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ヘイト最高裁判決1412-10-578-12/13

ブログ
http://blog.goo.ne.jp/kuranishimasako
万国時事周覧

(見出し)
「秘密保護法よりも怖いヘイト判決」

(引用開始)

 

ヘイトスピーチ防止へ啓発=世耕官房副長官(時事通信) - goo ニュース
  秘密保護法の施行を受けて、当法律に対する反対意見が散見されますが、日本国民が真に警戒すべきは、最高裁判所が示したヘイトスピーチに関する司法判断なのではないでしょうか。
 
 秘密保護法とは、その目的は、外国のスパイや工作員に日本国の機密情報が漏れることを防ぐことにあり、日本国を守るために制定されています。反対意見の多くは、国民の知る権利が侵害されることを理由としておりますが、国民も誰もが、安全保障上の必要性から国家には機密にすべき情報があることには異論はないはずです。一方、ヘイトスピーチはどうでしょうか。世耕官房副長官は、一昨日、最高裁判所において、在特会に活動の制限と賠償を命じる判決が確定したことに対して、まずは、現行法での対処に好意的な見解を示しています。立法措置が不要ということで、ヘイトスピーチ法規制反対の立場から安堵した方もおられるかもしれませんが、立法なくして、かくも厳しい判決が為されていることこそ恐ろしいことです。秘密保護法は、曲がりなりにも立法措置を講じましたが、ヘイトスピーチに関しては、人種差別撤廃条約といった国際人権法を法源としており(日本国は、二元論を採用しており、国際法を直接適用することができない…)、国内法の明確な根拠なく、行動規制や、実害のない精神的苦痛に対して約1200万円もの懲罰的な賠償が課されております。つまり、裁判官がヘイトスピーチと認定すれば、無制限に懲罰を課すことができるのです。また、この司法判断は、ヘイトスピーチ規制の対象は日本国民による在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチであることを示しており、守る対象は、日本国民ではなく特定の民族です(日本人に対するヘイトスピーチは問題にされない…)。しかも、ヘイトスピーチとされる発言の内容の中心は、朝鮮学校側が、50年間も公園を不法に占拠したことに対する批判なのです。不法占拠による朝鮮学校側の損害賠償責任は、一体、どうなるのでしょうか(こちらの方は、不動産の賃貸料などを基準として、客観的に被害額を算定できる…)。
 
 判決を確定させた最高裁判所の判断こそ、日本国民の言論の自由を抑圧し、日本人を差別したことにおいて、”ヘイト判決”なのではないでしょうか。このような不条理で不公平な判決がまかり通るようでは、日本国の司法は、危機的な状態と言わざるを得ません。14日の国民審査では、日本国民は、最高裁判所判事として相応しいのか、しっかりと裁判官を審査すべきと思うのです。
 
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(引用終了)
(私のコメント)

この判決は要するに在日韓国人朝鮮人に屈服しろ、理不尽なこと法律違反でも言挙げするな、咎め立てはするな、と言う事だ。
究極には日本人を朝鮮人の奴隷にする判決だ。
最高裁判例は非常に影響が大きいから日本社会に原爆を落としたような大きな被害と歪みをもたらすだろう。
判決を読んでいないのではっきりしないのだが、判決の法源を外国との条約に求めているなら正に売国だ。
人類の歴史は戦争の歴史であり、その戦争の原因は主に異民族との戦いだ。
他国と仲良くするのは武器を背中に隠して行うものだ。
自分の仲間とそれ以外は厳密にわけないと直ぐ滅亡か奴隷にされてしまうのが現実だ。
左翼的理想論から言えばだからこそ仲良くしようというのだが、これは甘い。
人間はそういうふうには出来ていない、ということが分からない。
仏教では妬み(人が持っていて自分が持っていないものに対する願望)などの悪い感情を「煩悩(ぼんのう)」というが、
これが無くならない限り戦争の原因は消えないのだ。
だが、煩悩が消えるのは極端に言えば、死んで浄土に言った時で、つまり、人間で無くなった時しか無い。
人間であるかぎり煩悩はなくならないので、こういった類(たぐい)の物を「業」という。
業とか宿命とかは人間にはどうしようもない。
それを無理やり捻じ曲げてやらせようというのが最高裁の判決だ。
仏教では業や宿命をどう解決すると教えているか、見てみよう。
例えば、妬みでも「自分も頑張ろう」と言うように考えれば良い方向に向かえる。
「一隅を照らす、これ国宝」も妬みの気持ちの発展形だろう。
仏教では「喜無量心」と言って相手の幸福を共に喜んであげる心の持ち方を妬みの解毒剤としている。
左翼的理想論は何処が間違っているか、というと理性万能で世間に通用するという考え方だ。
最高裁の判事たちは自分たちが皆より頭がいい、最高の理性を持っている、だから自分たちの言うとおりにしろ、
ということだが理性は神(人間も含む)を超えられないのだ。

しかし、酷い判決が出たものだ。


(私のコメント終)