1607-24-1004-7/27メルマガブログ転送一神教の元祖ユダヤ教

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(見出し)
ユダヤ人を救ったイラン人の救世主 ~ 一神教が生み出された理由


(私のコメント)

要点は次の通り。
1.要するに世界の宗教は多神教が多く、大体農業国家は多神教だ。
だが、現在は一神教であるキリスト教イスラム教で大体3分の2を占めているだろう。
どうしてこうなったか、という歴史的経緯は知っておく必要がある。
現在の色々な世界の状況はこういう歴史の流れの上におきているからだ。

2.一言で言えば、古代オリエント、今の世界地理で言えばエジプトからイラクにかけての地域の歴史的経緯を知ることになる。
ここから出た宗教だから、この地域の地勢と民族の興亡の歴史を知っておく必要がある。
我々には全く無縁の知識なのだが、世界の人々の中ではそれが常識だ、ということをわきまえた方が良い。
この地域は大体日本列島が収まるくらいのそんなに広い地域でないから、世界全体から見たらごく小さい一地方に過ぎない。
また、時間的に見てもせいぜい紀元前1000位で、そんなに古いものでない。

だが、日本人のキリスト教徒が居たらそこが彼らの故郷と神の国の歴史なのだ。
彼らにとって日本にいても、日本は故郷でもなく歴史でもない、と言ったら極端だがそんな感じなのだ。
日本人と言わす、世界のキリスト教徒はそうなのだから、そうでない我々も彼らを知るために地理歴史を知っておく必要がある。

3.下記のブログでは彼らの宗教の特徴を「戦う宗教」と言っている。
狭い地域で多くの民族同士で戦うから強い神様、強い宗教が必要で、そのため一神教を信仰した、ということだ。
だが、ローマだってギリシャだって戦い大好きだし、戦う民族なんて沢山いるが一神教は生まれていない。
だから、一神教の元は戦いもその通りだが、それだけでなく、それを作ったユダヤ人にこそ原因があるのだ。

4.ユダヤ人の特徴は民族移動、つまり特定の故郷を持たない、ということだ。
特定の故郷を持たない流浪の民として大事なのは、言葉と強い宗教だ。
ブログに「一神教が成立した過程にはユダヤ人の民族としての苦難の歴史がある」とあるが、ここにこそユダヤ一神教の原点がある。
戦うために必要だから一神教だけでなくユダヤ人の特異な状況も大きいのだ。
重要なのは苦難、つまり戦いに負けて奴隷になってしまった時代の方が影響が大きいのだ。
奴隷のなったとき、我々は神に選ばれた民で何時か救世主が現れ、助け出してくれる、と信じて神に頼ったのだ。
簡単に言えばユダヤ一神教は奴隷の専用宗教だったのだ。(これは私の私見解釈ブログと関係ない。
だから、ローマ帝国でも奴隷階級からキリスト教が広まった。)
5.その後、ユダヤ教に民族を超えた普遍的宗教項目を「新約聖書」として加えてキリスト教が生まれた。
カトリックはさらにヨーロッパ各地の土俗的な宗教を取り込みかなり変質した部分もある。)
6.こういう歴史的経緯は学校で勉強しても意味がないように見えるが、実は現在起きている現象を説明するとき重要なのだ。
例えば共産主義というのは本人たちは科学的だの普遍的だの言っているが、キリスト教の一宗派としてみていい。
だから、ユダヤ教と同じで奴隷の宗教なのだ。
労働者を無理やり奴隷に見立て、資本家ないし国家を支配者に見立てて、奴隷である労働種から見れば、
資本家ないしは国家がなくなれば奴隷解放となるから幸せになれると考えるのだ。
奴隷にとっては支配者又は主人が居なくなり彼らの財産を山分けできればそりゃ当座だけでもハッピーだろう。
共産主義ユダヤ教の図式を無理やり現代に当てはめたのだ、ということが分かる。
そして、共産主義を信じる人々は選民意識を持っているのもユダヤ教のコピーと分かる。
このように歴史を学ぶのは今の世の中を知るうえで必要なのだ。(この項で言う話はブログとは関係ない私見だ)
今はやりのグローバリスムも流浪の民からすると国境がなければ流浪しやすいからユダヤ教にとっては理想の世界だ。
国家がなくなってルールが皆一定であればカネ儲けも流浪の民としてやりやすい。
ユダヤ人は流浪の民というが、恐らく後の世のバイキングと同じで相手が強ければ商売、弱ければ略奪で凌ぎしたのだろう。
聖書にもそれらしい記述がある。
そして奴隷時代は金融や医者とか特殊な技術を磨いて大切にされながら支配社会に仕えたのだろう。
今でもユダヤ人は頭がいいし教育を重視するのはそのためだろう。

