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1608-10-1016-8/18メルマガブログ転送米国製平和憲法

中身が濃くて面白いメルマガブログ紹介

 

(私のコメント)
今の日本国憲法はアメリカGHQが書いたことは、今までも常識であったが、アメリカの副大統領が当然のように明言したことは非常に大きな変化だ。
やはり戦後80年の歳月は伊達ではない。
当たり前のことが当たり前に語られるようになったわけだ。
「新ゴジラ」という映画が当たっているそうだが、その中のセリフに「日本は米国の属国だ」というセリフがあるそうだ。
こんなのも事実を見れば当たり前の話だが、はっきり映画の中で語られ、誰もそれを当然と考えるのも変化の内だろう。
今の憲法はアメリカ製であって、だからアメリカの国益だけを考えた憲法だ、ということがこれも常識になってくるだろう。
そして当時輝いて見えた理想の思想である「平等、人権」などの西欧文明価値観がぶち込まれていて、これが日本をゆがめている。
戦前は隠れ共産主義者が日本に沢山いて、彼らは日本にも革命を起こしたいと考えていたのだ。
だが、日本人のご皇室に対する敬崇は非常に強く、中々思うように革命が起きないのでアメリカと戦争させようとしたのだ。
当時の共産党は「コミンテルン日本支部」といって、労働者の祖国であるソビエトを守るために結成行動していた。
彼らにとって日本がアメリカと戦争することは、日本に敗戦革命を起こせるし、祖国ソビエトを日本軍から救えるし、一石二鳥だったのだ。
勿論スターリンはアメリカのルーズベルト大統領にも日本と戦争するように工作していた。
その結果日本はアメリカに負け、憲法を押しつけられたのだが、その内容は敗戦革命を渇望した共産主義者にとって100%満足できないにせよ、革命の目的を達成できるものだった。
東大教授の宮沢俊義はこの憲法を8月革命といった。日本の敗戦は興産主義者にとってはロシア革命フランス革命と同じものだった。
だから、現在でもこの憲法共産主義者にとっては絶対守るべき大事な聖書なのだ。
今は共産主義者はいなくなり、リベラルサヨクに衣替えし、憲法学者もお経を解釈して説教する聖職者のようになっている。
だが、せっかくの革命成果であるから、今後も手を変え品を変えて何とか擁護しようとするだろう。
彼らリベラルは仕方がないので、「基本的人権」などの教条を使って皆を従わしめようとしている。
下記のブログにあるように、この憲法がある限り日本は独立国家でなく、属国であり、特に国家を防衛する機能が全くない、半身不随の国家だ、という認識が広まるのではないか。
今後はアメリカの衰退という現実と、リベラルサヨクの理想論の間で日本の憲法は揺れ動くことになるだろう。

なお、日本は戦後80年間この憲法を護持し続けてきたが、それは東西冷戦という世界情勢の現実からすると、妥当だったのだ。
軍事をアメリカに丸投げすることは、東西が緊張して膠着状態の時は有効だったから憲法を改正しないできたのだ。
今後はシナに対する抑止力がアメリカにないから、そういう都合のいい膠着状態は使えない。
日本も現状に合わせていろいと変えていかなければならい時が来たようだ。


(私のコメント終)

(見出し)


http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/
新世紀のビッグブラザー三橋貴明ブログ


(引用開始)
日本国憲法アメリカが書いた

月刊三橋などでは取り上げているのですが、我が国の憲法日本国憲法)は、
「日本国民が主権を保有していない時期」
 すなわち、1945年8月15日から、サンフランシスコ条約が発効になった1952年4月28日の「間」に作られたからこそ、問題なのでございます。

 誰が日本国憲法を書いたかといえば、もちろんGHQです。
 などと書くと、すぐに、
「いや、憲法九条は幣原喜重郎首相(当時)が提案したとマッカーサーが語っている。日本国憲法は『押し付け憲法』ではない」
 などと、妙な反論をされてしまうのですが、誰が提案したとしても、日本国憲法が「日本国民に主権がない時期に制定された憲法」であることに変わりはないのです。

