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(見出し)
お見合いという形態は、民主主義と男女平等教育を受け
てきた世代には、受け入れられない形態なのです。


2017年7月5日 水曜日

(私のコメント)
「1706-19-1279-6/22メルマガブログ転送妻問婚」の続きです。
一夫一妻制の結婚形態は社会的な決まり事で、社会の必要性があって生まれたものだ。
昔は子供の生存率はとても低く子供は大切なものだったし、労働力としても社会的に貴重品だった。
だから、社会的には安定した子供の供給と健康に育つ環境が絶対必要なのだ。
昔から母系家族が主流だったのはその方が子供が育ちやすく、母系をバックアップする家族集団から見ても子供は大切だった。
伊勢物語の説話を分析すると全部が妻問婚だったそうだ。
古代から父系の結婚、つまり嫁取りもあったようだが、これも父系家族集団にとって都合が良かったからだろう。
要するに男女が安定して同居生活し、子供を育てるのはその男女が属する集団の利益に沿っており、その保護を受けてその男女にもメリットがあったのだ。
つまり、結婚というのは社会的にそれを維持するための社会の要請とその保護の元に成立するものなのだ。
ところが、面白いことに人間はそんな風には出来ていないのだ。
前回上記のメルマガで下記の通り書いたように人間は次のような特徴を持っている。
・原則的に動物のオス(人間の男を含む)はメスと長期関係を続けるようには出来ていない
・恋愛開始後3年程度で「恋愛感情を引き起こす脳内物質PEA」の分泌が一気に降下し、男も女も脳が覚めて相手のことを何とも思わないようになる
・「自分の思い通りに物事が運ばないとストレスが発生する」という原理上、自分以外の人間である配偶者(相手は自分の操り人形ではないので思い通りには動かない)との共同生活は絶対的にストレスを生む

現在の遺伝心理学は相当進歩していて研究が進んでいる。
上記の特徴は遺伝心理学上の特徴で、つまり今まで「本能」と言われていたものだ。
これは人間の無意識の分野に記憶されたものだから、理屈抜きで支配されている。
そして、遺伝子レベルに組み込まれるくらいだから、遺伝子が生存するのに一番都合が良い情報なのだ。
ところが、遺伝子はそれを千年単位で組み込むから問題なのだ。
つまり、現代のような食べ物が蓄積されて財産が生じ、また農業生産などのノウハウが社会に組み込まれる、というような時代はごく最近なのだ。
遺伝子の組み込んだ生存最適情報は現在では通用しないのだが、このずれが解消するにはこれから千年以上かかるのだ。
そこで、人間はこの矛盾を解消して現代に適合するように社会的に家族制度や婚姻制度を作り、遺伝子を捻じ曲げたのだ。
遺伝子は生存を脅かされると思うから、当然反抗する。
その為、宗教の助けを借りたり、社会制度として組み込み、皆に「こういうものだ」と理屈抜きに従わしめたのだ。
そして結果的に社会が発展し、各個人もその恩恵を得て、納得してきたのだ。
遺伝子は利害関係関係もあって大抵は抑え込まれたが、時々暴れだしたりして現在まできている。
さて、今後はどうなるか、だが、社会的な要請が無くなったのだから、本能つまり遺伝子レベルの生存情報に戻るしかない。
遺伝子が昔のジャングル生活と同じで、バラバラな男女が4年くらいの周期で恋愛し子供を作り、離れてゆく。
サヨクは理性的な啓蒙思想で論理的に考えたように言うし、本人達も優秀な頭脳を誇るが、本当は情緒的本能に理屈をつけただけだ。
子供は社会が育てるべきだと、国家が母子家庭の面倒を見るか、子供だけ集めて収容所を作れというようなことになる。
そして、それらはポルポトスターリン推し進めたがことごとく失敗した。
サヨクは何でも国が面倒を見ることを解決策にして、私が不幸なのは国が悪い、社会が悪い、という。
話が脱線してしまうが、今後は昔に帰って母子家庭を経済力のある長生きの両親がバックアップするような結婚形態が広がるのではないか。
その理想的典型例がサザエさん一家ということになる。

