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中身が濃くて面白いメルマガブログ紹介
http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/diary/201510260000/


鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~
(見出し)


(私のコメント)
日本は大東亜戦争という負ける戦争になぜ突っ込んでいったのか。
一つはスターリンの謀略により、日米が戦争をするように仕向けられたこと、
ルーズベルト大統領は日本を戦争に追い込むように経済制裁をしたことなどだ。
そして、日露戦争頃より日本人移民をいじめたために日本人に反米感情がずっと溜まっていたことなどなどだ。
戦後はこういうことを全てフっ飛ばして日本が悪かったから負けたんだ、といういわゆる自虐史観東京裁判史観がずっと支配していた。
東京裁判史観は日本人は善良だったのだが、悪い軍部に騙されていやいや戦争やらされたのだ、というような話を宣伝した。
この宣伝のお陰で、アメリカは日本人の為に悪い軍部をやっつけてやったのだ、とアメリカ占領政策で日本人を統治しやすいようにしたのだ。
これに便乗したのが、海軍で、軍部と言っても海軍は戦争に反対したのだが、止むおえず陸軍の暴走に巻き込まれたのだ、と海軍を擁護した。
それに対し、陸軍は反論しなかった。
なぜ反論しないか、というと、自分たちが敗戦の責任を取ることで天皇の責任追及を逃れさせて天皇を守ろうとしたからだ。
そのため、海軍のずるい卑怯な論法にも沈黙を守ったのだ。
だが、下記ブログの通り、陸軍は十分勝算を考えて戦争計画を立てていたのがだんだんわかってきた。
敗戦責任は海軍の山本五十六にあるのだ。
山本を擁護するような歴史書は読んでも無駄だからそういう本はすぐに投げ捨てた方が良い。
戦後の歴史の間違った部分はこれからどんどん書き直されていくだろう。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/6bf8792e316fffa1363c98921e32e54c


日本から遠いガダルカナルへの進出など、「腹案」の逆を行く
山本五十六の戦術を阻止できなかった。その結果、大敗した。

(私のコメント終)

(引用開始)


2015.10.28 楽天プロフィール XML
山本五十六「暴走」に見る日本軍の組織的欠陥
カテゴリ:日本・日本人
前回書いた林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算」を読む、の続編を書く。

陸軍省研究班が有力な対英米戦略を策定しながら、山本五十六連合艦隊司令長官が「暴走」したことから日本は敗戦した。これが前回の結論だ。

世間では未だに「海軍は善で、陸軍が横暴だった」という固定観念が根強い。特に山本五十六は「日米開戦反対を最後まで主張していた。開戦と決まって仕方なく真珠湾攻撃をめざした」という好意的な意見が多い。

だが、ではなぜ米国民を怒らせる真珠湾攻撃を強行したのか。

実は陸軍省研究班の対英米戦略の腹案(アイデア)は、陸軍参謀本部と海軍軍令部の間で基本的に了承され、昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で正式に決定されていた。その「方針」は以下の通りだ。

<極東における米英蘭の根拠地を覆滅して自存自衛を確立するとともに、更に積極的措置により蒋(介石)政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意思を喪失せしむるに勉む>

米国に対してはどういう態度で臨むのか。腹案はこう書いている。

<日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む/対米宣伝謀略を強化す/其の重点を米海軍主力の極東への誘致並びに米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き、米国輿論厭戦誘致に導く>

日本の軍部は、ルーズベルト大統領がチャーチルの要請に応えて第2次大戦に参戦したがっているのに反し、米国民の多くが第2次大戦への参加を拒んでいることを良く知っていた。だから、米輿論厭戦気分を高め、戦意を喪失することが得策と考えていた。

山本五十六真珠湾を攻撃してギャフンと言わせれば、米国民の戦意は喪失すると考えていたようだ。これほど愚かなことはない。力のある者が緒戦で鼻っ柱を叩かれれば、激高して大反撃に出ると考えるのが自然ではないか。

