1602-5-869-2/7メルマガブログ転送般若心経の悟り

優良メルマガブログ紹介

 

http://arugamamaniayumu.blogspot.jp/2014/03/blog-post_3.html
あるがままに
(私のコメント)

[1601-15-864-1/30メルマガブログ転送般若心経]
般若心経の説明を行ったが、それに関連して般若心経の言う「悟りに至る」がどういうものか説明したブログがあったので紹介します。
人は起きてから寝るまで色々な事を考えつづけているが、それは8割方妄想で本質とは離れてしまうものだ。
ここで言う本質とは今ここにいる、未来に向かって進む自分と言うもののことだ。
ここでブログ主は自分の思考を観察することでその本質を捕まえようとしている。
そのような観察によって本質と言うものに目覚めるのが悟りだ、ということだろう。
これは「1511-18-827-11/20メルマガブログ転送日本経済は心理学で4」の広宮孝信著「日本経済のミステリーは心理学で解ける」
に書かれていたことに通じる。
観察するということは無意識部分を肯定してやる、そして脳の前頭前野を活性化し気分や情緒を司る扁桃体を抑制する。
自分を意識された自我と無意識部分を分けて考え、無意識部分を肯定的に観察してやる。
この考えと今日紹介するブログ主の考えは共通している。
これを上記の筆者は「仏教の知恵である「無意識部分の意識化、脱同一化、脱自動化」を実行する」ことを推奨している。
脱同一化とは無意識部分と意識部分を同一化させないということであり、脱自動化とは無意識部分の思う通りに動かない、ということだ。
これが悟りの実践行動と言うことになる。
「1601-9-858-1/22メルマガブログ転送思考言葉行動習慣性格運命」
怒った時の対処法。

1 深呼吸する
2 湧いてきた怒りは、放っておく
3 被害者意識を消す
これは心の観察によって行うものだから上記の考えと同じようなものでしょう。
怒った時は自分自身が今怒っているんだ、と認識しそれを承認する。
自分の状態を俯瞰して認識すると、理性を担当する前頭前野部分と感情を担当する扁桃体の2つの部分のバランスが取れるようになる。
またなるべく体を使って体を使うことにより妄想を押さえ、本質的な今ここにある自分を捕まえることもできる。
また般若心経のように呪文を唱えたり、瞑想したり、神様を拝んでみたり、いろいろな方法で悟りに至ることができるようだ。
自分に合った方法でよいのだろう。
今現在の怒ったり恐怖したり泣いたりする自分を事実として率直に肯定し、ただそれを観察することで心を空っぽに近づける。
空っぽになったらそれにこだわることなく、なるべく上機嫌プラス思考の方向に気持ちを切り替えていければ上出来だ。

(私のコメント終)
(見出し)
悟りを開く方法。それは思考を観察すること。

(引用開始)


悟りを開く方法。それは思考を観察すること。


悟りを開く方法について書きます。

そして、自我・エゴの正体を見破ることはできました。

そして、自分の本質である真我の存在をはっきりと知ることができました。

その結果、人生で深く思い悩むことがほとんどなくなり、生きることがずいぶんと楽になりました。

真我と常につながっている状態を悟りというのだと思いますが、僕は真我とつながりたいと思いつつも、
ついつい自我・エゴ・思考に捕らわてしまいそうになる時もあります。

ただ、以前の僕との大きな違いとしては、


たとえ自我・エゴ・思考に捕らわれて悩んだり落ち込んだり悲観したとしても、
それは一瞬のことであったりして、決して長期間それに捕らわれたりはしません。

なぜなら、僕が落ち込んだり、過去を後悔したり、将来を不安に思う時というのは、

100パーセント、自我・エゴ・思考・マインドが、そう考えているということを見抜いているからです。

赤ちゃんには悩みはありません。まさに〝いまここ〟だけに生きています。

私たちは全員、悟った状態で生まれてきます。

つまり人間は本質的に誰もが最初から悟っているのです。
つまり、悟りは、どこか遠い場所にあって到達するものではなく、最初から自分の中にあったものを思い出すということです。
悟りを開くための最も簡単な方法は、

自分の思考を観察する。

ということです。

これだけで、OKです。

僕は一日中、寝ている時以外は、一瞬も休むことなく、思考しているのです。

自分の頭の中のおしゃべりの止まらなさに思わず笑ってしまうほどでしたが、僕の中のエゴは一日中おしゃべりを、
しかもたいていはネガティブなおしゃべりを続けていることを発見しました。

