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1511-23-832-11/25メルマガブログ転送親の収入と子の学力

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http://blog.goo.ne.jp/2005tora
式日記と経済展望
2015年11月21日 | 政治
(見出し)


家庭環境が子どもたちに与える影響の大きさをひしひしと感じます。
「家庭の経済力」が、「子どもたちの学力」に直結しているのです。

 

(上記ブログが引用する記事の見出し)

 


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46448
現代ビジネス
年収300万円世帯と1000万円世帯では、子どもの学力がはるかに違う~広がる「教育格差」。施設支援から厳しい現実が見えた


(孫引用開始)


「家庭の経済力」=「子どもの学力」の時代?
 
最初に立ちはだかるのは「家庭環境の壁」。私自身活動をしていて、これまで育った家庭環境が子どもたちに与える影響の大きさをひしひしと感じます。
 
私たちが支援している子どもたちの中には、小学2年生でひらがなが十分に書けない子や、小学4年生で一節の文章を読むことに苦労する子、中高生でも九九が覚えられていないため、指を使って計算をする子もいます。
 
一方で、そんな子どもたちの同じクラスには、幼稚園から日本語はおろか英語やプログラミングスキルを身につけている子どもたちもいます。勉強だけでなく、複数の習い事をしているため、スポーツ万能で一芸に秀でた子どももいます。
 
つまり、「家庭の経済力」が、「子どもたちの学力」に直結しやすくなっているのです。


図1.世帯収入と子どもの学力 (対象/小学6年生)
2008年度全国学力テストの結果分析 出典:文部科学省、専門家会議(2009年度報告)
 図の引用:公益財団法人チャンス・フォー・チルドレンのホームページ

グラフ国語テスト平均点71
200万未満   58
400万まで   65
600万まで   69
800万まで   71
1000万まで   73
1500万まで   77
1500万以上   75

グラフ算数テスト平均点75
200万未満    62
400万まで    68
600万まで    71
800万まで    76
1000万まで    78
1500万まで    81
1500万以上    81

 
また現在は、保護者の同席無しに外で遊ぶことができない時代で、スポーツをするにもお金を払ってクラブや習い事に通わなくてはいけません。放課後も親が働き詰めであったり、金銭的に余裕がないと子どもたちは外で遊んだり、スポーツをすることもできないのです。
 
子どもたち自身は、それが「環境の差」だと客観的に理解することはできないため、「自分はバカだ」「勉強が向いていない」「スポーツができない」と判断し、自信や意欲さえも失ってしまうことがあります。
 
勉強に必要な体力や集中力も養われず、周りの子たちに比べて学力が劣ってしまう。自信や肯定感を失ってしまい、家に帰っても声をかけて、慰めてくれる人もいない。親と一緒に暮らしていても、親は仕事で疲れ果てているため、話しかけるのも気が引けるという子どもたちもいます。
 
図2からは、母子家庭の15%、父子家庭の25%は、子どもたちと一緒に過ごす時間を1日のうち2時間も持てていないことがわかります。2時間は、ごはんを食べて、お風呂に入り、連絡帳にサインをする程度であっという間に過ぎてしまいます。
 
子どもたちが学校で何に困っているのか、例えば九九の7の段に躓いているといったことに、十分に気づける余裕がない状況なのです。(後略)
 

図2.世帯種類別、親が子どもと過ごせる時間

母子家庭  6時間以上18%  2時間から6時間まで64%   2時間以下18%
父子家庭  6時間以上7%   2時間から6時間まで59%   2時間以下33%
二人親家庭 6時間以上40%  2時間から6時間まで50%   2時間以下10%


・子育ての負担が親だけにのしかかってしまう現代社

かつては子どもの周囲には親だけでなく、親族や近所の人等、たくさんの大人たちがいました。たとえ親が忙しくても、「家にごはんを食べにおいで」と言ってくれるおばちゃんや遊んでくれるお兄さん、叱ってくれるおじちゃんなど、たくさんの大人が、子どもたちに必要な知識・サポート・愛情をそれぞれができる形で提供し合っていました。
しかし、核家族化した現代は親戚が遠くに住んでいることも多く、隣近所との付き合いはほとんどありません。3組に一組が離婚をする時代、家庭によっては子どもの周りには親一人しかいないケースも多く、その親が何をできるかが、子どもたちが得られるものに直結しがちです。
 
