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(見出し)
今回「第六章「日本文化」の神髄」
(本の紹介)

山村義明著
日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか


(私のコメント)

(前回)

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今回「第六章「日本文化」の神髄」

(私のコメント終)

 


(引用開始)

(前回の要約)
第五章 「日本神話」と「祭り」の世界

1.「古事記」と「日本書紀」は、両方合わせて「記紀」と総称する。
成立してから約1300年経つ。古事記天武天皇日本書紀持統天皇の時代に成立したと言われる。

2.記紀面白い見所が沢山あるが、ベストテンを選ぶと次の通りになる。
天地開闢、天地の始まりに関する神話
古事記にある「天地開闢の時に高天原に成りませる三柱の神が現れた」という記述

②いざなぎいざなみの国産み神話
天神(あまつがみ)による「修理固成」の命

③いざなぎいざなみの黄泉の国神話
死と蘇り

天照大神須佐之男命(スサノオノミコト)および月読命(つくよみのみこと) 三貴子誕生。
宇気比(うけい)誓約神話

⑤天の岩戸(天之岩屋戸)神話
天の明暗

⑥出雲のヤマタノオロチ神話
大国主命による国生み、国づくり神話と国譲り神話

⑧高千穂への天孫降臨神話
邇邇芸命(ににぎのみこと)と三種の神器の神話、海幸彦山幸彦などの日向(ひゅうが)四代神話

⑨神武東征
日本国家の誕生と成立

⑩倭建命(日本武尊)(やまとたけるのみこと)の東夷、熊襲征伐
武勲と悲劇

3.日本書紀は漢文で書かれている。当時の強大な帝国である唐を意識したものだ。
日本書紀の編纂を始めた天武天皇は、663年の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)後の日本再建を目指していた。
日本を立て直すために「倭」を「日本」に変え、飛鳥浄御原令(あすかのきよみはらりょう)と呼ばれる初の律令と官制改革、暦や姓の制度を制定した。
白鳳文化」と呼ばれる建築などの文化、万葉集に代表される和歌を推奨した。
4.西洋の神話と比べた日本神話の特徴は「自然と神と人の関係」に価値観を置いているところだ。

日本神話の神道的精神のエッセンスがあるとすれば次の八項目になる。
①自然と人と神は一体でお互いに影響しあい、それぞれ大切にすべきものだ、ということ。
②国や社会は漂えるもの(ただよえるもの)だから「修め」「理り(つくり)」「固め」「成す」ものであること。
③武芸芸術文化技術を一体として大事にし、自らを磨くこと。
④労働を貴び、働く神々と人の関係を大切にする。
⑤身体だけでなく、心と魂、それに伴う技術を磨き、常に美しく仕上げること。
真に美しい魂は、常に現世の時空間から自由になれ、亡くなった後は人も神になれること。
⑥自らの家族や友人、恋人、配偶者との協力と話し合いの「和」を大事にする。
⑦人間は生きている限り、知力を尽くして明るく自らの困難を切り開き、ときには相手と戦う「武」も否定するべきではない。
⑧常に自らの足元の地域を大切にすること。個人の事よりも周囲のことを大切にして、自分に対しては神々に誓いを立てる事。
これは本来の日本人そのものの生き方と思想です。

5.日本人は言葉を大切にし、和歌をよんだり、祝詞(のりと)を唱えることで八百万の神々と交流を図ることが出来ると考えた。
(私の注;これを言霊信仰という。)
日本語の一音一字に意味がある言葉は世界的に見ても極めて貴重で珍しいものだ。
英語の子音には意味がないが、例えば「ひ」という言葉には「日」「火」という意味がありそのままで通じる。

6.日本は災害の多い国で地震津波、台風、噴火、洪水、等々あって、その為日本人は世界でも有数の自然信仰を持つ国となった。
神道の教えはこの「自然への畏れ」が一つの元になっている。
逆に、自然は日本人に多くの恵みを与え、生活を助けてくれている。
日本人は「自然からの恵み」「自然への畏れ」を信仰として持ち、自然の偉大さに比べれば人間は小さく「大きな存在によって活かされる存在」と理解している。
この為、日本人は「自然と共生し、共存しなければ生きていけない」と気づいている。
これらが神道の教えになっている。
日本人はこの日本列島で数千年の間、自然に逆らわずに秩序正しく働き、さらにお互いが困った時に助け合える民族であり続けた。
そうして、日本列島で繁栄したのだが、その繁栄の元は上記の神道による教えとそれに伴う伝統文化「しきたり」に従って生きてきたことにある。

