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#面白法人カヤック社長日記 No.18


(見出し)

私が独自に発見した、一番ラクな天職の見つけ方。

 

(引用開始)


(見出し)
私が独自に発見した、一番ラクな天職の見つけ方。

「いまの仕事は天職である。」
そう言い切れる人は、どのぐらいいるのでしょうか。

その割合は見当もつきませんが、その仕事をとおして、それなりのことを成し遂げている人というのは、おそらく天職についている人なのではないかと思います。であれば、できるだけ早く自分の天職というものを見つけた方がよいのではないかと思います。

そして、さらにこれは個人的な信念ですが、おそらく誰であっても、その人にとっての天職がある。そう僕は信じています。そこで、今回は、僕が独自に発見した「天職の見つけ方」を、お伝えしたいと思います。

では、いきなり結論を申し上げます。

「その人にとっての天職とは、その仕事を通して、その人に多くの気づきを与えてくれるものである」

もう少し細やかに解説していきます。が、その前に、僕がこの発見に至った経緯を少しお話させてください。

実は、カヤックの経営層15名ほどで、1年間ほど速読の訓練をしていた時期があります。経営層の書物を読むスピードが速くなれば、経営力が劇的に高まるのではないか、という算段からです。

速読術について解説していくと長くなるのでここでは詳しくは割愛しますが、速読術は目(視覚)の開発から始まり、最終的には右脳の開発を行います。すなわち肉体のトレーニングといっても過言ではないものでした。

ちなみに、1年の訓練を皆でしましたが、そんなにたやすく誰もが身につけられるものではなく、まじめに訓練に出る人もいれば、休みがちな人もいて、また、当然のことですが、人によって才能の有無があり、結局速読術を身に着けた(いや身に着け始めたという表現が正しいかも・・・)という人間は15人中2人でした。ちなみに、その2名は常人ではない領域にまでは到達しました。

そして、その毎週1回3時間の速読訓練を通して気づいたことがあります。それは、毎回訓練の終わりに、「今日の気づき」を書く時間があるのですが、この内容が人さまざまで、ここに差がでるのだということです。才能がある人は、その3時間の訓練の中で様々な気づきがある。ちなみに、僕なんかは、今日の気づきと言われても、懸命に考えるのですが、せいぜい「今日は眠かった」とか「今日は少し集中してできた気がする」とかその程度の感想しか書けない。つまり速読の才能がないのです。

ところが、そのことに才能がある人は日々行っているその訓練の中で、多くの気づきがあり、その微妙な違いを気づくことができる。それをしっかりとレポートに書き込める。そういう人間こそが、その技術を習得し続けることができる。

なるほど。そういうことか。
同じことをしていても、多くの気づきがある人とない人がいる。気付きがある人というのはそのことに対する才能があります。

そして面白いのは、その気づきの多い人が、常に何をやっても気づきがあるということではない。ある分野では、すごく気づきがあったけど、違う分野では、まったく気づきがない。そういうことがある。

つまり、誰にとっても気づきがある分野とない分野がある。つまり、気づきが多い分野がその人にとっての才能があることだと思うのです。

天職というのは、ここにヒントがあります。

その仕事をしてみて、毎日どんな気づきがあったかを書き綴っていけばよい。
それがスラスラ出てくるならその人にとっては、おそらくそれが天職です。何の気づきもなければ、それはその人にとっての天職じゃない。これは自分自身で、いろんな業種や職種を経験してみて比較してみてもよいし、他の人と比較してみてもよいと思います。気づきが多いかどうかをまず見つめてみてください。気付きが多いということは、そのことに才能があるということです。

前回の僕の社長日記「新入社員が社長に聞いてみたいこと、と、その回答。 」で、「達人のサイエンス」という本を紹介しました。これは世の中の達人と呼ばれる人がどういう性質をもつかを科学的に解明した本です。

その中でも、達人がもっとも持つべき能力、それは、スランプである時期、すなわち成長を感じられない時期をいかに楽しめるかだ。スポーツにしても仕事にしても、人は常に成長し続けるわけではありません。必ず行き詰ったり、停滞したりする時期がある。むしろその時期の方が長く、人生はそういう時期の連続だともいえる。でも、それを楽しめるかどうか、それこそが達人になれるかどうかの境目だ。と書かれていました。成長が頭打ちになったから他のことをしようとか、そういったことを言っている限りは達人になれないってことなんですね。

ちなみに、カヤックにもクリエイターが天職だという人間がたくさんいますが、各自に必ず伸び悩む時期があります。「アームスカート」 など、現在はカヤックを代表するクリエイティブを生み出している天野も、採用当初は、このままでは与える仕事が何もないという状況が続いていましたが、そんな時でも楽しんで仕事をしていたようです。

これを僕なりの解釈で言い換えるのなら、人生の大半ともいわれる「成長を感じられない時期」を楽しむためには、そういった時期でも自分に多くの気づきがあるという状態なのではないかと思っています。気づきがあるからこそ楽しい。楽しいから続けることができる。その状態こそが、その仕事に才能があるということでもあり、そんな仕事こそが自分にとっての天職である。そのように思うのです。

だから、最後にもう1度言います。

「その人にとっての天職とは、その仕事を通して、その人に多くの気づきを与えてくれるものである」

ということで、自分の天職を発見したいのであれば、毎日(無理なら毎週、さらに無理なら毎月)仕事を通してどんな気づきがあったのか日記(日報)をつけることをお勧めいたします。
それがすらすら出てくるようであれば天職だと思いますので、是非、自信をもって突き進んでいただきたいです。