実際に激高し、厭戦気分は雲散霧消、「日本叩くべし」の声が全米で高まった。米国は当時、経済力が世界最大。太平洋での海軍力は日本と拮抗していたが、イザとなれば一気に戦力を拡大できる。実際、そうなった。

上記の腹案はそれを恐れ、極力、米国の戦意を抑制することが肝腎と考えていた。山本五十六はそれと180度違う挙に出たのだ。日本を奈落の底に導いた愚将と言わずしてなんと言おう。


だが、もっと問題なのは、なぜ大本営はそんな山本の「暴走」を抑えることができなかったのか。もう一度言えば「腹案」が大本営連絡会議で決定したのは昭和16年11月15日である。

真珠湾攻撃によって日米戦の戦端が開かれたのは同年12月9日である。すでに「腹案」決定時には山本五十六率いる連合艦隊真珠湾攻撃を目指し、大きく動き出していた。最後通牒が米国に手渡されればすぐに攻撃できるように。

これってあり、ですか。「腹案」は米国には極力、こちらから手出しせず、戦う場合は「極東に米海軍をひきつけて」と書いている。そのそばで太平洋の米国よりの真珠湾に攻撃に出かける。大本営政府連絡会議を完全に無視した格好である。

組織として体を成していない、と言わざるをえない。

これに対して「緒戦のみ戦術として真珠湾を攻撃して米国に打撃を与え、後は極東、インド洋での戦闘に注力するという戦術はありえた」という意見がある。大本営の「戦略」と山本の「戦術」に齟齬はない、というわけだ。

だが、それは牽強付会というものだ。真珠湾攻撃という「戦術」はどう考えても「米国を怒らせない」「厭戦気分を高める」「米軍は極東に誘致する」という「戦略」に対立する。戦術はつねに戦略に従わなければならない。

にもかかわらず、山本の戦術を認めたところに日本の軍部の、そして日本政府の組織的欠陥があったといわざるをえない。

統帥権の干犯問題により、政府は軍部をコントロールできない。のみならず、陸軍と海軍は同格で互いに相手を掣肘できない。できるのは天皇のみだが、それは形式的で、天皇に軍事的、政治的な権限は実質的になかった。

だから、勝手ばらばらというひどい状態だった。海軍、陸軍内においても統率がとれない。陸軍では関東軍の暴走を抑えられなかったし、海軍にも山本五十六という権威を抑える強い権力が存在せず、「腹案」に反する戦術を黙認してしまったのである。

緒戦の真珠湾攻撃で中途半端に勝ったことがさらに組織的欠陥の傷を大きくした。山本五十六軍神のように当時の新聞などのメディアで賞賛され、日本から遠いミッドウェーへの攻撃、ガダルカナルへの進出など「腹案」の逆を行く山本の戦術を阻止できなかった。その結果、大敗し、失敗した。

リーダーの統制がきかず、ボトムアップで勝手な行動を黙認してしまう風潮は今も各省庁、古い体質の大企業に見られる。日本の業病ともいうべき、この組織的欠陥を正さすことが不可欠だ。

安倍政権は曲りなりにも強いリーダーシップを保っている。これを維持、強化する政治、行政を築いていかねばならない。

 

 

(引用終了)
(引用開始)


http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/diary/201510260000/


2015.10.26
「日米開戦 陸軍の勝算」を読む
林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)を読んだ。

本書の白眉は目からウロコの史実の発掘である。今日の近現代史は「日本軍、特に陸軍は無謀な戦争に走った」という見方が定着している。

だが、実は、陸軍は「陸軍省戦争経済研究班」のもと日米欧の経済力と軍事力を徹底的に調査、研究し合理的判断のもと「勝てる戦略」を準備して、開戦に臨んだという。著者の林氏はその歴史的史料を入手し、本書で詳細かつ具体的に検証している。

「無謀な戦争突入」という史観は左翼・リベラル系の学者やメディアによってのみ出されているのではなく、保守層の間でも幅広く定着している。その大きな要因の1つに、元都知事の猪瀬直樹氏が1883年に出版した「昭和16年夏の敗戦」がある。

