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生涯学習とは何を学ぶことなのか?
2017年07月11日

(見出し)
生涯学習とは何を学ぶことなのか?

 

 

(引用開始)


(見出し)
生涯学習とは何を学ぶことなのか?

高齢化時代に入り、「生涯学習」をいうことが改めて脚光を浴びています。

さてその学習の対象はなになのでしょうか?

少し前の文部科学白書を見ると「社会・経済の変化に対応するため、人々は絶えず新しい知識や技術の習得に迫られている」と書いてあります。平たく言うとパソコンが普及してきたからパソコンを操作する知識を、スマートフォンが普及してきたからスマートフォンを操作する技術を身に付けなさいと言っていると思います。

もちろん現代社会の中で積極的な生き方を続けるためには新しい知識や技術を習得することは必要です。そのための勉強は脳を活性化し、ボケ防止につながることは間違いないと思います。

しかし社会や経済の変化に終わりはなく、それに対応する知識や技術の革新にも終わりはありません。限りのある人生をもって終わりのないものを追いかけるのは、少しむなしい気がします。それは終わりのないものを追いかけている間にもっと大事なものを見失っているのではないか?という気がするからです。

生涯学習という言葉は今出来の言葉ではありません。江戸末期の儒学者佐藤一斎
「少(わか)くして学べば、則ち壮にして為すところあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老にして学べば、則ち死して朽ちず」と言っています。
私はこの原典(言志晩録)を詳しく読んでいないので、佐藤一斎が「なにを学べ」といっているのかは断言できませんが、技術革新の速度が緩やかな江戸時代のことですから、新しい知識や技術を学べと言っているのでないことは確かです。

推論すれば「人生の真理」のようなものを学び続けなさいと一斎は言っているのだと思います。

「人生の真理」とは何か?それは人は生まれて死ぬという当たり前の道理を腹に落として知ることだと思います。

「生まれては死ぬるものなり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」と言ったのは一休禅師です。この当たり前の道理=真理は私にも分かるのですが、腹に落ちているとは言えません。

総ての個体は死ぬ。しかし命の連環は続いていく。むしろ個体が死ぬことで、新しい命が育つ場所を提供することができる。それによって種としての命は続いていく・・・

理屈では分かるこの種としての命の連環を腹に落として理解し、それに相応しい行動をとることを学ぶことが本当の生涯学習の目的ではないか?と私は考え始めています。もっとも未だ頭での理解の域を出ませんが・・・

 

 


(引用終了)

(私のコメント)
人は色々解釈あってよいのだが、私の考えではブログ主とは少し違う。
勿論「人は生まれて死ぬという当たり前の道理を腹に落として知る」ことも大切だ。
時々原点に返って自分を見直してみる、ということは大事で大概のことは大したことでなくなる。
人間の真理を学ぶ、これもその通りだろう。
キリスト教ではこれと同じことを「メメントモリ」(死を思え)という。
だが、佐藤一斉はこれと少し違うと思う。
上記の箴言を見てもわかる通り、若くして学んだら「なすことあり」、壮年で学んだら「衰えず」、年取って学んだら「名が残る」と言っている。
つまり、学ぶことで何をするかが大事だ、ということではないか。
佐藤一斉の残した著書は「言志四録」というが、題名の意味は「志(こころざし)を言う」のだから、問題はこころざしだ。
志(こころざし)を持って学ぶ、ということでないのか。
生涯学習というなら、つまり目標、志、計画、「何をするか」「何を残すか」ということをまず決めるべきだろう。
佐藤一斉の弟子は、西郷隆盛や横井小南、佐久間象山、など錚々たる顔ぶれだが、皆公のために行動することを前提に学んでいる。
佐藤一斉は朱子学者だが、当時から裏陽明学者と言われていたように陽明学も勉強していた。
陽明学は言行一致で現実に何をするか、ということを大切にする学問だ。
佐藤一斉はこれを知っているから、明治維新を駆け抜けた英雄豪傑の師匠たりえたのだろう。
人はうまれて死ぬのだが、この点動物と同じだ。
ただ、人と動物と違うのは「志こころざし」の有無ではないか。
佐藤一斉はそういっていると思う。

 

(私のコメント終)

(要約引用開始)
http://www.geocities.jp/ikiiki49/page032.html

生き活き教育

 