7.さて、日本はどうかというと、日本は戦いの前に自然災害で人が死ぬ方が多いから助け合わないと生きていけない。
それと、日本の土地は山が高く短い河川が沢山あり、盆地のような地形が数百とある。
中東オリエント地方のように平らではないので「流浪の民」なんて不可能なのだ。
そして、隣の国が攻めてきたら、侵略者は略奪が目的だから侵略された方は食べ物を持って近くの山に登ってしまうのだ。
全国に山城があるのは、普段から準備して食料など備蓄してそこに逃げ込むためだ。
山はてっぺんにいる方が麓から攻める方より絶対的有利だし、地の利もあってどこにでも尾根づたいに行ける。。
そして侵略者が食べ物がなくなって、すごすご帰ってゆくのを見届けて戻ってくる。
こうして戦わずして侵略者を打倒する。
なお、他国を支配下に置くのは古代では結婚戦略によるものも多いが、それが分かるのは神武天皇から始まる天皇家だ。
大和の土地で少しずつ婚姻政策で勢力を伸ばしていったのだ。
長くなるのでここまでにします。

下記のブログで**印はハートマークがついていたのが文字化けしたものだ。


(私のコメント終)

(見出し)
ユダヤ人を救ったイラン人の救世主 ~ 一神教が生み出された理由


(引用開始)
(前略)

で、最後に、本題に入りましょう?

そもそも古代オリエントの宗教観は、多神教崇拝でした* *オリエントだけでなく、古代ギリシア古代ローマでも、多神教でした**
エジプトも多神教ですね** 古代ペルシアのゾロアスター教も、一神教ではありません。

他にも、仏教ヒンドゥー教、私たち日本の神道も、多神教ですし、インド神話北欧神話などなど、数多くの多神教が見られます。

しかし、この古代オリエントの地で生まれた「ユダヤ教」に端を発する一神教が、現代の世界で、数多くのもめ事や争い事を起こしているんです**

それは、何故なのでしょうか** これが、本日の本題です**

 

「 キリスト教旧約聖書では、人間の原罪をもとにして、人間が争い合うことが常態であるかのごとく歴史を語っているのですが、
こうした世界観あるいは歴史観は、四大文明を含めたユーラシア大陸全体に当てはめることができます。
そこでは都市は戦争によって生まれてきたのです。

 そういうところに、どういう宗教が生まれてくるのかというと“戦う民族の宗教”ということにならざるをえません。

 それは、生活をしていく上で、日本のような豊かな自然環境に恵まれていないため、人々はよりよい自然環境条件を求めて移動することになります。
移動の途中で他民族を従えたり、互いが生存競争のもとで戦い合うのです。

 民族の移動があると、宗教もそれにふさわしいものが生まれます。つまり人々の心をまとめるための宗教が生まれるのです。
それが一神教というものを生む背景にあるのです。

 一神教は、基本的に移動する民族がつくり出すものです。
それというのも、その民族が土地との強固な結び付きをもたないため、土地やその自然に対する依存が少なくなるからです。
土地には、山、川、原野、森などがあります。そして人々は、身近にある山や川に愛着を感じます。
そこから生まれる、日本の神道のようなものが、元来はユーラシア大陸にありました。