なお、終戦後日本に乗り込んだマッカーサーは二度とアメリカに歯向かわない日本にするためにまず第一にやったことは日本の家族制度を破壊することだった。
家族制度を破壊することは遺伝子レベルの状態に戻ることだが、それは社会を破壊することと同じものだ。
日本は戦争が終わったら元通りになると、地震や台風と同じに考えているが、大陸的戦争観ではその後も破壊が続き、完全に滅亡して無くなるまで戦争状態なのだ。
サヨク思想とアメリカの政策は完全に一致して婚姻制度もその例外でなく破壊されているのだ。

日本の衰退滅亡は個々人の非婚化に表れているが、それは仕組まれたものだ。


(私のコメント終)


(引用開始)


(見出し)
お見合いという形態は、民主主義と男女平等教育を受け
てきた世代には、受け入れられない形態なのです。


(孫引用)

結婚制度はなぜ機能しなくなったのか
今回は、全く結論の出ないテーマに敢えて切り込みます。
切れない包丁で皮の厚いトマトを切るような感じです。
一個人が意見を発する自由を有するのが民主主義の原則ですから、こんな私でも論じてみたいと思います。
なぜ、現代において結婚制度が機能しなくなってきているのか。
結論を言うと、現代の結婚制度が、女性側への利に比重が偏っているからです。
そして民主主義と男女平等の教育が生んだ、弊害のひとつとも言えるでしょう。
今や結婚制度の根幹が揺るがされているのです。
私は結婚を否定する立場ではありません。
機会があれば喉から手が出る勢いでしたいし、未婚女性の多くがそう思いながら、日々枕を濡らしながらも健気に堪えていることでしょう。
致命的な傷を負って結婚制度自体に懐疑的であるとか、キャリアウーマンでもないのに負け犬の遠吠えしたくなるとか、そういう気持ちも無きにしも非ずです。
みんな、生まれてきた意味を探し、孤独に堪えながらも明日への一歩を踏み出す一個人ですから。
でも、結婚をしなくなるとなると、結果的に出生率が下がり、計画していた社会制度が維持できないので、必死に結婚させようとする側がいるのも事実。
今や結婚は様々な思惑渦巻くビジネスと化しているのです。
とは言え、結婚が利害関係を主軸としたビジネス的な要素を持つのは、古代からそうでした。今に始まった話ではありません。
婚活パーティーやそれに関することは、今や行政がセッティングするほど盛んだったりします。
それほどまでに結婚したい男女が溢れかえっているのに(割合としては女性の方が多いでしょうが)、どうして全員が幸せになれるわけではないのでしょうか。
それを、以下探ってみたいと思います。
人間の性行動は、性的に強い抑圧を感じていない場合、以下の三つに分けられます。
①やれる相手なら誰でもいい
②やった相手はみんな恋人
③恋人(好きな人)以外とは絶対にやりたくない
どうでしょう?
ほとんどの女性(特に若い女性)が「当然③じゃない!」と思ったはずです。
だって我々は、民主主義と男女平等の教育を受けてきたのだから。
そして、我々の親世代(六十代~五十代くらいか)は、「ロマンチック・ラブ」と「恋愛結婚」のイデオロギーの中結婚して家庭を築いてきた人たちです。
しかしその価値観は、ちょっと前に成立した概念で、それが脈々と続いてきたわけではありません。
でも、親もそれを進めるし、その子どもたちも「できればそうしたい」と思っているのが事実です。
実際にお見合いをするとしましょう。
お見合いをする前までは、「それで結婚できるのならば、出会いが“お見合い”というだけで…」と思います。
あるいは、自分か先方の親が勧めてくる場合。うちの息子が嫁さん探してて…、いや~、うちの娘も…というパターン。
いざ、会ってみる。
あれ、違う…と思う。
それはなぜか。
自分で選んでいないからです。
我々は、自分の進む道は自分で選択するよう教育されてきた。
