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 ★★★★☆「沈黙」遠藤 周作♪

(引用開始)


「沈黙」遠藤 周作、新潮社
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4101123152/mag06-22/ref=nosim/
【私の評価】★★★★☆(83点)


■島原の内乱の鎮圧後、
 幕府はキリスト教が原因として
 ポルトガル人を追放します。


 潜伏している宣教師には、
 キリスト教を捨てるよう拷問し、
 拒否すれば処刑しました。


 中には、拷問に耐えられず
 キリスト教を捨てた
 宣教師もいたのです。

 

■本当に捨教した宣教師がいるのか、
 確認するために、日本に密かに潜入した
 ポルトガルの宣教師がいました。


 彼は、隠れキリシタンとともに
 幕府の捜索の手から逃れようとしますが、
 ついに密告により拘束されます。


 奉行は、キリスト教を捨てなければ、
 隠れキリシタンを一人づつ殺すと
 脅しました。


・基督(キリスト)がユダに売られたように、
 自分もキチジローに売られ、
 基督と同じように自分も今、
 地上の権力者から
 裁かれようとしている(p196)

 

■慈悲深い神を広めるために、
 日本に来たのに、そのために
 日本人のキリスト教徒が殺されていく。


 自分の信じる神は何もしてくれない。
 慈悲深い神はどこにいるのか。


 彼は神とは何なのか
 わからなくなってしまいました。


 そして、捨教した宣教師と出会い、
 彼もキリスト教を捨てました。


 神はいないのか。


 いや、神は自分と一緒に
 苦しんでいたのだ。
 彼はそう考えるしかなかったのです。


・彼は人々のために死のうとして
 この国に来たのだが、事実は
 日本人の信徒たちが自分のために
 次々と死んでいった(p208)

 

■自らの考える正義を
 組織として広げようとする
 宗教の仕組み。


 そして、それを正当化し、
 組織として人を動かす
 仕組みを知りました。


 そして、
 神はいないのではないか。
 神がいるとすれば、
 人間の中にいるのではないか。
 そう考えました。


 遠藤さん、
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・「汝等、全世界に往きて、
 凡ての被造物に福音を宣べよ。
 信じ、洗せらるる人々は救われ、
 信ぜざる人は罪に定められん」(p30)


・万一神がいなかったならば・・・
 三カ年の歳月を要して
 この国にたどりついた宣教師たちは
 なんという滑稽な幻影を見つづけたのか(p105)


・この国では領主たちは宣教師に、
 今まで使っていた邸や寺々をそのまま
 教会として使うように命じたのです。
 ために百姓たちの中には、我々の宗教を
 仏教と同じ教えだと混同してくる者さえ
 かなりあったようです(p108)


・パライソ(天国)に行けば、ほんて永劫、
 安楽があると石田さまは常々、
 申されとりました。あそこじゃ、
 年貢のきびしいとり立てもなかとね(p128)


・正というものは、我々の考えでは、
 普遍なのです・・
 ポルトガルで正しい教えはまた、
 日本国にも正しいのでなければ
 正とは申せません(p171)


▼続きを読む

http://1book.biz/2017/01/27/-silence.html


「沈黙」遠藤 周作、新潮社
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4101123152/mag06-22/ref=nosim/
【私の評価】★★★★☆(83点)


https://www.youtube.com/watch?v=sT08Pq2KL1c
『沈黙-サイレンス-』予告

(引用終了)

(要約引用開始)
http://oyakochoco.jp/blog-entry-1694.html
親子チョコ♥(親子で、ちょこっと。。。)

ちょこっと。。。始めてみました♥
(見出し)
ゆとり教育と奴隷 ~ 黒人奴隷から武士になった「弥助」

2017/02/02 00:02

(前略)
1534年、バスク人イグナチオ・デ・ロヨラらによって、「イエズス会」が設立されます。初代総長が、イグナチオ・デ・ロヨラです。
ここに世界の植民地化が本格的にスタートします。※南米のインカ帝国は、1533年に皇帝が殺され、スペインに征服されています。
さらに、1549年、イエズス会の創設者の一人でもあった、バスク人フランシスコ・ザビエルが、私たちの日本に「カトリックキリスト教」を布教しにやって来ます。
彼は、日本での布教は失敗し、目線を支那に向けます。
続いて、1563年、イエズス会宣教師のルイス・フロイスが私たちの日本へとやって来て、1569年、織田信長に謁見、畿内での布教を許可を獲得します。

(中略)
イエズス会東インド管区の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、1579年、私たちの日本にやって来ます。


1581年、織田信長に謁見したアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、安土城を描いた屏風(狩野永徳作とされる)を贈られ、その屏風は教皇グレゴリウス13世に献上されたとされていますが、行方不明になったまま確認ができていない状況です。