 しかし、民族移動をはじめることで争いが生じてくる中で、言葉が重要になってくるのです。
つまり、土地よりも、人々が語る言葉のほうが、その民族にとって重要になってきます。このことが、一神教がつくられる上での基本になります。
彼らには、その民族を守る象徴としての神が必要になるのです。…

 そうしたことは、パレスチナヘブライ人の間で、ユダヤ教が成立した経験でわかるように、ユダヤ人の例が典型です。

 紀元前1000年頃、エルサレムにはダビデ王の時代にヘブライ王国がつくられ繁栄していましたが、
その子ソロモン王の死後、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまいました。

 すると、その後は、イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ(紀元前722年)、
ユダ王国も新バビロニアに滅ぼされてしまうのです(紀元前586年)。
このためユダヤ人の多くが、捕虜としてバビロンに連れ去られてしまったのです(バビロン捕囚)。

 そうした民族の危機、苦難の時代に預言者たちが現れ、唯一神ヤーヴェの意志を伝えたのです。これがユダヤ教のはじまりです。

 ユダヤ人たちは、自分たちは神に守られた選民であると思いはじめるのです。
そして、救世主の出現を待望する信仰が形成されていきました。約50年後にバビロンが解放されて、
エルサレムに帰還したユダヤ人は、ヤーヴェの神殿を再興して、ユダヤ教を確立しました。
このユダヤ教の経典としてまとめられたのが旧約聖書で、後に、イエス・キリストによってキリスト教へと発展していくのです。

 このユダヤ教という一神教が成立した過程には、ユダヤ人の民族としての苦難の歴史があります。
ユダヤ人には民族のアイデンティティーそのものである宗教ですが、これが普遍的な宗教として他の民族にも受け入れられるものとなるには、
民族の共同宗教という枠を超えて、個人の救済という個人宗教的要素がなければなりません。
その民族の枠を超えて、その宗教を信じることができるという要素を付加することになったのが、新約聖書なのです。
ユダヤ教旧約聖書新約聖書が加わってできあがったのがキリスト教で、
キリスト教はユダヤ人の枠を超えて、その後、大きく広がっていくことになりました。…

 そして、6世紀後半にメッカに生まれたムハンマドがつくり出したイスラム教も、アッラーの神を唯一神とする一神教ですが、
実はユダヤ教の影響を強く受けて生まれました。

 ユダヤ教イスラム教の成立事情を通してわかることは、
一神教が、いかに民族の移動やそれに伴う戦争、殺戮というものを契機として生まれているかということです。
人間どうし、民族どうしが争う戦争というものが、一神教の宗教を生む大きな原動力となっているのです。
新しい文明をつくり出す大きな要因となっているのです。」

(中略)
ご理解いただけましたでしょうか?

つまり、ユダ教・キリスト教イスラム教といった「一神教」は、「戦争」が原動力となって生まれた宗教なんです?

私たち日本の神道とは、まったくかけ離れた、対極にある宗教です?

そして、ユダ教・キリスト教イスラム教には、もっとも根本的な矛盾が存在しています?

まず、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)に書かれている世界は、
彼らが目にすることができた、非常に狭い世界の出来事でしかなく、そこに書かれている宇宙を神様が創った時代よりも古くから、
私たち日本人の祖先は、普通に生活をしてました**

ですから、ユダヤ教がいう「宇宙を創った全知全能の神」など、存在しないことになります** 必然的に、イスラム教も、同じこととなります。

また、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)をもとに、新約聖書なるものを加えて、キリスト教は成り立っていますが、非常に重大な「問題」があります**

とんでもない「デタラメ宗教」だっていうことが、すぐにでも理解できますよ**

 

 
(引用終了)