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短足おじさんの一言
2018-05-28 15:02

元中国人から見た中国 BY 石平氏
(見出し)

『元中国人から見た中国』

(私のコメント)

(要約)
1.習近平は「中華秩序」を復興させようとしています。
中華秩序とは中国皇帝が世界を指導すること。
この中華秩序の元になっている思想は、儒教から来る中華思想だ。
2.中華思想の中核を占める儒教の特色は二つあって、一つは天命思想、もう一つは中華思想です。
天命思想は、皇帝の統治が天(儒教による森羅万象全ての元)が命じたものだ、という権威付けのこと。
中華思想は、対外侵略を正当化する為の理論で、中華とは一地域のことでなく、世界全体のこと。
天命を受けた天子(皇帝)が、自らの徳をもって諸民族を教化して文明に導く使命を持っている。
(私の注;ここはキリスト教とよく似ている。アメリカも共産主義コミンテルンも同じ。侵略の言い訳はどこも同じになるのだろう。
彼らには侵略する、という考えは全く無いので、その点もキリスト教の宣教師と同じだ。)
3.日本はシナ文明を多く受け入れたが、文化としては上記のような本質的な部分は受け入れなかった。
シナ文明と日本が全く違うのはなぜか。それは日本が意識してシナ文明を受け入れようとしなかったからだ。
4.日本は儒教に対して江戸時代まで冷淡だった。
(私の注;後醍醐天皇は当時の最新思想だった朱子学を学んで実践しようとして失敗した。足利尊氏は結果的にシナ思想を粉砕した)
律令制度も隋唐の軍事的脅威が薄れると、形骸化した。
儒教は受け入れなかったが、仏教は全面的に受け入れ、国分寺をつくり、仏教経典の輸入解釈など国家プロジェクトとして普及に努めた。
5.儒教を受け入れず、仏教を受け入れたのなぜか。
儒教中華思想だから、精神的に中国の属国であることを受け入れなければならない。
仏教はインドで生まれたもので、中国も日本もインドから学ぶ点では同じ立場だ。
仏教によってシナ文明と一線を画することが出来た。
6.仏教はその後日本化して、例えば「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という思想が起きた。
仏教では成仏できるのは、菩薩などごく一部に限られているから、この思想は仏教ではない。
むしろ、神道の「八百万の神」草木国土のどこにも神が宿っている、という考えに近い。
7.江戸時代は儒教が盛んにになり、仏教は大衆化したが傑出した思想家は出なくなった。
儒教も最初は朱子学などが主流だったが、次第にそれに飽き足らず、原典に遡って(さかのぼって)解釈するようになった。
また、本居宣長のように儒教が入っている以前の日本の方が良かったんだ、という考えも出てきた。
本居宣長の主張する「もののあわれをしる」とは「草木国土悉皆成仏」と同じで、全てのものに霊性、魂があるのだ、という。
これが日本人の本来の心だ。
8.シナ皇帝は天命によって統治するが、日本の天皇は「天孫降臨神話」で神の子孫が統治することになっている。
だからシナのように易姓革命(天命が別の人に下る)が起きて皇帝が入れ替わることもない。
(要約終)

 

(私のコメント終)
(引用開始)

(前略)


 しかし情報誌「あすへの選択」のインタビュー記事は『元中国人から見た中国』、こんな視点で見ると実に面白い。日本の思想史とは別に、元中国人から見た中国の考え方と日本の対応策、こんな事が実に良く分かる。
そこで思想史の部分を除外し、中国に関する部分を抜粋し考えてみたい。
尚このインタビュー記事は大変面白いので末尾に全文を引用しておきます。


<以下上掲情報誌より抜粋引用>
 
編集部ーー根つ子になる精神のところでは独立していたということですね。

 石 それは、今日的意味があるんです。
 習近平は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「中華秩序」を復興させようとしています。復興とは、いつの時代に復興するのかというと、アヘン戦争以前の清朝最盛期の時代です。中国は近代になって、中国を中心とする天下の秩序を西洋列強と日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り戻したい。その中には尖閣・沖縄も含まれます。だからこそ、どんどん出てくるわけです。もちろん、そんな勝手な主張を日本が認めることはあり得ない。
 また、天下を取り戻すというからには当然、「天子」が必要です。だから、習近平は天子すなわち「皇帝」にならざるを得ない。現に、中国国内では習近平を全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっていて、まるで毛沢東文化大革命をやった時のように、老人にも幼児にも礼賛させています。人民日報に至っては「習近平思想が世界を指導すべきだ」とまで主張しています。「そんなこと誰も頼んでないよ」と言いたい。
 ただ、中華秩序を取り戻すということは、アメリカが主導する世界秩序や価値観でさえ潰さなければならないということだから、習近平の中国は、軍事、経済、外交、文化、あらゆる面で「力」を持とうとしているのは事実です。それに対抗するためには、日本にも強固な国防体制や外交戦略が必要ですが、それと同時に、やっぱり精神の独立が必要だと思うんです。

