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月刊日本
F・ルーズベルトの犯罪 『フーバー回想録』の衝撃 稲村公望

中央大学客員教授 稲村公望

(見出し)
昨年十二月、日米開戦から七十周年を迎えた。その直前に一冊の回想録が刊行された。ジョージ・ナッシュ氏が編集したフーバー大統領の回想録『Freedom Betrayed(裏切られた自由)』だ。ここには、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。千頁近くにも及ぶこの大著をいち早く読破し、その重要性を指摘している稲村公望氏に聞いた。
 ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだ

(引用開始)

 ―― 『Freedom Betrayed』のどこに注目すべきか。
 稲村 フーバー大統領死去から実に四十七年の歳月を経て刊行された同書は、
フランクリン・ルーズベルト大統領を厳しく批判しており、
同書の刊行はいわゆる「東京裁判史観」清算のきっかけになるほど重大な意味を持つ。
例えば、フーバーは回想録の中で、次のように書いている。
  「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日の夕方に三時間、五日の夕方に一時間、
そして、六日の朝に一時間、サシで話した。(中略)
  私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であったと述べたところ、
マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、
その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。
制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、
我慢できることではなかったと述べた」
  これまでも、チャールス・A・ビアード博士らが日米戦争の責任はルーズベルトにあると主張してきた。
対日石油禁輸について、ルーズベルト大統領から意見を求められたスターク海軍作戦部長
「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、
直ちにアメリカを戦争に巻き込む結果になるだろう」と述べていた事実も明らかにされていた。
しかし、ビアードらの主張は「修正主義」として、アメリカの歴史学界では無視されてきた。
つまり、ルーズベルトの責任がフーバーの口から語られたことに、重大な意味があるのだ。
  『フーバー回想録』には、対日経済制裁について次のように明確に書かれている。
  「…ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、一九四一年七月、
つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。
その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。
ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三にわたって、
そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」
 
天皇陛下の和平提案を退けたルーズベルト
 ―― まさに、ビアードらの主張を裏付けるものだ。ルーズベルトは日本を無理やり戦争に引きずり込もうとした。
彼は真珠湾攻撃前から日本本土爆撃を計画していたともいう。
 稲村 アラン・アームストロングは、『「幻」の日本爆撃計画―「真珠湾」に隠された真実』の中で、
真珠湾攻撃の五カ月前にルーズベルトが日本爆撃計画を承認していたことを明らかにした。
その計画は「JB─355」と呼ばれるもので、大量の爆撃機とパイロットを中国に送って、
中国から日本本土を爆撃しようという計画だった。
  『フーバー回想録』は、「スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、
日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。
だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ」と書き、
ルーズベルトが近衛総理の和平提案受け入れを拒否したことについては、次のように批判している。
  「近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。
しかも、満州の返還ですら、交渉して議論する余地を残していた。皮肉に考える人は、ルーズベルトは、
この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、
しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう」
  徳富蘇峰は、「日本が七重の膝を八重に折って、
提携を迫るも、昨年(昭和十六年)八月近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、
まじめに返事さへ呉れない程であった。
而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。
而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ」
(『東京日日新聞』一九四二年三月八日付)と書いていたが、七十年という歳月を経て、
ようやく『フーバー回想録』によって、蘇峰の主張が裏付けられたのだ。
  フーバーは、さらに重大な事実を記録している。
  天皇陛下は、一九四一年十一月に駐日米国大使を通じて、
「三カ月間のスタンドスティル(冷却期間)をおく」との提案をされたが、ルーズベルトはこの提案をも拒否したと書いている。
アメリカの軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統領に促していたのだ。
  フーバーは、「日本は、ロシアが同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。
九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から〝全ての糊の部分〟を取り去ることになり、
太平洋で戦争する必要をなくしたに違いない」とも書いている。
  当時、アメリカでは戦争への介入に反対する孤立主義的な世論が強かった。
ルーズベルトは欧州戦線に参戦するために、日本を挑発し戦争に引きずり込んだのである。
日本国内にも日本を日米開戦に向かわせようとする工作員が入りこんでいた。
実際、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動を行い、
そのグループには近衛のブレーンだった尾崎秀実もいた。
 ―― ルーズベルト自身、反日的思想を持っていたとも言われる。
 稲村 彼は日系人の強制収容を行い、「日本人の頭蓋骨は白人に比べ二千年遅れている」と周囲に語るなど、
日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたとも指摘されている。


