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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26年(2014)9月8日(月曜日)弐
     通巻第4330号  
◆書評
ハミルトン・フィッシュ、渡邊惣樹訳『ルーズベルトの開戦責任』(草思社

 (私のコメント)
今この本を読んでいるが、第二次世界大戦の裏側を知る上で大変面白い。
戦後70年以上経つとだんだんいろいろなことがわかってくる。
私も今迄の歴史認識が全く違ってしまった。
だが、山本五十六真珠湾奇襲攻撃という作戦が如何に間違ったものか、愚かなものか、これによって如何に日本人がひどい目にあったか、
と言うことがますますはっきりする。
何しろアメリカのルーズベルト大統領はそれを待っていたのだからね。
飛んで火に入る夏の虫、よりひどい。
そして、だからかも知れないが、東京裁判では海軍に一人も戦争責任に問われた者はいないのが妙に符合してくる。
外務省のアメリカ大使館のだらしない職員も戦後出世している。
これも変だ。
結局第二次世界大戦スターリンソビエト共産主義が世界に蔓延し、勝利したと言える。
勿論アメリカも世界制覇したのだが、それ以上に共産主義は世界の大部分を支配下に置いた。
この結果を最初から目論見、計画して遂行したのがルーズベルトだったのだ。
第二次世界大戦は避けられた戦いであり、20世紀は無駄な犠牲者が1億人も出てしまったともいえる。
そしてその後遺症は今も続いている。

この本は分厚いのでなかなか要約がむづかしい。
いずれやりたいが取り敢えずいろいろな人が要約しているのでそれを送ります。

(私のコメント終)


(見出し)
ヤルタの密約で東欧、満州、そして中国を失った米国
  「FDRはいったい何のために日本に戦争を仕掛けたのか?」
当時のFDRの最大の政治ライバルが怒りを込めて告発
◆書評
ハミルトン・フィッシュ、渡邊惣樹訳『ルーズベルトの開戦責任』(草思社


(引用開始)

『太平洋戦争』史観がひっくり返る決定版がでた。本書の出現はおそらく論壇を揺らすだろう。
 真珠湾攻撃ルーズベルトのしかけた陰謀による行為だったことは、いまや歴史学界における常識となりつつあるが、米国ではまだそうした真実を述べると『修正主義』のレッテル貼りが行われる。
日本の卑怯な奇襲という位置づけ、直前のハルノートをFDRは巧妙に隠したが、事実上の対日最後通牒だった史実は徹底的に無視され、米国史学界ではまだルーズベルト陰謀論は主流にはなっていない。
 本書の著者は当時FDR(フランクリン・ルーズベルト大統領)の最大のライバルで、「大統領が最も恐れた」議会共和党の有力者ハミルトン・フィッシュである。
しかもハミルトン・フィッシュはオランダ系移民の名家、FDRの住居のあるNYが、彼の選挙地盤でもあり、実はふたりはそれまでの二十年間、仲が良かった。
共和党の重鎮でもあったハミルトンがFDRと袂を分かったのは、移民によって建国された米国は不干渉主義のくにであり、しかも欧州で展開されていた、あの血なまぐさい宗教戦争に嫌気がさして新天地をもとめてきたピューリタンの末裔が建国したくにであり、その理想からFDRの開戦準備はおおきくはずれているとして、正面から反対したのだ。
しかし、本当のことを知るのはFDRの死後である。
 だからこそ、ハミルトン・フィッシュは、この『ルーズベルトの開戦責任』をFDRならびに関係者の死後まで辛抱強くまち、さらに祖国の若者がまだ戦っているベトナム戦争の終結まで待って、ようやく1976年に刊行したのだった。
そして日本語訳はさらに、原著刊行から38年、じつにFDRの死から70年後、第一次世界大戦から百年後になって、ようやく日の目を見ることになる。

書かれている内容は瞠目すべき諸点を含んでいる。
趣旨はルーズベルト大統領が議会を欺き、真珠湾奇襲の翌日に開戦を議会に求めて、これには当時の共和党指導者としてのハミルトンも賛成演説をせざるを得なかった経緯が詳述されている。
米国の不干渉主義は一夜で覆った。
しかし、けっきょくヤルタの密約で東欧、満州、そして中国を失った米国の悲嘆、FDRはいったい何のために参戦したのか、国益を損なったという怒りをハミルトンが告発したところが本書の特色である。
要は「なにがなんでも戦争をしたかった」のがFDRだったのだ。
余談だが、七月にバンクーバーに行ったおり、評者(宮?)は、渡邊さんから、原書を見せて貰った。すでに翻訳は完成していると言っていた。九月にはやくも刊行にこぎ着けたのは慶賀に堪えない。