安倍晋三首相の後継を狙う石破茂・地方創生担当大臣(元防衛庁長官)は同書を高く評価、「全日本人必読の書だ」と絶賛している。

猪瀬氏の著書は、昭和15年に開設された総理大臣直轄の「内閣総力戦研究所」の研究経過とその結論を綴ったものだ。同研究所は軍部・官庁・民間から選りすぐりの若手エリートを集め、「模擬内閣」を結成、豊富なデータを基に日米開戦を分析した。兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、机上の演習を繰り返した。

その結果、昭和16年8月に「日米が開戦すれば日本は必敗」という結論を導き出した。結論を聞いた東條英機陸軍大臣(当時、10月に首相就任)は、こう述べた。

<これはあくまでも机上の空論でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようにはいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。君たちの結論はその意外裡の要素を考慮したものではないのであります。>

「意外裡の要素」という言葉が科学的、合理的な分析を無視した「ヤマト魂に敵はない」につながる精神論を意味していると戦後、解釈された。猪瀬氏に言わせれば、総力戦研究所の「日本必敗」という結論を無視して無謀な戦争に突入したということになる。

私も「昭和16年夏の敗戦」の続編である「空気と戦争」(文春新書)を読み、猪瀬氏の見解に同意した。

だが、林氏によれば、陸軍省には戦争経済研究班があって、総力戦研究所とほぼ同時期に英米との戦争を徹底的に研究していた。

その結論は次のようなものだった。

1)極東の米英蘭根拠地を攻撃して自存自衛を確立。
2)東南アジア、インド洋からの英米による蒋介石政権への軍事物資補給ルート(援蒋ルート)を攻撃、支配し、蒋政権を屈服させる。
3)独伊と連携して英国の屈服を図る。
4)最強の敵となる米国とは極力戦わず、戦闘は日本近海に米国をひきつけて行う(戦争は本拠地からの距離の二乗に比例して自陣が有利である。だからハワイ攻撃などはしない)


陸軍省の研究では戦争の舞台は東南アジアとインド洋であり、当時の日本の海軍力と英国の海軍力を比較すれば十分に勝算があった。米海軍もフィリピン基地など日本近海の西太平洋側だけならば、当時は日本側の方が物量的に優れていた。

研究班のシナリオ通りに実行すれば、緒戦で英国軍を破って、東南アジアとインド洋の制空海権を奪取、日本はインドネシアの石油を確保。援蒋ルートも断ち切り、シナ大陸の戦闘を極めて有利に展開できる。

さらにインド、東南アジアが列強から独立し、日本に味方する。のみならずドイツと提携して米国によるインド洋、スエズ運河からの英ソへの援助ルートを断ち、独伊が欧州戦線で決定的な優位に立てる。

以上は、かなりの成功の可能性に富んだ合理的な戦略であった。

東條陸相は、この「陸軍省戦争経済研究班」の結論を知っていた。だが、昭和16年夏の段階で、極秘戦略の内容を民間人を含む総力戦研究所のメンバーに軽々しく開示することはできない。だから「意外裡の要素」と言ったのだ。

林氏によれば、そもそも総力戦研究所は研究所と銘打ってはいるものの、各省庁、大手民間企業のエリートを教育・訓練するのが主目的だった。

陸軍省の専門研究班は、エリートとは言え素人にすぎない若手集団の研究をはるかに超えた視野と戦略で日米英戦を考えていたというわけだ(ただ戦闘は英国を主敵とし、米国とは極力戦わないという点は総力戦研究所の結論と重なる面がある)。

むろん実際、陸軍省の研究班の通りに戦争していて、どうなったかはわからない。だが、陸軍省の計算がそれほど間違っていないという見方は米国にもある。「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」(ジェームズ・B・ウッド著、茂木弘道訳)などだ。

では、なぜ日本は敗戦したのか。「陸軍省研究班の通りに戦争を進めなかったからである。真珠湾攻撃をして米国を怒らせてしまったからだ。山本五十六連合艦隊司令長官の『暴走』が招いた敗戦だ、と本書は指摘している。


(引用終了)

 

小塚正己mkozuka@ybb.ne.


