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短足おじさんの一言

(見出し)

2016-01-24 12:04
大陸と英米の違い


(引用開始)
(前略)

中でも難問なのが「大陸と英米の違い」などの哲学に関する話。
私もこんな難問は即答できないが、今現在分かる事を書いてみたい。

尚コメント欄で取り上げられている哲学に関する話としてこんな本を取り上げている。
筑波大学教授古田博司氏著
「ヨーロッパ思想を読み解く 何が近代科学を生んだか」ちくま新書 2014年8月刊

この本で取り上げられているのはヨーロッパの思想の話なのだが、それをヒトが目で見るなど認知できる世界を「こちら側」、認知できない世界を「向こう側」として、それをどのように扱うのかといった観点で書かれている。
私も「大陸と英米の違い」をこんな「向こう側」の視点で考えてみたい。
(中略)

こんな事を念頭に私の独断と偏見で纏めたのがこれから紹介する皆さんから頂いたコメント。
そんなコメントの内から、関係部分を抜粋し紹介したい。


最初にこれはgai-yaangさんからのコメント

(中略)

二度の大戦もアメリカさえいなければドイツの勝利だった。さらにロケットをはじめとする最先端の科学技術をアメリカに盗まれた。欧州全体の問題だったユダヤ人問題もホロコーストというどこまで本当かわからないレッテルをナチス・ドイツに被せておしまい、とドイツ人が考えてもおかしくない。

アメリカの成り立ち自体、ヨーロッパから見ると食詰め者と犯罪者と奴隷の国、文化もなく人も動物も退化してしまう、と見下していた。

第一次世界大戦の頃までには医学・化学や哲学などを学ぶにはドイツ語が必須だったというのに、いまや英語が世界の共通語。これもドイツ人には面白くないでしょう。

エマニュエル・トッドの言うドイツ人の「中身の無い合理性」について、こんな話を思い出します。自動車の運転で、ドイツ人は信号が青なら交差点で赤信号を無視して進入してくるクルマがあってもひたすら突っ走る。自分が絶対に正しく信号無視のクルマが悪いのは当然ではあっても、事故を回避する最低限の注意すら怠ってしまう、というもの。

信号を守るというテクニカルなことが事故回避(安全を守る)というモラルに優先してしまうドイツ人をよくとらえています。

(後略)

これはよもぎねこさんからのコメント

(中略)
国境を越えて不法入国して難民申請を出した奴が難民と決めると、ギリシャやバルカン諸国の迷惑も、エーゲ海での大量溺死もなんのその「難民の受け入れに上限はない」とがんばり続ける。

 ヨーロッパ域内の戦争での難民なら国境を越えて命からがら逃げた人=難民で良かっただろうけど、今中東や北アフリカから押し寄せる連中は違うでしょう?

 ところがドイツは難民の現実を見る事は絶対拒否して、古典的な難民の定義により古典的な対応に執着しているのです。

 このあたりの硬直した思考法は実は、ドイツ人だけじゃなく欧米人の特徴だとは思うのですが、北へ行くほど酷い気がします。
これはkazkさんからのコメント

(中略)

ーロッパ思想を読み解く、読みました。良く分からないんですが大陸の思想家たちは自分が理解できる世界については合理的な推論や志向ができるが,自分達が感知できない「向こう側」(未知の)の世界になると途端に合理性を失うというような趣旨だったと思います。

これに対して英米系の連中は未知なものは未知として平気でアプローチしていく、そういう内容だったと思います。これは例えばいわゆるIT分野において顕著でしょう。この世界は基本的に我々が感知できるものではありません。その存在を間接的に推認しその応用を図る分野です。情報工学やシステム科学の分野ではこのような場面でも「翔ばなくて」はいけないのですよね。
アングロサクソンの一部にはこれを間違いなくやってもける才能が有ることは否めないでしょうね。
(中略)
これはgai-yaangさんからのコメント


(中略)

英国では昔からというか今でも心霊研究や交霊会、代替医療など盛んで妖精の類も大好き。ネッシーというネタもありました。現代ではハリーポッター

ヨーロッパの辺境だったゆえにキリスト教以前の多神教的なものが基底にあるのでは、そんな気もします。オスカー・ワイルドの「幸せの王子」、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、ディケンズの「クリスマスキャロル」、シェイクスピアの作品の数々、妖精や幽霊、無生物に魂が宿る話などキリスト教的にはおかしな話ばかりですが日本人には馴染みやすい。