7.日本列島の中心線に沿って、地震が極めて起きやすい大断層がいくつもある。
注目すべきなのは、この中央構造線断層帯の真上や周辺には必ずと言っていい程、「古社」と呼ばれる古い神社や「一宮」と呼ばれる神社がある。
これらの「古社」は交流があり、又神社の氏子を中心に助け合い組織が形成された。
活断層により地震が起き、日本列島がばらばらになることを防ぎ、又日本人の心をつなぐことを神道は懸命に続けてきた、ということになる。
地震は逃げられないから「自らが活かされていることに感謝し、今を一生懸命に生きること」を古代から日本人は考えた。
いざ災害になったら、心を合わせて前向きに復興に立ち向かう強い精神性を育むほうがより健全だ。
その強い精神性の役割を帯びてきたのが日本の神社であり、神道の本質でもある。

8.山、鉾、屋台などは神様の「依り代」だ。
神様の「依り代」(よりしろ)は神様が降りてきたりする居場所そのものや乗ったりする乗り物の場合がある。
神道では、基本的に自然の中の木々である「神籬(ひもろぎ)」や、岩や石などの「磐座(いわくら)」そして幣帛(へいはく)や玉串など何かの「依り代」がないと神は降りて来られない、ということになっている。
御神輿(おみこし)は神様ののりもので、英語では「ポータブルシュライン」という。
日本では、神様と共に踊りや催しもので神々に喜んでもらう、すなわち神様をもてなす、というのが基本的な考えだ。

9.生産過程の最終段階で地域の共同体に住む人々がより集まり、気分を一新して(禊祓)力を合わせて物事や災厄の悪い状況を変えようとするのが祭りだ。
つまり、地震や台風などの自然災害の時の共同体の対応を予行演習しているのだ。
(第五章終)