 さて本書の重要部分である。
 第一はFDRがおこなったニューディール政策が完全に「失敗」していたという事実を把握しなければならない。このため、社会主義者、共産主義左派がホワイトハウスに潜り込み、「訳の分からない組織が乱立した」(38p)。
 使い放題の資金をばらまく組織が社会主義者らによってオーガナイズされ、それでも経済不況は終わらなかった。
猛烈にFDRは戦争を必要としていた。ウォール街の利害とも一致した。
FDRは「スターリンの友人であるとのべていた。スターリンは世界最悪の殺人者である。FDR自身は確かに共産主義者ではない。彼はキリスト教を信じていた」
ところが、周辺にはコミンテルンのスパイがうようよとしており、FDRの展開した「政策は間違いなく社会主義的であり、我が国の集産主義化あるいは国家社会主義化への地ならしとなるものだった(中略)。この事実はFDRがフェビアン社会主義者であることを示している」

 第二はFDR自らが、殆どの権力を集中させ、議会に知らせずに「日本に対する最後通牒を発した。そして戦争への介入に反対する非干渉主義者を徹底的に迫害した。(中略)FDRは世界の半分をスターリンに献上した。そこには中国も含まれる。それはヤルタでの密約の結果であった」(45p)
 なぜなら「レーニンが立てていた計画の第一段階は東ヨーロッパの共産化であった。それがヤルタ会談で(スターリンはあっけないほど簡単に目標の獲得に)成功したのである。次の狙いが中国の共産化であった。それもスターリンの支援によって成功した」

第三は世界観の誤認であろう。
なぜヤルタ会談でFDRは、そこまでスターリンに譲歩したのか?
「FDRはソビエトに極東方面への参戦を促したかった。満州を含む中国をソビエトに差し上げる。それが条件になったしまった。(中略)戦いでの成果の分配と戦後の和平維持、それがヤルタ会談の目的に筈だった。しかし結果はスターリンの一人勝ちであった。イギリスはその帝国の殆どを失った。アメリカは朝鮮戦争ベトナム戦争の種をヤルタで貰ったようなものだった。戦後三十年に亘る冷戦の原因を造ったのはヤルタ会談だった。ヤルタへの代表団にはただの一人も共和党員が撰ばれていない。中立系の人物も、経済や財政政策の専門家もいなければ、国際法に精通した人物のいなかった」(287p)
つまり病んでいた(肉体的にも精神的にも)FDRの周囲を囲んだスパイらの暗躍とスターリンの工作司令に基づきアメリカの政策を間違った方向へ舵取りし、世紀の謀略の成就に成功したというわけである。

翻訳者の渡邊惣樹氏がまとめの解説をしている。
ルーズベルトの死後、彼の対日外交の詳細と日本の外交暗号解読の実態が次第に明らかになり、ハルノートの存在が露見すると、フィッシュはほぞを噛んだ。窮鼠(日本)に猫を噛ませた(真珠湾攻撃)のはルーズベルトだったことに気づいたのである。彼は、対日宣戦布告を容認する演説を行ったことを深く愧(は)じた。彼はルーズベルトに政治利用され、そして、議席を失った」
本書はアメリカにとって「不都合な真実」が書かれており、いまだにフィッシュは「修正主義」のレッテルを貼られている始末だが、修正主義は左翼のプロパガンダ用語に他ならないのである。
そして総括的読後感はといえばスターリンに騙されたFDRは、ただの政治屋に過ぎず、世紀の陰謀を巡らし、そのためスパイを使いこなしたスターリンはまさに孫子の兵法を見事に実践し、孫子から二千数百年を経て、「出藍の誉れ」の典型的な謀略政治家となったのだ。

 


(引用終了)

(見出し)
アマゾンの書評から引用
ルーズベルトの開戦責任: 大統領が最も恐れた男の証言単行本? 2014/9/11
 
ハミルトン フィッシュ(著), Hamilton Fish(原著), & 1その他


(引用開始)

 

 

この本は、1939年9 月1 日の欧州での世界大戦と、1941年12月8 日の大東亜戦争の原因に深く係わった介入主義者のルーズベルトの失政を戦後明らかにした、
非介入主義者で共和党議員であったハミルトン・フイッシュが米国の独立200 周年に当たる1976年に発行した書籍である。

 1941年11月26日ルーズベルトは、日本に、日本軍及び警察のインドシナ、中国( 満洲を含む)
 からの即時全面撤退を要求した最後通牒( ハルノート) を突き付けた。
ルーズベルトは、この文書が最後通牒の性格を有することを認識していた。
日本がこの挑発に乗らなければ、さらなる第2の最後通牒を発することを検討していた。
国務長官スチムソンは、日本が挑発に乗らなければ、米国から戦争を仕掛けるべきと大統領に進言していた。
日本を挑発し、英国を支援し、欧州戦争に裏口から参戦するためであった。