学びつづけることの大切さ
  
佐藤一斎(さとういっさい)と『言志四録(げんししろく)』─


 佐藤一斎といっても知っている人は少ないでしょう。では、吉田松陰はどうでしょうか。少し歴
史が好きなひとであれば、幕末に松下村塾を開き、伊藤博文など後年活躍する人たちを育て
た人として知っているでしょう。そしてこの吉田松陰の先生に当たる人が、佐久間象山で、その
象山の先生に当たる人が佐藤一斎なのです。つまり吉田松陰佐藤一斎の孫弟子ということ
になります。どうですか、少しはイメージができたでしょうか。

(中略)
佐藤一斎の生涯

一斎は安永元年(1772年)美濃(みの)の国(現在の岐阜県)岩村藩の家老であった佐藤信
(のぶより)の次男として生まれました。幼い頃より読書を好み、武術にもすぐれ、小笠原流礼法も
身に付けていました。努力のかいもあって十三歳の頃には大いに頭角をあらわし、成人と同じ
ような扱いを受けていたということです。さらに学問を究めるため京都、大阪、長崎に旅して学
びつづけました。
三十四歳の時、朱子学の宗家である林家(りんけ)の塾長となり、大学頭(だいがくのかみ)の林述斎
(じゅっさい)と二人で多くの門下生の指導に当たりました。
五十五歳の時、岩村藩主となった松平乗美(のりよし)の家老に加えられ、十五人扶持を与えら
れました。家老職を勤めながら『重職心得箇条』などを著(あら)わし藩政に尽力しました。またそ
の見識の高さが諸国にも広まり、各大名が争って招聘(しょうへい)し、民政や国是の諮問を受け
るという状態であったと言われています。
そして七十歳の時、始めにも書きましたように昌平黌の儒官(総長)を命ぜられます。一斎は
講義をするとともに海防や時局についても意見書を提出し、またペリー来航の折もたらされた
アメリカ大統領の国書(英文、漢文、蘭語)の漢文和訳に当たっています。さらに日米和親条約
締結に際し、時の大学頭林複斎(ふくさい)(述斎(じゅっさい)の六男)を助け、外交文書の作成に力を
つくしました。昌平黌(こう)では佐久間象山渡辺崋山、横井小南ら三千人の門弟を育て、幕末
から明治への激動期の新しい日本をつくった指導者に多大の影響を与えたと言われていま
す。
一斎が昌平黌の官舎で息を引き取ったのは、安政六年(一八五九年)九月二十四日のことで
す。享年八十八歳でした。墓は現在の東京都港区の高明山深広寺にあります。
『言志四録』とは・・・

 この佐藤一斎の著(あらわ)した書物として有名なのが『言志四録』です。この書物が最近、特に
注目されたのは、小泉純一郎首相が平成十三年五月、教育改革関連基本法案を議論してい
衆議院の席で、この書物の次の一節を引用して話をしたからです。
 少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すこと有り。壮にして学べば、
則ち老いて衰(おとろ)えず。老(お)いて学べば、則ち死して朽(く)ちず。

 これを現代語になおしますと次のようになります。
「子供のころからしっかり勉強しておけば、大人になって重要な仕事をすることができる。大人
になってからも更(さら)に学び続ければ、老年になってもその力は衰えることがない。老年にな
ってからも尚学ぶことをやめなければ、死んだ後も自分の業績は残り次の人々にも引き継が
れていく。」

 おそらくこの一文ほど、学びつづけることの大切さを説いたものはないと思われます。
 『言志四録』は、佐藤一斎が四十二歳の時に書き始め、八十二歳になるまで書きつづけた1
133条からなる語録です。まさに人生の知恵がつまった書物といえるでしょう。それだけに多く
の人たちに影響を与えた、いや現在でも与え続けていますが、影響を受けた有名な人として明
治維新の貢献者である西郷隆盛がいます。西郷はこの書物を繰り返し読み、特に感銘を受け
た101条を抜き出して、座右の箴言(しんげん)としたのです。現在では『西郷南洲遺訓』に収録さ
れ、岩波文庫の一冊として出版されています。また近年では昭和六十二年に国税庁の長官に
なった窪田弘氏が就任の時のインタビューに答えて、『言志四録』の中の「一燈(いっとう)を提(さ)
げて暗夜を行く。暗夜(あんや)を憂うるなかれ。只(ただ)一燈を頼め」(暗い夜道を行く場合、ひと
つの提灯(ちょうちん)を提げていくならば、いかに暗くとも心配はいらない。ただ自分が持っている
その提灯を頼んで行けばよいのだ)を引用して「自分の気持ちをしっかり持てば、良い結果が
生まれ、国民の共感も得られる」と答えています。(昭和六十二年六月二十四日、日本経済新
聞朝刊)
 その他にも沢山の感銘を受ける文がありますが、あと三つほど紹介しておきましょう。

