1608-5-1011-8/14メルマガブログ転送原爆投下の真実

中身が濃くて面白いメルマガブログ紹介
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-2022.html

海外の反応;パンドラの憂鬱

(見出し)
米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」 原爆投下の真実にアメリカ人から様々な声

(私のコメント)

アメリカの良いところはフェアなことで、またそれを大切にすることだ。
イデオロギーや理念は物事を判断する時の物差しだが、それ以前にフェアかどうかが基準になる。
フェアというのは日本で言えば、「曲がったことはしない」「物の道理」「おてんとうさまに顔向けできない」「恥ずかしいことはしない」
というようなシンプルで素朴な道徳基準だ。
アメリカは自分のやったことも下記のとおり反省したり修正したりする。
イデオロギー国家や宗教国家は別の基準があるからこうはいかない。
行動判断に無謬性を求めたりこだわったりする。

話は飛ぶが、先年仙台に行ったとき、仙台藩祖伊達政宗以下三代の霊廟がアメリカ軍によって爆撃されていたことだ。
霊廟は山の中の深い森の中にあって、木造一階建ての小さな建物だ。
数百年もたった古い建物だから戦争とは全く関係がない代物だ。
それをわざわざ空母から艦載機数機を使って爆撃した。
爆撃の費用の方が大変でアメリカの勝ち負けに全く関係がない作戦をなぜやったのか。
これが戦争だ、というのならその通りだが、何だかこの延長線上に原爆があるように思える。
小さな山奥の古い建物をわざわざ爆撃する発想と原爆は「意味がない作戦」という点でよく似ている。
私はどうしてもキリスト教一神教から見た異端者としての敵の扱いが背後にある、と感じてしまうが説明は難しい。
アメリカという国は色々な顔を持っていてくるくる変わる。
これは自由と民主主義を国民各個人が標榜している国柄だから当然多様な価値観があるからだろう。
先日読んだルーズベルト戦争責任の本も下記のブログと同じようなフェアな観点から歴史を見直している。
今後もアメリカのフェアな精神から来る歴史の見直しに期待したい。

 

(私のコメント終)

(見出し)
米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」 原爆投下の真実にアメリカ人から様々な声
(引用開始)

 今回は、オリバー・ストーン氏とピーター・カズニック氏が、
共同でロサンゼルス・タイムズ紙に寄稿した、
「広島への原爆投下は世界を変えたが、戦争を終結させてはいない」
というタイトルの記事からです。

早速ですが、以下が記事の要点になります。


・ほとんどのアメリカ人は、原爆投下が戦争を終わらせたため、
 原爆を使用したことは正当であったと教えられてきた。
 この誤った主張は、今でも高校の歴史教科書に記載されている。


トルーマン大統領は、広島への原爆投下に狂喜し、
 「アメリカの歴史上最も偉大な瞬間だ」と口にした。
 しかし、米軍の指導者たちは、彼の熱狂を共有しなかった。


ドワイト・アイゼンハワー元大統領、ダグラス・マッカーサー元帥など、
 当時の8人の元帥のうち7人が、原爆投下は軍事的に不要であったし、
 人道的に非難されるべきものであったと主張している。


・合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長だったリーヒ氏は回顧録に、
「日本は既に敗北を悟り、降伏する準備ができていた。
 この野蛮な爆弾を投下した事は無意味であった」と記している。
 マッカーサー氏はフーバー元大統領に対して、
 「皇室の維持を認めれば、日本は進んで降伏する事になる」と進言していた。


・太平洋戦を終わらせたのは広島と長崎への原爆投下ではない。
 日本を降伏へと動かしたのは、1945年8月8日深夜に始まった、 
 ソ連軍の満州やその他の日本の植民地への侵攻である。


・残虐で非人道的であった両都市への原爆の投下は、
 即時降伏に関して、日本の首脳部の決断に大きな影響を与えなかった。
 既にアメリカは日本の100以上の都市を破壊していたのだ。


・河辺虎四郎中将は後に米国の尋問に対してこう語った。
 「広島や長崎の惨状が知れ渡るようになるのには時間を要した。
  しかし、ソ連の参戦は、即座に大きな衝撃を与えた」


鈴木貫太郎元首相は、日本が即時降伏せざるを得なかった理由として、
 「ソ連満州、朝鮮、樺太だけでなく、北海道にも来るだろう。
  そうなれば日本の根本を壊すことになってしまう。
  アメリカと交渉出来るうちに話をまとめなければならない」と語った。
 日本の上層部はまた、皇室の存続という日本の最優先事項に関して、
 ソ連が厳しい対応をしてくることを知っており、それを恐れていた。


ソ連の侵攻により日本の敗戦が決定的になることを、
 連合国側の諜報機関は上層部に報告していた。
 トルーマンもそのことを理解していたが、なお原爆の投下を決断した。


以上になります。
米国の方々から様々な意見が寄せられていましたので、一部をご紹介します。
(引用終了)