1507-1-721-7/1メルマガブログ転送共産主義の亡霊
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よもぎ猫です
(見出し)
オバケは死なない 共産主義の亡霊
(引用開始)
(前略)
先々週(6月21日)、大通り公園の薔薇園を見に行ったら、…何とも懐かしい集団がいました。
***(中略)
…その我が青春の思い出とも言うべきゲバ棒学生が、何と目の前にいるのです。
ワタシは懐かしさと好奇心で、近づいてみました。
しかし近づくと何とも悲しいものがありました。
ヘルメットと覆面とサングラスと言う姿は、懐かしのゲバ棒学生そのものですが、近づくと全身から老いが滲み出ています。
全身をキッチリ覆っても、体つきや挙措動作で老いは隠せないのです。
そしてヘルメットから白髪がはみ出している人もいました。
こうなると、斉藤別当実盛、最後の出陣の悲壮です。
これが我が青春時代、マスコミを賑わした、純真で理想に燃えたエリート青年達の今の姿だったのです。
70年代彼等が望んだのは社会主義暴力革命でした。
当時ソ連始め社会主義国家は強大で、マスコミは常にこれらの国々を礼賛していました。
我が家ではワタシが生まれる前から朝日新聞を購読していたので、中学生になったワタシが新聞を読み始めた頃は、
毎日ベトナム戦争に対するアメリカへの非難、文化大革命の礼賛記事が載っていました。
しかしこの社会主義礼賛は日本だけでなく、ヨーロッパでも結構盛んで、
フランスやイタリアでは共産党が結構な議席を取っていました。
だから暴力革命はともかく、欧米先進国での社会主義政権の成立もまんざら夢や妄想でなさそうなムードではありました。
けれども一方で子供心に、何か違和感もありました。 なぜなら新聞やテレビはひたすら共産主義社会を礼賛するのですが、しかし不思議なことに社会主義国家に行きたい人は全然いないようでした。
***(中略)
共産主義国家から資本主義国家への亡命は命懸けでした。 一方、資本主義国家から共産主義国家へ亡命するのって凄く簡単なのです。
それなのに何で行かないの?
自分の住んでいる国を無理矢理、共産主義国家に変えるより、自分が共産主義国家に行った方が余程簡単ではありませんか?
そうやって資本主義の好きな人は資本主義国に住み、共産主義の好きな人は共産主義国に住む事にすれば良いではありませんか?
***(中略)
ワタシは中学生の頃からそう考えていたのです。
しかしこの不思議が解けたのは、去年事です。 以前にもこのブログで紹介した田原総一郎の記事を読んで、この謎が解けたのです。
もう一度ここで紹介しますね。
田原総一朗「右傾化は断固阻止。ジャーナリズムは独立せよ」〈週刊朝日〉
***(中略)
若いときは、時代の趨勢(すうせい)もあって、変革とは社会を左に揺さぶることだと考えていた。ざっくり言えば資本主義の社会を、社会主義の社会に変えることであった。ソ連や中国の社会主義が誤りであることは百も承知しながらも、左に揺さぶることで新しい地平が開けるのではないかと、いまにして思えば夢を見ていたのである。
だが、70年代には左に揺さぶっても展望がないことがわかり、社会が、そして少なからぬマスメディアが左に揺さぶる夢に浸っているのにいら立ち、懸命に引きはがそうとした。それこそがリベラルの使命だと考えていた。
そして90年代に入ると、ほとんどの人間が社会主義の夢から覚めた。現実主義、というよりも現状肯定となった。そして、左に取って代わるように、右への揺さぶりが、とくに若い世代に夢と映るようになってきたのではないか。
***(中略)
繰り返し記す。右傾化とは、まぎれもなく変革なのである。そして右傾化に対応するには右傾化でない変革の具体案を提示する必要がある。
昨年7月の参院選挙のとき、私は全野党の代表たちに「アベノミクスの批判ではなく、海江田ミクス、渡辺ミクス、橋下ミクスなど具体案を出すべきだ」と、しつこく主張したが、結局、批判しかできずに、野党は惨敗した。
高度成長の時代ならば、国民の多くは「批判」に耳を傾ける余裕があったが、失われた20年を経て、国民の多くは批判に関心を持つ余裕がなくなり、具体的な対案を強く求めるようになっているのである。
私のような年寄りは、右傾化を断固阻止する。たとえ、自民党の憲法改正草案にあるように「公益及び公の秩序に反し」て新しい憲法の下で罰されようと、言論・表現の自由を行使する。ジャーナリズムは「中立・公平」などではなく、インディペンデントであらねばならないのだ。
しかし、いくら私がこのように叫び立てても、若い世代は聞く耳も持ってくれないのではないか。
※週刊朝日 2014年3月14日号
ワタシはこれを読んで心底呆れたのです。
だってワタシはそれまで学生運動やその他革新派と言われた人達は、自分達が目指す理想社会があって、それに向かって変革をしようとしていると思っていたのです。
社会主義暴力革命を目指すと言うなら、当然「社会主義国家が理想国家と信じている」と思っていたのです。
しかし田原の記事を読むと、田原が社会を変革したい、「日本をゆすぶりたい」と願っている事はわかりますが、しかし何の為にそんなことをしたいのか? それでどんな社会を作りたいのか?
