三橋情報と公教育1408-1-485-8/1メルマガブログ転送

新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/page-2.html

(見出し)
「無情報の読み方と公教育の意味と意義」

(引用開始)

(前略)
 なぜ、「定義せよ!」なのか、典型的な例が、先日の月間三橋の「Q&A」で頂いた質問です。
 「アメリカの借金が1京5千兆円円を超えているそうですが、本当に大丈夫ですか?」
(すみません、うろ覚えですが、こんな感じでした)
  さて、上記の質問を受けたわたくしは、
 「実は、日本の借金も6000兆円を超えているんですよ、あっはっは」
  と、答えたわけですが、お分かりでしょうか。

***(中略)

そもそも、「アメリカ」や「日本」という単語が、上記の用法では「曖昧」ですね。
アメリカにせよ、日本にせよ、「経済主体」は五つあります。
すなわち、政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、家計、そしてNPOです。
 

 上記の「言い回し」が我が国の財政破綻を煽るために使われているならば、
 「日本【政府】の借金が6000兆円ある!」
  と表現しなければならないのですが、その場合は明確な「嘘」になります。
何しろ、日本「政府」の負債は中央政府、地方政府合わせて1158兆円しかありません。
 

 それでは、「日本の借金が6000兆円を超えている!」も嘘になるのでしょうか。
嘘ではありません。政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、家計、
そしてNPOの負債の合計は、14年3月末(速報値)で6103兆円に達しているのです!
 

 大変だ! 「国の借金」が6000兆円を超えている! 破綻するうううぅぅぅっっっっ!!! 
  という話にはなりません。
 

 当たり前ですが、政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、
家計、NPOがお金を借りている(=負債がある)ということは、
反対側に「お金を貸している人」がいるわけです。
日本の政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、家計、NPOにお金を貸しているのは、
主に日本の政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、家計、NPOになります。
 

 政府、金融機関、非金融法人企業(一般企業)、家計、NPOの資産合計は6433兆円です。
日本の場合、対外資産(外国への貸付)が対外負債(外国からの借入)を320兆円上回っているため、
「資産>負債」の関係になっています。
 

 お分かりでしょうが、定義を曖昧にすると、
 「実は、日本の借金も6000兆円を超えているんですよ、あっはっは」
  は別に嘘ではないのです。そして、情報の受け手が「定義を考えない」ことをいいことに、
 「アメリカの借金が1京5千兆円を超えている」(全ての経済主体の負債を合計すれば、
それは超えていると思います)
 「日本の借金も6000兆円を超えている」
  といった「煽り」をしてくる連中がいるわけでございます。
 

 本来は、この手の「情報の読み方」やバランスシート(貸借対照表)について、
学校教育で教えるべきだと思います。とはいえ、現実の学校教育の「改革」は、
そちら側には向かっていないようです。

***(中略)

なぜ、公教育が存在するのでしょうか。それは、教育こそが「国家」を形成する上で、
最も重要な基盤、インフラストラクチャーだからです。
 

 わたくしたち日本国民は、同じ言語で会話し、同じ文化、
伝統、歴史を共有し、数字、単位について同じ「設定」を共有してはじめて、
生活が、ビジネスが、娯楽が、そして安全保障が成り立つわけです。
 

 特に、国民に安全保障を提供する最大の共同体が国家である以上、
教育というインフラストラクチャーは極めて重要です。無論、
 「同じ国民同士が助け合う」
  という気持ちを共有する国民意識ナショナリズム)も、同じ言語、
同じ教育を受けた者同士でなければ、現実には成り立ちません。
(そういう意味で、スペイン語を認め始めた最近のアメリカは危ういと思います)
 

 日本の教育は、確かに不足している部分が少なくないと思います。
健全なナショナリズムを育てる教育はもちろんのこと、
上記に取り上げた「情報の読み方」系の教育も圧倒的に不足です。
(せめて「簿記」の知識だけでも、高校の必須にして欲しいと思います)
 

 学校を民営化し、株式会社(利益を追求する組織)の参入を認めたとして、
教育の「本来の目的」は達せられるでしょうか。あるいは、
上記の不足している部分を補うことができるでしょうか。
  できるかも知れません。とはいえ、できないかも知れません。
 

 特に、株式会社が学校教育という「ビジネス」を提供するとなると、
「利益」を生み出す教育の方向に進む可能性があります。と言いますか、進むでしょう。
 

 そして、「利益追求」と国民の豊かさを追求する「経世済民」は、
必ずしも一致しないのです(常に一致しないわけではありません)。
この不整合について、「学校事業への民間参入」を叫んでいる人たちは、
どのように考えているのでしょうか。
 