天命思想・中華思想

ーー その精神の独立のプロセスというものを、少し紹介して下さい。
・・・中略
その特色(注:中華思想の中核を占める儒教のこと)は二つあって、一つは天命思想、もう一つは中華思想です。
 天命思想とは、天が森羅万象の主ではあるけれども、人間世界を直接支配しないで、代理人に命じて統治させる。その代理人が天子すなわち皇帝です。しかも、皇帝の一族は代々その地位を受け継ぐことができる、という考え方です。
 なぜそういう考え方が必要だったかというと、王朝に権威をもたせるためです。漢王朝の皇帝は、日本の天皇とは違い、神話とは何の関係もない。だいたい漢を創ったのは劉邦というならず者ですからね(笑い)。

ーー もう一つの中華思想とは。

 石 これは対外侵略を正当化するための理論です。
 武帝は中国の国内を安定化させた後、全面的に侵略戦争を始めます。ベトナムを占領し、朝鮮半島の大半を占領し、アジアの多くの地域を占領して版図を広げた。中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる。天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない。
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない。

ーー なんとも迷惑な話ですが、中国では王朝が何度も交替していますよね。

 石 皇帝の失政によって天下が乱れた結果、誰かが反乱を起こして前の王朝を潰し、新しい王立てる。それが易姓革命で、これも天命思想の一種です。
 例えば、天が代理人として指名した劉一族が堕落して徳を失えば、天が別の代理人を指名する。現実には、天が指名するのではなく、実力で劉一族の天下を覆して天下を取った者が、「俺が天から指名された新しい天子だ」と名乗る。中国の歴史は延々とその繰り返しです。
・・・以下略・・・
<抜粋引用ここまで>


 最初に中国はアヘン戦争以来、西欧・日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り返したい。その中に尖閣・沖縄も入っている。こんなくだりです。
こう見てくると中国が尖閣に執拗に侵入を繰り返すのも、沖縄に傀儡知事を擁立し、何とか沖縄を独立させ、その次は併合を狙っているのも良く分かります。


沖縄問題に関しては、例えば以下のブログ
 「国内に植民地を持つ国 2018-02-08 16:40」
http://tansoku159.blog.fc2.com/blog-entry-1498.html

此処にこんな事を書きました。

今発売中の雑誌「WiLL3月号」(p252-259)に「沖縄・尖閣を守る実行委員会代表の恵隆之介さん」が興味深いことを書いている。題して『沖縄の天王山 名護市長選! 稲嶺市長「沖縄は中国にあげたらいい」!』。(注:稲嶺は本当にこう言ったそうです)
(良かったですね恵さん、選挙には勝ちました。シナの走狗稲嶺をやっつけましたね)

ここにこんな事が書いてある(p253-254)
>一方、中国人民解放軍の工作機関である国際友好連絡会(友連会)は、沖縄で公然と活動している。最近は、中国人観光客を送り出すことを目玉に沖縄財界への浸透を図っている。
 昨年六月にも上海を訪問した識者に対し、友連会幹部のR中将が中国人観光客の派遣増を表明しながら、交換条件として沖縄米軍基地の撤去を目指すよう発言しているのだ。
 中国は、さらに沖縄への出国ビザは富裕層に限定している。このため県民の対中国観は現実以上に期待値が高い。
・・・以下略・・・

更に沖縄問題に関しては青山繁晴さんがこんな話。
青山さんは5月初めに訪米し、テキサス州の田舎にある太平洋戦争博物館を訪問。そこでこんな事を言っています。

<以下ぼやきくっくりさんより引用>
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid2179.html
「Japan&China」の展示で、琉球処分について「日本は中国から沖縄を奪った(seize)」と書いてあった。
 僕は1年前に、沖縄が中国の一部だった歴史はありませんから、日本が奪うのは不可能だとカバノ館長に言った。
 そしたら「from China」を削除しただけで、どこからかは知らないが「奪った(seize)」という表現はそのまま。
 これは「併合」という意味ですと、こないだ(3月)館長が議員会館に来られた時に言った。
 そしたら書き換えますと言われて、僕がこのゴールデンウィークに現地に行くまでには間に合わないだろうと思ったら、展示を全部書き換えてくれていた。
<引用終り>