宗教改革にしてもドイツの血で血を洗う30年戦争に対し、英国は国王の離婚が認められずにローマ教会から離脱、典礼はほぼカトリックのまま。日本の神仏混淆を思わせるいい加減さですが、それでも国王が首を刎ねられたり、国王に逆らった聖職者の生首がロンドン橋やロンドン塔の上に晒されたりしました。シリアの反政府勢力が歩道の鉄柵の上に生首を並べるのとさほど変わりありません。

英国はカトリックを差別しましたが殲滅しようとはしなかった。現にエリザベス女王戴冠式チャーチルの国葬を取り仕切ったのは紋章院総裁を世襲するノーフォーク公(最古参の筆頭伯爵かつカトリック)でした。

フランスの自由平等博愛、ドイツのゲルマン民族至上主義とは違った、英国の融通無碍があればこそユダヤの金融資本を取り込み、奴隷貿易や阿片取引といった汚れ仕事はユダヤ人に任せ、二枚舌・三枚舌で大陸諸国を翻弄できたのかもしれません。

 


<引用此処まで>


さてここで皆さんからのコメントへの回答なのだが、丁度そんな事を古田教授が対談で話している。
雑誌「正論」の2016年2月号に古田博司氏と富岡幸一郎氏との対談が掲載されている。
題して「近代は終わった。そして我らは」 p150-p161、
この中に「中国とドイツが必ず滅びる理由」という部分がある p159-p160

此処が大変興味深い、そして頂いたコメントへの参考になると思うので抜粋引用する。


(中略)

古田 彼らは、歴史の中に必ずストーリーを求めようとするんです。
例えば、ホロコーストユダヤ人、旧約の神の民を滅ぼして神に挑戦しようとしたり、そうかと思うと、EUで国家共同体の盟主になろうと思ったり、いまは、かつてナチス時代に難民を出したことを悔いて、大量の難民を受け入れようとしている。
ストーリーがないと生きられない人たちですよ。
中国人も同じで、ストーリーが必要なんですね。今、追っているのは中華の夢。白分たちのストーリーを本気にしてるから、南シナ海も古代から自分たちの海だと思い込んでいる。
中国人もドイツ人も歴史にストーリーをつくって、自分がその主役にならないといられない人たちなんです。
しかし、歴史のストーリーをつくる人たちは、必ず滅びますよ。
なぜなら、現実と薩髄を起こして、いつか追い詰められていくから。
旧約聖書を読むと、滅びていく者は全部、自分のストーリーで神に挑んで滅びていく。
僕、旧約聖書のあの部分はリアリズムだと思う。ストーリーを持ち何かに挑む者は必ず滅びるということを、古代人が語っているような気がしますね。


(中略)

古田 日本はドイツから学んで失敗したんだから、もっとアメリカから学ぶべきなんですよ。
アングロサクソンの人は自分勝手だけど、その場その場で対応していきます。ポストモダンを生きるにはフレキシブルじゃないと無理ですから。
ドイツや中国を学んじゃダメ。この二国はそっくりだから、絶対仲がいいはずですしね。

(中略)

 

<引用終り>


難しい話ですが、これから「では私たちは、私はどうするか」を考えてみたいと思います。

キーになるのは「般若心経」です。  ・・・ またまた変なものを持ち出したな。抹香臭い話は御免だぞと思われそうですが、しばしご容赦を!。

般若心経、正式には摩訶般若波羅蜜多心経と言います。
この経文はサンスクリット語から漢文に翻訳されていまして、有名なのが「色即是空」などの言葉。そして翻訳者は「孫悟空の親分こと三蔵法師こと玄奘三蔵」。
ですから一応漢文なのですが所々サンスクリット語をそのまま音だけ漢字でうつした所があります。

最初の表題の部分もサンスクリット語でして、こうなっています。

摩訶 般若 波羅蜜多 心経(まか はんにゃ はらみった しんぎょう)
偉大なる"悟りを開く智慧"の真髄

※摩訶=偉大なる
※般若=智慧
※波羅蜜多=完成、悟りを開く、彼岸に至る
※心経=(心=真髄、経=経典)

元々仏教は自己開発の為の教えなので、原始仏教に近いタイなどの上座部仏教などは今でも「自己開発」を教えています。
そして面白い事にこの「般若波羅蜜多」はタイにごく少数ある大乗仏教の寺でもこれが経文になっています。

と前置きは此れ位にして本論。この般若心経の最後にこんな謎の呪文が有ります。
「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経」
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか はんにゃしんぎょう)

