書評ルーズベルト開戦責任1409-6-502-9/8メルマガブログ転送

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)9月8日(月曜日)弐
     通巻第4330号 

◆書評 ◇しょひょう
ハミルトン・フィッシュ、渡邊惣樹訳『ルーズベルトの開戦責任』(草思社
(見出し)
「ヤルタの密約で東欧、満州、そして中国を失った米国
  「FDRはいったい何のために日本に戦争を仕掛けたのか?」
当時のFDRの最大の政治ライバルが怒りを込めて告発」

(引用開始)

 『太平洋戦争』史観がひっくり返る決定版がでた。本書の出現はおそらく論壇を揺らすだろう。
 真珠湾攻撃ルーズベルトのしかけた陰謀による行為だったことは、いまや歴史学界における常識となりつつあるが、米国ではまだそうした真実を述べると『修正主義』のレッテル貼りが行われる。
日本の卑怯な奇襲という位置づけ、直前のハルノートをFDRは巧妙に隠したが、事実上の対日最後通牒だった史実は徹底的に無視され、米国史学界ではまだルーズベルト陰謀論は主流にはなっていない。
 本書の著者は当時FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)の最大のライバルで、「大統領が最も恐れた」議会共和党の有力者ハミルトン・フィッシュである。
しかもハミルトン・フィッシュはオランダ系移民の名家、FDRの住居のあるNYが、彼の選挙地盤でもあり、実はふたりはそれまでの二十年間、仲が良かった。
共和党の重鎮でもあったハミルトンがFDRと袂を分かったのは、移民によって建国された米国は不干渉主義のくにであり、しかも欧州で展開されていた、あの血なまぐさい宗教戦争に嫌気がさして新天地をもとめてきたピューリタンの末裔が建国したくにであり、その理想からFDRの開戦準備はおおきくはずれているとして、正面から反対したのだ。
しかし、本当のことを知るのはFDRの死後である。
 だからこそ、ハミルトン・フィッシュは、この『ルーズベルトの開戦責任』をFDRならびに関係者の死後まで辛抱強くまち、さらに祖国の若者がまだ戦っているベトナム戦争の終結まで待って、ようやく1976年に刊行したのだった。
そして日本語訳はさらに、原著刊行から38年、じつにFDRの死から70年後、第一次世界大戦から百年後になって、ようやく日の目を見ることになる。

書かれている内容は瞠目すべき諸点を含んでいる。
趣旨はルーズベルト大統領が議会を欺き、真珠湾奇襲の翌日に開戦を議会に求めて、これには当時の共和党指導者としてのハミルトンも賛成演説をせざるを得なかった経緯が詳述されている。
米国の不干渉主義は一夜で覆った。
しかし、けっきょくヤルタの密約で東欧、満州、そして中国を失った米国の悲嘆、FDRはいったい何のために参戦したのか、国益を損なったという怒りをハミルトンが告発したところが本書の特色である。
要は「なにがなんでも戦争をしたかった」のがFDRだったのだ。
余談だが、七月にバンクーバーに行ったおり、評者(宮?)は、渡邊さんから、原書を見せて貰った。すでに翻訳は完成していると言っていた。九月にはやくも刊行にこぎ着けたのは慶賀に堪えない。

 さて本書の重要部分である。
 第一はFDRがおこなったニューディール政策が完全に「失敗」していたという事実を把握しなければならない。このため、社会主義者、共産主義左派がホワイトハウスに潜り込み、「訳の分からない組織が乱立した」(38p)。
 使い放題の資金をばらまく組織が社会主義者らによってオーガナイズされ、それでも経済不況は終わらなかった。
猛烈にFDRは戦争を必要としていた。ウォール街の利害とも一致した。
FDRは「スターリンの友人であるとのべていた。スターリンは世界最悪の殺人者である。FDR自身は確かに共産主義者ではない。彼はキリスト教を信じていた」
ところが、周辺にはコミンテルンのスパイがうようよとしており、FDRの展開した「政策は間違いなく社会主義的であり、我が国の集産主義化あるいは国家社会主義化への地ならしとなるものだった(中略)。この事実はFDRがフェビアン社会主義者であることを示している」

 第二はFDR自らが、殆どの権力を集中させ、議会に知らせずに「日本に対する最後通牒を発した。そして戦争への介入に反対する非干渉主義者を徹底的に迫害した。(中略)FDRは世界の半分をスターリンに献上した。そこには中国も含まれる。それはヤルタでの密約の結果であった」(45p)
 なぜなら「レーニンが立てていた計画の第一段階は東ヨーロッパの共産化であった。それがヤルタ会談で(スターリンはあっけないほど簡単に目標の獲得に)成功したのである。次の狙いが中国の共産化であった。それもスターリンの支援によって成功した」

