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1605-17-950-5/20メルマガブログ転送経済学者の嘘

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 『三橋貴明の「新」日本経済新聞

     2016/5/18

「学者が嘘をつく構造、またはメガネと視野欠損」
From 佐藤健志

(私のコメント)
下記のメルマガは経済学者の言うことは現実離れしてよく間違う、という話だが、その原因については世の中一般に当てはまる現象だ。
我々も自戒しないといけないので取り上げた。
これは心理学では「認知不協和」と言う。
これについての具体的な例としては、イソップ物語の狐の話が語られる。
おいしそうな葡萄だが狐が取ろうとしても高いところに実っているので取れない。
そうするとキツネは「あの葡萄は酸っぱい」(事実とちがう)と考えを変える、というのだ。
つまり、何か不都合があったとき、現実を曲げて自分に都合よく解釈してしまう、という人間の心理を明らかにしたものだ。
こういう認知不協和に陥った人は頑固に思考停止したり、結論ありきで色々考えたり、宗教のように信仰してしまったりする。
こうなると、論理的な判断が出来ず、現実から遊離してしまう。
現実を直視観察して対応するのがプラグマティスト現実主義者だが、それと反対に現実から遊離して理想社会、夢の世界に住んでしまう。
典型的なのは9条平和教の人々だ。
先日新聞にピースボートという世界一周客船の旅を運行する北朝鮮系のサヨク平和主義の旅行会社がソマリア沖で海上自衛隊に護衛を要請した話が出ていた。
勿論彼らはがちがちの9条平和教徒で自衛隊否定なのだが自分の都合の悪い時はひっこめるのだ。
このように世の中ではよく見られる現象で、我々の日常でもよくあることだ。
例えばダイエットとか禁煙とかで言い訳を考えてそれをやめることなども同じ範疇だ。(耳が痛いw)

さて、メルマガの内容を要約してみよう。
1.世の中のことを前提条件を設定して理論化した。
世の中の現象は複雑なので、単純にモデル化したものを使って研究したのが経済学だ。
モデルだからあくまで現実とは違う。
だがそれは約束事の上では正しい。
2.約束事の上で正しいのにその約束事を忘れてしまって現実の世の中でも正しい、と考えてしまう。
ここでウソが生まれる。
3.そしてモデルから生まれた理論を勉強する経済学者は理論が正しく、現実が間違っている、という信念を持つ。
4.そして理論から説明できない現状を存在しないものと否認する、というような風潮が経済学者の中に生まれた。
だんだん嘘が本格化する。
5.重要なのはそういう現状否認型の経済理論に政治家や経営者などが便乗して自分たちの利益を増大させようとすることだ。
6.自らの出世のために現状否認型経済理論(理想論的だから高尚に見える)をぶちあげる経済学者が出る。
つまりカリスマになろうとする道具に経済学を使う。

こんな具合だ。
さて、経済学の嘘については佐伯啓志京都大学教授の本にも書かれている。
次回はその内容を記事にしよう。


(私のコメント終)
(見出し)


「学者が嘘をつく構造、またはメガネと視野欠損」
From 佐藤健志


(引用開始)

本紙読者のみなさんは、すでにご存じと思いますが、青木泰樹先生の著書『経済学者はなぜ嘘をつくのか』が、この3月、アスペクトより刊行されました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4757224257

(中略)

〈難しい説明しかできない者は、物事を本当には理解していない〉と喝破したのは、たしかアルベルト・アインシュタインだと思いますが、経済と経済学の両方を本当に理解していないと、こういう本は書けません。

(中略)

さて。

学者は通常、嘘をつくことを目的としてはいません。
少なくとも主観的にはそうでしょう。
世の人々(の大半)も、学者に嘘を期待してはいないと思います。

ならばなぜ、経済学者は嘘をつくにいたるのか?
そしてそれが、なぜまかり通るのか?
青木先生の議論に基づいて構造を整理すると、以下のようになります。

1)経済学者は、みずからの理論の体系性や普遍性を高めようとしたあげく、人間のあり方について前提条件、つまり約束事を設定した。
しかるに問題の約束事は、人間は誰でも物欲の充足(=効用の最大化)のみをめざして行動するとか、当の行動は(主観と客観の双方において)つねに合理的であるとかいった、現実離れした要素を多々含んでいた。

