1511-13-822-11/15メルマガブログ転送宿命と運命

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真吾の逃げ逃げ必勝法

(見出し)
勝負強さは天性のもの

(引用開始)
現役のときのメンタルヘルスの精神科医(競馬、麻雀が大好き)の言葉。

人には「イチかバチか、白か黒かの二者択一」で判断していく男性的な思考の持ち主と、「情に流されて結論を先送りする、とか、白と黒を足して2で割る灰色決着とか」の女性的思考の持ち主がいる。
(男性だから男性的な思考、女性だから女性的思考という意味ではない)
勝負事は男性的な思考の持ち主に勝ち組が多く、女性的思考の持ち主は負け組が多い。

「売らなければ良かった」とか、「買えばよかった」とか、「損切りができない」とか、「いつ利確したら良いのか」とか・・・よく見かけるフレーズだが、まさに。。。男の口から出る言葉ではない。それはやはり女性的思考の持ち主なのだろう。

決めたらやる、問題の先送りはしない、泣き言は言わない、、、、
私の場合、「男は・・・」と、子供のころから祖父に厳しくしつけられた。

私の上司だったMさんは、自分にも厳しく他人にも厳しい鬼と恐れられた人だった。
そのMさんの口癖は「男はやせ我慢の精神で・・」だった。

「俺だって生身の人間、迷いはいつもある」
「判断できない時もある。それでも決断を下す。それが男」
「間違ったら泣き言も言いたくなる」
「それをぐっとこらえて我慢する。それが男だ」

再び、私の祖父登場。
「努力なんか必要ない」
「生まれたときに、すべては定められている」
という運命論者だった。

人が集まれば必ず、好かれる人と嫌われる人がいる。
好かれる人は何をやっても好かれるし、嫌われる人は何をやっても嫌われる。
生身の人間である以上、人に嫌われたいと思う人はいないであろう。
なぜ嫌われるのか?

人の人生はドラマと同じ。
悪役として生まれた人は、人生の中でいつも悪役を演じる運命。

デブがいて、チビがいて、ブサイクがいる。
その反対側に美人がいて、イケメンがいる。
「なぜ嫌われるのか?」という答えは、、、、
「なぜ、デブで、チビで、ブサイクなんだ」と考えることと同じ。

人間、努力なんて無駄。
そういう役割に生まれてきたのだから。。。

人生の中で、宝くじ1等が2回当たった人間がいる。
年賀状で1等が13回当たった人間がいる。
私はと言えば、毎年200枚以上もらって40年間、切手シートしか当たったことがない。
宝くじは20年間、グループ買いで毎月100枚買って、高額当選一度もない。

人生でくじを引いたことは数知れず。
しかし、良いくじに当たったことは記憶にないが、悪いくじにはよく当たった。

若いころは、それを理不尽だと嘆いた。
モテるヤツを眺めて、モテたいと努力もした。

人生、終わってみて思う。
すべてはそういう運命を背負わされて生まれてきたからだ。。。と。。


という人生経験を踏まえて。。トレードの話。
99%の人間は億トレーダーにはなれない。
どんなに努力しても。。。そういう運命なのだから。。

それを自覚できたなら。。。
デブで、チビで、ブサイクを嘆くのではなく、人に嫌われることを嘆くのではなく、自分が背負わされた宿命の中でいかに生き抜いていくべきかと考えることが重要なのではないか?

私はくじ運が悪いと悟った時からギャンブルトレードはやめた。
イチかバチかに賭けると必ず負ける。

ギャンブルトレードをやらなければ、当然億トレーダーにはなれない。
そういう宿命を背負っているのだから。。

なら、億トレーダーを目指さなければ良い。
堅実にコツコツ利益を積み上げるトレードを目指せば良い。
損しなければ勝ち組なんだから。。。

買ったら下がる。。。
含み損を持ち越せば、さらに下がる。。。
トレードで、自分の判断と逆に動く自覚のある人は考えた方が好いかもしれない。

ブサイクに生まれた男が女にモテようと無駄に苦労しているのと同じだから。。


(引用終了)
(私のコメント)