かつてはあらゆる人たちが役割分担していた、子どもの教育を親であるたった二人(あるいは一人)で担う、あるいは、お金を払って、塾や夜間保育、習い事等の代替機関を探さなくてはなりません。
 
しかし、ここでも代替機関を探せるかどうかは親の経済基盤によってきます。現代は社会に出る上で、様々な経験やスキルが必要である高度な社会です。
 
テクノロジーが進歩する中で、単純な仕事は機械に取って代わられ、人間には、高度な専門スキルを身につけたスペシャリストか、複数の分野をまたがり総合的に判断・処理できるジェネラリストといったように高いレベルが求められるようになっています。
 
ますます親がどれだけ子どものためにアンテナを張り、時間を割き、お金をかけるかによって子どもたちが得られる経験やスキルに大きな差が生まれる時代になっていると私は感じています。
子どもたちが勉強に意欲を持って取り組んでいけるかどうかは、子どもの能力や意思以前に、子どもたちが置かれている家庭環境によって左右されてしまうのです。これが一つ目の「家庭環境の壁」です。

*****(中略)

2014年度に児童相談所が対応した児童虐待の件数は9万件近くとなり、前年度に比べて約1万5000件ほど増えています。ここ数年は、非常に残念ながら年間1万件ペースで増えており、毎年最高値を記録し続けています。
 
*****(後略)

(孫引用終了)

 

((株式日記と経済展望ブログ主の)私のコメント)

教育と学力の差には大きな相関関係があり、親の経済力の差が子供の学力差に表れている。社会的な地位の固定化が進み、公務員の息子は公務員になり、派遣労働者の子供は派遣労働者になる。だから若い女性は結婚相手にも高収入を望み高学歴の男を求める。

これはある意味では当然の事であり、私が女でもそう思っただろう。派遣やフリーターでは結婚しても生活で手一杯であり、子供が生まれても子供には十分な教育が受けさせられない。昔なら一生懸命勉強すれば一流大学に進学して一流会社に就職も出来たのでしょうが、今では一流会社もリストラする時代だ。

記事のグラフを見ても世帯収入で400万円以下と800万円以上では学力差が歴然としている。200万円以下は特にひどい差がついている。子供には責任は無く親に責任があるのですが、公立の高校では一流大学進学もままならなくなっている。

新自由主義では競争社会となり、競争に敗れれば人間らしい生活もままならなくなり二度と這い上がれる事は無くなる。このような格差を生じさせないためには累進課税や高福祉政策で生活格差の是正をしなければなりませんが、小泉構造改革以来、派遣労働が自由化されて若者の非正規社員化が進んでいる。


(中略)

財務省は消費税増税に熱心なのは格差の固定化のためであり、低所得層の子供の低学力化が公務員の上流階層化を進める。地方では高級車や高級住宅に住んでいるのは公務員であり、一般家庭は地方には職場が無いから子供たちは都会に就職する。

このような事は政治家は分かってはいてもどうする事も出来ない。少子化対策大臣がいても何も出来ない事が分かりきっているのに大臣ポストだけ作って終わりだ。生活保護家庭やその一歩手前の母子家庭などは増える一方であり、その半面では億万長者も増えている。税制がそうさせているのですが、政治家は税制を役人に任せっきりだ。

「株式日記」で何とかしろと書いても何の変化も無い。昔は身内や親戚がレスキューネットになったのですが核家族化で誰も助けてはくれなくなった。親ですら子供がいても親の面倒は見るどころかすねをかじられている。親の年金で生活している引きこもりなど社会問題化していても、政治は見て見ぬふりだ。


(中略)


生活格差の固定化は社会不安を招いてきますが、秋葉原の無差別殺傷事件が起きても政治家たちは何もしなかった。同様の事件が起きても派遣制度は拡大して行く一方であり、公務員の給料も高止まりしたままだ。教育にも格差の弊害が現れて来ているのに政治は何もしない。

 


((株式日記と経済展望ブログ主の)私のコメント終)

 

(引用終了)
(私のコメント)

