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2016-05-09
東洋経済の「生涯非婚」特集

(私のコメント)
いわゆるサヨク的な考え方、というのは理想を神としてかざすのだが、結果として人を殺す事になる、というのが経験則だ。
(つまりサヨクは自分が神として人々に君臨し、支配指図しようとしている。
サヨクは概して勉強エリートからできているが、彼らは従来の神は迷信因習の類否定し、頭が良い人間こそ神だと思っている。)

理想で人を変えて理想社会を作る試みは、例えば、共産主義の失敗で説明できる。
共産主義の教義の一つに私有財産の禁止という理想がある。
確かに私有財産の禁止はそれによる争いがなくなるから理想社会だろう。
だが、サルだって持っているバナナを奪われたら殺し合いになるし、そもそも最初から絶対にそんなことはしない。
現実に猿山のサルを観察していれば、サルの社会ではたとえ相手が子供でも手に持つ食べ物は奪わない。
それを理想だからと言って強制しようとすれば人間性の否定になるから人殺しの結果になる。
憲法第九条反原発反核兵器も理想はそうだが、人間の攻撃的本性からすれば、それを否定無視しても人殺しに帰結する。
下記記事のネオリベラリズムフェミニズムも同じ構造だ。
ネオリベラリズムは「新自由主義」と訳されているが、個人の自由を理想に掲げ競争と市場原理を重視する経済思想だ。
共産主義社会主義は国家権力による統制経済を基本に置くが、それに対抗して生まれ、1980年代のソビエトロシア共産党崩壊に伴い支配的になった思想だ。

自由という理想から人間を変えようとするが、現実は自由競争と市場原理の社会は弱肉強食、貧富の格差拡大の正当化という一番悪い社会の出現だった。

フェミニズムは平等という理想から女性解放思想と参政権を求める運動がもとだった。
だが、その後1970頃から性差別克服の人間解放運動に変化発展した。
性差に起因するあらゆる社会的個人的抑圧差別の撤廃を目指すものだ。
平等という理想から人間を変えようとするが、男女の違いは人間の本質的なものだから、人間を人間でなくする、という試みになる。
これも子供の出生率低下で人殺し子供殺しに帰結する。
結婚しないで男に伍して競争に勝ち抜ける女には非常に都合がいい社会だが、普通の知能を持って生まれた女はかわいくて男に愛される方が得だ。
だが、それはフェミニズムにとっては敵になる。
ということはどういう人たちがどういう目的で運動しているのか背景が透けて見える。
理想を掲げた運動というものはこのように皆汚い裏があって、本質は人間の持つ妬みや嫉妬、怨念などの感情に基づく。
サヨクには理想を掲げた神とあがめられるルソーやマルクスも人間としては人にたかったり、非常に卑しい人生を送った人たちなのだ。

いずれにしろ、勉強エリートが神として考えつく理想社会は現実に反逆されて最悪の結果になる、ということだ。
それと、いずれも組織や共同体、国家を自由や平等の敵と決めつけるから、人は限りなくバラバラの無力な存在に貶められる。
また人間を否定した人間になることを強制されるから、家畜かロボットのように勉強エリートの言われるままにしないといけなくなる。
個人で自主的に判断して行動すればどうしても人間的な行動になるからだ。
逆に言えば、組織や共同体、国家は人間を保護するために生まれたものだ、ということをもう一度考え直すべきなのだ。
つまり、サヨクが主張することの反対が正しい、と決めて色々なことを判断したほうがいい。
その方が「自立自助、一身独立」と「人間は世のため人のためにある」ということが人間の本質、事実だ、ということが分かってくるのではないか。

(私のコメント終)