この太平洋戦争博物館での問題は単なる誤記では無く、中国から多額の寄付を受け、その意向で書いたもの。
中国の沖縄侵攻作戦はこんな所までじわじわ来ているという事です。


もう一つの中華思想の問題。
石平さんのこの発言に私も永年の疑問が解けた。
「中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる。天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない。
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない」

この考え方は私もそこまではと思っていた。しかし中国のやっていることはまさにその通り。
今ではアフリカにまでチャイナタウンがどんどん出来ている。ある程度人口が増えたらそこも中国だと言い出すだろう。
実に中国とは恐ろしい国という事ですね。

 

最後に石平氏の文章全文を紹介します。

<以下全文引用>

明日への選択 5月号(平成30年)
インタビュー
日本はなぜ「脱中華」に成功したのか
               石平
サブタイトル
 われわれは決して中華世界の一部ではない。われわれはもう千四百年も前から「脱中華」を意識し、それに成功してきた。

2018-5-27石平0
日本人の凄いところは、天命思想を受け入れなかったことです。天皇天照大御神の子孫だから、天命を受ける必要がない。天皇を中心とする国体の確立によって、どんなに歴史の変化があっても、天皇に取って代わる不遜な輩が出て来ないことになったんです。

<以下本文です>

 いまや中国は軍事的にも経済的にも世界的な影響力を持つに至っているが、そうした中で日本が独立を維持して行くためには何か必要か。
 その問題を考える中で評論家の石平氏が最近上梓された『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書)を読んだ。この本は日本思想史にフォーカスしたものだが、対中国ということを考える上で、意外に見落とされている精神や思想の在り方を考えさせられる。 そこで、執筆に至った経緯や独自の視点で見た日本思想の歴史を語っていただいた。


 誰も答えてくれない二つの疑問

 石(石平氏、以下同じ) 私はもともと日本思想史の専門家でもなんでもないんですけれども、中国から日本に来て、日本の思想にも関心があり、いろいろな本を読んできました。
 しかし、日本の歴史学者や思想家が書いているものを読むと、日本がいかに中国から影響を受けたかということばかり強調している。確かに、日本は昔から、儒教にしても、仏教にしても、あるいは漢字にしても、いろいろな形で中国の影響を受けてきたことは事実です。ならば思考パターンも少しは似ているはずだけれども、元中国人の私が、日本で生活してみますと、日本人の基本的な考え方や行動パターンは中国人とまるで違う。むしろ精神においては、日本人ほど中国と遠い民族はない。
 中国人は物事を利害・打算で考えます。目的のためにはどんな汚い手を使っても平気。倫理・道徳が大切だと声高に言い、腐敗はいけないと聖人君子みたいに言うけれども、中国共産党の幹部が腐敗摘発で捕まったらどうですか。汚職額は何百億元、愛人は十何人も囲っている。もう誰よりも汚い(笑い)。結局、倫理・道徳もなければ清廉潔白でもないからこそ、うるさいほど言うわけです。
 それに対して、日本人の心の根本にあるのは一種の美学と言いますか、「卑怯なことはしたくない」という潔さ。神社の境内に入った時に感じる、あのさっぱりとした感じと言ってもいい。しかも、道徳や倫理を中国人みたいにうるさく言わない。
 いったい、影響を受けているのに、こんなに違うのはどうしたことか。その理由を知りたいと思って様々な文献を読み漁りました。しかし、どこにもその答えは書いていない。日本の学者先生は、その問題意識すらないと思われます。
 だったら、もう自分で疑問を解くしかないということで、日本の思想史を読み直したわけです。

ーー(編集部、以下同じ) 読み直してどうでしたか。

 石 よく分かったのは、日本人は遠い昔から中華的なものを学んできたけれども、日本の精神や思想の形成史はむしろ一貫して、いかにして中国の影響から脱出して独自のものを作っていくかというプロセスなのです。
 私のもう一つの疑問は、江戸時代以前は、日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間であるのに対して、江戸時代以降の代表的な思想家は儒学者ばかりなのはどうしてかというものでした。それも思想史を読み直す中で分かってきました。一言でいえば、「脱中華」です。

