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三橋貴明の「新」経世済民新聞』

     2017/12/29
(見出し)
「太平洋戦争ではなく大東亜戦争
From 上島嘉郎@ジャーナリスト(『正論』元編集長)


(私のコメント)
1.大東亜戦争は世界を白人支配から解放させた。戦後沢山の独立国が生まれた。
日本は負けたが、この点では勝利だった。
2.白人との戦いという点から見ると、この戦争は日本が戦争を始める前につけた大東亜戦争と言うべきだ。
大東亜というのは土地の範囲のことで東アジアとその外周部を示している。
戦後勝った側から「太平洋戦争」という呼称を押しつけられ、それに伴い戦争の性格が変わった。
3.日本人が二度と白人に逆らわないように
「日本は7年近くの間GHQ(連合国軍総司令部)の支配下に置かれ、占領政策として徹底的な言論統制、情報管理を受けました。」
その情報発信は次のようないわゆる自虐史観といわれるものだった。
「日本は悪い国で、好戦的で、愚かで、アメリカの平和への努力を認めずに戦争に突っ走っていった」
「正義のアメリカはそこから日本国民を救うために、どれだけ努力をしたか」
4.日本人は戦争に負けたことは確かなことだから、その反省はしないといけない。
だか、その反省は我々が知っている「敗北」という結果から、それを知らない当時の日本人の行動を裁いてはいけないのだ。
5.なお、余談ですが、GHQの洗脳教育はアメリカインディアンに行ったと同じで、
若い世代に「お前たちの父祖は野蛮で悪い奴らだった」「お前たちは違う」
と吹き込み、世代の分断を図るものだった。
これはサヨクマルクス主義共産党を浸透させる意味でも有効で、GHQは共産党と最初は二人三脚で洗脳教育した。
その先兵が日教組教師だった。
なお、アメリカインディアンの場合は日教組と同じような役割をキリスト教宣教師が務めた。
だから、共産主義と宗教は同じだ。
(先日共産党の選挙演説に遭遇した時、その周りの運動員が皆高齢者で驚いたが、顔つきを見ると、自分たちが選ばれたものだ、という陶酔感があり、やはり宗教だな、と思った。)
6.「自らの血肉につらなる父祖の戦争として知ること、その苦悩や煩悶を引き受けることから考察を始めなければならない。」というのがこの筆者の結論で、私も賛同します。

 

(私のコメント終)

(引用開始)
12月23日、東京・大崎で開かれた「月刊三橋シンポジウム」に参加しました。今回は、その懇親会で出会った皆さんにお話したことを記しておきたい(一部ですが)と思います。

「同時代というものをほぼ百年だと思っている」と語ったのはコラムニスト山本夏彦です。彼は「私たちは大正十二年の震災と昭和二十年の戦災で過去にさかのぼる手がかりのすべてを失った。残ったのは言葉だけである」といい、大東亜戦争後、長く猖獗をきわめ今も続いている戦前日本暗黒史観といも言うべき言説に異を立て、“誰か「戦前」を知らないか”と軽妙洒脱にその嘘を暴いてみせました。戦後生まれの筆者は、夏彦翁に多くの言葉を教えられました。

さて、都知事時代の石原慎太郎氏にうかがったとても印象深いエピソードがあります。「大空のサムライ」と呼ばれた旧海軍航空隊の撃墜王坂井三郎さんが、生前外国人記者クラブで講演をしたときの話です。坂井さんはガダルカナルでの戦闘で片方の目を失い義眼でした。

「私はご覧のように“あの戦争”で片方の目をなくした。しかし何の後悔もしていない。あの戦争は、私に言わせれば偉大な戦争だった。たしかに多くの有為な人間が死んだ。彼らがもし今日生きてあるならば、数多の才能を発揮して素晴らしい貢献を国家のために為しただろう。私はそれを信じて疑わない。慙愧の念の一つではあるけれど、しかし、相対的に私はあの戦争は素晴らしい戦争だったと思う」

坂井さんがそう語ると会場を埋めた聴衆(主に白人記者)はシーンとしてしまいました。
坂井さんはニコッと笑って、「だってみなさん、そうじゃないですか。あの戦争が終わってからたくさんの有色人種の国が誕生し、国際連合に参加しました。一国一票を持って人類の歴史を左右する、運命を左右する権利を持った。みんな白人の植民地だった国だ。やっと有色人種が世界の舞台に出た。その引き金はあの戦争ですよ」。

白人記者の多くが憮然とする中で、石原さんは一人拍手をした。するとメインテーブルに並んでいた記者の一人が石原さんにこんなメモを渡したそうです。
“Ishihara,you are ultra rightist(極右)and a lunatic.(狂人)”

