1708-19-1327-8/27メルマガブログ転送満州引上げ9条平和教

中身が濃くて面白い備忘メルマガブログ紹介
http://www.thutmosev.com/archives/72262171.html
世界のニューストトメス5世
日本陸軍終戦後に毛嫌いされた理由

(見出し)

(私のコメント)
最初の記事は、終戦時陸軍が住民保護を捨てて逃げたので、満州朝鮮の引き上げ者が悲惨な目にあった話だ。
陸軍が嫌われたのは、この時からではなく戦前からやたらえばっていたからということもあっただろう。
だが、国民にとって重大だったのは陸軍の裏切りでなく、国家というものが信用できない、ということを身に染みて知ったことだ。
逆に言えば、国家というものが無くなった民族は徹底的に悲惨な目にあって滅亡する、ということだ。
満州の引き上げの悲惨さは沢山の体験談で語られているが、ひどいものだ。
そして、今まで国や軍でえらそうなことを言っていた幹部たちがいかに卑怯でダメな奴らか、ということが悲惨な状況ではっきりするのだ。
こういう国家に対する不信感が戦後の日本人には体にしみこんでいる、ということを認識した方が良い。
二つ目に要約して上げた記事は、田原総一朗の「国は国民を騙す」というものだ。
これは満州引き上げだけでなく、戦争でいかに国が国民をひどい目に合せたか、ということから来ている。
国と国民を分ける考え方は、あまりよくないのだが、それでも庶民からすれば国の指導層に対する不信感はある。
GHQの東京裁判で軍の首脳が処刑されたが同情は無く当然のように受け入れられたことが庶民の気持ちだろう。
ただ、不信感だけ、というわけでなく、他にマルクス主義とかアメリカの洗脳工作の影響があるから、それだけ、というわけではない。
運命的に捉えれば「1憶総ざんげ」ともいわれたし、別の見方もあることは押さえておこう。

更に、その下の記事では9条平和教の社説の記事が出てくる。
今の新聞テレビはシナ朝鮮が作っているとみれば話が早いが、以下のことはまた別の観点からの話になる。
9条平和教の人々は「軍隊がなければ平和」「他国が攻めてきたら殺されましょう」という信仰者なのだが、
これを終戦時の満州引き上げと重ね合わせると、ぴたりと一致する。
軍隊があっても裏切りで守ってくれないし、庶民は悲惨に殺されるしかなった。
そうすると、9条平和教の人々は国家に守られずに死んでいった沢山の人々の怨念が生んでいる、ともいえるのだ。
なお、9条平和教信者と終戦時の愛国者は反転しているが共通する、という考えは長谷川三千子先生の本にある。
この先生の本は必読だ。
安倍さんは憲法改正を目論んでいるが、まずその前に国家が国民を守るのだ、豊かに幸せにするのだ、という信頼感が必要だ。
自衛隊は災害救助などで涙ぐましい努力を重ね、国民の信頼を少しずつ取り戻している。
こういう地道な努力をして、国の信頼を取り戻さないと、憲法改正なんて出来ない。
少し自衛隊が信頼を取り戻したからと言って、自衛隊を認める憲法改正を計画しているようだが、こんな目先小手先のことで国民は騙されない。
自衛隊じゃなくて、国家そのものの信頼を取り戻す地道な努力をしないといけないのだ。
国民の不信感は軍隊にあるのではなく安倍さんの率いる国家全体にあるのだ。
今の日本国家は20年もデフレ下にあって、国民を苦しめ、貧富の差が広がって同胞意識が薄れている状態だ。
国民の国家に対する不信感はどんどん増大して行くだろう。
シナや朝鮮が攻めて来るから自衛隊を認めろ、というが認めたからって、国が信頼できないのではだめだろう。
攻められたら満州引き上げと同じで、国が守ってくれるとは現時点では思えないのではないか。
攻められていない現在でも国は国民の生活を守っていないのだから。
9条平和教は幕末に流行した「ええじゃないか、ええじゃないか」踊りと同じ様な庶民の開き直りのようだ。
まず、国民の生活を立て直して国に対する信頼感や帰属意識をしっかりとさせてからの話だろう。
とは言っても、国民の生活を立て直す、とは抽象的な言葉だから今の政府は「やってます」というだろう。
具体的に言えば「プライマリーバランスの放棄」「消費税廃止」「公共投資」と安倍さんのやることの逆をすることだ。

 

 

(私のコメント終)


(引用開始)

2017年08月23日09:00
日本陸軍終戦後に毛嫌いされた理由

 