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http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/diary/201510260000/


鎌倉橋残日録 ~井本省吾のOB記者日誌~
(見出し)


(私のコメント)
日本は大東亜戦争という負ける戦争になぜ突っ込んでいったのか。
一つはスターリンの謀略により、日米が戦争をするように仕向けられたこと、
ルーズベルト大統領は日本を戦争に追い込むように経済制裁をしたことなどだ。
そして、日露戦争頃より日本人移民をいじめたために日本人に反米感情がずっと溜まっていたことなどなどだ。
戦後はこういうことを全てフっ飛ばして日本が悪かったから負けたんだ、といういわゆる自虐史観東京裁判史観がずっと支配していた。
東京裁判史観は日本人は善良だったのだが、悪い軍部に騙されていやいや戦争やらされたのだ、というような話を宣伝した。
この宣伝のお陰で、アメリカは日本人の為に悪い軍部をやっつけてやったのだ、とアメリカ占領政策で日本人を統治しやすいようにしたのだ。
これに便乗したのが、海軍で、軍部と言っても海軍は戦争に反対したのだが、止むおえず陸軍の暴走に巻き込まれたのだ、と海軍を擁護した。
それに対し、陸軍は反論しなかった。
なぜ反論しないか、というと、自分たちが敗戦の責任を取ることで天皇の責任追及を逃れさせて天皇を守ろうとしたからだ。
そのため、海軍のずるい卑怯な論法にも沈黙を守ったのだ。
だが、下記ブログの通り、陸軍は十分勝算を考えて戦争計画を立てていたのがだんだんわかってきた。
敗戦責任は海軍の山本五十六にあるのだ。
山本を擁護するような歴史書は読んでも無駄だからそういう本はすぐに投げ捨てた方が良い。
戦後の歴史の間違った部分はこれからどんどん書き直されていくだろう。


(私のコメント終)

(引用開始)


2015.10.28 楽天プロフィール XML
山本五十六「暴走」に見る日本軍の組織的欠陥
カテゴリ:日本・日本人
前回書いた林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算」を読む、の続編を書く。

陸軍省研究班が有力な対英米戦略を策定しながら、山本五十六連合艦隊司令長官が「暴走」したことから日本は敗戦した。これが前回の結論だ。

世間では未だに「海軍は善で、陸軍が横暴だった」という固定観念が根強い。特に山本五十六は「日米開戦反対を最後まで主張していた。開戦と決まって仕方なく真珠湾攻撃をめざした」という好意的な意見が多い。

だが、ではなぜ米国民を怒らせる真珠湾攻撃を強行したのか。

実は陸軍省研究班の対英米戦略の腹案(アイデア)は、陸軍参謀本部と海軍軍令部の間で基本的に了承され、昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で正式に決定されていた。その「方針」は以下の通りだ。

<極東における米英蘭の根拠地を覆滅して自存自衛を確立するとともに、更に積極的措置により蒋(介石)政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意思を喪失せしむるに勉む>

米国に対してはどういう態度で臨むのか。腹案はこう書いている。

<日独伊は協力し対英措置と並行して米の戦意を喪失せしむるに勉む/対米宣伝謀略を強化す/其の重点を米海軍主力の極東への誘致並びに米極東政策の反省と日米戦無意義指摘に置き、米国輿論厭戦誘致に導く>

日本の軍部は、ルーズベルト大統領がチャーチルの要請に応えて第2次大戦に参戦したがっているのに反し、米国民の多くが第2次大戦への参加を拒んでいることを良く知っていた。だから、米輿論厭戦気分を高め、戦意を喪失することが得策と考えていた。

山本五十六真珠湾を攻撃してギャフンと言わせれば、米国民の戦意は喪失すると考えていたようだ。これほど愚かなことはない。力のある者が緒戦で鼻っ柱を叩かれれば、激高して大反撃に出ると考えるのが自然ではないか。

実際に激高し、厭戦気分は雲散霧消、「日本叩くべし」の声が全米で高まった。米国は当時、経済力が世界最大。太平洋での海軍力は日本と拮抗していたが、イザとなれば一気に戦力を拡大できる。実際、そうなった。