そんなプランは一切ない事は明らかではありませんか?
どのような変革をすればより良い社会になるのは全然わからない。
けれども変革はしたい。
右傾化は気に入らない。
現状維持は気にらない。
その為にひたすら現状の否定の為に活動する。
共産主義を振り回したのも、そんなモノを信じていたからでもなんでもなくて、唯当時は現実に共産主義国家と言うのがあって、とりあえずそのモデルを看板に借りただけだと言うのです。
なるほどこれなら田原と同類だった学生運動家達が、絶対ソ連亡命などしないわけです。
***(中略)
ワタシは田原等のこような姿勢は、人間として非常恥かしい事だと思います。
だって建築業者がこれをやればリフォーム詐欺です。
***(中略)
しかし大変驚いた事ですが、田原も田原の仲間達も、こうした行動は恥ずかしいとか、社会の迷惑だとかとは全然考えていないようでした。
それどころか本人達は自分を何か大変立派なことをしている闘士のように考えているようです。 彼等がそのように思えるのは実は、これに同調する人間が多数いるからでしょう。
なぜなら人間は誰でも、社会に何かしら不満を持っています。 また誰でも「こんな世の中、ひっくり返ってしまえば良い」と思う時だってあるからです。
彼等は人間のこのような暗黒面にとりいり、そこに憑りつくのです。
本当に共産主義を理想と信じる人々であれば、共産主義社会の崩壊を見れば、その理想を捨てざるを得ません。
しかし田原のように最初から、社会を強請るネタとして利用するだけの人間であれば、共産主義国家の崩壊など何の意味もないのです。
最初から活きた理想、実現を目指す理想ではないのだから、何があろうとその理想は死にません。
共産主義は彼等にとって、権力妄想を顕在化したオバケにすぎないのです。
だから共産主義国家が崩壊してもなお何十年も、老残の身で暴力革命を喚き続けるのです。
オバケは死なないのです。
そしてこのオバケを中国が操っています。 こして大国に操られる事が、田原等にすれば堪らない快感なのでしょう。
おお、またオレタチの存在を認められた!!
オレタチの時代が来た!!
こうしたオバケを完全に調伏する事は不可能でしょう。 なぜなら彼等は人間が常に社会に持つ悪意と不満そのものだからです。
しかしワタシ達はこれが悪霊であることを知れば、コントロールする事は可能ではないでしょうか?
***(後略)
(引用終了)
(私のコメント)
英国の名宰相マーガレットサッチャーは「共産主義とは嫉妬である」といった。
フランス革命の精神的支柱となったアンリ・ルソーもロシア革命のカール・マルクスも性格破綻者で
回りから嫌われていた。
社会的に適応できず自分が不遇であることを世の中のせいにして怨念があったようだ。
どちらの革命も膨大な殺人が行われて最後は瓦解した。
戦前の日本もマルクス主義は蔓延し、東大などは左翼同志で内ゲバをやっていた。
彼らは「革命さえ起きれば幸せな良い国ができる(自分に都合がいい国)」と信じて革命が起きるのを夢見ていた。
なぜ革命が起きたらよい国になるのか、因果関係は曖昧というよりも無かった、と言っていいだろう。
まあ、根拠らいしいのはマルクスが資本論で「革命が起きて理想の労働者の国ができるのは歴史の必然の流れだ」
と言っているからのようだ。
歴史に必然の流れなど無いのは自明の理で、信じるかどうかの話だから共産主義とは宗教だったのだ。
歴史の必然なら黙ってじっとしていればそのうち革命が起きて理想の国になるはずだ。
ところがその後、一向に革命が起きない。
労働争議は起きるのだが、資本家が譲歩して賃金を上げると、労働者は満足してしまい、革命など起こさないのだ。
それでマルクスなどを勉強した知識人が革命を煽動するようになった。
先生や学生など知識人は頭が良い割には社会で恵まれていない。
左翼の考え方の基本は「あれが悪い、これが悪い、あれさえなければ、これさえなければ」というものだ。
それが恵まれない知識人マルキストの無意識の行動原理になっている。
悪いことに彼ら自身はそれを極めて理性的に論理的に行動していると信じていることだ。
ユングが言うように人間は70%は無意識で出来ており、そこで考えたことを意識に登らせているだけだ。
日本のマルキストは革命が起きない理由を日本の歴史文化伝統が邪魔しているからだ、と考えた。
そこで、「敗戦革命理論」を思いつき、日米戦争を起こさせ、日本を滅亡させたら革命が起きる、と考えた。
戦前の朝日新聞などは日米戦争を煽って世論を戦争に追い立てた。
朝日新聞は戦犯としては超A級なのだ。
今の日本はその通り推移しているのだが、革命は起きず、片方ではアメリカナイズ、片方では日本伝統文化で生きている。
外形的には第二アメリカ、内容は日本ということだ。
そして左翼もさらなる革命を夢見て生き残っている、というわけだ。
歴史の流れを理解して今の世の中を見ると分からなかったことが見えてくる。
これが歴史を学ぶ理由だ。
(私のコメント終)