(見出し)
関東軍は100万人以上の満州日本人に、ソ連との開戦も知らせず避難指示も出さず、見捨てて逃走した。
関東軍の敵前逃亡

現代では旧日本陸軍は悪の象徴とされていて、悪い事はなんでも全て日本陸軍のせいになっている。

このような思想が広まったのは戦後GHQによる統制と、世界的な宣伝の為だが、他にも理由があった。

朝鮮と満州日本陸軍関東軍は、永遠に日本人から恨みを買うような行為を、終戦前の最後の5日間で行っていました。

それは731部隊でも南京事件でも慰安婦でもなく、それらは実際にはやっていないばかりでなく、日本人には関係が無い。

関東軍は1945年8月9日にソ連が攻撃を開始すると、防衛地域を放棄して、いの一番に逃げ出したのでした。

しかもソ連の攻撃や、もうすぐソ連地上軍がやってくるのを住民には隠し、「絶対に安心だからここから動くな」とまで指示していました。


関東軍が防衛していた満州国の首都は新京だったが、8月9日にソ連の空襲(大した空襲ではない)を受けると、なんとその日のうちに全軍脱走しました。

しかも軍の逃走を市民に隠すために主要道路を封鎖して鉄道を使用し、「ソ連軍と戦いに行くのだ」と大嘘をついて出発しました。

軍が避難するために8月10日まで鉄道は使用禁止に成り、8月11日から「軍人の家族だけ」避難指示が出ました。


その次に8月13日ごろ満州国の公務員に避難指示が出て、一般市民(100万人以上)に避難指示が出たのは8月15になってからでした。

日本の降伏を知ると同時に中華民国軍とソ連軍、暴徒化した中国人が日本人に襲いかかり、帰国できずに悲惨な目に遭って満州でなくなった人も多かった。

朝鮮半島は38度線で分断されたが、これは関東軍ソ連参戦と同時に38度線まで撤退したためで、このために裏取引までしていたようです。

 

北朝鮮に残された日本人

関東軍はアメリカには米軍に早く来るよう促し、ソ連にはソ連軍に朝鮮を明け渡すかのように、仄めかしていました。

ソ連は8月10日から米軍の朝鮮上陸までの15日間、のらりくらりと立ち回る関東軍への攻撃をためらい、8月25日に米軍がソウルに上陸しました。

この15日間の関東軍の行動によって、韓国はソ連占領を免れ、現在の民主国家に発展していきました。


関東軍がこうした行動を取ったのは韓国人のためではなく、満州の日本人を躊躇無く見捨てたのを見れば、日本人の為でもありませんでした。

釜山から日本への海上航路は米軍艦と空襲によって途絶しており、関東軍が帰国するには朝鮮南部をソ連から防衛する必要があったからでした。

朝鮮北部と満州在住の日本人に避難指示が出たのは8月15日以降で、しかも鉄道は軍が独占していて、指定された列車にしか乗れませんでした。


軍属、軍人の家族が優先され、次が婦女子と子供、その後は鉄道が機能しなくなり、取り残されてしまいました。

朝鮮北部の日本人は線路に沿って歩けば38度線を越えれるので歩いたが、途中で大半がソ連軍につかまって捕虜になった。

捕虜を拘束しておくと食料が必要になったので、ソ連軍は面倒になり、翌年までに歩いて南側に行くように指示して解放された人が多かった。


だが食料や医療品をくれた訳ではないので、38度線を越えるまでに倒れてなくなった人が多かった。

終戦後も数ヶ月間は朝鮮南部に関東軍が駐留していたので、38度線さえ越えれば復員船で釜山から帰国できた。

朝鮮北部からの日本人の脱走を助けたのは朝鮮人たちで、日本人を襲う朝鮮人が居た一方で、食料を分けたり匿った人も居ました。


朝鮮北部は南部に比べて日本人が少なく、日本に敵意を抱いていた人間も多かったと言われている。

それでも満州の中国人やソ連兵に比べると、朝鮮人に捕まったほうがましだった。

全ての朝鮮人や韓国人が日本人を憎むようになるのは、北と南の政府が反日教育を行った後のことです。


氏名が分かっただけで未帰還者31万人だから、総数は遥かに多かったかも知れない
0901Yomiuri37
引用:http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0901Yomiuri37.jpg

 