上記の腹案はそれを恐れ、極力、米国の戦意を抑制することが肝腎と考えていた。山本五十六はそれと180度違う挙に出たのだ。日本を奈落の底に導いた愚将と言わずしてなんと言おう。


だが、もっと問題なのは、なぜ大本営はそんな山本の「暴走」を抑えることができなかったのか。もう一度言えば「腹案」が大本営連絡会議で決定したのは昭和16年11月15日である。

真珠湾攻撃によって日米戦の戦端が開かれたのは同年12月9日である。すでに「腹案」決定時には山本五十六率いる連合艦隊真珠湾攻撃を目指し、大きく動き出していた。最後通牒が米国に手渡されればすぐに攻撃できるように。

これってあり、ですか。「腹案」は米国には極力、こちらから手出しせず、戦う場合は「極東に米海軍をひきつけて」と書いている。そのそばで太平洋の米国よりの真珠湾に攻撃に出かける。大本営政府連絡会議を完全に無視した格好である。

組織として体を成していない、と言わざるをえない。

これに対して「緒戦のみ戦術として真珠湾を攻撃して米国に打撃を与え、後は極東、インド洋での戦闘に注力するという戦術はありえた」という意見がある。大本営の「戦略」と山本の「戦術」に齟齬はない、というわけだ。

だが、それは牽強付会というものだ。真珠湾攻撃という「戦術」はどう考えても「米国を怒らせない」「厭戦気分を高める」「米軍は極東に誘致する」という「戦略」に対立する。戦術はつねに戦略に従わなければならない。

にもかかわらず、山本の戦術を認めたところに日本の軍部の、そして日本政府の組織的欠陥があったといわざるをえない。

統帥権の干犯問題により、政府は軍部をコントロールできない。のみならず、陸軍と海軍は同格で互いに相手を掣肘できない。できるのは天皇のみだが、それは形式的で、天皇に軍事的、政治的な権限は実質的になかった。

だから、勝手ばらばらというひどい状態だった。海軍、陸軍内においても統率がとれない。陸軍では関東軍の暴走を抑えられなかったし、海軍にも山本五十六という権威を抑える強い権力が存在せず、「腹案」に反する戦術を黙認してしまったのである。

緒戦の真珠湾攻撃で中途半端に勝ったことがさらに組織的欠陥の傷を大きくした。山本五十六軍神のように当時の新聞などのメディアで賞賛され、日本から遠いミッドウェーへの攻撃、ガダルカナルへの進出など「腹案」の逆を行く山本の戦術を阻止できなかった。その結果、大敗し、失敗した。

リーダーの統制がきかず、ボトムアップで勝手な行動を黙認してしまう風潮は今も各省庁、古い体質の大企業に見られる。日本の業病ともいうべき、この組織的欠陥を正さすことが不可欠だ。

安倍政権は曲りなりにも強いリーダーシップを保っている。これを維持、強化する政治、行政を築いていかねばならない。

 

 

(引用終了)
(引用開始)


http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/diary/201510260000/


2015.10.26
「日米開戦 陸軍の勝算」を読む
林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)を読んだ。

本書の白眉は目からウロコの史実の発掘である。今日の近現代史は「日本軍、特に陸軍は無謀な戦争に走った」という見方が定着している。

だが、実は、陸軍は「陸軍省戦争経済研究班」のもと日米欧の経済力と軍事力を徹底的に調査、研究し合理的判断のもと「勝てる戦略」を準備して、開戦に臨んだという。著者の林氏はその歴史的史料を入手し、本書で詳細かつ具体的に検証している。

「無謀な戦争突入」という史観は左翼・リベラル系の学者やメディアによってのみ出されているのではなく、保守層の間でも幅広く定着している。その大きな要因の1つに、元都知事の猪瀬直樹氏が1883年に出版した「昭和16年夏の敗戦」がある。