ーー 根つ子になる精神のところでは独立していたということですね。

 石 それは、今日的意味があるんです。
 習近平は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「中華秩序」を復興させようとしています。復興とは、いつの時代に復興するのかというと、アヘン戦争以前の清朝最盛期の時代です。中国は近代になって、中国を中心とする天下の秩序を西洋列強と日本に潰された、あるいは奪われたと考えていて、その失ったものを取り戻したい。その中には尖閣・沖縄も含まれます。だからこそ、どんどん出てくるわけです。もちろん、そんな勝手な主張を日本が認めることはあり得ない。
 また、天下を取り戻すというからには当然、「天子」が必要です。だから、習近平は天子すなわち「皇帝」にならざるを得ない。現に、中国国内では習近平を全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっていて、まるで毛沢東文化大革命をやった時のように、老人にも幼児にも礼賛させています。人民日報に至っては「習近平思想が世界を指導すべきだ」とまで主張しています。「そんなこと誰も頼んでないよ」と言いたい。
 ただ、中華秩序を取り戻すということは、アメリカが主導する世界秩序や価値観でさえ潰さなければならないということだから、習近平の中国は、軍事、経済、外交、文化、あらゆる面で「力」を持とうとしているのは事実です。それに対抗するためには、日本にも強固な国防体制や外交戦略が必要ですが、それと同時に、やっぱり精神の独立が必要だと思うんです。

天命思想・中華思想

ーー その精神の独立のプロセスというものを、少し紹介して下さい。

 石 話の順序として、中華思想の中核を占める儒教について、まず説明しておきます。
 儒教といえば、日本人は『論語』をイメージするかもしれませんが、『論語』は孔子が人生の大事について語った貴重な談話の数々を弟子が書き留めたものです。思想体系というわけではないんですよ。思想体系としての儒教が成立したのは、前漢の七代皇帝・武帝の時代(紀元前一世紀前後)です。武帝は政治権力を正当化する「御用思想」として、儒教を国教的なイデオロギーに祭り上げます。その特色は二つあって、一つは天命思想、もう一つは中華思想です。
 天命思想とは、天が森羅万象の主ではあるけれども、人間世界を直接支配しないで、代理人に命じて統治させる。その代理人が天子すなわち皇帝です。しかも、皇帝の一族は代々その地位を受け継ぐことができる、という考え方です。
 なぜそういう考え方が必要だったかというと、王朝に権威をもたせるためです。漢王朝の皇帝は、日本の天皇とは違い、神話とは何の関係もない。だいたい漢を創ったのは劉邦というならず者ですからね(笑い)。

ーー もう一つの中華思想とは。

 石 これは対外侵略を正当化するための理論です。
 武帝は中国の国内を安定化させた後、全面的に侵略戦争を始めます。ベトナムを占領し、朝鮮半島の大半を占領し、アジアの多くの地域を占領して版図を広げた。中華とは地球上の限られた一地域ではなく、天下すなわち世界そのものです。また、天命を受けて天下を治める天子は、天下というものを無限に拡大できる。天下には境界線は無い。だから、中華が行う侵略は侵略ではない。
 さらに、天子は世界のすべての地域を支配すべき存在だから、天子としての皇帝は、自らの徳をもって周辺諸民族を教化して文明に導く大いなる使命を背負っている。だから侵略された方は、天子様が来たらむしろ喜んで受け入れないといけない。

ーー なんとも迷惑な話ですが、中国では王朝が何度も交替していますよね。

 石 皇帝の失政によって天下が乱れた結果、誰かが反乱を起こして前の王朝を潰し、新しい王立てる。それが易姓革命で、これも天命思想の一種です。
 例えば、天が代理人として指名した劉一族が堕落して徳を失えば、天が別の代理人を指名する。現実には、天が指名するのではなく、実力で劉一族の天下を覆して天下を取った者が、「俺が天から指名された新しい天子だ」と名乗る。中国の歴史は延々とその繰り返しです。

 日本は最初から「脱中華」だった

ーー そんな危うい思想が、古代の日本に、仏教とだいたい同時期に入ってきたわけですね。

 石 そうなんです。その時日本人はどう対処したか。儒教と仏教に対する態度の違いは、なかなか興味深いんですよ。
 日本人は儒教に対して、江戸時代までは冷淡でした。全面的に受け入れたわけでも、国家的なイデオロギーにしたわけでもない。だから例えば、科挙の制度は取り入れなかった。律令制度という中央集権システムは、隋・唐の軍事的脅威に対処するために取り入れたけれども、脅威がなくなった後はそれも形骸化して行く。要するに、距離を置いて適当に学んだんです。
 一方、仏教は全面的に受け入れました。飛鳥時代聖徳太子四天王寺法隆寺を建立し、『三経義疏』など仏教経典の注釈書を自ら著すほどで、国家的プロジェクトとして仏教振興政策を強力に進めました。奈良時代には、聖武天皇東大寺を建立し、世界一の大仏を造るほどのエネルギーを注ぎ込みました。それで日本は一気に仏教国家になった。