日本の家族制度は人間の本性から出発しているから人間を幸せにできる。
その家族制度は戦後自由や平等で解体された。
解体された理由は、自由や平等理念によるものだが、それらは人間が理屈で考えた理想(夢、幻想)だから人間を幸せには出来ないのだ。
家族制度のような組織体は人間を幸せにできるが、自由や平等は一般に組織を破壊する道具だから人間を幸せにする道具でないのだ。
解体の具体的道具である憲法第24条は「婚姻は両性の合意のみにて成立する」とある。
だが、これが正しいのは男女二人だけの間でセックスの合意の場合だけだ。
セックスの合意と婚姻は全く違う概念だ。
婚姻は子供と子供が生まれる環境つまり、両親兄弟祖父母を含む家族とその一族、それを取り巻く地域社会に発言権があるのだ。
生まれてくる子供に責任と義務が生じるためにそうなるのだ。
子供の責任と義務は上記の家族一族地域社会も関係してくるのだ。
簡単に例を言えば何か災害などの事があったら家族一族地域社会は協力しなければならない。
日本のような災害の多い国では国単位の協力も不可欠だ。
婚姻も子供もそうした大小の共同体の中で行われるので、セックスだけ、というのは婚姻でない。
共同体の中に活きる以上、個人の自由や平等は制約がある。
しかし、だからといって自由がないわけではない。
自由は範囲でなく深さだから共同体の中でも充分に自由なのだ。
共同体があるからこそ自由や平等(公平)がある。
両性の合意のみ、と言うのは実は逆に日本の家族制度や地域制度を解体する意図で作られている。

両性のセックスの合意だけなら子供の責任や義務が無いから女は売春婦、男は強姦魔という道を開く。
両方共カネか暴力でセックスし、すぐさよならしたとしても両者が合意を認めさえすればその間は婚姻か、ということになる。
話がそれたが、上記の記事の通り、子供の学力は親の収入に左右される。
もうすでにして子供は親の婚姻の影響を受ける。

別の記事に親子げんかの話が載っていた。
親「こんな子供を産んだ覚えはない、こんな子いや」
子「頼んで生まれてきたんじゃねーや」と言い争う親子。
両性の合意のみの婚姻ならこれが普通になるだろう。
身障者や精神病の子供が生まれた時、セックス合意だけの婚姻では乗りきれないだろう。

両性の合意のみの婚姻はセックスだけの合意だから子供の存在は無視だ。
実は男から見て、セックスだけなら売春のほうがよほど合理的だ。
今流行の「コストパフォーマンス」から言えば、家族や子供にカネを使わず、売春に使うほうがパフォーマンスは良い。
合意のみの婚姻「売春」なら、その時時に細かく「合意」して子供なしのほうが男にとって楽で楽しいだろう。
ただし、売春を奨励賛美しているのでなく、憲法の規定の良くない事を説明したいから言っている。

谷崎潤一郎の「細雪」と言う小説は大阪の金持ちの娘の縁談の話だ。
縁談は星が降るほどあるが、徹底的に男の財産や稼ぎを吟味し、恋愛とか情とかクソ食らえといったところだ。
そんなのは結婚してから充分に深く自由に追求すればいいのだ。
その小説の中に東京に出て自由恋愛して誰の子かわからない子供を産み、実家に戻ってくる娘も登場する。
憲法の規定はこういう女が理想新しい進んだ女で、見合いで徹底的に条件を吟味する女は遅れた野蛮な人間の範疇になるのだろう。
彼女は不幸だが、何しろ自由平等が至上の理想とするサヨク憲法はその不幸は問題でなく「自由だから幸せのはずだ」と考える。
これを幸せと思わないのは頭の悪い遅れた人間だからだ、ということらしいのだ。
誰の子か分からない子供を産んだ女は恐らく収入は少ないだろうから子供の将来も悲惨だろう。
憲法の規定はそれを全く考えていない無責任なものだ。

そこで今後どうすればいいか、と言う話だが、それは簡単で人間の本性に戻って考えればいい。
自由や平等は幻想夢の世界と割りきって現実的、実証的、実務的に婚姻を考えよう。
婚姻は新しい幸せは家族を作るためにやるので、両性の合意は勿論だが、皆の祝福という合意も必要だ。
共同体の中に家族は生まれるのだから周りの人々に対する御恩と感謝も必要で、それを考えると「合意のみ」とはいえない。
その共同体は死んでいった人々の残していったものを相続して成り立っているから死んだ人も合意に参加する権利はある。
なお、死んだ人には人権がないからサヨク人権屋は死者の発言権を認めないが、彼らの考えの逆が正しいのだ。
死んだ人は合意の意思を表明出来ないが、無言の合意を忖度すべきだろう。

長くなるので今日はここまでにします。
また、続きを書きます。

 

(私のコメント終)