今回のところは以上です。

 


(引用終了)

(私のコメント)
前回の生涯学習の続きです。
前回紹介のブログは「生涯学習」について、その学習は「メメントモリ」(死を思え)「人間の真理を学べ」というのが良いのでは、という話だった。
私はそれも正しいが、ブログ主様が例に出している佐藤一斉の言葉は「志(こころざし)」を大切にすることではないか、と書いた。
それで、ネットを見ていたらズバリ「メメントモリ」というブログがあった。
http://tempsperdu1215.blog.fc2.com/blog-entry-138.html
がん患者のメメント・モリ

余命が1年半だとするなら、考えておきたいこと、読みたい本、見たい映画・絵画、聞きたい音楽は何か?

このブログは読書に関するランキングの一位だから皆に読まれているのだろう。
私も少し読んだが、印象として一番に感じたのは「メメントモリ」というのは言葉では分かるが、「腹に落として理解する」ことは相当難しいのではないか、ということです。
「腹に落として理解する」は上記ブログ主様が書いてある言葉だが、それがメメントモリのブログを読むと難しそうだ、ということです。
この腹に落として理解する一例としてブログ主様は一休禅師を例に挙げているが、一休さんの事績を読むとちょっと一般人では真似が出来ないようだ。
禅宗の坊さんで第一人者と言われる原(静岡県沼津市原)の白隠さんは「人間死ねると決心したら今度は生きることだ」と言っている。
白隠禅師の事績を読んでもその修業はすさまじいものだ。

死ぬ、ということを知ることはニヒリズムでもあるから、そこからどう生きるか戻ってこないといけない。
般若心経の「色即是空、空即是色」と同じだ。色即是空だけではダメなのだ。

白隠禅師の教えを引用しよう。

(「白隠禅師『坐禅和讃』禅話」柴山全慶、春秋社)
(前略)

自性即ち無性にて    已に戯論(けろん)を離れたり
 因果一如の門ひらけ   無二無三の道直し
 無相の相を相として   往くも帰るも余所ならず
 無念の念を念として   歌うも舞うも法の声
 三昧無礙の空ひろく   四智円明の月さえん
 この時何をか求むべき  寂滅現前する故に
 当処即ち蓮華国     この身即ち仏なり
 
上記は白隠禅師が作った座禅を称揚する歌(唱え言葉)の最後の一部だ。
ここで「自性(本来の自分)は無性で、その無性による無念の念で歌ったり舞ったりする、三昧(夢中でやること)無碍の広がりすなわち仏」という。
「人間死ぬことを腹に落として生きる」とはこのことだろう。
ただし、私は修業した事もないし偉そうな事も言えないからエクスキューズありですけど。
今のところそう思っていて、だからそもそも人間は生きるように出来ている、と思う。
そうすると、「メメントモリのブログ」はそれなりに悪戦苦闘していて、そのことが「三昧で」生きる事だろうと思います。
それで、ようやく今日紹介するブログになるのだが、「自然に色々アイディアが湧いてくる仕事が天職」という考えがこの話に繋がるのではないか。

上記の「自性即ち無性」という考えは「自然に湧いてくるアイディア」を生む心と同じものでしょう。
「三昧無碍」というのは自然に湧いてくるアイディアで道を切り開いていく状態のことではないか。
ここでようやく結論なんだけど、生涯学習とは「自然に湧いてくるアイディア」つまり自性に根ざした自分のやりたいことを見つけて三昧(夢中)でやることではないか。
そうやって死ぬ時が来たら死ぬだけだ。


(私のコメント終)

(要約引用開始)
http://www.shinoby.net/2016/11/8752/
SHINOBY'S WORLD
藤忍
来年は仕事術の本を書くかもしれない。ということで仕事のことをあれこれ調べていたら、面白法人カヤックの「私が独自に発見した、一番ラクな天職の見つけ方。」という記事の内容にとても共感しました。


「その人にとっての天職とは、その仕事を通して、その人に多くの気づきを与えてくれるものである」というのが結論として最初に書かれています。自分がやっていて
他の人よりも色々なことに気付きがあることは、天職である可能性が高いということです。

(中略)
仕事とは短期で結果が出るとは限らないものです。1年、2年と芽が出ないまま時間が過ぎたとしても、それでも気付きが持ち続けられる仕事なら、いずれ成果につながってきます。

一緒に仕事をしている人を見ていても、成果が出そうだなと思える人たちというのは、自分の仕事が結果の如何に関わらず好きで、興味を持ち続けているという共通点があります。自分の仕事をを語り始めると止まらない。そんな人は自分の仕事の気付きを相手に伝えたくて仕方ない人。気付きがたくさんある人ということですから、それは天職であり、続けていけば良いのです。

「好きを仕事に」では食っていけないと現実論を語る人がいますが、そもそも「好きでないことを仕事に」しても、そこそこのお金は稼げるかもしれませんが、人生を振り返った時、後悔するような気がします。

毎日仕事には問題ばかり発生して、その解決だけで時間が過ぎていきますが、それはたくさんの気付きがあるからこそ、とも考えることができます。気付きが無くなれば、問題にも気が付かず、改善が無くなり成長は止まってしまうからです。そう考えれば、仕事の問題とは気付きのことであり、それを丁寧に1つ1つ解決していくことこそが、仕事の本質と言えるのです。


(要約引用終了)