安倍晋三首相の後継を狙う石破茂・地方創生担当大臣(元防衛庁長官)は同書を高く評価、「全日本人必読の書だ」と絶賛している。

猪瀬氏の著書は、昭和15年に開設された総理大臣直轄の「内閣総力戦研究所」の研究経過とその結論を綴ったものだ。同研究所は軍部・官庁・民間から選りすぐりの若手エリートを集め、「模擬内閣」を結成、豊富なデータを基に日米開戦を分析した。兵器増産の見通し、食糧や燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携などについて科学的に分析、机上の演習を繰り返した。

その結果、昭和16年8月に「日米が開戦すれば日本は必敗」という結論を導き出した。結論を聞いた東條英機陸軍大臣(当時、10月に首相就任)は、こう述べた。

<これはあくまでも机上の空論でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようにはいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。君たちの結論はその意外裡の要素を考慮したものではないのであります。>

「意外裡の要素」という言葉が科学的、合理的な分析を無視した「ヤマト魂に敵はない」につながる精神論を意味していると戦後、解釈された。猪瀬氏に言わせれば、総力戦研究所の「日本必敗」という結論を無視して無謀な戦争に突入したということになる。

私も「昭和16年夏の敗戦」の続編である「空気と戦争」(文春新書)を読み、猪瀬氏の見解に同意した。

だが、林氏によれば、陸軍省には戦争経済研究班があって、総力戦研究所とほぼ同時期に英米との戦争を徹底的に研究していた。

その結論は次のようなものだった。

1)極東の米英蘭根拠地を攻撃して自存自衛を確立。
2)東南アジア、インド洋からの英米による蒋介石政権への軍事物資補給ルート(援蒋ルート)を攻撃、支配し、蒋政権を屈服させる。
3)独伊と連携して英国の屈服を図る。
4)最強の敵となる米国とは極力戦わず、戦闘は日本近海に米国をひきつけて行う(戦争は本拠地からの距離の二乗に比例して自陣が有利である。だからハワイ攻撃などはしない)


陸軍省の研究では戦争の舞台は東南アジアとインド洋であり、当時の日本の海軍力と英国の海軍力を比較すれば十分に勝算があった。米海軍もフィリピン基地など日本近海の西太平洋側だけならば、当時は日本側の方が物量的に優れていた。

研究班のシナリオ通りに実行すれば、緒戦で英国軍を破って、東南アジアとインド洋の制空海権を奪取、日本はインドネシアの石油を確保。援蒋ルートも断ち切り、シナ大陸の戦闘を極めて有利に展開できる。

さらにインド、東南アジアが列強から独立し、日本に味方する。のみならずドイツと提携して米国によるインド洋、スエズ運河からの英ソへの援助ルートを断ち、独伊が欧州戦線で決定的な優位に立てる。

以上は、かなりの成功の可能性に富んだ合理的な戦略であった。

東條陸相は、この「陸軍省戦争経済研究班」の結論を知っていた。だが、昭和16年夏の段階で、極秘戦略の内容を民間人を含む総力戦研究所のメンバーに軽々しく開示することはできない。だから「意外裡の要素」と言ったのだ。

林氏によれば、そもそも総力戦研究所は研究所と銘打ってはいるものの、各省庁、大手民間企業のエリートを教育・訓練するのが主目的だった。

陸軍省の専門研究班は、エリートとは言え素人にすぎない若手集団の研究をはるかに超えた視野と戦略で日米英戦を考えていたというわけだ(ただ戦闘は英国を主敵とし、米国とは極力戦わないという点は総力戦研究所の結論と重なる面がある)。

むろん実際、陸軍省の研究班の通りに戦争していて、どうなったかはわからない。だが、陸軍省の計算がそれほど間違っていないという見方は米国にもある。「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」(ジェームズ・B・ウッド著、茂木弘道訳)などだ。

では、なぜ日本は敗戦したのか。「陸軍省研究班の通りに戦争を進めなかったからである。真珠湾攻撃をして米国を怒らせてしまったからだ。山本五十六連合艦隊司令長官の『暴走』が招いた敗戦だ、と本書は指摘している。


(引用終了)