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"Let it go"と「ありのまま」の違い
小野昌弘
イギリス在住の免疫学者・医師

 

(引用開始)


ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の主題歌、「Let it go ありのままで」が映画とともに大変な人気なようだが、この歌の訳が原義とずれていて、その英語と日本語の違いが興味深いので少し詳しく書いてみた。
 
“Let it go”とは、怒りや不安でさいなまれている人に、そんなことは忘れてしまいなさいよ(“forget about it”)、と呼びかける言葉だ(注1)。だが、忘れてしまえといっても、コンピューターのキーをおして消去するように記憶を消してしまうことはできない。「忘れてしまう」こと「気にしない」ということの中身は、自分自身に怒りや不安を起こさせるような嫌なことを無視できる力を持つこと、耐性力をつけることだ。そうすることで、脳の中には記憶そのものが残っていても、「気にしない」こと、「忘れてしまう」ことができる。これが”let it go”の中身なのだ。
 
積極的に自分が耐性力をつけることで、嫌なことが自分に影響力を持たないようにする。嫌なことを自分の力でどこかにやってしまう。これはポジティブな力だ。だから“Let it go”には元気づける力がある。この歌が映画の主要な原動力になり、それで歌と映画に爆発的な人気が出たということは、それだけ怒りや不安を感じながら生きている人が多い時代だとも言える。
 
ところで「ありのままに」というのは、日本語の中で、少し違ったニュアンスで人々をひきつける言葉だ。「ありのままに」は「無垢さ」とも強く関連して、今の日本ではポジティブにとられる言葉だろう。このことは、「無垢さ」に相当する英単語”naive”が大変否定的なニュアンスをもつこととは対照的だ。たとえば、自分のパートナーに「ありのままの自分を受け入れてほしい」というのは、しばしば今の日本社会で特に若者にみられる幻想だろう。自分のそのままの成長していない、赤ちゃんのような状態で評価されるとしたら、それほど楽なことはない。努力をして自分を成長させることで、より高い人格になろうという進歩的な考えはそこにはない。
 
”Let it go”は「無垢さ」とは無縁の言葉で、その意味で「ありのまま」とはかなり違う。ただ、自分の属性の一部(たとえば体型・顔・性格など)が自分に嫌な気持ちを起こさせる原因になっている場合、それを「忘れてしまう」ことは「ありのまま」の自分を受け入れるということと似ている。実際、日本社会特有の束縛から外れて自分の思うように生きようとすることを、「ありのままに生きる」と言うことがある。おそらく歌の訳者は、こうした意味をくんで訳をあてたのであろう。映画『アナと雪の女王』のエルサは、自分の魔力を(心理学的な意味で)抑圧して生きて来たが、”let it go”を歌い、その魔力をもっているということが普通ではないことを「忘れて」、それが人に恐怖を与えるということを「気にしない」ようになる。つまり、自分のそうした属性を受け入れる。そして、まるで天の岩戸の神話(天照大神が怒りのため岩戸に籠った神話)のように、深い山中に築いた自分の城に籠る。
 
こう考えてくると、どうもエルサは「ありのままに」なったのではないようだということに気がつくだろう。「ありのまま」の自分を受け入れたひとが、山中に籠る必要はない。映画のエルサは、”let it go”により、もはや自分の魔力を気にすることをやめることで、その力の暗い側面が人に知られることを気にしないようになったまでであり、”let it go”という思い切りにより、むしろ悪魔的になったともいえる。これはエルサの人格成長の最終段階ではない。しかし成長して大人になるためにはどうしても通らなければならない、自分の可能性を積極的に認めるという段階といえる。だからこそ、映画の話は「let it go ありのままに」の歌の場面では終わらない。
 
ところで日本語の「ありのまま」は、「自分探し」とも関わって、それはそれで重荷になる言葉だと思う。「ありのまま」という言葉に決定的に欠けているのは、社会との関係だ。実際には人格というものは、社会および自分との関係の中で形成されていくものだ。「ありのまま」という言葉はしばしば人格形成の文脈で使われるが、これは根本的に間違っていると思う。人格形成のために自分の中だけで「ありのままの自分」探しをしても、論理的に見つかりえない。もし見つかったとしたら、それは間違いなく幻想だ。こうした作業を厳密にやるひとほど、その行為と結果に落胆することになる。(もっとも、いわゆる「自分探し」については、その見つからないという作業そのものの中に価値を見出す人も多いかもしれないが)
 
“Let it go”の歌が教えてくれることは、人より少し強い力をもっているがゆえに自分が社会と適合しないのではないかと不安でさいなまれている人がいたら(それが特に自分自身であったときに)、「そんなことは忘れてしまいなさいよ」「気にしなさんな」と言ってあげよう、ということだ。そうすることで、その人は自分がためらっていた力を存分に発揮できるようになる。
 
このように”Let it go”には含まれているのに「ありのままに」は含まれていないものが、まさに今の日本の社会で欠けている要素の一つのように思えてならない。

(引用終了)

(私のコメント)
「ありのまま」「在るが儘」と言う考え方は日本人が古来から持っている考え方だ。
精神病治療の一つに「森田療法」というのがある。
これは戦前森田正馬博士が神経症の患者に施した治療法で、「在るが儘」に生きよ、と指導した。
これは禅の思想にも通じる思想で、多くの人の共感を得た。
だが、治療法としては結果はイマイチだったようだ。
弊害もあって批判も多いが、現在も行われている。
江戸落語に出てくる江戸っ子の「五月の鯉の吹流し」という気風の良さなんかも「あるがまま」を体現したものだろう。
その代わり、「ありのまま」だと他人との摩擦が増えて「火事と喧嘩は江戸の華」というように喧嘩は増えるんじゃないか。
要するに神経症のようなものは「考えすぎ」でほとんど妄想だから考えることを止めて行動しろ、ということでしょう。
でも分かっていても考えてしまうのが神経症なのだから却ってこだわりが強くなるような弊害もあるという。
ここでは神経症の話に深入りしないが、日本人が考える「ありのまま」と「アナ雪」のLet it goとは上記の解説の通り違うだろう。
東洋と西洋、特に日本文化とは上記のように同じに見えても全く違うことがある、ということを知っておいたほうがいい。


(私のコメント終)