普通には
羯諦=(さとりに)往ける(もの)
羯諦=       〃
波羅羯諦=さとりに彼岸へ往けよ
波羅僧羯諦=(もっと強調して)さとりの彼岸に往けよ
菩提=覚り(さとり)
薩婆訶=幸いあれ、(良く言った)

全体を纏めて、中村元先生は「往き往きて 彼岸に到達せるさとりよ、幸あれ」と訳されています。

しかしこの「羯諦」の原語「gate gate paragate parasamgate」には「実践せよ」という意味があると言う人がいます。
そうするとこの難解な言葉は「実践せよ 実践せよ」となってくる。
そしてこれこそが古田博司氏のいう「向こう側」への道なのではないか。

日本人が古来武士道とか修験道そして禅寺などで厳しい修行、鍛錬を続けてきた。
その伝統は徳川の平和な時代になっても消して途切れることなく続いてきた。
こんな事が今日の日本の底流にあるのではないか。
そう考えると「武」の道を究めた武人が色んな書物(宮本武蔵五輪書)を作り、武人の道を説いたのも分かる気がする。

何か取り留めのない話になりました。
結論は英米と大陸の思想の違い、そしてその中で日本人が、我々がやるべきことは日々の実践と鍛錬、こう言う事だと思う次第。

以上でこのコメント紹介エントリーを終りにしたいと思います。

 

 


(引用終了)

(私のコメント)

日本人はヨーロッパと一括りにするが、イギリスとドイツは歴史も文化も全く違う。
日本とシナが全く違うのと同じだ。
戦前はドイツの科学技術が非常に発展していたためドイツからいろいろなことを学んだ。
当時ドイツから見るとアメリカやイギリスは一段低いと見られていた。
だが、イギリスの産業革命を学んだのはドイツの方だったから、実際は反対だったのだが。
日本はドイツの観念的なものを学んだので、それが日米戦争の遠因になっているかもしれない。
アメリカやイギリスすなわちアングロサクソンの一つの特徴はプラグマティックつまり実践的実証的実務的だということだ。
これは古田先生が言われるように「向こう側」について「この世の中には不可知なのがある」という認識があるかないか、ということだと思う。

イギリスには保守思想というものがあるがドイツでは聞いたことがない。
あるのかもしれないがよく知らない。
あったとしても多分イデオロギー的なものになってしまってイギリスの保守思想とは全く異質なものになるだろう。
イギリスの保守思想は懐疑、漸進、共同体の3つをメインにしていると考えればよかろう。
これはドイツの考え方とは相容れないだろう。
古田先生の言われるドイツはストーリーで考える、と言うのは理想の側から「こうあるべきだ」という考えを構築してそれを現実世界に当てはめようとするということだろう。
「あるべき正しいし世界」を考えてもし現実がそれでうまくいかなければ現実が間違っているのだ、とドイツ人は考える。
たとえば人権平等という理念が正しければ、イスラム難民とキリスト教住民は仲良く暮らすべきで両者ともそれに反する人間は処罰排除すべき、と言うことになる。
アングロサクソン流に考えればイスラム難民とキリスト教住民は別れて暮らすしかないだろう。
そして徐々に可能であれば平和裏に混在していくことを望むしかない、という風に考えて強制しないだろう。
人権平等なんて現実から見ればくそみたいなものだ。
こんなばかげたものをありがたがるドイツ人もどきの日本人がいるから朝鮮人にやくざのように因縁をつけられるのだ。

さて、日本人については「実践せよ、実践せよ」と言う般若心経の教えを用いている。
そして「我々がやるべき事は日々の実践と鍛錬」ということだが、これは日々の生活を「修行」ととらえる考え方だ、と思う。
古来から日本人は現世では修行として仕事に励み、来世はその修行の結果により良い生活を子孫に与えることを目的とした。
また修行して善行を積めば来世にもっと幸せな環境に生まれ変われるとも思った。
これは般若心経などと同じ仏教思想だが仏教思想の渡来以前に日本人が心に持っていたことだ。
縄文時代の貝塚には貝を埋めると、春になるとまた貝が生まれ変わって湧いて出てくる、と考えていたようだ。
シャーマン(呪術師)の骨も一緒に出てくるから貝塚はゴミ捨て場でなく、輪廻転生を意識したものだろう。
こういう思想は仏教思想が渡来したから新たに生まれた考えと言う訳では無い。
般若心経についてはもう少し解説したいが、長くなるので次回以降にしましょう。

 

 

(私のコメント終)