いくら日本の教育制度がエスカレーター式な側面を拭えなくても、そのような民主主義教育がなされてきたのです。
そして、男女平等教育。女も立派に自分で相手を選ぶ権利が生まれたわけです。
お見合いという形態は、民主主義と男女平等教育を受けてきた世代には、受け入れられない形態なのです。
なぜ一昔前は、「お見合い」や「親の紹介」が機能したのでしょうか。
それは、人間の歴史が、「やれることが重要」に偏ってきたからです。上の①やれる相手なら誰でもいい。
つまり「私は“やりたい”と思う」という欲望の大原則を認めていたのです。
しかし、それをすると、今度は人格が否定される。
「やれるなら誰でもいい」となると、相手の気持ちは無視されます。
話が逸れますが、“性犯罪”という概念は、意外と新しいものだったのです。
それは①やれるなら誰でもいい という側と、③恋人(好きな人)以外とは絶対にやりたくない という側の組み合わせのみに起こります。
「あんたはやりたいかも知れないけれど、私(俺)はやりたくないんだよっ!」というパターンに際して、犯罪とされる。
それが近代の例に習って「犯罪」とされてしまうと、①やれるなら誰でもいい 側に抑圧がかかります。
また、近代以前の欲望の大原則が認められたならば、③恋人(好きな人)以外とはやりたくない 側が抑圧されます。
でも、長い歴史の中では、後者のパターンが社会通念としてあったのです。
つまり、「やれることが重要」だったので、相手は誰でもよかったのです。それで、お見合いや親の紹介が罷り通った。
そして、「結婚するからにはセックスをする、セックスをした以上は好きになる、そうして親の所属する社会が割り出した“夫婦”という単位をつつがなく演じ通す」という予定調和が大前提として存在していた。
しかし、それでは個人の自由は抑圧されている…ということで、個人の自由を認める社会になるよう、先人たちは奮迅したわけである。
それで、民主主義と男女平等の時代を生きている私たち。お見合いや親の紹介は機能しなくなりましたとさ。という話でした。
そして、冒頭で結論に挙げた件ですが。
家の事情で結婚する必要がなくなりつつある現代の若者。
そうなると、結婚による利害関係は、女性の側に利の重きが置かれるようになるのです。
妊娠・出産に際しては、それを抱え込んだ女というのは、本当に弱い立場にあります。
妊娠中の体調の変化を抱えながら家計を支えるのは並大抵の努力ではありません。無理をすることが流産の第一原因ではありませんが、それで無理して流産しようものなら、心身へのダメージは並々ならぬものです。
そして出産に際しては、どうしても働けなくなる期間ができてしまいます。トラブルがあり適切な処置を施さないと命に危険が及ぶこともしばしばあります。出産後入院ともなれば、その入院費であるとか、その間の経済的な問題は、バックボーンなしでは賄えるものではありません。
つまりその間の経済的・精神的支援のために、パトロンがいなければどうにもならないのです。
出産後の育児も、ひとりで子どもを育ててゆくのは経済的にも精神的にも辛いものがあります。
それで女は結婚しようとするのです。
これは人間が先天的な難産であることと、高い知能を有したが故に大人になるまでに年数がかかるという、人間であることの宿命により、如何ともしがたい事実なのです。
対して男性側にはどんな利があるのでしょう。
相手の女性の実家が金持ちで、事業を興す際に支援してもらえるとか、学業研究を継続するための経済的支援が必要である際は、男性側にも利があります。
あるいは、よっぽど子ども好きで、なんとなくパパになりたい人。
結婚するのが当たり前だから…と利害関係をあまり考えない人。
ここらで結婚しておかないと、社会的に体面を保てない人。
この女性はかなり賢いから、一緒にいたら得をしそう(稼いでくれそう)。