その後、石原さんと坂井さんは親交を結ばれました。あるとき、坂井さんがとんでもない話をしていると知人から聞かされた石原さんは、その話の中身にびっくりして、直接坂井さんに電話をします。

「この話、本当ですか」
「いや、石原さん、本当です」

この話というのは、坂井さんがある日電車に乗っていたときのこと。目の前に大学生が2人座った。坂井さんはどんな話をするのかと思って聞いていると、「おい田中、知ってるか。50年前な、アメリカと日本で戦争をしたんだってよ」。
田中が「えーっ、ほんと。マジ?」
「マジだよ、お前」
「マジか、で、どっちが勝ったの」というものです。

石原さんは、「これはすごい話だ」と苦笑いし、「戦後50年は、日本人の、植民地化も拒否し、国家近代化のための苦闘の歴史について、戦争という決して好ましくはない民族の出来事もふくめて、私たちはよくも知らずに済んできた。それは幸いなことでもあったけれど、日本という国についての本当の認識、アイデンティティを持つためには、戦争の功罪、つまりその史実を相対的に知ることが必要であるにもかかわらず、それが一向に行われてこなかった」と戦後の日本人が「知ること」を怠ってきたことを指摘しました。

さて、坂井三郎さんが語った“あの戦争”とは何か。先の大学生はともかく、日本とアメリカが戦争をしたことを知っている戦後の世代にとって、あの戦争は「太平洋戦争」と教えられてきました。「大東亜戦争」の呼称に対し、「えっ、太平洋戦争じゃないの?」と聞き返されたこともあります。

昭和16(1941)年12月8日、日本は米国、英国に対し宣戦を布告しました。4日後の12日、政府は「今次対英米戦を支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と閣議決定します。この時点で、12月8日に始まった戦争は、昭和12年7月7日から続いていた支那事変(日中戦争)をも含め「大東亜戦争」と呼称することが正式に決まったのです。

昭和20年8月15日、日本は「ポツダム宣言」を受諾し、大東亜戦争は敗北に終わりました。その後日本は7年近くの間GHQ(連合国軍総司令部)の支配下に置かれ、占領政策として徹底的な言論統制、情報管理を受けました。その実態は故江藤淳氏の『閉された言語空間』(文春文庫)などに詳述されていますが、その言論統制下の時代に日本人は「大東亜戦争」を忘れさせられ、代わりに「太平洋戦争」を教えられたのです。

昭和20年12月7日、GHQは新聞各社の代表を集め、GHQが作成した彼らにとっての「太平洋戦争史」を示し、その掲載を命じました。新聞各社はそれを特集とし、開戦からちょうど4年後に当たる翌8日付の紙面から一斉に掲載しました。

朝日新聞はその後「太平洋戦史 続編」を連載し、NHKも「真相はこうだ」というラジオ放送を開始しました。これは「真相箱」、「質問箱」と名称を変え、同種の番組は昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も「大東亜戦争」の呼称は使わず、すべて「太平洋戦争」とし、以後長く、マスコミから「大東亜戦争」の文字は消えることになったのです。

『「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫)を著したジャーナリストの櫻井よしこさんは、番組の台本をまとめた「真相箱」を読み込んだ上で、その内容についてこう語っています。

「これでもか、これでもかというふうに、日本は悪い国で、好戦的で、愚かで、アメリカの平和への努力を認めずに戦争に突っ走っていったと主張する内容」で、「こんなに国民に嘘をついた悪い悪い悪い日本軍と日本政府だと強調しています。正義のアメリカはそこから日本国民を救うために、どれだけ努力をしたか──こういうストーリーを繰り返しいろいろなバージョンで日本人の心に刷り込もうとしている」。

GHQはさらに、昭和20年12月15日、日本政府に対し、いわゆる「神道指令」(国家神道の禁止と政教分離を徹底する覚書)を出し、その中で「大東亜戦争」や「八紘一宇」といった用語を禁じました。マスコミだけでなく、公の言語空間から「大東亜戦争」という言葉はなくなったのです。

いったい大東亜戦争とはいかなる戦争だったのか。果たして東京裁判史観に代表されるように一方的な日本の侵略戦争だったのか。帝国主義の時代、世界の列強は利害の対立を力に訴えて解決することを当然の権利と考えていました。日本が米英に宣戦布告した戦いも、そうした当時のグローバル・スタンダードに従ったものではなかったのか。

と同時に、中国大陸、東南アジアに攻め込んだのは侵略なのか、白人支配からの解放なのか。相手がある戦争で、どちらかが一方的に悪いということは言いえるのか。戦争当事国それぞれに主張があるのは当然です。