満州に残された日本人

満州に取り残された日本人はもっと過酷で、日本から遠い上に歩いて日本軍支配地域へ行く事はできなかった。

しかも米軍は日本本土と朝鮮南部を占領したが、満州や中国本土に進駐しなかったので、米軍の保護下に入ることもできなかった。

「我が皇軍に撤退なし」と言っていた関東軍は一番先に逃げ出してしまい、満州は完全な無法地帯になりました。


満州には100万人以上の日本人が取り残されたと推測され、翌1946年5月まで誰も関心を持たず放置された。

後に判明した事実によると、大本営関東軍に「本土は食糧不足だから日本人は帰国させるな」という命令を出していたようです。

米軍は1946年5月から軍用船舶で日本人の輸送を始めたが、これは保護のためではなく、「日本人が中国で暴動などをしないように」との配慮だった。

つまりアメリカは日本人が現地で全滅せず生きていたので、中国から除去したかったのだった。


引揚者は米軍によって犯罪者のように輸送されたのだが、帰国できなかった人が何人居たのか、現在も分かっていない。

ただ差し引きすると30万人以上が満州で行方不明になっていて、残された日本人の4人に1人は現地でなくなったようです。

つまり中華民国(台湾政府)とソ連は無抵抗な30万人の満州の日本人を犠牲にしたと推測できる。

 

最後の皇軍

一方の日本陸軍関東軍だが、その最後は非常に情けないものだったとされている。

優秀な兵士や優秀な部隊は太平洋の戦場に引き抜かれて米軍と戦い、関東軍は戦意のない劣等な兵士や新参兵、高齢者(40代)だけになっていました。

脱走者が続出し、我先に帰国しようとし、避難民に紛れ込んで38度線を目指した。


避難民に「荷物を持ってあげましょう」と言って、僅かな食料や金品を持ち逃げする脱走兵が数多く目撃されていました。

さらに避難民の家族が兵隊に出ていると知ると、「XXXX殿は亡くなられました」と嘘の報告をします。

当時家族の戦死をしらせてくれた人には、どんなに困窮していてもお礼をするのが礼儀であり、脱走兵は僅かな食料目当てに誰にでも「ご家族はなくなられました」と言いふらしていました。


戦場を放棄して敵前逃亡したうえに、保護するべき住民を見捨てて逃走し、最後は避難民からわずかな食料を騙し取った。

これが置き去りにされた日本人が最後に目撃した日本陸軍の姿であり、この悪評はたちどころに本土の日本人にも広まりました。

だから東条英機日本陸軍将校が裁判にかけられても、反対する日本人があまり居なかったのです。

 


(引用終了)


(要約引用開始)
http://yukokulog.blog129.fc2.com/
指摘憂国の書

ジャーナリズムが国民を騙す時代

 

(前略)
この社説は、宗教としての9条信仰の教義といえる。そこには、9条を持てば他国は攻撃してこないので、日本は永遠に平和であるという信仰があり、また、9条の教えの通り、他国を攻撃する兵器すら持ってはならないというものだ。つまり、東京新聞は、国民の命と9条を天秤にかけ、9条の優位性を説いているのである。9条を抱いて死ねということだ。だからこの社説は最低なのだ。

 始末が悪いのは、この手の「9条信仰」が、東京新聞の専売特許ではないということだ。朝日新聞毎日新聞も、ついでに言えば赤旗も、この手の信仰を社是としている。前原と枝野のどちらが代表になるかは知らぬが、蓮舫体制での民進党も明らかに9条信仰の政党だった。与党とは言え、公明党も9条を触りたくないから「加憲」という主張になる。そういう少なくない勢力が、国防の具体的進化を阻害しているのだ。

 ジャーナリズムは、日本の平和など考えていない。その思考は、戦後体制を頑なに守ることが大半を占めるが、戦後体制が持つ外交、軍事などの弊害については、彼らは責任を負わない。だから理想に忠実であり続けられるのだろう。もし間違った方向に行けば、政治家に責任を転嫁すればよいということだ。

 その戦後体制におけるジャーナリズムの代表格である田原総一朗は、昨日のブログ「僕がジャーナリストになった原点の日、終戦記念日に改めて誓う」でこう書いている。

 国は国民をだます。権力は信用できない--。僕は、今でも強く思っている。僕のジャーナリストとしての原点だ。

 「国は人を騙す。権力は信用できない」というものを原点にしたジャーナリストが、いまは国民を騙す側に回っている。田原のロジックは、現代社会では通用しない。いまや、「国民を騙す信用ならぬ」存在としてのジャーナリズムが、詐欺師のポジションを不動の者にしているのだ。

 


(要約引用終了)