1702-3-1164-2/3メルマガブログ転送映画「片隅」ドイツ公開

 

 

 

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【映画】『この世界の片隅に』ドイツでの反応は? “KAWAII”を超えた日本アニメへの関心 [無断転載禁止]c2ch.net

 

 

(私のコメント)

 


(私のコメント終)

(引用開始)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170202-00010003-realsound-ent

リアルサウンド 2/2(木) 10:04

 ドイツ西部の都市ケルンで1月28日(現地時間)、『この世界の片隅に』(英題: IN THIS CORNER OF THE WORLD)が映画祭「AKIBA PASS FESTIVAL」のプログラムのひとつとして上映された。『この世界の片隅に』のドイツ国内上映は同映画祭が初めての機会。さらに、昨年11月に海外配給が決定してから世界に先駆けた日本国外上映となる。ドイツの観客はどのように観たのか、また上映作品として選ばれた理由を探りに現地を訪れた。

■『君の名は。』にはないストーリーテリング

 AKIBA PASS FESTIVALは、日本のアニメを専門としたドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)向けのウェブサイト「AKIBA PASS」を運営する「peppermint anime」(ペパーミント・アニメ)が主催。『この世界の片隅に』は日本のアニメ15作品と共に、1月21日のドイツ・ハンブルクを皮切りに、ベルリン、ケルンなどのドイツ8都市を巡り、2月11日のオーストリア・ウィーンでの最終日まで各都市の映画館を移動しながら上映されていく。

 筆者が訪れたケルンでは、14のスクリーンを備える大型シネコンの1フロアが映画祭に充てられ、賑わいを見せていた。会場の一角ではコミックスやアニソンCD、Tシャツなどのグッズ販売コーナーが設けられ、買い物に勤しむ日本アニメや漫画ファンも多い。『この世界の片隅に』が上映されるには少し雰囲気が違うのでは…と思い、主催者代表でペパーミント・アニメのマーケティングマネージャーを務めるセバスティアン・ホーン氏に尋ねると、にやりと微笑んだ。

 その理由は、『この世界の片隅に』上映前スクリーンの前に立ったホーン氏のあいさつに表れていた。「大ヒットの『君の名は。』を上映してほしいというリクエストが多いのは承知しています。だけどまずは、『この世界の片隅に』を観てほしい」――ねらいは、“脱・定番アニメ”だ。コスプレしたくなるようなキャラが登場せず、“KAWAII”でもないということだろうか。

 「その通りです。私たちは、日本のアニメをバラエティ豊かに発信したいと思っています。『君の名は。』は、良くも悪くもアニメとしてのクラシカルな設定です。つまり、ラブストーリーがあり、大きな事件があり、ハッピーエンディングと捉えることができる。対象的に『この世界の片隅に』は淡々と細やかに描かれた物語が運び、その結末はハッピーエンドとは呼べない。ユニークで美しいアートスタイルも特徴的です。2016年10月の東京国際映画祭で『この世界の片隅に』を観た(ホーン氏と同じ会社に務める)弟が、すごく美しいと絶賛してたことが今回の上映のきっかけとなりました」

■感情にうったえかける情景とテンポ

 「ひとつの映画のためだけに来場するのは珍しい」とホーン氏が目を細める先には、列をなし入場待ちをする観客の姿があった。かくして上映された『この世界の片隅に』は、ドイツの観客の胸にも深く響いたようだ。「正直、涙をこらえるのに必死でした」と話すのは、ルス・ウルシュレーゲルさん。ウルシュレーゲルさんは、「すずの感情がシェアされて、家族に起こったことがよくわかりました。また海のウサギや色とりどりの爆弾が描かれたシーンは、ペイントとして素晴らしかった」と振り返った。

 映画祭の特色から、もともと日本の文化に関心を持っていたり来日経験があったりする観客も多い。マーク・ゾンマーアイゼンさんは、「広島のパートは、実際に日本を訪れ博物館も行ったことがあるのではショックではなかった」とリアリティーを追求した映像にも落ち着いた様子で話し、「予告編を見て良さそうだと思ってはいたが期待以上。本当にきれいな映像にびっくりしました。物語の流れがゆっくりで、これまで見聞きしていた日本の家族の暮らし方を詳細に知ることができました」と分析した。

 「日本の歴史物はこれまでも観てきた」と話すのは、トリスタン・カミンズさんとジェラディーン・シュミットさん。
筆者が声をかけた時は、ちょうどふたりで感想を話し合っている最中だった。
「大戦中、表舞台とならない庶民の暮らしではどんなことが起こっていたかを知ることができて、深く染みた。
どんなに良くないことがあっても、希望を失わず幸せを見つけていく様子に心打たれた。悲惨な状況であってもあしたや明後日は訪れ、
悲しんではいられないし生きていかなければならないということを実感しました」

 会場の2割程度に日本人らしき観客がチラホラと見られたのも、ほかのアニメにはない光景だったかもしれない。
村崎薫さんと能村悠里(のむらゆうり)さんは、カミンズさん、シュミットさんと連れ立って訪れたドイツの大学に留学中という大学院生。
村崎さんは、「長崎出身の祖母から『これでやっとゆっくり寝られる』と思ったと聞かされていた玉音放送に対し、
すずが怒っていたというのが印象的でした」と異国の地で日本の歴史に想いを馳せた。


■座敷わらしは「トトロみたいなもの」

 歴史としてあるいはアートとして――戦争をが舞台のアニメにも関わらず、映画として肯定的に受け止められたというのは、“何があっても生きていかなければならない”という世界につうじる人間の根源的な生きようが描かれていたからなのかもしれない。

