ピケティと格差社会1502-11-619-2/16

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「国家戦略特区」blog

(見出し)
『トマ・ピケティ「21世紀の資本」要約の要約の要約』

 

(引用開始)

***(前略)


『忙しい人のための「21世紀の資本」ダイジェスト』

非常に簡単の述べると、ピケティの業績は、過去二百数十年間の世界の経済成長などの統計データを収拾し、富の集中の推移を明らかにしたという事に尽きます。何となく、イメージで掴んでいた事をデータの裏付けによって、示したという点が大きいのです。しかもデータはネット上にて無料で閲覧出来ます。

『金持ちはより金持ちへ、これが資本主義だ!』

額に汗して働くよりも、資本を運用して利息を得る不労所得の方が儲かる。ピケティが明らかにした不都合な真実は、正直いえばコレだけです。それが続けば、格差が拡大するのも自明です。しかも親から子に財産も相続されますので、時間が経てば経つほど、貧富の差は拡大して行きます。有名な(r)>(g)です。

『経済成長と金儲けの比率』

面白いのは、ピケティによると、産業革命以前の経済成長率は、年0.1%とほぼゼロ成長だったそうです。要するに有限な経済を皆で奪い合っていたような社会だったのです。ところが産業革命の技術核心によって経済成長率が向上し、1%台後半から2%の経済成長が達成できる様になります。

産業革命で格差が拡大』

これに対して、資本の利益率は不思議なもので、いつの時代でも平均すると4%から5%になるそうです。経済成長が2%くらいですので格差は当然、拡大します。トリクルダウン仮説など全くのデタラメである事が、ピケティのデータからハッキリしたのです。貧富の格差は時間が経てば経つほどドンドン拡大します。

『格差が極限迄広がり世界戦争が勃発した!』

結果として注目に値するのは、第一次世界大戦前に格差が極限まで広がっていた点です。第一次世界大戦ロシア革命世界恐慌第二次世界大戦と激動の時代を経過して、格差が相当に縮小された事実をピケティは明らかにしました。興味深いのは米国は比較的格差が少なかった点です。

『格差が解消した理由』

ピケティは、戦争による資本の直接的な破壊の外、株の暴落、戦争のための財政拡大によるインフレ、戦費調達の為の富裕層に対する増税など、インフレ対策としての資本の利子率の抑制など、つまり富裕層の資産を目減りさせたり、お金を巻上げたりするなどの格差縮小の再分配政策がドンドン行われました。

『中間所得層が経済を牽引』

ピケティによると、これらの政策の結果、格差が解消して、いわゆる中間所得層が勃興すると、更にこれが経済を牽引し、経済成長率が高まり更に格差が解消するという好循環が、1970年代迄世界的に起きていたようです。日本の一億総中流社会はその最たる成功例と考えて良いでしょう。

ネオリベ政策で再び格差が拡大』

ところが新自由主義(=ネオリベ思想)が勃興し、資本主義のライバルであった共産主義が崩壊すると、再び格差が拡大し今日に到るという流れをピケティは明らかにしました。ピケティは今後は更に格差が拡大すると警告し、資産や富裕層への課税を強化するなど、格差縮小を目指すべきと主張しています。

『おバカな成長か再分配かの議論』

ネット上では早速、ピケティ・ブームに乗っかって、格差を放置して経済成長を目指すか、格差解消のための再分配を重視すべきかと、おバカな二者択一の意見が出ていますが、全く馬鹿馬鹿しい限りです。十数年間デフレに苦しめされて来た我々には、もう答が見えているハズです。

「ピケティ論争」いま必要なのは成長か、再分配か

『経済成長と再分配の両立が必要』

現在の日本は名目GDPの成長が止まった状態ですので、産業革命以前の社会に戻ってしまったとも考えられます。
先ずは、この成長率を2%程度に戻す必要があるでしょう。
これにインフレ率2%を加えれば名目GDPの成長率は年4%程度に回復します。
デフレを退治することが日本にとっては必須です。