ーー それほど対応に差があったのはどうしてですか。

 石 結局、中華に対するスタンスからだと思います。儒教の世界観においては、あくまでも中国が中心です。もし儒教を全面的に受け入れていたら、中国の精神的な属国になって、日本は李氏朝鮮みたいになっていたでしょう。
 一方、仏教は一応中国を経由して伝わったけれども、インド発祥です。仏教は日本や朝鮮、東南アジアにも広がった普遍性をもつ世界宗教で、中国も仏教を学んだ一つの国に過ぎない。仏教の世界においては、中国も日本も対等の立場なんです。だから、仏教を全面的に受け入れることによって、中華を相対化できる。
 よく知られているように、推古朝の日本は、聖徳太子の主導で、隋の場帝に対して「日出づる処の天子」の国書を送り、独立国家であることを示しました。それと同時に、仏教の世界に身を置くことによって中華文明を相対化し、一定の距離を置いて自分たちの精神的独立を保った。これが「脱中華」のスタートだったと思うんです。

 仏教も日本的に

 石 それ以降、仏教が日本に広がると、たくさんの思想家が出てきました。平安時代には最澄空海、さらには源信空也鎌倉時代には法然親鸞栄西道元日蓮、一遍、それから室町時代には蓮如が出てきました。最澄空海から蓮如までの七百年間、日本人の心を導く役割を果たしたのは仏教です。
 面白いのは、そういう中で仏教の教えも日本的なものになって行った。
 例えば、人間は誰でも成仏することができる(「天台本覚思想」)。草木でも、石コロでも、皆成仏できる(「草木国土悉皆成仏」)という考え方が出てきます。これらはもともと仏教にはない考え方です。本来の仏教では、成仏できるのは菩薩など限られた存在だけですからね。
 いったい、どうして日本人はこのようなことを堂々と言えたのか。その世界観の根底にあるのは、結局、神道の考え方なんです。八百万(やおよろず)の神というように、日本の神は山にも川にも海にもどこにでもいるでしょう。日本の仏教はその神道の考え方の影響を受けて発展して行くんです。

ーー 一方、その神道はどうなったのですか。

 石 普通は神道のような土着の宗教は、高度な宗教が入ってくると、排斥され淘汰されて行くんですが、日本の神道は懐が深いんですよ。仏教と融合して行く。
 例えば、平安末期には、仏様が日本人を救うために日本にやって来て、日本の神々に変身したという考え方(「本地垂迹説」)が出てきます。さらに室町時代になると、今度は立場が逆転して、日本の神々が、仏様に変身したという考え方(「反本地垂迹説」)が出てきます。

 朱子学への懐疑 国学の発展

ーー 最初は儒教より仏教に重きを置いて脱中華を図り、その次は仏教も日本化して、独自のものになって行ったと。ところが、江戸時代になると、今度は儒教が表舞台に出てきますね。

