1703-8-1192-3/7メルマガブログ転送「片隅」監督談解説等

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映画 「この世界の片隅に」 紹介 - IN THIS CORNER OF THE WORLD -

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映画 「この世界の片隅に」 監督・片渕須直 ロングインタビュー

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映画『この世界の片隅に』予告編
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92山田玲司ヤングサンデー|『この世界の片隅に 業界激震!別格すぎる名作が起こした5つの革命とは!?』ニコ論壇時評


(私のコメント)
監督のインタビューから拾い読み
*今とつながっている感じがした。昔の人は我々と同じだ、と感じた。
*普通の生活、毎日の何でもない家事などや周りの普通の人々を大切だ、と感じる。
*現実を執着して表現するその結果としての実在感
徹底的時代考証、印象とか感情で作らない。
その結果、観客に安心感を与え、この映画は優秀だ、と考えさせる。
*「のん」の声が血肉が通う具体的な人として表せた。
*今までのアニメ制作が受けなくなって打ち切りになった。
この作品もお金がなくて作れない苦しい時もあったが、「自分自身のことをあきらめない。」
*遠い別世界のことを表現するのでなく、目の前の人を描く、自分の心の中を拾い出す。そこからやり直した。
挫折して自分に戻っていった。

*科の作品は今まで生きてきた意味が全部ある、誰かが信じなければ世の中の何も動かない。この作品のために生きてきた。
あきらめない。

山田玲司の解説の拾い読み

嫌う社会派
細部の神宿る、原爆のリアリティ

*「のん」の広島弁がいい。原作読んでいる奴がえばっている。彼らは有名になって寂しい。
*左も右もない、というすごさ、深く刺さる。
*ユーモアの力、ギャグでもないお笑いでもないユーモア。
*説教ゼロ、これは革命。5つの特徴がある。
1.すずさんは人生に流されている、流されて生きていてそのまま映画は終わる。
今までのアニメは実は特別な人だった、というパターン。選ばれし勇者の物語、というのを脱特別したものだ。
今までのアニメ映画の大筋パターンから外れる、不満から始まってそれが解決というのがパターンだ。
それをこの映画は愚痴を言わず満足して生きている。ワンピース型からサザエさん型。日々積み重ね型。
2.冒頭から回想で始まる。教科書的な原爆は皆知っている。その場面までつないだ。
反戦だからいやだ、広島だからいやだ、と考えてこの映画を見ない人は多い。
今までの広島原爆反戦映画は、自分が前に出てくる。説教がどこかに出てくる。そこが嫌われる。
注意深くそれを外したのではないか。
3.神の視点で描いている。神はジャッジしない。タンポポ、雲は神の視点。神の視点で作っている。
原作の方がすすさんの方に拠っている。映画は町や社会に拠っている。
4.釜戸の前の女の見た戦争。
この映画は手仕事アナログで作っている。
人を手足を大きく、子供のように書かれている。
物語と漫画の完成度が高い。
工夫と感性と努力でこういう映画が作れる。
写実なんだけど、象徴的なものも重層的に描かれている。
5.16年は3つのヒット作品があった。共通点は東日本大震災の総括をしたこと。
シンゴジラはお上がんばれ、国を信じる、組織万歳、楽観的。
君の名は「ダメじゃなかった」「なかったことにしよう」
この映画は、「なかったことにならない、それでも生きるんじゃ。」
世界と自分が同じと考えている人々にはショックだろう。

本当のような嘘でなくウソのような本当をかけ。
前二作は本当のような嘘、この作品は嘘のような本当。
漫画では最後の復興した呉の市街をカラーで描いている。
男も女も普通の人だ、ということを貫いている、それが右も左も突き抜けたところだ。
高度成長以来日本の男は女が嫌いになった。
イワシ三匹で家族の食事を作る、焼夷弾を消し止める、これが女の戦いだ。
日本女性のよさを示している、しなやかで強い、過去の古い女だが普遍性がある。
すずさんが絶叫するシーンが一回だけある。(絶叫シーンというのは天皇のラジオ放送だろう。)
体験談というのが強み。
(要約終)

私見では、映画を見て戦争反対と考えるのは当然だが、戦争をなくするためにはどうしたらいいか。
あの戦争の場合は、日本が原爆を持たなかったからやられたのだ。
これがあの映画のリアリティの延長線上にあるものだ。
だから、戦後原爆を持つ国は増えこそすれ減ることはない。
核廃絶運動は被害者奴隷の宗教だ。
信仰すれば信仰している人は幸せだろう。
社会的には何の役にも立たない。


(私のコメント終)