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新世紀のビッグブラザー
三橋貴明ブログ

(見出し)
「続 国民を助けることが出来ない国家」

(引用開始)

***(前略)

テロリスト・イスラム国の邦人人質事件をめぐり、様々な言説が飛び交っています。
  わたくしが見る限り、人質になられた方について「自己責任」と切り捨て、さらに、
 「人質のパーソナリティや家族(例えば、後藤氏の母親)の特徴を羅列する」
  ことで、安倍総理を庇おうとするパターンが一つ。そして、自己責任論に反発しつつ、
 「安倍総理の外交の失敗である」
  と、反安倍政権という「政治活動」に活用しようとするパターンの二つに、大きく分かれるように思えます。

***(中略)
わたくしには、「安倍政権の責任」論も、「自己責任」論も、共に違和感を禁じ得ません。なぜなら、事は「日本国が、日本国民を救うのか、否か」という、国家の根源的な問題であるためです。
 

 安倍総理イスラエル外交や反イスラム国支援が正しかったのかどうか。あるいは、湯川氏や後藤氏の行動が正しかったのかどうか。あるいは、テロリストに息子を人質に取られた母親が、外国人記者クラブで「反原発」を主張することが正しいのかどうか。
 

 上記は、問題ではないのです。安倍総理の外交がどれだけ失敗だったとしても(「失敗だった」とは書いていません。念のため)、あるいは湯川氏や後藤氏の行動がどれだけ無責任であったとしても、それでも、
 「日本国は日本国民を見捨てない」
  が成立しなければ、我が国が繁栄の下で継続することはないでしょう。

***(中略)
かつての日本は、平時にはどれだけ激しく議論し、争っていたとしても、非常時になれば「国民」が「日本国」のために動く国でした。当然、テロリストに邦人が人質にされたような状況で、
 「自己責任だ!」
  といった話は出てこなかったでしょう。
 

 現在の日本国は、「自己責任論」や「安倍責任論」にかまけるのではなく、
 「どうすれば、人質となっている『同胞』を助けることができるのか」
 「どうすれば、今後、テロリストに邦人が人質になることを防ぐことができるのか」
  について、国民一人一人が考え、議論をしなければならないのです。

***(後略)

(引用終了)


(私のコメント)
>「日本国は日本国民を見捨てない」  が成立しなければ、…
>「国民」が「日本国」のために動く国でした。…

昭和天皇天皇制打倒を叫ぶ共産党員も国民として同じに扱っておられた。
三橋さんは昭和天皇と考えが同じで流石です。
だが、国と国民の関係は上記のような相関関係になっているのではないでしょうか。
つまり、国は国民のために、国民は国のために、と言う関係です。
「人民に由る、人民のための」もそれですし、
民は天皇の大御宝、天皇は民に命に変えても守られる、というのもそれでしょう。
戦後は国のために、と言う考えは悪いことだ、と洗脳されてきた。
逆に国に対しして権利だけは主張し、自分が不幸なのは国のせいだ、と言う考えが主流になった。
国と国民を対立的に捉えるのが正しいとされてきた。
今回の人質の人は国に迷惑がかかるのは何とも思っていないようだ。
だから、そういう人に対し、自己責任だろ、というのも私はわかる。
一般の日本人は同胞意識もなく同胞に迷惑を掛けることを何とも思わない人に情けをかけられないのだ。
但し、国家が自己責任を言ってはいけない、ということははっきりしている。
それを言うと売国奴竹中さんの新自由主義と同じになってしまう。
また、戦後の洗脳教育を正して国家というものの為に動く事を日本人は考えないといけない時に来たようだ。
駄菓子菓子、反発覚悟だが、どーも今回の問題は、もうひとつ納得がいかない。
イラク三馬鹿事件とパターンが同じだし、後ろでうごめく人も似ている。
つまり、「国は国民を助ける」ということを逆に悪用して国を攻撃している集団が後ろにいるらしい。
丁度「人権」を武器に国をやっつけようとする勢力に似ている。
彼らは本当に国民として同胞なのか、助けるべき仲間(フラタニティ)なのか。
もしかすると日本人に害を及ぼす敵なんじゃないのか。
ルーピーさんが「日本は日本人だけのものじゃない」といったが、日本人を敵と見る日本人もうようよいる。
現実をもう少し見ていかないと分からないが、単純に助ける、と言っても一筋縄ではいかないような気持ちが残る。

(私のコメント終)