おしゃべりの内容は、ほぼすべて、過去や未来のことでした。

あの時、ああすればよかった…


僕は、思考を観察しはじめて、それを批判もせず、改善することもせず、ただただ観察し続けました。
そして、
「ああ、僕は〝いまここ〟にいないな…」
ということにだけ気付くようにしました。

そして、不安や恐怖があれば、それから逃げずに、その思考の中に飛び込んで、不安や恐怖を味わうようにしました。

不安や恐怖を味わい尽くせば、かならずその不安や恐怖は消えてなくなります。

なぜなら、それは自我・エゴが作りだして幻想だからです。

そうすることで、僕は〝いまここ〟に帰ってくることができました。


今でも、毎日、真我と自我の間を行ったりきたりはしています。
ただ、どんな問題が起きても、慌てず騒がず、冷静に善処できるようになりつつあります。


長文になってしまいましたが、僕の経験からも、

とにかく自分の思考を観察する

ということを実践するだけでも、人生はずいぶんと好転します。

そして、それが定着していけば、必ず〝悟り〟に到達すると思っています。
思考を観察する…ことについて、もう少し踏み込んで説明します。

なぜ、このことについて書くかというと、前回の記事(「不安や恐怖を克服する方法」)で紹介した相談者さまより、
さらに下の質問をいただいたからです。

>思考を観察する
>神あるいは、神そのものである自分の中の神(真我)を信頼する

この2つを忘れずにいたいと思います。ありがとうございます。

早速、一つ質問させていだきたいのですが、思考に気付いて観察すると、観察し始めた瞬間、
あるいは1~2秒後には、思考が止まってしまいます。

要するに、観察しているときは、思考は起こらないのです。

しかたがないので、少しの間(3~5秒くらい)、思考していた「余韻」を観察するか、
考内容を「わざわざ思い出して(こんなことを考えていたんだねー、という具合に)」観察しているのですが、
そんな感じでいいのでしょうか?

お時間のあるときにお返事いただけると幸い です。

【質問以上】

***


そして、思考が出てこない(思考にとらわれていない)時というのは、ある意味、
〝いまここ〟に在ることが出来ている状態でもあるのです。

なので、思考を観察して、思考が出てこないというのは、良いことなんです。

その時は、無理に過去の思考を思い出すのではなく、思考のない状態で〝いまここ〟にただゆったりと在ればいいのです。

それはある種の目覚めであり、覚醒ということもできます。


無思考のいまここ状態には、何の問題もありません。

過去に失敗したとしても、未来に不安があったとしても、〝いまここ〟という瞬間、その場所には何の問題もないのです。

そのことに気付くことが悟りです。


ただ、瞬間的に思考が止まり〝いまここ〟に在れたとしても、数秒後にはおそらくまた思考がはじまります。

そして、それはそれで構いません。その時はまた「ああ、思考が出てきたなあ…」と、その思考を観察すればいいのです。

この思考を観察するということは、筋トレにも似ていて、それを習慣づけていくことで、
日常生活の中で、ある瞬間にハッと、思考に気付くことが増えてきます。
***

僕たち人間は現実社会で生きている限り、仕事のこと、人間関係のこと、家族のこと、あるいは健康のことなどで心配は尽きず、
すぐに思考・マインドに捕らわれてしまいます。

そしてそれは、生きていく中である程度は仕方がないことだとも思います。

でも一点だけしっかりと理解していると、人生がうんと楽になる方法があります。

それが、思考を観察するということです。

思考と一体化しないということです。

本当のあなた(真我)は愛そのもの、光と熱そのものであり、何の問題もないのです。

あなたが呼吸をして、ただ生きているだけで全てがOKなのです。

 

***
あなたが、現在何かに悩んでいたり、苦しんでいるのならば、

まずは、思考を観察することから始めましょう。

そして、悩みも苦しみも、マインドが作りだしていることを見抜きましょう。

そして、本当のあなた、真我のあなたは神そのものであり、愛そのものであることを理解し、信用し、感謝しましょう。

あなたは、本当に本当に生きているだけで素晴らしい存在なんです。

 

没頭しているときは”自分”が消滅している。見えているのは、そこに広がる素晴らしい世界
言葉を超えた背景にある”無”を捉えることだ。+


(引用終了)