 米国からの最後通牒により、日本は、自殺するか、降伏するか、さもなくば戦うかの選択しか残されていなかった。
この最後通牒は、米国議会、米国民には、全く、知らされていなかった。
 
 日本は、この最後通牒を受ける前に、8 月には近衛首相が米国に出向いて首脳会談を行うことを提案したが、
この会談は、対日戦、対独戦を既に決定しているとの理由で拒絶された。
11月には、日本は、甲案による計画的撤兵を提案し、乙案による南仏印から撤兵する暫定案を提案していた。
米国側の日本案に対する戦争を回避できる可能性のある暫定案は、事前に蒋介石チャーチルに示され、
彼らにより否定された。
ルーズベルトは、コミンテルン財務省のホワイトにより起案された宣戦布告ともいうべきこの最後通牒を承認し、
これを日本に手渡した。
この最後通牒は、日本がとうてい呑めないこと、手渡せば戦闘が開始されることをルーズベルトは十分に認識した上で、
通達された。

ルーズベルトは、1937年の日本は病原菌であるので隔離しなければならないとする「隔離演説」以来、
日本の敵意を煽り、枢軸国に追いやるために、経済封鎖などあらゆる手段を駆使した。
これは国務省の失敗であるという。駐日米国大使グルーは、日本国民は戦争を望んではいないことを本国に報告し、
日本は、米国との開戦を避けるためには、ほとんど何でもする用意があったと述べている。

 日本の真珠湾攻撃については、日本からの1941年12月7 日にハル国務長官に手渡された最後通牒は、
電文の傍受解読により、ルーズベルト、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、
マーシャル参謀総長、スターク軍令総長の6 名の戦争遂行内閣には、知られていた。
また、ハワイに日本の連合艦隊が移動していることも把握していた。
その上で、ルーズベルトは、米国民や議会に参戦を同意させる目的で、
ハワイ基地のキンメル、ショート司令官には、開戦の切迫を通知させずに、日本の奇襲を意図的に成功させたとある。
これにより、ルーズベルトは、日本を和平交渉継続中に米国を攻撃した戦争挑発者として非難した「恥辱の日演説」により、
国民を騙して戦争に向かわせたとある。

 また、ルーズベルトは、ハワイの奇襲攻撃を受けた責任の追求には、証人尋問、
証拠調べなどの法的な裁判手続を踏む軍法会議にはかけず、過激な戦争賛成派のロバーツを委員長とする委員会で審議させて、
ハワイの現場司令官に不名誉な責任を追わせているが、自ら発した恥ずべき最後通牒については審議させていない。

ルーズベルトは、1940年10月( 開戦1 年2 ケ月前) の時点で、「遅かれ早かれ日本は間違いを犯し、
米国は日本との戦争に入ることになるであろう」と述べ、1941年8 月の大西洋会議では、
極東における英国の権益を擁護すると合意し、「米国は自国自身が攻撃を受けずとも、
極東における戦争に参戦し、もって勝利を確実なものとする」と述べたであろうという。

 著者は、戦後の日本の朝鮮併合の解体、日清日露戦争で得た領土の放棄を決定づけ、
ソ連の世界共産化を強化した1943年11月22日のカイロ会談、1945年2 月4 日からのヤルタ会談の時には、
ルーズベルトは健康を深刻に害しており、これがスターリンとの交渉で妥協した原因であったと言う。
また、ヤルタ会談に同席したのは、容共主義者のハリー・ホプキンス、
ソ連のスパイであり秘密文書をソ連に渡していたアルジャー・ヒスの2 人だけであった。

これがヤルタ会談で、スターリンが一人勝ち、朝鮮戦争ベトナム戦争の原因となり、
中国、バルト3 国、ポーランド、バルカン諸国、ハンガリーなど東欧などが共産化した理由であった。
米国は満洲、中国での権益を得ることはできず、英国、仏国、オランダは、植民地を失い、米国は何のために日本と戦ったのか。
 本書は、日本と米国が開戦に至る真実が、当時の米国下院議員により明らかにされている。

 本書は、極めて貴重な書籍である。日本人は歴史の真実を知るべきである。
 戦後、日本は一方的に侵略戦争を仕掛けて、アジアに迷惑を掛けてきたと教育され、
それを疑わないできた日本人、特に、政治家、役人、学者、マスコミ人が、是非とも読むべき本である。
 多くの人が、是非とも読まれることを薦める。

(引用終了)