 恐らく、何も考えていないのでしょう。
 

 怖いのは、教育の「根本」を変えかねない公設民営学校が、
「国家戦略特区」と文部省により、国会議員による議論なしで
なしくずし的に進められている点です。
同じ問題が、現在は経済政策、労働規制緩和、一部産業の規制緩和
混合診療導入などにも見られます。
 

 すなわち、民主主義のプロセスが無視されているのです。
 

 民主主義のプロセスを無視し、国家の基盤を変えかねない「改革」が進む。危ないです。
 

 特に、本来は「民主主義の無視」について猛反対しなければならない与党の国会議員が、
なかなか声を上げない状況は本当に危険だと思います。、
 「安倍政権が民主主義のプロセスを無視し、民間人中心の産業競争力会議などの主導で
国家の基盤を変えかねない『改革』を推進している」
  という現実は、国会議員として看過できない問題のはずです。
というわけで、国会議員に「無視」をさせないために、
一国民として姦しく声を上げていこうと思います。

 

(引用終了)

 

(私のコメント)

>健全なナショナリズムを育てる教育はもちろんのこと、…

我々は大きな歴史の流れの中に生きているのだからこういう問題を考える時、
タマには俯瞰してみることも必要でしょう。
戦後の我々日本人は敗戦という現実にどう対処したか、と言うと一つは戦前の否定、
もう一つは勝ったアメリカに便乗して勝者に成り代わることだった。
戦前の否定とは丸山真男に代表される「負けたのは日本的なシステムが悪かったからだ」
というもの。
サヨク独特の「あれが悪い、これがわるい、あれさえなければハッピー」「外国よし日本ダメ」理論だ。
アメリカの正義とは早く言えば負けた日本人を捨て、第二アメリカ人になっていまうことだ。
そうすれば敗戦のトラウマも癒せるし日本を捨てる卑怯な後ろめたさも感じない。
戦争というのは正義と正義の争いで勝ったほうは正義を独占できるというのが掟だ。
だから日本人はアメリカの洗脳工作に率先して協力し、自ら洗脳されたふりをしたのだ。
この2つから戦後は個人主義と経済的繁栄、平和主義は最高の価値観と考えられ現在に至っている。
だが上記3つは要するに個人的な私利私欲を偉そうな言葉で言っただけのことだ。
そして現在それが概ね達成されたばかりか爛熟腐敗を始めており、
日本人は何か変だと気づき始めている。
そのために近年改革だの維新だのと叫び始めている。
何がおかしいのかわからないけど、とにかく何か変えなければいけない、と焦っている。
三橋さんの言われるナショナリズム教育はその方向性として正しいと思われる。
「利益を生み出す教育の方向」とは戦後の私利私欲の価値観そのものなわけだ。
だが私利私欲を極端にすれば個人独裁が理想の形だ。
個人独裁の反対は民主主義だが民主主義はナショナリズムのような基本的な共通意識が不可欠だ。
フランス革命フラタニティー、仲間内だけで愛しあおうということで、これが正しいのだ。
ナショナリズム教育はその点で言えば民主主義教育でもあるのだ。
そしてナショナリズム教育が今と大きく違うところは公というものを私利私欲の前に置くと言うことだ。
与党の国会議員はなかなか声を上げない状況というのは公の立場からの信念がないという事ではないか。
冒頭の定義を曖昧にしたキャッチフレーズにみんなが惑わされるのは、
やはり公の基準が曖昧なので流されてしまうからではなかろうか。
では日本人が失ってしまった取り返すべき公の基準とはなんだろう。
私は今のところこれ以上はよくわからないが、それを考えるヒントとして次のようなものを拾ってきた。
公というものをこのような身近なものから考えていく必要があるのではないかと考える。

アメリカ合衆国帰化五条件
1.永住資格取得後5年居住、2.道徳的人格を備えたもの、3.英語が出来ること、
4.国旗、国歌、戦没者に敬意をはらい、アメリカの歴史文化及び政府組織を知る。
5.母国に対する忠誠を放棄し、要請があれば合衆国軍の一員となり、
武器を持って、母国といえども戦うことを誓う。

本当は教育勅語をここに持ってきたかったのだが、受け入れられないだろうと止めました。
しかし、どこも同じ様なものじゃないですか。

 

 


(私のコメント終)