 石 代表的な思想家も、林羅山山崎闇斎伊藤仁斎、荻生根株、中江藤樹など、みんな儒学者です。
 逆に、仏教の思想家が消えたのは、日本では平安時代から、仏教の大衆化と簡素化が進み、思想が無用の長物になったからです。とにかく一般大衆を救済するために、形式や修行の手続きが省かれ、念仏や題目までが簡素化された。それで、もう空海最澄のような大思想家は出てこなくなってしまったんです。
 一方、儒教が表舞台に出てきたのは、江戸幕府ができて、林羅山が家康のブレーンとして政治の中枢に食い込んだのが大きかったんですが、羅山は儒教の一種である朱子学の専門家でした。
 朱子学南宋の時代に、朱熹という儒学者が体系化した学問です。その主旨は、人間はそれぞれ心の中に宿る「天理」に目覚めて、その邪魔になる欲望をできるだけ切り捨てて行けば、誰もが完璧な聖人君子となれるというもので、これが壮大な思想体系になっている。 そう言うと何か立派な学問のようだけれども、朱熹がこれを造ったのは、南宋がとても哀れな王朝だったことと関係があるんです。南宋女真族の金に押されて淮南に移り、さらに臣下の立場を取った。皇帝が周辺民族に頭を下げるなんて中華思想ではあってはならない。しかし現実があまりにも惨めだからこそ、壮大なる思想体系を造って、その惨めさを補おうとしたわけです。
 しかし、日本人はこれも相対化してしまうんですね。
 例えば、伊藤仁斎は最初、朱子学に感激して熱心に学ぶんですが、やがてノイローゼになり、「こんな堅苦しい思想は日本人になじまない」と、儒教の原典に戻ろうとします。原典の『論語』や『孟子』を読むと、孔子孟子朱子が言うようなことは何一つ語っていない。そこから仁斎の朱子学に対する離反が始まります。
 荻生徂徠はそこからさらに、孔子でさえも間違った解釈をしているんじやないかと考えて、尭・舜など古代の聖王・先王の時代にまで遡って学んで行きます。
 このように原典に戻って読み取ろうとする知的探究の方法論は、じつは賀茂真淵本居宣長といった国学者の方法論とも似ています。
 真淵は、儒教が素晴らしいものであるならば、どうして中国の政治は何千年も乱れ続けているのかと。また、日本人はもともと素朴に生きていたのに、仁義礼智信など人為的に作られた儒教規範が入ってきて理屈っぽくなり、政治が乱れて行った。その思想的汚染を洗い流して、日本古来の精神を取り戻す必要がある。そのためには『万葉集』などの古典を読み直すべきだ、と考えました。
 そして宣長になると、もう「漢心(からごころ)」を完全に捨てましょうと。漢心に汚染される以前の日本人の精神を書いたのが『古事記』であり、『万葉集』 であり、『源氏物語』であり、「もののあはれを知る」ということに至る。「もののあはれを知る」とは、さっきの「草木国土悉皆成仏」にも繋がるんです。つまり、すべてのものには霊性、魂があるんですよと。だから、雲一つ見ても、草一つ見ても何かを感じ取ることができる。

ーー それが、日本人本来の心だと。

 石 ええ。私はこうした日本の思想史をずっと追って行く中で、飛鳥時代から日本は中華の影響を受けながらも、いかにして中華を脱出するかという知的格闘を続けてきたことが分かりました。そういうプロセスがあったからこそ、日本人は日本人たり得るのであり、中華とはまったく違う日本文明がある。もし日本人がそういう知的格闘をしていなかったら、もうとっくに小中華になっていたと思います。

 古事記の成立自体が「脱中華」たった

ーー 結局、日本は中国の影響を受けてきたというけれども、うまく取捨選択した。また受け入れたものも日本的なものに昇華させて行つたということですね。

 石 その通りです。なかでも日本人の凄いところは、天命思想を受け入れなかったことです。『古事記』の成立は七ニ一年ですから、時期的には中華の思想が入って来てから後のことですが、これは天命思想を受け容れないという日本人の意志表明だったのではないでしょうか。
 『古事記』を読めば、天皇の原点は「天命」ではなく「天孫降臨神話」にあることが分かります。天皇天照大御神の子孫だから、天命を受ける必要がない。あるいは皇族以外の誰か別の人が天命を受けることもない。だから、易姓革命も生じない。いわば『古事記』の成立によって、天皇を中心とする日本の国体が確立した。国体が確立したことで、日本ではどんなに歴史の変化があっても、天皇に取って代わる不遜な輩が出て来ないことになったんです。
 中国人がどうしても理解できないのは、家康はどうして天皇家を潰さなかったのかと。京都の御所は家康が三百人の兵を派遣すれば占領できたはずだと。しかも、家康は天皇から将軍に任命された。日本の国のかたちが中国や朝鮮とまったく違ったことはそこに象徴されています。これは決定的に重要なことです。

ーー 天皇を中心とする日本の国体こそ、「脱中華」の象徴だと。

 石 その通りです。 
最初の話に戻りますと、習近平の中国が「中華民族の偉大なる復興」へ向けて進む中で、日本は日本民族を存続させるために、対抗しなければなりません。そのためには強固な国防体制や外交戦略が必要です。しかし、同時に必要なのは、精神の独立です。
 つまり、われわれは決して中華世界の一部でもなければ、中華文明の一部でもない。われわれはもう千四百年も前から「脱中華」を意識し、それに成功してきたからこそ今日の日本がある。このことを今一度、確認してほしいと思いますね。
     (四月五日取材。文責・編集部)

 

 

 

 

 

 

(引用終了)