 このアレッサンドロ・ヴァリニャーノがフィリピン総督に対して送った手紙には、次のような内容が記されています。

「 これら東洋に於ける征服事業により、現在色々な地域に於いて、陛下に対し、多くのそして大きな門戸が開かれており、主への奉仕および多数の人々の改宗に役立つところ大である。・・・これらの征服事業は、霊的な面ばかりでなく、それに劣らず陛下の王国の世俗的な伸展にとって益する。そしてそれらの征服事業の内、最大のものの一つは、この中国を征服することである」

「 日本の国は貧しい。そして同時に、軍事的な意味で非常に団結している」

当時のイエズス会宣教師たちが、布教の裏側で何を考えていたのかが、よく理解できると思います。

(後略)

 


(要約引用終了)
(私のコメント)
多分沈黙の映画ではキリスト教の「世界侵略、世界をキリスト教で統一する」という意図は描かれないだろう。
専ら被害者、権力にしいたげられた哀れな存在として描かれるのではないか。
キリスト教ユダヤ教から始まっており、そのユダヤ教は善悪二元論が特徴だ。
いわゆる「バビロンの捕囚」と言われてバビロニアの王ネプカトネザルに捕虜としてバビロンに移住させられて奴隷になったときにゾロアスター教から入った思想だ。
善悪二元論は世の中の事象を善と悪の二つに分類する事で世界を解釈する認識法だ。
これが、キリスト教ではキリスト教徒は善で天国へ、キリスト教徒以外は悪で地獄へ、という考えになった。
彼らの考えではキリスト教徒以外は人間でなく悪魔と考える。
人はキリスト教に改宗しない限り、悪魔だから殺してもいいし殺した方が良い存在だ。
それでは日本のようにキリスト教以外の宗教が強い所でキリスト教徒が迫害されたときはどうするか。
ユダヤ教でもそうだが、彼らは迫害されると神の信仰への試練、つまり信仰を試されている、と考える。
迫害弾圧されればされるほど神様の天国にに近づける、というような考え方を取る。
だから、ユダヤ教キリスト教は奴隷の立場だと非常に居心地がよく強いので、あのローマ帝国も乗っ取ってしまったのだ。

奴隷と主人の間に善悪二元論の考え方を当てはめ、支配者は全て悪、被支配者は全て善と決めつけた考え方をする。
奴隷、すなわち被害者である自分たちは被害者であるがゆえに崇高で正しいのだ。
映画では多分こういう視点で描かれるのではないか。
日本人はこういった善悪二元論的な割り切った考え方をしない。
勧善懲悪という考えはあるが、それは組織とか地位とかは無関係だ。
落語では人情話の「大岡政談」「唐茄子屋政談」「佐々木政談」等々の政談話がある。
これはお奉行様が出てきて裁判をやって正しい裁きをつける、というパターンになっている。
つまり、お奉行様イコール悪、でなくお奉行様にも良い人と悪い人がいる、という考えだ。
よいお奉行様は尊敬されるし、悪代官は懲らしめられる。
庶民だってよい人と悪い人がいるので、地位や宗教などのカテゴリーと善悪を結びつけることはない。
但し、朝鮮人は嫌な奴、なんていうのはあるが、これは関係ない。
キリスト教も日本人の考えでは良い所は採用するし、侵略などの悪い所、政教分離に反するところは採用しないのだ。
実はキリスト教島原の乱の前には50万人以上の信徒を持った大勢力だったから日本人に受け入れられていたのだ。
だが、寺や神社を攻撃して火を付けたり、高山右近のように領主がキリスト教だと領内の寺を壊させたりしたから嫌われたのだ。
日本は一向宗という前例があったから、宗教が政治に関与することを非常に警戒した。
幕府もキリスト教が侵略の意図を持っていることをよく知っていたから、島原の乱以降はキリスト教を非合法化し、仏教は檀家制度を作って保護した。
もし幕府が強硬に宗教政策を推し進めなかったら、今頃は外国の植民地になっていただろう。
日本なんて名前でなくフィリピンのようにスペインのフェリペ二世王にちなんだ外国の名前になっていただろう。
キリスト教の考え方ではその方が幸せになれたのに、ということだろうがね。
だが、日本人は当時からキリスト教を嫌ったから一筋縄ではいかず、欧州の30年戦争のような戦乱殺し合いが国内で果てしなく続いただろう。

今後はキリスト教イスラム教も日本にドンドン入ってくるだろうが、それは恐らく災厄を導入するようなものだろう。
日本人の思想は災害が多く、その代り水が豊富でものなりが良い日本列島という地勢に鍛えられたものだ。
災害が多い、ということは助け合って行かないと生きてゆけない、という意味だからキリスト教イスラム教のような排他的宗教は困るのだ。
善悪二元論なんかを災害があったとき持ち出されたら非常に困る。
リベラル勢力が唱える自由や平等の価値よりもリスク管理の方が大事なのだが、彼らにはわからない。

 

 


(私のコメント終)