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http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001
BBの覚醒記録

(見出し)
美智子様入内(じゅだい)にキリスト教共産主義者グループの暗躍あり。
(引用開始)

(前略)

雅子さん入内工作が分かりやすいのに引き換え、長きに渡り拙ブログ主も見落としていたのが美智子様入内の背景です。「A級戦犯」ご発言と、元GHQメンバーへの賛辞と共感などがいぶかしく、調べてみたら皇后陛下の入内に際しては、偶然の粋をはるかに超えて、キリスト教徒たちが関わっていることを発見しました。いえ、偶然の粋を超えてというより、全員がキリスト教徒たちなのです。プロテスタントカトリックを問いませんが、ほぼカトリック寄りです。プロテスタントでも教義がカトリック寄りのほう。(キリスト教貶めではないので、誤解無きよう。手段として使われた場合、宗教が邪悪な側面を持つことは歴史の真実です)
 
そもそも日本/皇室弱体化を狙ったGHQが手段として使ったのがキリスト教だったのです。皇室の根幹、神道の弱体化狙いです。
二重橋を初めてキリスト教徒とバイブルが渡りました。そして、大目的は次代の天皇である明仁皇太子の洗脳です。クェーカー教徒がべったりと、皇太子に張り付き、「ジミー」と皇太子を呼んで、西欧式の価値観を刷り込みつつ、一方GHQは、戦犯たちの処刑を皇太子の誕生日にぶつけて、恫喝したわけです。
下手な考えを持つと、お前もお前の一族も吊るすぞ、という無言の威嚇です。


(中略)
本題に入ります。
 
日本の敗戦も、天皇制存続もGHQの前身であるOSSでとっくに決まっていたことです。
 
http://hidemichitanaka.net/column/single/110727/
 
OSSとは何か? ↑
 
《民主主義化の名で呼ばれ、国民の大半がそれと信じてゐた日本の戦後改革は、実は隠れ共産主義者F・ローズベルトを淵源とする米国戦略情報局の、日本改造計画の実現だった。その真相をつきとめた本書により、戦後史の根本的書換へがはじまる》。
 
http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=25
 
(優れたOSS解説サイトで↑、憲法論もまっとうです)
 
大雑把な言い方をするとGHQ憲法擁護の両陛下は、GHQ派です。
 
ルーズベルトは、実は隠れ共産主義者でした。彼の描いたシナリオには、日本の敗戦とともに、日本国の共産主義化というのがありました。
キリスト教と共に、共産主義が占領軍の日本制覇の2大ツールだったのです。
 
OSSGHQメンバーには多く隠れ共産主義者が潜んでいたのです。
共産主義カトリックとは水と油ですが、プロテスタントとはそうでもありません。
ここらへん相反するもの同士が複雑に絡まり合いながら、物事が進行していくので短稿では述べきれません。
 
当初は日本と皇室の共産主義化でプロジェクトが進められていたのですが、ルーズベルトの死去により物事は複雑化して、そのうち赤狩りが始まります。
平行して愛国主義者たちが、公職追放されて行きます。
 
GHQの方向転換は、米ソの冷戦がきっかけですが、一度植え込んだ皇室弱体化ウィルスは増殖しつつ、現在まで作動しています。
 
ちなみに、終戦以降の外務省の歴史は国賊の歴史です。つまり、GHQの日本弱体化政策に忠実な者が出世階段を駆け上り、愛国者は切り捨てられて行ったのです。出世頭が小和田恒氏であり、あの時代に出世頭たり得たということは彼が、反日主義であったということを意味するのは解るでしょうか。
そして、その娘の入内が必ずしも皇室と日本の為の価値観になされたものではないこと、美智子様の入内と同じことです。

 

(中略)

美智子さまの生家、正田家がカトリック教徒であることは有名ですが、正田家をカトリックへと導いたのは、ジョセフ・フロジャックというフランス人神父であり、この神父が皇居へも出入りしていたところを見ると、GHQの息がかかった工作員神父であったと見做して間違いないでしょう。この神父の足跡は、細かいところまで記述されているのに、正田家と関わっていたことや、皇居に出入りしていたことは、見事に欠落していて、実はその欠落の中にこそ歴史の真実があります。
知られてはまずいから、歴史から削除され、そこにこそ着目すべきです。
 
 
 
フロジャック神父は「美智子さん」の入内に関して「自分がなした業績の中で最大のもの」と、言っていることが関連書物に述べられていて、そこには正田家の「美智子さん」にとっては父方祖母が言葉を寄せています。それほど、フロジャック神父と正田家は密接でした。
 
美智子様入内の立役者はこのジョセフ・フロジャック神父でしたが、表立って動いた人たちが例外なく全てキリスト教徒たちです。彼らは、テニスコートでの出会いからプロデュースして今上陛下と美智子様の出会いの場を、偶然を演出しつつ作っています。
 