(今回はここから、引用開始)
第六章日本文化の神髄
1.大嘗祭(だいじょうさい)
新しい天皇陛下皇位継承の儀において元も重要だと言われる儀式。
記紀に書かれている神代に遡れるもの。
毎年11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)を新しい天皇が最初に行うのを大嘗祭という。
2.神楽
天の岩戸にお隠れになった天照大御神の気を引くために、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が舞を踊る神話が最初と言われる。
古事記では「榊と笹の葉を持ち、胸を開き、裳裾のひもを女陰の前に垂らして神がかりして踊った」とある。
神楽には宮中で行なわれる「御神楽(みかぐら)」と民間の「里神楽」がある。
御神楽では天宇受売命の子孫と呼ばれる猿女氏(さるめし)が」11月23日の新嘗祭の前日に執り行われる鎮魂祭で舞を踊ってきた。
里神楽は、巫女神楽出雲流神楽伊勢流神楽獅子神楽などがある。
3.歌舞伎
歌舞伎の始まりは出雲阿国で恐らく巫女神楽が元になっているのだろう。
建て直された歌舞伎座には歌舞伎稲荷神社がある。
4.能狂言
そもそも能は当初は神々に見せるもので、人々が見るようになったのは観阿弥世阿弥父子が現れた室町時代からだ。
5.シンプルイズベスト
神道は簡略に次ぐ簡略、省略に次ぐ省略を重ねて物事を常に単純化させる思想がある。
キリスト教などの宗教は、物事の成り立ちを精緻に理論化し、細かく複雑化させるが、神道は極めてシンプルに考える。
「清浄」「美しい」「明るい」というような感覚を重視し、理屈は考えない。
単純素朴なものほど真理があり、真理は感じるもので理屈でない、と考える。
例えば、月が美しく輝いているとき、そこに神々を感じとれる感覚だ。
その点、能は単純性において極めて神道的な芝居だと言える。
能の演目は
1.神(翁(おきな)、三番叟(さんばそう)など神楽に近い演目)
2.修羅物(武将が出てきて戦いなどを演じる)
3.女(源氏物語などを題材にした恋愛物など)
4.物狂い(「隅田川」や「三井寺」の狂女などが出てくる演目)
5.鬼(「安達ケ原」「紅葉狩り」などの鬼が出てくる演目)
昔は一日に上記の五番の能を演じたから、見るのも大変だった。
能はどこかに神がある、という意識がないとその良さが分からない。
(私の注;能舞台の奥の羽目板に大きく松が描かれているが、あれはそこに神がおわす、ということになっている。)
特に最初の「神」は「翁」という演目から始まる。
「翁」は天下泰平、国土安全、五穀豊穣を祈願する神事です。
能が完成する以前の古形を残している祝言の舞いで、能の根本芸だと言われる。
演じる能役者は神職が行うのと同じような精進潔斎して舞台に臨む。
6.日本刀
日本刀の最初は記紀の神話の世界で、スサノオの命が出雲の「簸の川(ひのかわ)」でヤマタノオロチを退治して、その尾から剣が出てきたのが始まりだ。
その剣を「天野叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」という。
その後、日本武尊(やまとたける)の代になって「草なぎの剣」と言われ、今は熱田神宮のご神体になっている。
日本の伝統文化には必ずといってよいほど、神道の精神が入っている。
刀剣には神々が宿る、とされ、実際に神社に奉納されて祀られた刀も多い。
日本刀は平安時代から大きく変わった。
記紀古事記日本書紀)は「刀」の表記はなく殆ど「剣」です。
平安時代頃に切っ先鋭く、反りの入った現在の日本刀が出来上がり、鎌倉時代に完成した。
なお、「剣(つるぎ)」は両刃で「刀(かたな)」は片刃になっている。
7.神道の葬送について
「死んだら天国に行く」というのは、キリスト教イスラムユダヤ教などの他界観で、しかもそう簡単には天国に行けない。
仏教は涅槃や浄土に行くためにお葬式をし、仏弟子になって戒名を付ける。
神道は亡くなると「自然回帰」する、という考え方で、現在行われている樹木葬や散骨葬はそれに近い。
神道では人が亡くなると「帰幽」と言って、葬式は「帰幽祭」と呼び、この神道による葬儀を「神葬祭」と呼ぶ。
「帰幽祭」とは、神社の神主が、帰幽された方の生前の功績を称え、「帰幽奏上に関する祭詞」「霊魂安定詞」「大祓詞」などを唱える。
そして、白木の「霊璽」(れいじ)に故人の霊魂を移す、という「遷霊祭」(せんれいさい)が執り行われる。
神葬祭は、今は基本的に火葬で行われていますが、昔は土葬だった。
本来の日本人は、身体は山や海などの自然、または自分たちの祖先のもとに帰る、と考えた。
国学者柳田国男は「日本人は根の国に帰ることを考えた。根とは地下のことではなく根本の意味で、根の国は祖先の国、民族の故郷である。」と言っている。
8.茶道や生け花にも神道は生きている。
生け花は、きれいな花を活けることによって、そこに神様が降りてくる、と考えたものだろう。
9.日本の伝統文化の中心に神道があり、その周辺に「間」ができる。
その「間」は、日本的な曖昧な時空間や場所を指し、何もかも包含するような寛容性を持ちます。
多くの日本人がイエスかノーかの二者択一的な考え方をあまりしないのがその表れです。
これは日本人の欠点として、指摘されてきたが、人間はわからないことが多いから「間」というものを重視するからそうなるのです。
例えば、「お茶の間」は、家族や来客がお茶を飲んで団らんするような大きな空間です。
茶道ではその空間を極端に狭い「間」で抹茶を飲む。
華道では花と花との「間」を重視する。
この「間」は時間的なものを含み、「間が良い」「間抜け」という言い方をする。
神道では、八百万(やおよろず)の神々のもとに、自然や人が集まり緩やかに共存し、共に栄える、と教える。
時間的にも空間的にも、神々や人との間は、「間が大事だ」と言う考えを日本人は持っているが、これは神道的な考え方だ。
(第六章終)