『デフレ退治と格差縮小を目指せ!』

安倍政権は金融緩和でのデフレ脱却を目指しましたが失敗に終りました。必要なのは公共投資などの財政政策です。格差拡大の元凶である8%の消費税なども直ちに廃止すベキです。更に移民=外国人材の厳しい規制を行うことで、人件費を高騰させれば、人口減社会の日本では格差縮小の大きなパワーになるハズです。

 

 


(引用終了)

(私のコメント)

別のブログに書かれてあったのだが、18,19世紀の小説などを見ると、遺産相続のもつれの話が多い。
これは経済成長率が低いため、働いても皆その日暮らしがようやくで、財産形成が出来ない社会状況を示している。
有名な「小公子」「小公女」の物語も遺産が絡む話だ。
遺産によって財産を取得したら、それを運用したほうが額に汗して働くより収入が多い社会だ。
こういう社会は、当然ながら貧富の差はどんどん広がってゆく。
昔、「日の当たる場所」という映画があって、若いころのエリザベス・テイラーが出ていた。
この映画のあらすじは、タバコ工場に勤める若い男が女工と恋仲になったのだが、
その工場主の大金持ちの娘とも仲良くなり、ついに女工を殺してしまう話だ。
工員だったら一生うだつがあがらない閉塞感がやりきれない悲劇を生んだのだ。
しかし、観客は若い男を一概に非難できない閉塞感の共通認識があったのだ。
こういう閉塞的な貧富差社会を元に共産主義は生まれてきたのだ。
共産主義は貧富差社会を無くすにはどうしたらいいか、という問題設定の部分では正しかったのだが、
この解決方法として考えた処方箋が間違っていたのだ。
つまり、極端に言えば、資本主義を全部抜本的に止めてしまえ、というのだが、
こういう更地にして設計するという考え方は何につけてもやってはいけないのだ。
20世紀は共産主義的又は社会主義的処方箋を実験して1億人以上の虐殺者を出してそれらの間違いを証明した。
共産主義の勃興を見た資本主義も共産主義に対向するため、格差を無くすように処方箋を書いた。
この処方箋は資本主義の中に社会保障などの社会主義的政策を取り込むことだった。
そして、このやり方は共産主義に打ち勝って世界はこの方向に進むことになった。
抜本的改革より現行を改善したほうが断然うまくいくのだ。
だが、その後、共産主義が失敗に終わって、否定されると、修正資本主義の側にも変化が現れた。
つまり、資本主義に取り入れられた社会主義的政策も悪いものだから排除しろ、という考え方が出て来た。
それが「新自由主義」と言われるもので、自由の為に格差は受け入れるべきものだ、という。
せっかくケインズなどの修正資本主義で、うまく行ったのにそれをまた金持ち有利に戻そうとしている。
今の安倍政権はこの新自由主義にかぶれていて、日本を悪い方向に向かわせている。
その結果今の日本はデフレだが、デフレは遺産の価値を昔と同じように非常に大きくさせている。
逆に額に汗して働く価値を徹底的に貶めている。
「日の当たる場所」のような悲劇を起こさせないためにも、デフレを止める政策をやるべきだ。
それにはまず新自由主義を止めるのが手始めになるだろう。
そして、国債を大胆に発行し、ということはつまり、いわゆる「国の借金」(これはウソ)を増やし、大々的に公共投資を行い、消費税を廃止し、移民の言い換えである外国人の就業を禁止し、構造改革と称するアメリカ自由化を阻止し、農業などは逆に保護し、法人税所得税累進課税を強化すべきなのだ。
つまり、安倍政権がやっていることの全てを逆にやればいいのだ。
ということは安倍が頑張る限り、今後も貧富の差は広がり、遺産の有無が幸せな人生の鍵と成り、
労働は苦しいだけで幸せに繋がらない、外国人がのさばって日本人は片隅に追いやられる社会がつづく、ということなのだろう。

 

 

(私のコメント終)