長くなるので端折りますが、皇室弱体化のために使われたキリスト教なのですが、それとワンセットで実は共産主義が絡まっていたのだ、と検証してくださったのは読者さんで、次にその文章を載せます。ただし、皇室論でも上級編に属することなので、いきなりは無理かもしれません。便宜のために色文字にしておくので、そこだけつまみ読みしても大丈夫です。

(中略)

 以下が読者から寄せられたコメント文です。
 


リベラルどころかコミンテルン。マスコミも掌握済の御入内。
 
2015-08-25 20:36:17
 
*む子
 
 
 
A級戦犯」ご発言の皇后陛下に...
 

美智子妃入内の宮内庁立役者3人をはじめ、天皇皇后を取り巻く人材がほとんどクリスチャンだったことも、既にBB様は記事にされ、本記事にてもフロジャック神父やカトリック信徒との深き交流を重ねて言及くださっております。が…

更に知って驚いたのは、
その取巻くクリスチャン達が「コミュニスト風味」で、あろうことかコミンテルン・スパイに辿り着く人脈であること。

『論文 後藤新平から見た日本の赤い系譜 日本研究所 研究員 西智美』
http://www.jpni.jp/column/1
(過去記事での、いささか しょっくなので (Unknown)様がコメントにご提示のリンク先でした。)

クリスチャンが左寄りになる事はありがちですが、ここまで真っ赤っかに染まった人物達とは…しかも、後藤新平を起点に、その部下新渡戸稲造の門下生としての系譜も重なり、鶴見家、前田多門家、宮内庁田島・三谷も合わせて、皆縁故関係。共産主義者以外に会わないスターリンが2度も会った後藤新平と直接の関係もある。幾つもの左巻き勉強会のメンバーとして共に名を連ね…

まず、新渡戸稲造は、
後藤新平が抜擢したところから鯉の滝登り。
「武士道」を著し、国際連盟事務次長の時には人種的差別撤廃提案を出すなど、歴史的な功績がありますが。賛意を得た人種差別撤廃案を、議長の米国大統領がひっくり返した横暴さに辟易し、思想的にも最後通牒となったのか?帰国後、「僕はムッソリニはワシントン以上の人だと思ふ」「僕は所謂デモクラシーに愛想をつかしてゐる」などの発言があり、マルクス・レーニン主義寄りとの指摘があります。

この新渡戸稲造門下生の中で「新渡戸四天王」と呼ばれたのが、
鶴見祐輔、前田多門、岩永裕吉、田島道治
GHQのご意向を実現した、負?の功労者の皆様です。

特に…
鶴見俊輔・和子~~都留重人~~ハリー・ホワイト、H,・ノーマン、鈴木安蔵木戸幸一

このラインは、半端無くやばい!
ハルノートを改竄し日本を戦争に追込んだホワイトを筆頭に、戦後日本人の精神を打ち砕き、天皇廃止の時限爆弾を仕掛けた反日工作員フランクフルト学派と繋がり、国内においてはコミンテルン・スパイの所業の報告書を捻り潰し、昭和天皇に隠した輩達です。

「鶴見家」は、なんと正田家と祖父時代から交流がありました!
美智子皇后と和子の関係ではなく、鶴見家と正田家の両祖父、父鶴見祐輔美智子皇后父母の交流がありました。

『対論 異色昭和史」鶴見俊輔上坂冬子著』より
鶴見:皇室に美智子さんが入ったのはいいことです。彼女は立派だ。
 (中略)おじいさんは醤油屋です。そのおじいさんが、粉を持って軽井沢の私の家にきていました。
上坂:そんな頃から鶴見家と正田家とは関係があったんですか。
鶴見:そう。だから私も玄関先で正田家のおじいさんと会っています。戦争中に話したこともある。だけど美智子嬢に白羽の矢が立った時にお母さんは非常に悩みました。ロシアの歴史を知っているから、とばっちりを食って嫌な目に遭うんじゃないかって。

『石井信平の「オラが春」皇后と鶴見俊輔さんの出会い』より
(鶴見和子一周忌・山百合忌にて)
鶴見 「あなたのお父さんとお母さんが、父の鶴見祐輔を訪ねて、軽井沢や熱海の家に来られた日のことをよく覚えていますよ。」亡き両親について初めて聞く話に皇后は思わず身を乗り出した。
ttp://blog.goo.ne.jp/shinpeishii/e/60f7da8eeb8d232fb49aa2b3d305a7d6

ホワイト、ノーマンに至るような遣り取りが有ったのか、わかりませんが。こうした人脈に正田家が繋がっていることは、GHQOSSの息懸り入内の可能性は・・濃度を増しますねぇ。