 一方で否定的とまでは言わないが、ドイツの観客が違和感を覚えた点を強いて挙げるとしたら、すずを演じた“のん”の声だ。ドイツで映画は完全吹替えが一般的で、字幕は稀。多くの声優が活躍をするが、子ども向け映画以外では男女ともにダンディーめの声が多い。前出のゾンマーアイゼンさんは「すずが子供時代は全く問題なかったけれど、大きくなってからも子供っぽい声色でおかしいなと思った」と指摘する。ただし最終的には、「スローテンポなキャラクターにマッチしてたと言えるのかもしれないね」と納得していた。

 また流石にハードルが高いだろうと座敷わらしの部分について何人かの観客に訪ねてみると、案の定正確な意味はわからず仕舞いだったようだ。筆者が説明を試みると、「(子供にしか見えない)トトロみたいなものだね」と納得する観客も。思うに、毛むくじゃらの人さらいの描写やワニと結婚する兄のイラストと同じ程度に、「不思議だけど想像力豊かなすずにあって不自然ではないこと」として受け入れられたようだ。日本の伝承文化に知らず知らずに触れる、いい機会となったかもしれない。

シュルテ柄沢 亜希

(引用終了)

(要約引用開始)
http://realsound.jp/movie/2017/01/post-3802_2.html
宇野維正の興行ランキング一刀両断!
(前略)
そして、昨年11月に全国63館で公開されて10位に初登場、その後、10位→6位→4位→7位→10位→10位→9位→10位と9週にわたってトップ10に入り続けてきた『この世界の片隅に』が、10週目となる先週末は8位にランクアップ。63館から177館まで増えたスクリーン数は現在もさらに拡大中で、累計で200スクリーンを超える見込みだ。累計動員も先週末で100万8,669人、累計興収は約13億4,170万。『君の名は。』の空前絶後の数字に麻痺してしまうとそこまですごいことに思えないかもしれないが、制作態勢の規模や公開当初のスクリーン数などを踏まえると、これは同じくらい奇跡的な記録。先週はNHKの『クローズアップ現代』での特集、『キネマ旬報』2016年度日本映画部門1位の発表といった話題も続いたが、高齢の観客層にも確実に作品の評判が広がっているだけに、マスメディアにのるようなトピックが途絶えた先も、どれだけ息の長い興行となっていくのか、今後も注目していきたい。

(要約引用終了)

 

小塚正己mkozuka@ybb.ne.jp
(私のコメント)
この映画は外国では「民間人を虐殺した戦争犯罪の告発」と受け取られるのではないか。
呉は軍港だから止むをえないのだが、広島の原爆投下は明らかに民間人虐殺の戦争犯罪だ。
アメリカでは今、戦前の日本がいかに悪い野蛮なくにだったか、という事が書かれた本がベストセラーになっているそうだ。
これを裏返しに見れば、良心の呵責があって日本が悪い国だから原爆を落として懲らしめた、という話にしたいのだろう。
但し、日本人にはそういう感覚は全くない。
戦争被害を台風地震のような災害と捉えているような気配がある。
この辺が大陸の常識とは異なる。
大陸の常識とは各民族がせめぎあい、少しでも良い場所を取り多民族を奴隷にしたり収奪したり強姦皆殺しにしたりしている世界のことだ。
日本人には想像もつかないが、聖書にはそういうせめぎあいが書かれている。
アメリカは心の底の無意識にいつか日本人に原爆を落とされるのではないか、仕返しされるのではないか、という恐れを持っているんじゃないかと思う。
それが大陸の掟だから、それを前提にこの映画を見るのではないか、と思うがどうだろうか。
アメリカで公開されたら、反応を見てみたい気がする。
上記の記事ではドイツで公開されたようだが、ドイツ人は複雑な心境だろう。
ドイツ人の感想が書かれていないが、ヒットラーを思い出したくはないだろうから、何も言えないかもしれない。
ドイツのことを書くとホロコーストなど含め話が拡散してしまうから止めておきましょう。

すずさんが天皇陛下のラジオの放送を聞いて怒る場面があったが、あれは当時の率直な気持ちだろう。
玉音放送の受け取り方千差万別だからみんなそうだった、とは言えない。
ほっとした人が多かったのも確かだろう。私の母、おばあちゃんも「ほっとした」と言っていた。
もっとも彼女は日米開戦の報を聞いて「馬鹿なことをする」と思ったそうだから、ほっとしただろう。
ただ、確かに言えることは若い人を中心にあのころ日本人は「次は自分が死ぬ」と覚悟を決めていた。
庶民が最後の一兵まで戦うつもりだったからその代表としてすずさんは怒ったのだ。
戦後このことは否定されたが、これは戦後サヨクとなった人が当時のことを振り返って言っているから文献的にも確かなのだ。
また、原爆が落ちてからすぐ、隣県の陸軍部隊(呉の部隊かもしれない)が救援に広島に向かった。
彼らが爆心地に向かって進んでいくと、黒焦げの地面から何本もの手が出てきて、「兵隊さん仇を取ってください」と言われた、という。
必ず仇は取ってやる、と大声で言うと手は消えて皆安心して死んでいったのだ。
戦争が終われば約束した仇を取ることが出来ないのですずさん(を代表とする日本人)は怒ったのだ。
勿論すずさんが約束したり仇を取るつもりだったわけではないが、日本人全体で漠然とそういう気持ちでいたのだ。
戦後の日本人はこの「仇をとってくれ」と行って死んでいった日本人の気持ちを忘れた。
もう仇は取れないし、きりがないから仇を取らないでもいいと思うが、死んでいった日本人の気持ちに寄り添う鎮魂の心は忘れるべきでないだろう。
私はなるべく靖国神社には行くようにしているが、案外沢山の人が参拝しているから日本人も捨てたもんじゃない。


(私のコメント終)