 以下全文は本誌3月号をご覧ください。

 

(引用終了)

 

(本の紹介)

ルーズベルトの開戦責任: 大統領が最も恐れた男の証言

単行本2014/9/11
 
ハミルトン フィッシュ(著), Hamilton Fish(原著), & 1その他

(内容紹介解説、アマゾンコメント欄から引用)


この本は、1939年9 月1 日の欧州での世界大戦と、1941年12月8 日の大東亜戦争の原因に深く係わった介入主義者のルーズベルトの失政を戦後明らかにした、
非介入主義者で共和党議員であったハミルトン・フイッシュが米国の独立200 周年に当たる1976年に発行した書籍である。

 1941年11月26日ルーズベルトは、日本に、日本軍及び警察のインドシナ、中国( 満洲を含む)
 からの即時全面撤退を要求した最後通牒( ハルノート) を突き付けた。
ルーズベルトは、この文書が最後通牒の性格を有することを認識していた。
日本がこの挑発に乗らなければ、さらなる第2の最後通牒を発することを検討していた。
国務長官スチムソンは、日本が挑発に乗らなければ、米国から戦争を仕掛けるべきと大統領に進言していた。
日本を挑発し、英国を支援し、欧州戦争に裏口から参戦するためであった。

 米国からの最後通牒により、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった。
この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。
 
 日本は、この最後通牒を受ける前に、8 月には近衛首相が米国に出向いて首脳会談を行うことを提案したが、
この会談は、対日戦、対独戦を既に決定しているとの理由で拒絶された。
11月には、日本は、甲案による計画的撤兵を提案し、乙案による南仏印から撤兵する暫定案を提案していた。
米国側の日本案に対する戦争を回避できる可能性のある暫定案は、事前に蒋介石チャーチルに示され、
彼らにより否定された。
ルーズベルトは、コミンテルン財務省のホワイトにより起案された宣戦布告ともいうべきこの最後通牒を承認し、
これを日本に手渡した。
この最後通牒は、日本がとうてい呑めないこと、手渡せば戦闘が開始されることをルーズベルトは十分に認識した上で、
通達された。

ルーズベルトは、1937年の日本は病原菌であるので隔離しなければならないとする「隔離演説」以来、
日本の敵意を煽り、枢軸国に追いやるために、経済封鎖などあらゆる手段を駆使した。
これは国務省の失敗であるという。駐日米国大使グルーは、日本国民は戦争を望んではいないことを本国に報告し、
日本は、米国との開戦を避けるためには、ほとんど何でもする用意があったと述べている。

 日本の真珠湾攻撃については、日本からの1941年12月7 日にハル国務長官に手渡された最後通牒は、
電文の傍受解読により、ルーズベルト、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、
マーシャル参謀総長、スターク軍令総長の6 名の戦争遂行内閣には、知られていた。
また、ハワイに日本の連合艦隊が移動していることも把握していた。
その上で、ルーズベルトは、米国民や議会に参戦を同意させる目的で、
ハワイ基地のキンメル、ショート司令官には、開戦の切迫を通知させずに、日本の奇襲を意図的に成功させたとある。
これにより、ルーズベルトは、日本を和平交渉継続中に米国を攻撃した戦争挑発者として非難した「恥辱の日演説」により、
国民を騙して戦争に向かわせたとある。

 また、ルーズベルトは、ハワイの奇襲攻撃を受けた責任の追求には、証人尋問、
証拠調べなどの法的な裁判手続を踏む軍法会議にはかけず、過激な戦争賛成派のロバーツを委員長とする委員会で審議させて、
ハワイの現場司令官に不名誉な責任を追わせているが、自ら発した恥ずべき最後通牒については審議させていない。

ルーズベルトは、1940年10月( 開戦1 年2 ケ月前) の時点で、「遅かれ早かれ日本は間違いを犯し、
米国は日本との戦争に入ることになるであろう」と述べ、1941年8 月の大西洋会議では、
極東における英国の権益を擁護すると合意し、「米国は自国自身が攻撃を受けずとも、
極東における戦争に参戦し、もって勝利を確実なものとする」と述べたであろうという。