長い人生大変なことも多いから、糟糠の妻が欲しい…。
結婚する男性というのは、おおよそこんな感じでしょうか。
「自分の遺伝子を持つ子孫を、この女にこそ産ませたい!だから結婚!」みたいな男性は、そんなに多くないでしょう。
自分の子孫を残すことを目的にしなければ、上記のような理由がない限り、男性側に利はあまりありません。
男性側と女性側の利害関係が一致したときに、はじめて結婚は成立します。
しかし、雇用状況の悪化等々で、男性側も女性ひとりを養ってゆくことは難しくなりました。いはんや子どもをば。
女性もしっかりと働く時代になりましたが、完全な男女平等は無理があると企業側も女性個人も悟りました。
これは、女性が産む性でなくならない限り、消えない課題です。
経済的な理由は散々述べられているので、この辺りにしておきましょう。
次は、性的な事情です。
結婚後セックスレスになるカップルは、実に多いです。
それは、なぜかと言うと、男女の根本的な性の違いによるのです。
女の私が男性について言及するなど、失礼極まりないし、見当違いなことを言っているかもしれませんが、ご容赦ください。これを検証しない限り、解決策は見えてこないのでお許しを。
男性は、その性に目覚めた頃から、周期的に訪れる性的欲求(リビドー)をどう処理するかで悩んできました。
女性が一ヶ月単位で周期を繰り返すのに対して、男性のそれは、一日のうちに何度か周期的にやってきます。
思春期の男の子たちは、このリビドーの処理を何とかこなしながら、受験勉強に勤しんでいたのです。
このリビドーは男性に理性を失わせます。これに屈しては社会的体面を失うこともあります。時として理性の抑制が利かなくなった男性が、性犯罪とかセクハラでお縄にかかるのは、このリビドーのせいなのです。
だから男性は、自身の性的欲求を水面下に押しやってきた。アンダーグラウンドな世界にのみその欲求を爆発させて、社会生活は何食わぬ顔で送るのです。それが、多くの男性がやってきた生き抜くための知恵でした。
よって、男性は日常と性的欲求が結びつくことがありません。
ここが、日常と性的欲求を続けて考えられる女性とは異質な部分です。
だから結婚という日常の中で男性が妻に性的欲求を感じなくなるのは、決して妻が魅力的でないからではありません。妻よりも外見的に劣る女性と不倫するという話はよくある話です。嫉妬に狂いそうになったら、男性の根本的な性について、よくよく自戒するのがよいでしょう。
男性は結婚によっても、性的には満足できない。
かつては結婚ぐらいしかセックスをする方法がなかったので、しぶしぶ結婚していた男性たちも、性産業の発達、個人営業化する遊郭(エンコーというやつです)、セックスレスにより不倫に走る人妻、未婚女性の増加によって、性のセーフティネットが張られている現代では、結婚しなくなりましたとさ。こういう話でした。
長くなってきたので、そろそろ終わりにしたいのですが、
最後に、男性の草食化について。
これは、まさしく時代を象徴しています。
彼らは性的欲求が弱まったから草食化しているのではありません。
男性は、自尊心が傷つくと性的に機能するのが難しくなるのです。これほど男女平等が進んで、男だからと威張れる時代ではなくなった今では、その弊害はここに及びます。
草食男子は、自尊心を守るために確固たる意志を持って登場したと言ってもよいでしょう。それが、彼らの見せる“漢気(おとこぎ)”なのです。
しかし男性が草食化すると、太古からの意思をなかなか曲げない女の子たちは余ります。
それで、まだギラギラしている既婚男性の餌食に…という事態に。
その既婚男性も、非日常の恋がしたいだけで、その女の子の面倒を見てくれるわけではありません。
女の子は安い給料で買いたたかれ、今日も孤独と戦うのです。


(引用終了)