後藤新平の娘が鶴見祐輔に嫁いだのですが、庶子の娘が嫁いだ佐野家は、日本共産党中央委員長もコミンテルン本部で働いた者もいる、真っ赤っか一族でした。


「前田家」は、
前田多門は後藤新平東京市長の時の助役を振り出しに、後藤の訪ソ、スターリンとの会談にも随行したうえ、戦後初の文部大臣としてGHQの方針に沿う教育改革を積極的に行った人物。所謂「天皇人間宣言」を起草しました。
このとき、学校教育局長として、後の最高裁長官で、美智子妃入内に尽力した内村鑑三門下のクリスチャン「田中耕太郎」がいました。フロジャック神父とも面識があり、出会いの軽井沢テニス試合の写真を撮ったりしていましたね。
前田多門は、以前朝日新聞論説委員を勤めた当時、尾崎秀美(近衛文麿政権を翻弄したゾルゲ事件ソ連スパイ)も記者として在籍しており、さらに前田と尾崎は「昭和研究会」という近衛文麿の政策諮問機関に、田島道治芦田均、その他優秀で一種香ばしい方々と共にメンバーに加わって居りました。

さらに子供達は…それぞれ天皇皇后にお仕えしております。
前田多門ー長女・神谷美恵子(精神科医相談役)~皇后
            ー長男・前田陽一(フランス語進講役)~天皇
           

ご存知「田島道治」は、
鉄道院での後藤新平秘書に、後藤により抜擢され、後に芦田均首相により宮内庁長官に就きました。同様に芦田抜擢の、東京帝大後輩の新渡戸門下生「三谷隆信」と「宮中クリスチャンコンビ」を組んで、GHQの意向による宮中改革を進めました。(昭和天皇は、諫言を厭わぬ真の忠臣・松平慶民、大金益次郎の信頼する長官・侍従長コンビの交代には難色を示したのですが。)長官職をクリスチャンの宇佐美毅に引き継いで、宮中クリスチャン包囲網?確立。さらにクリスチャン小泉信三を加えた、小泉・田島・三谷の奔走により、美智子妃入内に成功しました。

田島道治は、宮内庁を辞してからソニーに入社。前田多門の次女が井深大と結婚していたので、その縁と想像できます。彼らの結束は深いようです。


最後に「岩永裕吉」は、南満鉄後藤新平の後押しで入社し、鉄道畑で働いた後に、国際通信社理事に迎えられてからは、マスメディアのトップを歩く事に。現在の共同通信時事通信の戦後分割の前身である社団法人同盟通信社(電通と日本新聞聯合合社が合併)の初代社長を勤め、息子の信吉は共同通信社常務と電通取締役となり、マスコミも後藤新平・新渡戸門下のクリスチャン人脈が握りました。

こんな人脈に繋がり担がれたのですから、正田美智子さま無双ですわ。
 
【同一読者様による追記コメント】
 
 

 
 (中略)
敢えて単純化して雑駁に言うと、美智子皇后OSSGHQカトリック背景の正田美智子嬢に、フロジャック神父の提言を入れ白羽の矢を立て(皇室弱体化の尖兵として)正田美智子嬢を宮中に入れて現在に至るわけです。
皇后陛下ご自身は背景の思惑は(おそらく)ご存じないまま、カトリック風土で培われた精神の導くまま、動かれたかと思われますが、ただ元GHQベアテ・ゴードンへの信奉など、「主義者」としてのご自覚はあるのかもしれません。五日市憲法を引き合いに、暗に平和憲法・九条護持を主張なさっています。
加えて、強制の従軍慰安婦の存在を信じていらっしゃる節、韓国へのシンパシーに加えて謝罪訪問の意志を、天皇陛下と一にしていらっしゃいます。
 
天皇陛下の「戦後の知日派のアメリカ人に感謝」という言葉も、相当解った保守層には不可解な感触のお言葉かと思うのですが、あるいは天皇家存続を前提に、天皇処刑を持ち出さなかったアメリカ人たちに感謝の意味もあるのかもしれません。「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
 
東京裁判に当然のごとく、天皇陛下は引きずり出され処刑の運命にあったはずです。(肯定ではなく、単なる事実としてお読みください)だって総合責任者なのだから。しかし、日本国民統合のためには天皇を生かし、利用するほうが良い、そのかたわら着々と弱体化を、そのうちに日本国民を骨抜きに、と大方針を立てたのはOSSであり、隠れ共産主義者のルーズベルトでした。
 
駆け足解説ですが、諸事きちんと述べれば史料提示とそれぞれの検証、とブログの粋を超えた大論文となります。
 
余白はどうぞ、読者各自で学ばれ埋められますよう。
 
天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?  《転載自由》

 

 


(後略)

 

(引用終了)

(私のコメント)

新しい情報で面白い
(私のコメント終)