三百万人を超える戦没者を出したこと、アジア各国を戦場とし数多の市民を巻き添えにしたことなど、大東亜戦争について日本が反省すべき点、教訓とすべき点は多々あります。村山富市元首相が語ったように、「国策の誤り」を指摘することもできる。「戦争責任」をはっきりさせよ、という声が内外から出るのもわかる。

しかし、では国策の誤りとは、戦争責任とは何か。戦争を始めたことか。戦争によって多くの犠牲者を出したことか。捕虜虐待や一般市民の殺害などの国際法違反か。あるいは敗北を喫し、国を滅亡の淵に追いやったことに対する責任か。そのいずれもだ、ということか。

筆者は、“あの戦争”の責任の追及と反省を口にするならば、一つだけ心しておくべき態度があると考えます。それは、いま生きているわれわれは大東亜戦争が敗北に終わったことを知っているということ、敗北という結果がわかっていて、まるで歴史のカンニングペーパーを見て答案を書くような態度で父祖たちの当時の行動を裁いてはならない、という現代に生きる者の自省です。

自身在日韓国人として生まれ育った格闘家の前田日明氏(現在は日本に帰化)から同じ考えを持っていることを聞かされ、そうしたいまの日本人の態度は「卑怯だ」と言われたとき、私はなんとも言えない思いに駆られました。父祖たちが何に苦悩し、煩悶し、何のためにあのような戦争に突入していったのか──。その結果を、「アホな戦争」(半藤一利氏)、「自爆戦争」(猪木正道氏)と括ってしまっていいのか。

真摯に、反省や教訓を導き出そうとするならば、多様な角度から事実を知る必要があります。他者が語る“あの戦争”の事実だけでなく、自らの血肉につらなる父祖の戦争として知ること、その苦悩や煩悶を引き受けることから考察を始めなければならない。「太平洋戦争」からは見えてこない、われわれの父祖は、「大東亜戦争」を戦ったのだという事実を、われわれの歴史から消し去ってはならない。


(引用終了)
(要約引用開始)
大東亜戦争「失敗の本質」 単行本(ソフトカバー) – 2015/11/25
日下 公人 (著), 上島 嘉郎 (著)
トップカスタマーレビュー
(前略)
白人支配の時代にあって唯一、独立国として「文明国」の仲間入りを果たした日本は日清・日露戦争の勝利で国際的な地位を確保し、アジアの開放と独立、人種平等を掲げてベルサイユ講和会議に臨み、人種平等提案は賛成多数で可決されました。
ところがアメリカのウィルソンは、ルールを全員の一致でなければダメだと変えてしまいました。
白人支配は絶対的な原理であり、それを否定されるのはアメリカにとってはトンデモナイことだったのです。
大東戦争へ至る経緯でもアメリカは、謀略とでも言うべき狡猾な手段でジワジワと日本を追い詰めて、開戦するように仕向けました。
英米ソの白人支配国家に仕掛けられ、外交が稚拙な日本はジワジワと追いつめられていきます。
この辺りの経緯は、詳細に語られており、近年に発掘された資料を多く駆使して白人国家の露骨なエゲツなさを描いて説得力があります。
東京裁判で、パール判事がハル・ノートに関して、こんな要求をされれば、どんな国でも宣戦布告と受け取ると言いました。
後にハルノートを作成したハリー・ホワイト財務長官はソ連ルーズベルト政権に送ったスパイであることが判明しました。
政治・外交の世界は魑魅魍魎で、映画・小説を凌ぎます。
太平洋戦争での敗因は、軍事政権の無能力、海軍陸軍の確執、精神主義偏重、外務省の事なかれ主義など様々ですが、2人は各戦闘場面でのイフを展開して、日本は十分勝利する可能性が大きかったと論じます。
評価が高い山本五十六に対しても、勲章欲しさの愚劣な作戦指揮ぶりを指弾しています。
2人がテーマにしているのは未来です。
過去の失敗原因を剔抉し、未来の日本が進路を過たないよう教訓を汲み取ろうということです。
日本は、自ら国際ルールを作る気概を持てと鼓舞します。
白人国家からシカトされた日本の「人種平等という理念」の流れは、有色人種国家に拡がり、白人国家はその波を押し止めることが出来ませんでした。
国連がスタートした時、加盟国は51カ国で、現在は193カ国です。
新しく国連に加盟した142カ国の中で白人国家はイスラエル、スイスなど少数です。
大半は、有色人種・黒人国家です。
明治以降の日清戦争日露戦争大東亜戦争で、日本は非白人国家が独立国・文明国として白人国家と伍してやっていけることを証明しました。
日本が非白人国家、民族に多大な影響を与えました。
日本の活躍なくして今日の人種平等の理念が優勢な世界の実現はなかったと考えます。


(後略)

 


(要約引用終了)