 著者は、戦後の日本の朝鮮併合の解体、日清日露戦争で得た領土の放棄を決定づけ、
ソ連の世界共産化を強化した1943年11月22日のカイロ会談、1945年2 月4 日からのヤルタ会談の時には、
ルーズベルトは健康を深刻に害しており、これがスターリンとの交渉で妥協した原因であったと言う。
また、ヤルタ会談に同席したのは、容共主義者のハリー・ホプキンス、
ソ連のスパイであり秘密文書をソ連に渡していたアルジャー・ヒスの2 人だけであった。

これがヤルタ会談で、スターリンが一人勝ち、朝鮮戦争ベトナム戦争の原因となり、
中国、バルト3 国、ポーランド、バルカン諸国、ハンガリーなど東欧などが共産化した理由であった。
米国は満洲、中国での権益を得ることはできず、英国、仏国、オランダは、植民地を失い、米国は何のために日本と戦ったのか。
 本書は、日本と米国が開戦に至る真実が、当時の米国下院議員により明らかにされている。

 本書は、極めて貴重な書籍である。日本人は歴史の真実を知るべきである。
 戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、
それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。
 多くの人が、是非とも読まれることを薦める。


(本の紹介)

日米開戦 陸軍の勝算 (祥伝社新書)新書– 2015/8/1
 
林 千勝(著)

(内容紹介解説、アマゾンコメント欄から引用)


アマゾンの書評に釣られて買ったが、最初はよくある局所的な戦術論位の軽い気持ちで読み始めたが、読んで行くうちに、単なる戦術論ではなく、第二次世界大戦を地球規模で俯瞰した壮大な戦略論であることが解って来た。
陸軍は秋丸中佐を班長とする「陸軍省戦争経済研究班」を組織して、その当時東大経済学部の助教授だった「有沢広巳」を主査として日本の取るべき戦略を取りまとめた。その内容は私自身「その手があったのか!」と驚いた想定外のものだった。
今後、読まれる読者の為に詳しい内容は書かないが、実際に行われた「太平洋戦争」ではなく、日本軍は南進&西進してインド洋制圧を目指した「インド洋戦争」を実施し、オランダ領の石油資源を確保し、且つインド洋における制海権を確保して英国の植民地からの英国への物資移送を阻止して、英国を弱体化させ、側面的に、ドイツを援護すると同時に、我が国は大東亜共栄圏を確立して、物資の域内確保を確実なものとすると言うものであった。米国とは遠く離れたインド洋を主戦場にすると言うアイディアには驚いたと同時に、この必勝プランが無能な海軍首脳によって、反故にされて、アメリカと正面から対決する真珠湾攻撃を実施した戦略ミスが悔やまれる。歴史に「IF・・・」は無いが、残念である!!
私は伯父が海兵出身であり、サイレント・ネイビー贔屓であったが、本書により、あらためて日本陸軍の偉大さを痛感した。

 

(私のコメント)


海軍は戦後の東京裁判で刑死者を出していない。
また、外務省の当時の駐米日本大使館関係者は戦後皆出世している。
つまり、海軍と外務省は米国の利益に多大に貢献した、ということだ。
戦後も海軍は海上自衛隊として存続を許されている。
ただし、スパイだったとか協力者だったとかいう証拠はない。

陸軍は戦後敗戦責任者として徹底的に糾弾され、東京裁判では7人の刑死者を出した。
死刑判決が下って、法廷を出て刑務所に戻る時、先をゆく陸軍の後ろを海軍関係者が談笑しながら歩いたという。
陸軍の最高首脳の東条英機は悪の権化のように云われるが、法廷では天皇を守ることに成功して死んでいった。
陸軍はシナ大陸などにまだ余力を残しており、海軍が勝手にコケただけなので負けた気がしないだろう。
原爆を落とされて海軍首脳の米内光政は「これで戦争止められる」といったそうだ。
自分たちの勝手で真珠湾攻撃で開戦し、だめとなったら陸軍に責任を押し付けたのだからそんな呑気なことが言えるのだ。
日本を滅ぼしたのは、海軍なのだ。
今の日本の常識の逆で、海軍が悪玉で陸軍が善玉だったのだ。
それと、無能な外務省が絡んで上記のような米国内の動きを知らず、働きかけもせず、結果的に敵に協力したようになってしまった。
昭和天皇憲法上の権限をしっかり守ったが、無能な小粒の幹部ばかりで、さぞ心細かっただろう。

フィッシュの本と最後に紹介した本はこれから読もうと思っているので、読んだら要約を作ります。
最初のフーバー回想録は和訳が出ていないので読めないが、政治上の都合で出ないかもしれない。

(私のコメント終)