第三は世界観の誤認であろう。
なぜヤルタ会談でFDRは、そこまでスターリンに譲歩したのか?
「FDRはソビエトに極東方面への参戦を促したかった。満州を含む中国をソビエトに差し上げる。それが条件になったしまった。(中略)戦いでの成果の分配と戦後の和平維持、それがヤルタ会談の目的に筈だった。しかし結果はスターリンの一人勝ちであった。イギリスはその帝国の殆どを失った。アメリカは朝鮮戦争ベトナム戦争の種をヤルタで貰ったようなものだった。戦後三十年に亘る冷戦の原因を造ったのはヤルタ会談だった。ヤルタへの代表団にはただの一人も共和党員が撰ばれていない。中立系の人物も、経済や財政政策の専門家もいなければ、国際法に精通した人物のいなかった」(287p)
つまり病んでいた(肉体的にも精神的にも)FDRの周囲を囲んだスパイらの暗躍とスターリンの工作司令に基づきアメリカの政策を間違った方向へ舵取りし、世紀の謀略の成就に成功したというわけである。

翻訳者の渡邊惣樹氏がまとめの解説をしている。
ルーズベルトの死後、彼の対日外交の詳細と日本の外交暗号解読の実態が次第に明らかになり、ハルノートの存在が露見すると、フィッシュはほぞを噛んだ。窮鼠(日本)に猫を噛ませた(真珠湾攻撃)のはルーズベルトだったことに気づいたのである。彼は、対日宣戦布告を容認する演説を行ったことを深く愧(は)じた。彼はルーズベルトに政治利用され、そして、議席を失った」
本書はアメリカにとって「不都合な真実」が書かれており、いまだにフィッシュは「修正主義」のレッテルを貼られている始末だが、修正主義は左翼のプロパガンダ用語に他ならないのである。
そして総括的読後感はといえばスターリンに騙されたFDRは、ただの政治屋に過ぎず、世紀の陰謀を巡らし、そのためスパイを使いこなしたスターリンはまさに孫子の兵法を見事に実践し、孫子から二千数百年を経て、「出藍の誉れ」の典型的な謀略政治家となったのだ。

 

(引用終了)

(私のコメント)
今、同じ著者による米国側から見た日米歴史を書いた本を読んでいる。
本の題名は「日米衝突の萌芽1898-1918」というのだが、知らなかったことだらけで大変面白い。
主役に一人はセオドア・ルーズベルト大統領で上記に出てくるFDRのおじさんに当たる人だ。
この人はアメリカ太平洋側に安全保障上の不安を持っていた。
まだパナマ運河が出来ていない頃なので、太平洋側に軍艦が殆ど無かった。
むき出しの裸に近い状況だったのだが、そこに日本が日露戦争日本海海戦で大勝利した。
すると、もし万一日本がイギリスなどと連合して攻撃されたらひとたまりもない。
当時は今の常識では考えられないが、アメリカとイギリスは敵対していた。
そこで、大統領はハワイ王国をアメリカ領にしたかったのだ。
そのために、まずスペイン領だったフィリピンを米西戦争のドサクサで領有した。
ただ、アメリカが領有しないと当時海軍力を増強したドイツがそこを狙っていた。
ドイツのウイルヘルム二世は積極的に海外領土を広げようと海軍は中米などにも進出していた。

アメリカは上記書評にもあるように伝統的に不干渉主義で領土的野心は持たない、という良識を持っていた。
当然当時もハワイ併合は議会で反対されるし、フィリピン併合も反対運動があった。
だが、併合しないと当時台頭してきたドイツが支配する事になるので、
止むをえずアメリカの安全保障上併合せざる追えなかった。
当時は未だアメリカはそんなに強い国ではなく陸軍も弱小だったから攻めこまれたらひとたまりもなかった。
ところで当時明治40年頃の日本はアメリカがフィリピン独立運動で20万人も虐殺されるのを横目に見ていた。
民間人が義侠心から古い武器をフィリピン独立派に贈ろうとして失敗し、アメリカから厳重抗議されている。
もうすでにこの時点1900頃に日米衝突は始まっているのだ。
日米の戦いは真珠湾から始まったのではないのだ。
此の本は500ページもある本で当時について非常に詳細に書かれているから読むのに時間がかかる。
しかし、読みだすと止まらないくらいに面白い。
戦後の日本を覆う自虐史観東京裁判史観が如何に馬鹿げたものか、
こういう良い本で明らかになるのは良いことだ。


(私のコメント終)