意味ない人生の意味1408-6-490-8/19メルマガブログ転送

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谷田川惣のコラムブック

6月9日

 

 

(見出し)
「意味のない人生に意味が生まれるとき」

(引用開始)
人生に意味はない。

生まれてから死ぬまでの間、ただ生きているだけ。


人間から宗教と歴史をとったらそうなる。

自分探しの自分など永久に見つからない。

見つかったと思っているなら、
 
それは人生に意味のないことを忘れる手段を得たに過ぎない。

何かに夢中になれる人は、
 
その間だけ人生に意味がないことを忘れることができるというだけのこと。

なぜならそれを失ったときに絶望が待ち受ける。


食べていくことで必死のときは人生の意味など考える余裕はないが、
 
三食が満たされたときに人間は人生の意味を考える。

そこで意味のないことに気づいて自殺する者も出てくる。

食べることに困らない日本や、
 
生涯安泰な高福祉国家で自殺者が多いのはそういうこと。

生活が保証されているだけでは人は生きられない。


人生に意味を見出すことができるとすれば、
 
次世代につなぐこと(歴史)か、宗教だけ。

一神教の国では神の教えの下に生きる意味を見出す。


日本のように歴史・伝統がベースにある国では
 
自分が死んでも次につながると思うから人生に意味が生まれる。
 
特攻隊員がそう。

未来の日本人に託すということで、華々しく散っていくことができた。

時間軸という縦糸を次の世代に紡いでいくことで、人の人生に意味が生まれる。
 
そういう意味では日本ほど人生に意味が持てる国はないだろう。
 
神話からつらなる世界最古の歴史を持ち、
 
歴史が途絶えることなく過去・現在・未来と続く。
 
意味のない人生が、世界で一番意味のある人生となる国、
 
それが日本である。

 


(引用終了)


(私のコメント)
人生に意味は無い、ということを時々思い出して見るのは大変有意義だ。
そういう原点から考えて見ると色々なことが分かってくる。
人間は生きている限り常時何か思い浮かばせ、考えているがそれが整理できる。
人の心は何に価値を置くか、何を価値として認めるか、それが浮遊した状態なのだ。
価値はないと言っても、だからと言って価値の喪失、つまりニヒリズムで人は生きられない。
般若心経の「色即是空、空即是色」もそれを言っている。
禅宗の「公案」もそう言う基本を問うている。
禅の脚下照顧、直指人心などという言葉は考え方としては同じだろう。
人生に意味は無い、ということは逆に、では一番意味のあることは何かと聞かれていると同じなのだ。
折角の人生意味のあることをやろう、ということだ。
ではその「意味のあること」とは何か。
上記のブログ主は「時間軸という縦糸を次の世代に紡いでいく」ことだ、と言っている。
それも正しいだろう。
皆それぞれ考えればいいことだが、一つ言えることがある。
それは人は本能的に「人を助ける」話に感動する、ということだ。
落語の人情話などもそう言う内容で人を感動させる。
これはそういう自己犠牲的な何かが本源的な人生の価値観としてある、というものではなかろうか。
但し、人間には自己保存本能というものがあるからまずそれが優先される。
世のため人のため、がなかなか難しいことなので、だからこそ感動を呼ぶのだろうね。
かく云う私はどうかというと、わたしの人生は意味が無いなー、
何とかならんかなー、などと思いながら日々暮らしている。


(私のコメント終)