 ついでに書いておくと、幣原首相が憲法九条を提案したとして、一体、何の権利を持って提案したのか、という問題が生じます。幣原首相は、日本国民の主権を代表する立場だったのですか?
 何しろ、当時の日本国民には主権がなかったわけで、「存在しない主権を代表する」ことはできません。幣原首相が憲法九条の提案者だったとしても、「主権がない時期に制定された憲法」であることには変わりませんし、むしろ幣原首相は一体全体「何の権利」に基づき、憲法九条を提案したのか、という別の問題が出てきてしまいます。
***(中略)
核武装させないためというよりは、日本国を二度とアメリカの脅威に成長させない「瓶の蓋」として機能させるために、「アメリカ」が日本国憲法を書いたのでしょうが、それをアメリカの有人が認める発言したのは、初めてではないかと思います。いずれにせよ、わたくしたち日本国民が、アメリカが書いた憲法により政治的な制約を受け、安全保障が弱体化していっていることは紛れもなき事実なのです。

***(中略)

上記を認識すれば、例えば憲法九条をご神体のごとく崇める行為が、いかに愚かであるかが分かります。草案者がGHQだろうが、マッカーサーだろうが、幣原首相だろうが、誰であろうとも、日本国憲法が「日本国民が主権を持たない時期」に制定されたことに変わりはないのです。
 ちなみに、別にわたくしは反米ではありませんし、上記の「事実」により反米感情を高めたいわけでもありません。アメリカは、あくまで自国の国益のために、日本国憲法を書いたわけです。もちろん、先日も書いた通りハーグ陸戦条約違反ですが、それを日本国側から追求しないのが問題なのです。


 
(引用終了)

(見出し)

http://blog.goo.ne.jp/kuranishimasako

万国時事周覧
世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

対日”暴言”では負けないバイデン副大統領
2016-08-17 15:24:18 | 国際政治
(引用開始)
「私たちが日本の憲法書いた」=トランプ氏の核武装論を批判―米副大統領
 ”暴言王”と言えば、共和党のトランプ候補の異名でもありますが、民主党バイデン副大統領も対日”暴言”にかけては負けてはいないようです。
”私たちが日本の憲法を書いた”と”真実”を語ってしまったのですから。

 バイデン副大統領の発言は、トランプ候補の日本核武装容認論に対する批判として飛び出してきたものです。
トランプ候補核武装論も日本国に衝撃を与えましたが、バイデン副大統領の米国製憲法論も、幾つかの点で日本国を唖然とさせました。
第一に、従来、日本国憲法の草案がGHQによって作成されたことは周知の事実であったにも拘わらず、建前としては、
アメリカ側も、”日本国憲法は日本国が制定したもの”とのスタンスを保ってきました。
しかしながら、バイデン副大統領は、にべのもなく”アメリカが作った”と言ってしまったことで、この建前が崩れてしまいました。
日本国としましては、独立主権国家としての揺らぎを覚えざるを得ませんので、今後の憲法改正議論に影響を与える可能性があります。
第二に、日本国憲法が”米国製”であると明言されたことは、憲法第9条の評価にも影響を与えます。
しばしば、日本国憲法の制定は日本が世界に誇る偉業であり、ノーベル平和賞に値するとの意見が見受けられますが、
憲法が”米国製”であるならば、受賞者はアメリカということになります。
もっとも、この点に関しては、バイデン副大統領は、第9条を念頭に”日本国が核保有国になり得ないため”と理由を付しています。
ここでも建前の崩壊が起きており、憲法第9条の真の意図が、核不保持を含む日本国の軍縮にあったことを図らずも漏らしているのです。
この目的の暴露が第三の点です。

 アメリカの大統領選挙における”暴言”とは、根も葉もない誹謗中傷ではなく、
これまで隠されていたり、タブーとされてきた事実や真実の公言という性格が見受けられます。
暴言が暴言を呼び、結果的に、情報公開の場となっているアメリカ大統領選挙は、日本国もまた、無関心ではいられないのです。

 


(引用終了)