執行草舟著「生くる」に運命と宿命について書かれた部分があるので紹介しよう。


(要約引用開始)
1. 宿命は生かすために存在する。(生かさなければ人間の命は死ぬ。)
宿命が生きる時我々の生は躍動を始める。
躍動を始めると「運命」は微笑みかけてくれる。
我々は宿命を生かし、その結果としての「運命」を生きるためにこの世に生まれてきたのだ。
2.まず宿命と運命の違いを認識することから始める。
人生とは宿命を認識し運命を拓いて(ひらいて)いくものだ。
この両者は同一不可分のものとして同時に認識されなければならない。
両者の関係と生かし方を考えてみよう。
3.宿命は自分の過去、すでに動かなくなったものを指す。
自分が生まれてから現在に至るまでの事実を事実として認識し全て受け入れることによって宿命は正しく理解される。
これができる人は少なく、これを行うには大いなる勇気を必要とする。
人間ならば誰でも動かざる者の中に受け入れがたいことのいくつかは必ずある。
しかしそれを受け入れなければ、自分がよしとすることも正しく認識できない。
4.宿命論は古代中国、インド、ギリシャ以来哲学課題の1つだ。
これは宿命が人生を明らかにする上で最も大切なことの証明とも言える。
好きか嫌いかは別としてすべての人は宿命のもとにこの世に生を受け、命を躍動させてきている。
5.現在は文明の衰退期に当り、大規模に民主主義化され、この時代は宿命が最も認識されにくい時代となっている。
文明の勃興期は人生の早い時期に宿命の認識を行う機会を持てる社会構造がある。
宿命を知ることと民主主義が抵触するのは、民主主義の根本を成している万人平等思想がその病根としてある。
人間は平等では無い。人間はそれぞれ違うからこそ価値がある。
それを悪平等思想が完全に破壊してしまった。
そのため民主主義の平等思想に侵されている人間は平等の名の下に羨み、妬み、(うらやみ、ねたみ) 人と比較してしか自分の価値を認識できなくなっているのだ。
悪平等思想が自分固有の宿命を認識する術をそれぞれの人から奪い去った。
6.人間は全て固有の生命と固有の人生を持つ。
動かない固有の部分をあるがままに受け入れる、これが宿命を活かす始まりとなる。
そのまま受け入れることによって、宿命が自分の中で生きたものに変化する。
この生きた宿命は自己の存在理由と何をなすべきかを知る出発点となる。
7.まず悪平等思想の汚染から解放されなければならない。
そうしなければ自分の個性を否定し他人と比較ばかりすることになってしまい、宿命を認識することができない。
我々の人生は自由に選択できる範囲は非常に少ない。
ほとんどの事柄はすでにして出生以前から決められている。
特に個人的に重大な事は全て選べないと言っていい。
いかにつらくても悲しくてもこれを受け入れるしかない。
すべてを受け入れればそのひとつひとつは生きてくる。
宿命を活かすには嫌うものも受け入れなければならない。
そうしなければ良いものを生かすことができないのだ。
8.親は選べないし、日本と日本人に生まれることも選べない。
男か女かを選べない。これが宿命の基本となる。
日本人の男であれば「日本男児」としてのあり方を追求して生きることだ。
親はあるがままに受け入れその良し悪しは関係がない。
武士の家に生まれれば武士らしく、商人の家に生まれれば商人らしく、職人の家に生まれれば職人らしく生きる。
それらが持つ良い面も悪い面もすべて体現する。
今の時代に合うか合わないかより、血の通り生きたい。
都会で生まれれば大都会が好きになり、そこで暮らす。
簡単に言うと宿命を活かすとはこういうことになる。
9.自分にないものを欲しがり自分が与えられて持っているものを否定する、このような幼稚な頭からは何も生まれない。
宿命を活かすとは自己の人生を拓き(ひらき)、十分に生き切るためのその立脚点の認識だと言える。
自己の宿命を深く認識し、それをよしとして初めて自分の人生を歩み出すことができる。
他人の人生を自分の人生だと錯覚し、又は錯覚させられている人間にとってはこれが非常に難しい。
他人と比較さえしなければ宿命の認識は誰にでもできる。
他人と比較してしまえば宿命の認識には破滅的な障害となる。
特に自分が受け入れたくない物を天から与えられた贈り物として深く沈潜させることがすべての出発点となる。
宿命を全て受け入れれば自分がその宿命を用いることができるようになる。
用いることができれば自分が人生に活用することができる生きた宿命となる。
10.宿命が活きれば初めて「運命」を語ることができる。
運命は各人に選択の自由と生の躍動と人生の喜びを作ってくれる。
運命とは動くものをいかにして活用するかにその本質がある。
生きた宿命を知って自己の立脚点を持つ人にして初めて運命に挑戦できる。
運命から宿命を見ると宿命は動かざる者として刻まれた運命の堆積(たいせき)とも言える。
歴史と同じで動かざるものがわかれば動かすことができるものも自然と分かってくる。
この認識によって躍動と柔軟思考が生まれ、これが運命を切り開くのだ。
動かしていいものは遠慮なく動かす、これが人生の醍醐味だ。
ただし宿命を深く認識した者にしかこの運命を動かす事は出来ない。
宿命の認識がない人は動かすことができない物を動かそうとして徒労の人生を送る。
人生で不平不満を言う人はこの宿命と運命の相互関係がわからないのだ。
11.人生の価値は自分の力で自己の宿命を生きたものとする、その覚悟にある。
その覚悟には未来を作り出せる力があり、その未来に向かう生き方こそが運命を生ききる人生を育む。
宿命を生かせば運命に立ち向かう生き方ができる。
立ち向かうことによって運命は初めて自己の人生に希望と意味を与えてくれる。
12.運命を生き切ることが人生の喜びの全てなのだ。
運命を拓き生ききってこそ人生の尊厳と自由の尊さが分かる。
13.運命は動くから運命という。
悪く動くのもよく動くのも全て自分に責任がある。
運命が悪く動いていると感じたら必ず宿命の認識に戻っていただきたい。
自己の間違いが必ずわかる。
運命が良く動いている場合は、知らず知らずに生きた宿命に沿った判断している自分に気づくはずだ。
運命について偶然性に頼っている人は必ず人生はわからないものだと感じ幸運だの不運だなと口走る。
宿命を深く自己に沈潜させた人間には不運は決してなく、運命は面白くてしょうがない。
死ぬまで生きる喜びを得られる。
死ぬのは全く不運では無い。
死ぬことを厭えば(いとえば)すべてを受け入れたことにはならない。
宿命が生きているかどうかがここで別れる。

(要約引用終了)


(私のコメント終)