聖人とコブラ1412-18-586-12/26メルマガブログ転送

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(見出し)
「聖人とコブラ

(引用開始)

韓国で行われているアジア大会で、インドの女子ボクシングの選手が韓国有利のイカサマ判定に抗議して、表彰式で自分の銅メダルを韓国選手の首にかけるという事件がおきました。インドのSarita Devi選手はその際「あなたと韓国人にはこれがふさわしい」と言ったそうで、彼女の夫も「韓国のやり方は非文明的だ」と激怒していました。

Youtubeにアップされた関連動画は短期間のうちに大量のアクセスを集め、インド人はもちろん、タイ人や台湾人などアジア各国人の韓国バッシングの場と化していました。インド人もタイ人もネトウヨというわけです。

ところで、Sarita Deviさんの毅然とした意思表示を見ていて、インドの寓話を思い出したので紹介します。


むかしむかし、インドのベンガル地方のある村でのおはなし。

森に住むどう猛なコブラは、牛飼いや牛をたびたび襲い、村人を苦しめていました。そんなある日、村を訪れた聖人は、村人の嘆きを聞いて森に行きました。

お経を唱えてコブラを呼び出した聖人は、コブラと話をしました。聖人の徳に心打たれたコブラは反省し、二度と咬まないと誓いを立てました。
コブラはもう咬まないと聖人から聞いた村人は、恐る恐る森に行きました。するとコブラは穏やかな様子で村人を襲う気配はありません。コブラに石を投げてみましたが、それでもコブラは抵抗しません。やがて子供たちはコブラをつかんで引きずり回したあげく、振り回して地面に叩きつけ、コブラに大怪我を負わせてしまいました。

しばらくして再び村を訪れた聖人は、コブラは姿を消したと村人から聞いて森に行き、コブラを呼びました。巣穴に隠れていたコブラは聖人の前に姿を見せると、聖人の教えのおかげで心穏やかに暮らしていると感謝しました。

しかし痩せて傷だらけのコブラを見た聖人は、どうしたのかと問い詰めました。怒るという感情を克服し、子供たちに悪意を持たないコブラは、しぶしぶ虐待されたことを明かし、こう言いました。「子供たちは無知なのです。私の変化を知らないだけなのですよ」

これを聞いた聖人は声を荒らげて言いました。「このばか者め!私はおまえに咬むなと言ったが、威嚇するなとは言っていない。なぜシューっと声を出して追い払わなかったのだ?」
これは19世紀のインドの神秘家、ラーマクリシュナの残した寓話と言われています。微妙に違うバージョンもあるので、或いはもっと古くからある昔話なのかもしれませんが、インドではよく知られた寓話です。

いずれにしてもこのお話の教訓は、怒りに身をまかせて感情的に振る舞うのは良くないけれども、それは何をされても黙っているのとは違うということです。不当な仕打ちに対して毅然とした態度を示さなければ、殺されてしまうかもしれないし、相手は無知なままだし、自分の精神も壊れてしまいます。

hiss(シューっと威嚇すること) と bite (咬みつく)は違うことであり、慎まねばならないのはあくまで bite。hiss を忘れると、むしろ社会の調和は壊れてしまうのです。

(引用終了)

(私のコメント)
これは国家間にも言えることでしょうね。
国家と言わすどんな物体でも異物を拒否しなければ存在しえませんから。

そして、拒否しながら、又は拒否するがゆえに仲良くする事はできる。
その時、此処から先は立ち入り禁止という線があってお互いそれを察しながら付き合う。
酒とビールは分かれているからいいので混ざったら美味しくないし、互いの存在否定だからやってはいけないのだ。
その点で「民族共生」などというものが如何に間違っているかが分かる。
アメリカでもヨーロッパでも各民族の住み分けが徐々に始まっている。
世界中で独立国はどんどん増えている。
なお、ブラジルなどは民族の坩堝(るつぼ)と云われるが、それはカトリックがまとめているからだ。
アメリカもアメリカンイデオロギーの国だからまとまっているのだ。
今の日本で民族共生を唱えているのは朝鮮人サヨクだが、彼らにはその方が利益があるのでしょう。
自分たちの卑しい利益追求を隠して崇高な理想論のように見せかけるのは彼らの詐欺の常套手段です。
「疑う、ダマされない」と言う対処方法もコブラの威嚇と同じで絶対必要なものです。
前にも書いたが、嘘というのはコストが掛からない、が、嘘かどうか確かめるのは時間と費用がかかる。
つまり、嘘はノーコストだからどんどん言えるが、検証はコストがかかるから後手に回ったり、面倒だから検証を止めたりする。
そこでシナ人や朝鮮韓国人は嘘も100回言えば真実だ、ということで色々やってくる。
これに対抗するには検証して嘘だとわかったら、そのウソを言った奴は信用せず、嘘付きと認定して相手にしないのだ。
日本人は国土が高い山や早い川に小さく分断され、少人数の村落に分かれて暮らしてきた。
その小さい村落では爪弾きにされると生きて行けない。
だから昔から正直に信用を重んじ、「信用を得たほうが結局得だ」と言う事になった。
しかし、中韓は大陸だから人が入れ替わる。
だから新しい人がどんどんやってくるから嘘をついたほうが得になるのだ。
反面日本は狭くて人の動きも固定化するから正直でやって信用を得たほうがよい。
つまり、各地の地勢や人の生活によって文化が違うのだ。
正直であること、嘘をつかないのが善、というのは世界普遍の原理だが、実際上はそうでもないのだ。
そしてそれでもなお、我々としては、それを目指すのが理想というものだ。
個人の徳目として正直に人を騙さないことを心がけながら、他人に侵されないために威嚇することも必要だ。
「俺はダマされないぞ」ということを示すのもコブラの威嚇だし、
ある場面では「俺はお前より上手に騙すかもしれない」と思わせるのもありかもしれない。
これで民族共生なんてウソを撃退する事が出来るのではないか。
これもコブラの威嚇の寓話の教訓になるだろう。


(私のコメント終)