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勧進帳」ダイジェスト版
Kanjincho

(見出し)
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ねずさんのひとりごと

(引用開始)
「弁慶の勧進帳」といえば、見せ場の続く歌舞伎ファンにはたまらない定番です。
だいたい次のようなあらすじになっています。

源頼朝の怒りを買った源義経一行が、北陸道を通って奥州平泉へ逃げようとします。
頼朝は義経を捕えるために、道筋に多くの関所を設けます。
義経一行が加賀の安宅の関(石川県小松市)に差しかかったとき、関所の守の富樫左衛門が一行を怪しみます。

問い質す富樫左衛門に、弁慶が答えます。
「我らは東大寺修復の寄付を募るための勧進をしている山伏である。」
「ならば勧進帳を持っているであろう。それを読んでみよ!」と富樫。

弁慶は白紙の巻物を勧進帳であるかのように装って朗々と読み上げます。
これが「弁慶の勧進帳読上げ」という、ひとつの見せ場です。

なおも疑う富樫は、弁慶に山伏の心得や秘密の呪文を問います。
弁慶は、間髪をいれず、これに答える。
これが「山伏問答」です。
富樫と弁慶の見事な掛け合いが行われます。
 富樫は、この時点でそれが義経の一行だと見抜きます。
その一方で、弁慶の堂々とした振る舞いにも心を動かされます。
ところがこのとき、富樫の部下のひとりが、
「そこにいる小男は義経ではありませぬか」と富樫に申出ます。
富樫は奉行ですから、これを無視するわけにいきません。

富樫は弁慶に、
「そこにいる小男が義経ではないか」と問います。
すると弁慶は、やにわにその小男を
「お前が愚図だから怪しまれるのだ」
と、金剛杖で殴りつけるわけです。

金剛杖というのは、いまでもお遍路さんなどで使われる、六角形、または八角形をしている木製の杖です。
これで思い切り殴るのです。痛いです。

弁慶は義経の家来です。
家来が主君を棒で殴るなど、本来ありえないことです。
それが目の前で行われている現実に、義経主従の絆の固さを感じた富樫は、義経一行の関所通過を許すのです。

ここは山場です。
富樫は関守であり、当時の仕組みとして、彼が義経一行を見つけ、逮捕すれば、彼は巨額の恩賞と名誉ある地位を得て立身に授かることができます。
ところが富樫は、知っていて義経一行の通行を許可するわけです。

しかもこのときの富樫は、自分が「それが義経一行である」と気付いたことさえも、周囲に悟らせないよう、配慮して振舞います。
知らないで通してしまったというのならまだしも、知っていて通したとなれば、富樫ひとりではなく、周囲にいる富樫の部下たちもその罪を免れないからです。

弁慶も、そうした富樫の心遣いに気がつかないふりをします。
そこで感謝などしたら富樫の立場を失わせることになるからです。
二人は眼と眼でわかりあいます。

歌舞伎では、ここは無音になります。
笛や太鼓や歌などにぎやかな演出が多い歌舞伎ですが、この場面では、静寂がかえって緊迫感を漂わせます。

最後に富樫は「失礼なことをした」と一行に酒を勧め、弁慶はお礼に舞を披露します(延年の舞)。
弁慶は舞ながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼して後を急いで追いかけます。(飛び六方)。

歌舞伎では、このシーンで弁慶が花道を踊りながら去っていきます。
観客はここで万雷の拍手となります。

勧進帳の読み上げや、山伏問答における弁慶の雄弁。
義経の正体が見破られそうになる戦慄感。
義経と弁慶主従の絆の深さの感動。
舞の巧緻さと飛び六方の豪快。
見どころが多いこの勧進帳は、歌舞伎のなかでも、実に素晴らしいものです。

(後略)

(引用終了)

 

(私のコメント)
このブログは少し長いので途中で省略したが、後半も面白いので良ければ元記事をみて下さい。
後半部分を要約して、私見をいれて書いてみました。

1.弁慶の相手役となる富樫左衛門は実在の人物で、頼朝から加賀国守護に任ぜられた。
この人は日本人の気質を表していて、その気質とは「武士は上からの命令だけで動かない」ということだ。
上から言われてもそれを行うことが自分の魂に誓って正しいかどうかを判断する。
そして一般に日本人は納得して行動するから強いし命がけになる。
2.これを簡単に言えば、「おてんとうさまが見ている」という言葉にもつながる。
更にこのもとになる考え方は「天皇の知国(しらすくに)」だからだ。
初代天皇の「神武天皇」は和風諡号を「はつくにしらすすめらみこと」という。
なお、神武天皇という呼び方は漢風諡号といって普通はこれを使うが天皇は別にもう一つ和風の諡号ももっている。
ここに「しらす」という言葉が入っているが、これは「神々とつながり、神々とともに、神々の御心を持って、という意味だ。
天皇は神そのものでなくて、神と繋がる、という意味で「しらす」という言葉が入っている。
なお、神武天皇は武力で王になったのでなく、呪術つまりおまじないが上手で王になった、という説があるが、私もその説に賛成だ。
この話はまた別にしましょう。
3.昔は民百姓とそれを束ねる天皇の臣がいた。今で言えば、政府と庶民だ。
庶民百姓は天皇の大御宝とされたから、天皇の臣といえども天皇のもとに民と平等の関係だ。
さらに、天皇と民(臣を含む)は神のもとに平等ということになる。
だから、直接政治を行う臣が間違った命令を天皇の名で出しても民は神が望まれることを実現する。
それが日本的正義だし日本人の生き方でもある。
4.西欧は征服王朝だったり、牧畜民族だったりするのが王朝の原型だから、国王が絶対権力、圧倒的財力を持つ。
そうなると、民は王の私有物で民の財産でもなんでも奪って当然、という考えが常識になる。
そして、キリスト教一神教造物主から「王権神授説」で神に権威ずけられている絶対王権だ。
だから、王様の言うことは絶対になってしまうから日本人の発想と全く違うことに注意が必要だ。
先日リンカーンがアメリカインディアンを虐殺絶滅させた話をしたが、上記の考えの違いをアメリカ人は理解できなかった。
というのは、アメリカインディアンは高度の民主主義で何でも話し合いで決めた。
そして各自間違っていると思ったら別行動を取った。
アメリカ人は酋長が権力を握っていると思うから酋長と約束したら当然それでよいと思ったが、約束してもダメだったのだ。
酋長をだましても無理やり約束させても「戦士」と言われる人々は間違っていると思ったら別行動を取った。
アメリカ人は自分たちを進んだ民主主義の国と思っているが、実はインディアンの方が進んだ民主主義だったのだ。

長くなるので今日はここまで、勧進帳つまり能の安宅の話はまた今度。
(私のコメント終)