春風の心をもって・・・
春風(しゅんぷう)を以(もっ)て人に接し、 秋霜(しゅうそう)を以て自ら粛(つつし)む。

「春風のような和(なご)やかさをもって人に接し、秋霜のような厳しさをもって自分自身をつつし
みなさい」

おそらく『言志四録』の中で最も有名な一節でしょう。一言で言えば「人には優しく、 自分には
厳しく」と言うことです。普通はついつい「これでいいや」と自分を甘やかしてしまい、反対に人
の欠点に対しては厳しく問い詰めがちになるようです。しかしトラブルが起き、全面的に相手に
非があると思われる場面でも、一度本当に自分には落ち度がないかを問う必用があるというこ
とです。

 

春風天から命ぜられた役割を自覚すべし
人は須(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。「天何(なん)の故に我が身を生み出
し、我をして果して何の用に供(きょう)せしむる。我既(すで)に天物(ぶつ)なれば、必
ず天の役(えき)あり。天の役共(つつし)まざれば、天の咎(とが)必ず至らん」と。省察
してここに到(いた)れば、則(すなわ)ち我が身の苟(いやしく)も生くべからざるを知る。

「人は誰でも次のことを反省し、考えてみる必要がある。天はなぜ自分をこの世に生み出し、
何の用をさせようとするのか。自分は天のものであるから、必ず天から命ぜられた役目がある
はずである。その天の役をつつしんで果たさなければ、必ず天罰を受けるであろう。こう考えて
くるとうかうかと生きていけないことに気づくはずである。」

 最近は「自分探し」が盛んです。「自分は一体何者なのか」「自分は何ができるか」と問うこと
が、一種の流行のようになっています。しかしその根底には、自分にとって得になるためには、
という自己中心の発想があるのではないでしょうか。一斎はそのことについて、あくまでも「天」
からの視点で考えようとしています。天とはこの場合、極端に言えば「神」でも「仏様」でもよいと
思われますが、自分より上位の視点から自分の存在、自分の役割を見つめることがいかに大
切かを、この一文は示しています。それにつけても、現代においても、もう一度「天」の思想を
取り戻す必要があるのではないでしょうか。

煩(わずら)わしいことが自分を強くする
凡(およ)そ遭(あ)う所の患難変故(かんなんへんこ)、屈辱讒謗(ざんぼう)、払逆(ふんぎゃく)
の事は皆天の吾が才を老(おい)せしむる所以(ゆえん)にして砥礪切磋(しれいせっさ)
の地に非ざるは莫(な)し。君子は当に之に処する所以を慮(おもわんばか)るべし。徒
(いたず)らに之を免(まぬが)れんと欲するは不可(ふか)なり。

「すべて我々が人生の途中で出会うところの苦しみ悩み、突然の変わった出来事や人から辱
めを受ける事、人からそしられる事、自分の思うようにならない事などは、すべて天が自分の
才能を成熟させようとするものであって、いずれも自分の修養になくてはならないものばかりで
ある。したがって徳があり、人から慕(した)われる人は、このような事に出会ったならば、これを
いかに善処すべきかを真剣に考えるべきであって、これから逃れようとしてはいけないのであ
る。」

 現代は「癒(いや)し」ブームです。癒し音楽のCDや、癒しグッズがよく売れているといわれてい
ます。たしかに、煩わしいこと、いやなことは避けたいというのは人間の本能かもしれません。
しかし、かつての日本人はいやなことに対して、すぐにそれを避けたいとは思わなかったはず
です。「艱難汝(かんなんなんじ)を玉(たま)にする」という言葉があるように、つらいこと、いやなこと
は自分の成長にとって必要なことだと認識していました。一斎のこの文は、先程の文と同じく、
「天」という言葉を使っています。すなわち、いやなこと、煩わしいことは天が自分に対して与え
た試練であり、それを乗り越えることこそが自分を高めるのだと、はっきり示しているのです。
また「癒し」という言葉とともに最近よく使われる言葉に「キレる」「ムカつく」という言葉がありま
すが、これも困難に耐え切れずにキレたり、ムカついたりするわけで、困難に立ち向かう力が
衰えている証拠でもあります。いづれにしても「煩わしいことこそ自分を強くする。しかもそれは
天の計らいである」。このことをもう一度かみ締める必要があるのではないでしょうか。

 

 

(要約引用終了)