要するに、すべての人間が「合理的経済人」であると見なしたわけです。
この前提は、むろん事実に反しますが、それについて自覚的であるかぎり、嘘は発生していません。
だいたい経済学に限らず、理論モデルには約束事がつきものです。
ところが。

2)くだんの前提条件について、理論を成立させるための約束事だという自覚が失われ、「現実離れしていない」と構えるのが当たり前になった。

ここで嘘が生まれます。
現実離れしているものを、していないと言い張っているからです。
その結果・・・

3)少なからぬ経済学者が、〈現実が理論通りにならないのは、理論ではなく現実のほうが間違っているのだ〉という信念を抱くにいたった。

とはいっても、理論通りにならないものはならない。
ゆえに。

4)「現実の中にある、理論では説明のつかない事柄を、いかにして存在しないものと見なすか」という点についての理論が発達した。〈不都合な現実は否認する〉ことが経済学界の支配的風潮となり、これに適応しないかぎり学者になれない傾向が強まった。

だんだん嘘が強まっているのがお分かりになるでしょう。
ところが。

5)現実否認型の経済理論、およびそこから導き出される政策に、政治家や財界人(少なくともその一部)がメリットを見出した。

無理からぬ話です。
政治家も財界人も、現実に対処するのが仕事。
けれども思い通りにならないのが、現実というものの本質です。

そこに「理論では説明のつかない(=思い通りにならない)現実は、そもそも存在しないと見なしてよい」という理論がやってくる。
しかも〈学問的権威〉というハクまでついています。
歓迎されるのは理の当然!

T・S・エリオットの有名な詩「四つの四重奏」ではありませんが、「人間はあまり多くの現実に耐えることができない」のです。
かくして。

6)みずからの出世のために、現実否認型の経済理論や、それに基づく政策を、ことさら確信犯的にぶちあげる学者たちが登場した。

これで構造は完成です。
青木先生は本の中で、「主流派経済学」「ネオリベ経済学」「俗情経済学」という区分を使っていますが、上記の構造に当てはめるなら、おおよそ
(1)~(3)=主流派経済学
(4)=ネオリベ経済学
(6)=俗情経済学
となるでしょう。


とはいえ。
この構造、聞き覚えがありませんか?

明らかに無理がある(=現実離れした)タテマエを、
崇高にして達成可能な(=現実離れしていない)美しい理想のごとく絶対化し、
そのような姿勢を取るうえで都合の悪い一切の事柄を、汚物のごとく見なして排除しようとする傾向。
極端になると、〈自分たちの理想を否定するもの〉が存在すること自体を、そもそも認めない状態にいたる・・・

そうです。
経済学者が嘘をつくにいたる構造は、『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』で論じた、キッチュの構造とまったく同じなのです!
http://www.amazon.co.jp//dp/4198640637/

同書で私はキッチュについて、
〈視力のよしあしによらず、視野に巨大な欠損が生じる状態〉
と形容しましたが、青木先生も〈経済学者の嘘〉について、視覚のタトエで説明しました。
いわく。

大半の経済学者がかけているのが、主流派経済学というメガネです。このメガネは度が強い。つまり、抽象度が高いので、見える範囲が極めて狭くなります。

駅前の雑踏を歩く群衆をこのメガネで見ると、すべての人が同じ顔、同じ体型、そして同じ服を着ているように見える。まるでクローン人間の集団行動のように見えるのです。さらに景色に目を転じると、どこもかしこもすべて同じに見えてしまいます。

さて、このメガネをかけて現実を認識することは果たして適切でしょうか。筆者は不適切だと思います。
(84~85ページ)

なんと驚くべき一致!!
・・・と言いたいところですが、じつはこれも理の当然。

政治であれ経済であれ、「現実がちゃんと見えているかどうか」を問うことは、きわめて重要な課題なのです。
人間はあまり多くの現実に耐えることができないとしても、現実を直視しない、ないし直視できないところから生まれた政策が、うまく行くはずはない。
現在のように、世の中が行き詰まっている時代はとくにそうです。

『経済学者はなぜ嘘をつくのか』、次週も取り上げます。
ではでは♪

 

 


(引用終了)