緊縮財政です。
 

 今後、日本の高齢化が進展する以上、介護サービスの需要は増えていきます。
需要の増加率よりも「低く」サービス費を設定するとなると、
当然ながら「働く人一人当たりの予算」は減少することになります。
 

 すなわち、介護サービスで働く方々の賃金が(これまで以上に)抑制され、
人材が流出し、人手不足がさらに深刻化し、最終的には、
 「じゃあ、外国人で」
  の流れが見えるわけです。
 

 そして、介護サービスや土木・建設サービスを先導に外国移民が増えていけば、
日本国民の実質賃金は上昇せず、国民の貧困化と少子化が進むことになるでしょう。
我が国は将来的に、自国民で自国の需要を満たせない発展途上国か、
もしくは外国移民の人口に占める割合が大きい「今とは別の日本」に変貌を遂げることになるでしょう。
 

 そもそも、土木・建設分野にしても、介護分野にしても、
真の意味で人手不足に陥っているわけではありません。
 

 公共事業の労務単価を引き下げた結果、生活保護に流れてしまった土木、
建設分野の元技能工の方々を呼び戻し、介護福祉士・ヘルパーの資格を持っているにも関わらず、
低賃金が理由で働いていない方々に介護サービスに従事して頂く。
技術継承の問題を踏まえ、無業若年層60万人の就業を促進する。
そのためには、労務単価や賃金を引き上げる必要があるわけですが、緊縮財政は真逆の発想です。
 

 最近、「反対のための反対」「批判のための批判」をする暇な方々から、
「予算を増やせって言っても、財源はどうするんだ?」と言われますが、
日本銀行が年間に70兆円も国債を買い取っている国で、何を言っているのでしょうか。
 

 デフレから脱却したら? 当然、名目GDPが成長することで税収が増えます。
デフレ期には「国債発行と通貨発行」、インフレ期には「税収」が財源となるわけです。
(税収弾性値のお話は、明日と明後日)
 

 そんなことは当たり前の話だと思うのですが、
今や「政治家」すら上記の基本を理解していない有様です。
だからこそ、国民一人一人が「解決策」について真剣に考え、問題を投げ出さず、
思考停止に陥ることなく、正しい「議論」を政治家含めてやっていく必要があると思うのです。
 


 

 

(引用終了)

 

(私のコメント)
>最近、財務省式「財政均衡主義」に基づく緊縮財政路線が顕著になってきました。…


これはアベノミクスの第二の矢を完全に引っ込めた、ということだ。
グローバリズムは世界を滅ぼす」という本で中野さんは
財政出動は予算ですので目的が必要です。…
(その目的に必要な)日本をどんな国にしたいのか、そのために政府の予算をどう使うべきなのか、
(という)…議論がない、…つまりどんな日本をめざすのか目的が明らかでない…」
と言っている。
三橋さんはその目的を「国民が安全で豊かになり幸せになる」と定義している。
ここが財務官僚とのズレなのではないか。
ではなぜ財務官僚は頭が良いエリートなのにこれがわからないのか。
中野さんは同じ本の中でエリートは付き合いが狭いと言っている。
前回の三橋さんの話のバイトマン総裁の思想は日本の財務官僚と同じになっている。
これは偶然ではなく、世界中のエリートは繋がっていて
狭い貴族階級を形成しており、そのコンセンサスが財政均衡主義と考えられる。
つまりここでもグローバリズムの弊害とナショナリズムのせめぎ合いが生じている。
「まともな日本再生会議」という本の中で施光恒(せてるひさ)さんが「エリートの反逆」
という本を紹介している。
この本で
「(大衆の反逆の時代は過ぎ)現代はエリートの方こそ社会に責任を負わず、
自国の伝統にも敬意を払わない身勝手な存在になっている」
と指摘している。これが財務官僚の姿かもしれない。
また、日本をどんな国にするのか、その目的を議論するのが政治家の仕事だが、
その政治家が嫌われている。
つまり財政出動にはその目的と言う点で政治家の活動が必要だがそれを極力排除しようとしている。
この背景には新自由主義の「政治の便宜裁量を非常に嫌う」という考え方があるようだ。
これも上記の本で柴山さんがハイエクに対するケインズの批判として話している。
しかし現実を見ると新自由主義の影響で政治家も萎縮しており、財務官僚の走狗に成り下がっているようだ。

また、同じ本で中野さんは「(財務官僚は)…財政出動は景気の悪い時のカンフル剤と考えている…
インフラの整備、国土強靭化には社会目的に必要だからやるというのが本来の財政政策のはずだ。」
とも言っている。
デフレ脱却へ向けての財政出動は戦前の高橋是清井上準之助で答えが出ている。
井上準之助は日銀の超エリートだったが、やはり歴史は繰り返すのだろうか。

 

 

 

 

(私のコメント終)